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1章 足音は彷徨す
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念書は事前に郵送していた。きちんとサインされているのを確認し、彰は書類を鞄にしまう。交通費は前金と別に奥野がもってくれることになった。電話越しでも伝わったが、彼は彰が自分の依頼を引き受けたことに喜び、同時にひどく安堵していた。よほど幽霊騒動が気になっていたようだ。
片道三時間の道のり。新幹線のボックス席で向かい合い、奥野は済まなさそうな顔をした。
「隠しているつもりはなかったんですが、仰る通り、奥野勇雄は私の祖父です。脳梗塞で急逝する日まで、役場で村長として勤めていました。仕事の評判は上々だったそうです」
「ということは、あなたの家は、村では中々の名家だったのでは」
「名家というほどでは……。私は当時小学生でしたし、特に意識したことはありませんでした。今思えば、近所のおばちゃんがやたら声をかけたりお菓子をくれたりした気もしますが……気のせいかもしれません。その程度です」
眉根を寄せて昔を思い出す顔をしながらも、奥野はやんわりと否定する。
「大人同士はごたごたがあったかもしれませんが、私は随分やんちゃな子でして。日がな一日外で遊びまわって泥だらけになっていました。大人の人間関係など、気にしたことさえなかったと思います」
ああでも、と彼は言いにくそうに切り出す。
「祖父が村長だというのは、何だか自分も偉いような気がして、どこか同級生を見下していた部分もあったかもしれません。やんちゃだけど、友だちはあまり多くありませんでしたね」
「では、一人で遊ぶことが多かったと」
少しだけ考える顔を見せ、「……そうですね」と頷く。
「高校から村の外に出ていたので。祖父が亡くなって、その家を継ぐために引っ越した後は、村にも数年しか居ませんでしたね。今はもう、正月もろくに帰ってなくて」
今日もスーツ姿の奥野は、上着を脱いで窓際の隣の座席に置いた。窓の外では八月の太陽がさんさんと照り、向こうに渋滞を起こしている高速道路が見える。背後の山々は青々と茂り、天辺には横長の雲が引っかかっている。何が面白いのか、晴斗は彰の横でその景色を延々と眺めている。
話すことがなくなり、次第にうとうとし始めた頃、目指す駅の名がアナウンスされた。既に高速道路は見えなくなり、代わりに畑と水田が広がる景色に変わっていた。
更に二回乗り換えた電車から下りた頃には、店を出て三時間が経過していた。ひとけのない夏の駅のホームで、彰は痛む腰を伸ばす。ミンミンと蝉が大合唱し、午後の日差しがじりじりと皮膚を焼くのを感じる。
どんなにボロい駅だろうと彰は想像していたが、駅舎は意外にも小奇麗だった。床には鳥の糞などなく、柱はクリーム色にコーティングされている。改札は手動だが、切符を渡した駅員は丁寧に挨拶をした。駅舎の中には小さな雑貨屋とパン屋が店を開けている。
「随分立派な駅だな」
外に出て振り返り、彰は駅舎の青い屋根を見上げた。
「私が子どもの頃に改築されまして。随分お金をかけたそうです」奥野は駅舎を見る目を細める。「それこそ昔は幽霊の出そうな建物でしたが」苦笑交じりに付け足した。
舗装されていない道の左手には田圃と畑が広がり、右手にはこんもりとした山がある。蝉の鳴き声は最早叫び声だ。夏特有の鬱陶しいほどの生気が満ちている。
「ここは、昔から変わってませんね。この山でよく遊びましたよ」ハンカチで汗を拭きながら、奥野は山を見上げて目を細めた。
「木登りとか……川遊びでもするんですかね」
「もちろん、そういった遊びもしました。山の途中に、神社があるんですよ。赤い鳥居の。少し不気味かもしれませんが、当時は全くそんなこと思わなくて、よく遊びに行ってましたね」
懐かしそうな奥野について歩く。彰の横では晴斗が物珍しそうにきょろきょろとあちこちを見渡している。
次第に山を離れ、畑の間の道を行く。畑仕事をする村人が、どこか不審な顔でこちらを見るのに、なんとなく居心地の悪さを感じる。「最近は、こうした場所に移住するのも、流行ってるそうですな」彰には、そうした連中の気持ちがさらさら理解できない。
「住めば都っていいますけど、実際に街の生活を知ってしまうと、なかなかお勧めできませんけどね。コンビニも車の距離だし」奥野が右に曲がり、二人もそれに続く。「まあ、そういう人がいるから、家を貸すことも出来るんですけど」
駅から二十分も歩いた頃、ようやく目的地に辿り着いた。
「ここです」
示されたのは、随分と大きな平屋だった。塀の端から端まで、三十メートルはあるだろう。奥行きはわからないが、家の裏手、やや西側ににょっきりと木が生えているのが見える。屋根の上に手を伸ばし、青々と茂る葉の指を広げている。
都会で何十年も家が放置されていれば、壁は崩れ、塀は無法者に落書きされ、趣深い廃屋として動画が撮影されるだろう。しかしここは田舎だ。落書きを働いたり動画を撮影する者もいない。それに奥野の言った通り、家は古いが最低限の手入れはされているようだった。見る限り、汚れてはいるが屋根が崩れたり、ガラスが割れている様子はない。
敷地に踏み込むと、流石に庭には雑草が生い茂っていた。
「定期的に刈ってはいるそうですけど。生き物は仕方ないです」
青いエノコログサの上を、ショウリョウバッタが飛んで逃げる。縁側の下に駆け込む猫の尻尾が見えた。
彰は、鞄から取り出した鍵を手に、奥野が一瞬躊躇するのを目にした。だが声をかける前に彼は鍵を鍵穴に挿し、回す。意外にもすんなり開錠し、幽霊屋敷はその口を開けた。
ガラガラと音を立てて引き戸を引いたはいいものの、奥野は率先して中に入ろうとはしない。余程この家が怖いのだろう。首だけを突っ込んで、中の様子を覗っている。
「先、入りましょうか」
「あ、ええ、すみません」
脇に退いた奥野の横を通って、彰は足を踏み入れる。そのすぐ後ろに晴斗も続く。
広い土間で、くしゃみを堪えて鼻をおさえる。家の中は埃っぽく、外のうるさい夏の空気が嘘のようにしんと静まり返っていた。真っ直ぐに続いた廊下が、突き当たりで左右に別れている。その突き当りの壁の高い位置に窓があり、日差しが差し込んでいる。裏の木の葉はこの窓を覆ってはいないようだ。静寂の満ちる古い家は、外界とは一歩を隔てて違う世界のように感じられる。
誰かが向こうで歩いている。
そんな気配を感じたが、彰にはその方向がわからない。見下ろすと、晴斗は廊下の向こうをじっと見つめていた。
がらりとすぐそばで音が鳴る。
「これ、よければ使ってください」
作り付けの棚を開け、奥野が中のスリッパを取り出した。
片道三時間の道のり。新幹線のボックス席で向かい合い、奥野は済まなさそうな顔をした。
「隠しているつもりはなかったんですが、仰る通り、奥野勇雄は私の祖父です。脳梗塞で急逝する日まで、役場で村長として勤めていました。仕事の評判は上々だったそうです」
「ということは、あなたの家は、村では中々の名家だったのでは」
「名家というほどでは……。私は当時小学生でしたし、特に意識したことはありませんでした。今思えば、近所のおばちゃんがやたら声をかけたりお菓子をくれたりした気もしますが……気のせいかもしれません。その程度です」
眉根を寄せて昔を思い出す顔をしながらも、奥野はやんわりと否定する。
「大人同士はごたごたがあったかもしれませんが、私は随分やんちゃな子でして。日がな一日外で遊びまわって泥だらけになっていました。大人の人間関係など、気にしたことさえなかったと思います」
ああでも、と彼は言いにくそうに切り出す。
「祖父が村長だというのは、何だか自分も偉いような気がして、どこか同級生を見下していた部分もあったかもしれません。やんちゃだけど、友だちはあまり多くありませんでしたね」
「では、一人で遊ぶことが多かったと」
少しだけ考える顔を見せ、「……そうですね」と頷く。
「高校から村の外に出ていたので。祖父が亡くなって、その家を継ぐために引っ越した後は、村にも数年しか居ませんでしたね。今はもう、正月もろくに帰ってなくて」
今日もスーツ姿の奥野は、上着を脱いで窓際の隣の座席に置いた。窓の外では八月の太陽がさんさんと照り、向こうに渋滞を起こしている高速道路が見える。背後の山々は青々と茂り、天辺には横長の雲が引っかかっている。何が面白いのか、晴斗は彰の横でその景色を延々と眺めている。
話すことがなくなり、次第にうとうとし始めた頃、目指す駅の名がアナウンスされた。既に高速道路は見えなくなり、代わりに畑と水田が広がる景色に変わっていた。
更に二回乗り換えた電車から下りた頃には、店を出て三時間が経過していた。ひとけのない夏の駅のホームで、彰は痛む腰を伸ばす。ミンミンと蝉が大合唱し、午後の日差しがじりじりと皮膚を焼くのを感じる。
どんなにボロい駅だろうと彰は想像していたが、駅舎は意外にも小奇麗だった。床には鳥の糞などなく、柱はクリーム色にコーティングされている。改札は手動だが、切符を渡した駅員は丁寧に挨拶をした。駅舎の中には小さな雑貨屋とパン屋が店を開けている。
「随分立派な駅だな」
外に出て振り返り、彰は駅舎の青い屋根を見上げた。
「私が子どもの頃に改築されまして。随分お金をかけたそうです」奥野は駅舎を見る目を細める。「それこそ昔は幽霊の出そうな建物でしたが」苦笑交じりに付け足した。
舗装されていない道の左手には田圃と畑が広がり、右手にはこんもりとした山がある。蝉の鳴き声は最早叫び声だ。夏特有の鬱陶しいほどの生気が満ちている。
「ここは、昔から変わってませんね。この山でよく遊びましたよ」ハンカチで汗を拭きながら、奥野は山を見上げて目を細めた。
「木登りとか……川遊びでもするんですかね」
「もちろん、そういった遊びもしました。山の途中に、神社があるんですよ。赤い鳥居の。少し不気味かもしれませんが、当時は全くそんなこと思わなくて、よく遊びに行ってましたね」
懐かしそうな奥野について歩く。彰の横では晴斗が物珍しそうにきょろきょろとあちこちを見渡している。
次第に山を離れ、畑の間の道を行く。畑仕事をする村人が、どこか不審な顔でこちらを見るのに、なんとなく居心地の悪さを感じる。「最近は、こうした場所に移住するのも、流行ってるそうですな」彰には、そうした連中の気持ちがさらさら理解できない。
「住めば都っていいますけど、実際に街の生活を知ってしまうと、なかなかお勧めできませんけどね。コンビニも車の距離だし」奥野が右に曲がり、二人もそれに続く。「まあ、そういう人がいるから、家を貸すことも出来るんですけど」
駅から二十分も歩いた頃、ようやく目的地に辿り着いた。
「ここです」
示されたのは、随分と大きな平屋だった。塀の端から端まで、三十メートルはあるだろう。奥行きはわからないが、家の裏手、やや西側ににょっきりと木が生えているのが見える。屋根の上に手を伸ばし、青々と茂る葉の指を広げている。
都会で何十年も家が放置されていれば、壁は崩れ、塀は無法者に落書きされ、趣深い廃屋として動画が撮影されるだろう。しかしここは田舎だ。落書きを働いたり動画を撮影する者もいない。それに奥野の言った通り、家は古いが最低限の手入れはされているようだった。見る限り、汚れてはいるが屋根が崩れたり、ガラスが割れている様子はない。
敷地に踏み込むと、流石に庭には雑草が生い茂っていた。
「定期的に刈ってはいるそうですけど。生き物は仕方ないです」
青いエノコログサの上を、ショウリョウバッタが飛んで逃げる。縁側の下に駆け込む猫の尻尾が見えた。
彰は、鞄から取り出した鍵を手に、奥野が一瞬躊躇するのを目にした。だが声をかける前に彼は鍵を鍵穴に挿し、回す。意外にもすんなり開錠し、幽霊屋敷はその口を開けた。
ガラガラと音を立てて引き戸を引いたはいいものの、奥野は率先して中に入ろうとはしない。余程この家が怖いのだろう。首だけを突っ込んで、中の様子を覗っている。
「先、入りましょうか」
「あ、ええ、すみません」
脇に退いた奥野の横を通って、彰は足を踏み入れる。そのすぐ後ろに晴斗も続く。
広い土間で、くしゃみを堪えて鼻をおさえる。家の中は埃っぽく、外のうるさい夏の空気が嘘のようにしんと静まり返っていた。真っ直ぐに続いた廊下が、突き当たりで左右に別れている。その突き当りの壁の高い位置に窓があり、日差しが差し込んでいる。裏の木の葉はこの窓を覆ってはいないようだ。静寂の満ちる古い家は、外界とは一歩を隔てて違う世界のように感じられる。
誰かが向こうで歩いている。
そんな気配を感じたが、彰にはその方向がわからない。見下ろすと、晴斗は廊下の向こうをじっと見つめていた。
がらりとすぐそばで音が鳴る。
「これ、よければ使ってください」
作り付けの棚を開け、奥野が中のスリッパを取り出した。
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