一年後に君はいない

柴野日向

文字の大きさ
25 / 43
2章 近からず、遠からず

11

しおりを挟む
 手分けして鍋と電気コンロを片付け、次は瑞希と佑が持ってきたスナック菓子を大皿に盛り付ける。更に「これ全部食べといてー」と、月子は菓子の袋をいくつも抱えてキッチンから戻ってきた。「実家からくすねてきたんだけど、多すぎてさ。賞味期限近いから食べ切っときたいんだ」
 思わず自分の腹に視線を落とす瑞希を見て、彼女は左手の親指を立てる。
「大丈夫! ずっきーは全然太ってないし、怖かったらキヨに回したらいいんだから」
「俺の扱い雑じゃないっすかね」そう言いながらも富士見は既にスナック菓子を齧っている。
 皆が菓子に手をつけると、月子は冷やしていたビールをコップに移し、旨そうに飲み干した。
「つっこさん、僕にもちょっとくださいよ」
 あまりに幸せそうな顔に、佑は興味を持ったらしい。「あんたは飲んじゃダメでしょ」瑞希が口を挟むが、彼は親指と人差し指の間を少しだけ開き、「ちょっとだけ」とねだる。
「そりゃあ、先輩が飲んでたら飲みたくなるよねえ」
「そんなに美味しいんですか?」
「うん、美味しいよー」
 なんと月子は、佑が持つ空のコップに躊躇なくビールを注ぎ入れた。しゅわしゅわと音を立てて、白い泡が浮かぶ。黄金色の液体が冠を被っているみたいだ。
「ほら、ずっきーも飲んでみなよ」
 そして中身の残る缶を、瑞希の前にでんと置く。もともと酒に強くはないのだろう、彼女の顔はほんのり赤く、既に酔っている様子だ。
「いや、私は」
「先輩も飲みましょうよ」
 調子に乗る佑を睨み、救いを求めて富士見に視線を向ける。
「ま、一口くらい、いいんじゃない?」
 だが、ポッキーを前歯で齧る彼は、救世主になるつもりはないようだった。
「……ほんとに、一口だけですよ」
 両親ともに家で酒を飲むことはなく、勧めてくる友人もいなかったから、全く味の想像がつかない。仕方なく缶を手に取る。向かいの佑は、何故かやたらと目を輝かせていた。
 あれだけ月子と富士見が美味しそうに飲むのなら、旨いんだろう。そう当てをつけ、缶を唇につけた。
 冷えた液体が舌に乗る。苦みが口中に広がった。
「にが……!」
 飲んだはいいものの思わず舌を出すと、月子が笑った。
「最初だけだよ。慣れたら全然いけるって」
「慣れるまで飲めないですよ」
 約束通り一口飲んだのだ。缶を遠ざけて見ると、佑も正面でべろりと舌を垂らしていた。
「美味しいですね」
「嘘つくな」
 明らかな嘘を吐く彼は、瑞希がぴしゃりと言うのに構わず、再度コップを口に運んだ。「やるねー、ゆうゆう」月子がはしゃぎ、「飲んだら吐くなよー」と富士見は五本目のポッキーを手にする。
 だが、佑は月子以上に酒に弱かったらしい。コップ半分の量を飲み終えると、月子が持ってきてくれた水を飲み、仰向けにひっくり返ってしまった。
「大丈夫かい、ゆうゆう」
 流石に心配の声を掛ける月子に、「だいじょうぶでーす」と右手をひらひらと振る。「ただちょっと眠くなってきて」
 そう言うと彼は、本当に目を閉じて寝息を立て始めてしまった。
「ゆうゆうは酔ったら寝ちゃうタイプなんだ。新発見」のんびりと大皿に目をやった月子は富士見を呼んだ。
「ねえ、キヨ。ちょっとコンビニ付き合ってよ。おつまみ欲しい」
「つっこさん、痩せてるのによく食うなあ」
「エネルギッシュだと言って。なんか柿ピーとか食べたい」
 よいしょと月子が腰を上げ、富士見ものそりと炬燵から這い出る。時刻は三時を過ぎており、窓の外は雪こそ降らないが曇っている。「ずっきーは、ゆうゆう見といてね。なんかほしいもんある?」
 マフラーを巻いて財布をポケットに入れる月子に、「いえ、特に」と瑞希は返した。今夜はケーキを買って帰ると母が言っていたのを思い出した。これ以上、摂取カロリーを増やすのはあまりに恐ろしい。
 二人がわいわい喋りながら出ていくのを見送り、瑞希は炬燵に足を突っ込んだまま仰向けに寝転んだ。電灯の眩しさに視線を横に向けると、「インドネシアの歩き方」の本が目に入る。来年の卒業旅行で海外に行くためにバイトを頑張っているのだと、月子が言っていたのを思い出した。
 急に訪れた静寂で、炬燵が稼働する「ジー」という音がやけに響く。向かい側で姿の見えない佑が身じろぎし、炬燵の中で足がぶつかった。
「せんぱあい」
 むにゃむにゃと眠たそうな声が、向こう側から聞こえてくる。
「来年は、選考通りますよお」
 新人賞のことを言いたいらしい。「なに、いきなり」彼の足を軽く蹴る。へへ、と彼が笑う。
「先輩、本名でやってるし、本が出たらすぐわかりますねえ」
「あんたみたいな変なペンネーム、思いつかないだけよ」
 恥ずかしくなって、思わず憎まれ口を叩いてしまう。返事がないのでまた寝たのかと思った頃、「そうかなあ」と間延びした声が返ってきた。
「藁なんて、わけわかんないし」
「笑うとかけてるんですよ」
「そんぐらいわかってる」瑞希の声に、「それに」と彼がぼんやりした声を被せた。
「溺れる者は、って言うじゃないですか」
 溺れる者は藁をもつかむということわざを頭に浮かべた。てっきり「藁」と「笑」のダブルミーニングだと信じていたから、その意外さに何も言えなかった。
 溺れてるのは誰なの。そんな問いかけは出来なかった。答えは既に分かっていたから、「あほらし」と吐き捨てるだけにとどめた。へへ、と彼がもう一度笑うのが聞こえた。
 先輩二人が戻り、佑もようやく酔いがさめ、そろそろお開きにしようかという頃、「プレゼント交換で締めよう!」と月子が手を叩いた。彼女はクローゼットの奥から包みを取り出し、残る三人も各々の鞄からプレゼントを出す。月子が自分のスマートフォンを操作し、脇に置いた。
「今から音楽が流れまーす、プレゼントを時計回りで回してください。ランダムで止まるから、その時手に持っていたのが、受け取るプレゼントね。私が拍を取るから、合わせてねー」
 三人が了解すると、月子が画面に触れた。「あわてんぼうのサンタクロース」のイントロが流れ出す。彼女の合図で、四人はそれぞれの包みを回し始めた。月子が「いち、に」とリズムを取り、佑がハミングする。絶妙に音が外れていて、「おまえ、音痴だなー」と富士見が笑うのに、思わず瑞希も顔をほころばせる。
 二番の終わりで音楽が停止した。富士見に渡しかけた包みを手元に戻す。瑞希の手には、確か佑が持っていたはずの包みがあった。細長い緑色の紙包みに、赤いリボンの飾りがついているクリスマス仕様だ。ちょうど向かい合う者同士のプレゼントが行き交っていた。
 月子の元には図書カード、富士見には紅茶パックが送られた。「なんか俺には似合わねえなあ」「一番似合わない人に渡っちゃった」中身を目にした二人は同じ感想を口にする。
「佑のはなんだった?」
 富士見に覗き込まれ、小さな紙袋を開いた佑は、目を輝かせた。瑞希が購入したのは、アナログの腕時計だった。シンプルな文字盤にほんのり淡いブルーのバンド。男女どちらがつけてもおかしくないデザインだ。
「いいじゃん、ずっきーセンスあるねえ」横から覗く月子も満足げだ。
「すごいすごい! おしゃれだなあ」
 受け取った当の佑は、さっきまで寝ていた人間とは思えないほど目を輝かせ、満面の笑みを浮かべている。ありがとうと何度も礼を言うから、却って瑞希は恥ずかしくなってしまう。
「そんで、ゆうゆうからのは何だったの」
 月子に言われ、はっとして、瑞希は紙包みのテープを剥がした。片手に乗るほどの細長い紙箱を開ける。
 出てきたのは、握り心地の良さそうな蒼い胴に金色のペン先。万年筆だ。
「ちょっと待って、これ……」
「やったねずっきー、当たりじゃん!」
「おまえにしては、いいもん選んだな」
 予算オーバーじゃないかと言いかけた言葉が、先輩二人の声にかき消える。そもそも瑞希は、万年筆を一本も持っていない。欲しいと思ったことはあるが、店で見かけるそれらは、気軽に買うには手の出せない値段だった。二千円以下で買える商品も探せばあるのだろうか。だが、これが安物だとは思えない。
「それで、いっぱい傑作書いてください」
 大事そうに腕時計を手に包む佑が言う。気になるが、貰ったプレゼントの値段をしつこく掘り下げるのは無粋だ。
 蒼の光沢を指先でそっと撫で、ありがとうと瑞希は囁いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

処理中です...