一年後に君はいない

柴野日向

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2章 近からず、遠からず

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 二日後、弥生に引きずられてやって来た村山むらやま蒼汰そうたは、ドリンクバーで入れたコーラをちびちびと飲みながら語った。
「なんか、あんまり喋らないやつって、馬鹿にされるだろ。カースト低下層ってやつ。あいつ、いつも本読んでばっかの暗いやつだったから、いじめのターゲットにもなりやすかったんだ」
 空席が目立つ夕方のファミリーレストランに、三人は集まった。ここまでする必要があるかと瑞希は自問したが、知りたいと思ったのだ。結城佑の性格が変わった理由と、もともと彼がどんな人間だったのか。咄嗟に取り付けた約束だったが、弥生が協力的だったおかげで、蒼汰も渋々足を運んでくれた。
「まあ、暗くて馬鹿にされるやつって程度だったんだけど、二年の時、なんかでかい賞取ったんだよ。あいつ文芸部だったんだけど、史上最年少で受賞したとかで……なんていう賞かは知らないけど」
 彼は知らないと言ったが、瑞希にはピンときた。蒼汰の言う通り、二年前にとある文学賞で十四歳が大賞を取ったという話を聞いたことがある。ちら見した評価欄では、大人顔負けの筆力と絶賛されていた。どこの誰かはまったく公表されていなかったが、それが結城佑で間違いない。
「別にあいつが威張ったわけじゃないけど……馬鹿にしてた連中はムカついたらしい。そん時からいじめが段々ひどくなって、あいつが部活辞めても収まらなくって」
「それで、怪我させたんだ」
 弥生が口を挟むのに、「俺じゃないけど」と幾度も繰り返した言葉を口にしつつ、蒼汰は頷いた。
「そんなことがあったら、流石に騒ぎになったでしょ」
「それが、大してならなかったんだよ」
 弥生は眉根を寄せて思案顔をする。彼女の正義感では、にわかに信じがたい話だ。
「学校側も騒がなかったし。生徒同士の喧嘩だって言って。あいつの家も放任らしくて」
「放任って」
 その言葉に弥生が苦笑いするが、蒼汰は笑わなかった。
「放任っていうか……まあ、出てこなかった。それからは、流石に誰も触れなくなったんだけど。あいつ、幽霊みたいだったな」
 まるで他人事だが、蒼汰を責めるのはお門違いだ。いじめは生き物みたいなもので、常に餌を求めている。生きるため、存在するための餌は、ほんの小さなきっかけで決まってしまうのだ。そして、その生き物を形作っているのはもちろん蒼汰一人ではない。佑以外の人間が一丸となって、恐ろしい生物を作り上げていたのだ。食われた佑を幽霊と表するのは、あながち間違ってもいない。
 蒼汰の横で不快な表情をしつつ、弥生がストローを咥える。彼女とお揃いのアイスティーで、瑞希も舌を湿らせた。
「ひどい話」弥生がグラスを指先でつつく。「人の成功を妬んで傷つけるなんて、最低」
「そもそも、いじめやすかったんだ、そいつらからしたら」
「本ばっかり読んでるから?」
 本好きな彼女の言葉に憮然としつつ、「それだけじゃねえよ」彼は僅かに唇を突き出す。「変な噂もあるだろ、あいつ」
「……噂?」
 きょとんとする瑞希と弥生が目を合わせる。あいつは変人だが、変な噂は聞いたことがない。
「知らねえの?」蒼汰も意外な顔をして、二人を見た。「あいつさ……」だが余程言い難い話なのか、尚も躊躇し口を閉じかけるのを、弥生が肘で小突いた。ここまでくれば、気になって眠れやしない。蒼汰は視線を宙に泳がせて考えた後、ゆっくりと言った。
「弟が、殺されたんだって」
 言葉を失う弥生と瑞希に、あくまで噂だと彼は付け足す。
「小学生のときらしいけど。だからあいつ、暗いんだよ。その後で親が再婚して江雲に来たんだけど、それも上手くいってないんだって。確かに、指切られた時も親とか出てこなかったし」
 瑞希の頭に、夏の浮月川が浮かんだ。会いたい人に会わせてくれる神様の話をした時、佑は死んだ弟に会いたいと言った。てっきり、死因は事故や病気だと思っていた。まさか、殺されていただなんて、予想だにしなかった。
「弟がいるっていうのは、聞いてたけど……それ、どういう事件だったの」
 だが、瑞希の問いかけに蒼汰は気まずそうにかぶりを振る。
「俺も詳しいことは、全然……。そういう事件があったから、あいつは暗いんだって。それで納得してたし、詳細聞くほど親しいやつもいなかったし」
 蒼汰が口を閉ざすと、たちまち沈黙が下りた。明るく自由な結城佑が、これほど凄惨な過去を背負っていただなんて、誰が想像できただろう。
 きっと、彼は自分を変えようとしたのだ。瑞希は思う。
 けれど、傷つけられたトラウマのせいで、いくら誘われても学校の文芸部には入らなかったのだ。自分を変えて明るくなっても、障害を負わされた過去は、忘れることなどできない。能天気な彼の心情は、あまりに複雑すぎる。
「ありがとう、教えてくれて」
 瑞希が礼を言うと、蒼汰は「どうも」と短く返事をした。
「一つだけ、頼み事してもいい?」
 表情で訝しむ彼の隣で、「頼み事って?」と代わりに弥生が聞き返す。
「あいつが南浜にいるっていうこと、誰にも教えないでほしい」
 それを聞いて、彼は少しほっとしたようだった。無理難題を言われるのではと思っていたのだろう。「言うつもりなんてないよ」そう言って約束してくれた。

 翌日、十二月の曇り空の下、佑はいつもの如く玄関先のベンチにいた。サッカー部員がグラウンドで練習をする光景を眺めながら、白い息を吐いていた。瑞希の姿を見つけると、立ち上がり駆け寄ってくる。あの学祭以来、三日ぶりだった。
「一気に寒くなりましたね」
 両手をこすり合わせる彼に、うんと瑞希は頷く。「別に待ってなくてもいいのに」
「だって、一緒に帰りたいから」
「図書室にでもいたらいいじゃん」
「そしたら、先輩が帰るの見逃すじゃないすか」
「図書室、寄るから」
 校門をくぐりつつ、彼は意味が分からないという顔をする。だから、と敢えて鬱陶しげな口調を作った。「あんたが待ってるか、覗いて帰るから」
 そして彼が何かを言う前に、急いで付け足す。
「私のせいで風邪ひいたなんて言われたら、堪らないからね。それだけ」
 彼女の台詞を理解すると、彼はみるみる嬉しそうな笑顔になる。へへ、と笑い声を零す。
「村山蒼汰から、聞いたんですね」
 答えないのが、肯定だった。
 蒼汰の話を聞いて、心情に変化があったことは間違いない。佑が嵐のような人生を生きてきた事実は、瑞希が思い込んでいた彼の本質を呆気なく砕いた。彼の真正は、本当は暗い場所から生まれたのだろう。
 だが、この提案を同情と取られるのは心外だ。不憫だとは思うが、そこから生じた優しさだと認識されるのは、瑞希の意に反する。
「さっきも言ったでしょ。風邪でもひかれたら後味悪いから、そう思っただけ。別にあんたがやめるって言えば、あたしは一人でさっさと帰るから。勘違いするな」
 横目で睨み、「ほんとにめんどくさい」と文句を言う。
「……勘違いしそうになりました」瞬かせた目を細め、彼は笑った。「待ちます。ずーっと待ちます」
 君は、このままでいてくれ。彼の笑顔を目にし、瑞希は自分でも気付かぬうちに願っていた。暗い場所から完全に抜けきるまで、どうか何事もなく無事でいてくれ。
 彼の傷を包みたがる自分の右手を抑えねばならないのは、やたらと苦しかった。
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