なばり屋怪奇譚

柴野日向

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2章 モクリコクリの冒険

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 今度は女子供をターゲットから外す。目標は、赤ら顔の初老の男。浜辺の折りたたみテーブルで、プラスチック製コップのビールを立ち飲みしている。花火が上がるのを待っているようだ。
 ほろ酔い顔で暗い海を眺めている男に気付かれないよう、シイは脇からそのテーブルに乗る。そしてコップに頭を突っ込んだ。
「おっ」
 二口、三口舐めた頃、男は異変に気付き視線を下げる。
「なんだあ、おまえ」
 間延びした声で、眠たそうな目をパチパチとしばたたかせた。
「イタチじゃあ、ねえなあ」
 ようやく、シイがイタチや狐や犬ではないと気付く人間に巡り合えた。今こそとばかり、シイはコップから口を離すと精いっぱいの怖い顔をする。モクリコクリを奉る地元の人間は、慌てて逃げ出すその表情で。
「そんなに飲みてえのか」
 酔った男が嬉しそうに言う。そこに、同じコップを持った別の男が二人やって来る。
「どうした」
「いや、なんか知らん間にいたんだ」
「イタチか?」
「わからん。オコジョかもしれん」
「わからねえが、かわええなあ」
 かわええという言葉に、シイは毛を逆立てる。「オレさまはモクリコクリだ!」そう言いかけた口がぐっと塞がれた。
「よしゃよしゃ、おまえも飲みたいんだな。わしの奢りだ、飲め」
 口にコップを押し付けられ、シイは中身を口に含む。後から来た男二人は若干心配そうな顔をしたが、先ほどもビールを舐めていたことを聞くと、さして止めることはしなかった。三人とも既に酔っている。
 ここで弱気を見せてたまるかと、シイはごくりとビールを飲んだ。
「おお」
「いい飲みっぷりだなあ」
「ほどほどにしとけよー」
 感心する声に気を良くし、小麦色の液体を喉に流し込む。
 元々コップ半分もなかったが、やがてそれは全てシイの中に消えた。
 やんややんやと盛り上がる酔っぱらいは、シイがふらふらと宙を飛んでどこかに消えていくのにも騒ぎはしなかった。
 人目につかない砂地に、ぽてんと落ちたシイを、晴斗はすくいあげる。
「大丈夫か」
 本日三度目の言葉を口にする。右手で頭、左手で胴を支えていると、仰向けのシイは小さくげっぷをした。ういい、と変な声を漏らす。
 晴斗は大きなクーラーで飲料を冷やしている屋台で水入りのペットボトルを買い、腰ほどの高さの防波堤に腰掛ける。背後でちゃぷちゃぷと波の音を聞きながら、キャップを開けた。膝に乗せたシイの頭を左手で支え、右手でボトルの口を顔に近づける。
 ふんふんと鼻を動かし、シイはペットボトルに自分の口をつけた。勢いよく中身を飲んでいく。この小さな身体のどこに水が消えていくのだろう。
 ビールで酔った妖怪の介抱など初めてだったが、やがてもう一つげっぷをしたシイはようやく半身を起こした。
「ああ……くらくらするぜ」
「落ち着いたか」
「なんとかな……」
 ふうと大きな息を吐き、晴斗の膝の上で大きな目を細めて片手でこする。次に吐いた息は、ため息だった。
「オレの村なら、誰も彼もびびって逃げるんだけどなあ」なで肩を落とす。「全然だめだ」
「そんなことないよ」迷いながらも晴斗は口にした。「相手が悪かったんだ」
「オレはイタチでも狐でもねえ。カエルだ。井戸の中のな」
 シイはすっかり自信をなくしていた。励ます言葉を考えるが、モクリコクリの自信を取り戻せる台詞が思いつかない。
「悪かったな、晴斗、付き合わせちまって」
「いいよ、気にしなくて」
「情けねえなあ」
 晴斗は防波堤から歩道に下り、気落ちするシイをフードに入れて歩き出した。この場はシイにとって居心地が悪いだろうが、せめて打ち上げ花火を見て帰るべきだと思った。ゆるやかなカーブを曲がり、屋台の出ている浜辺を離れながら、ひとけのない方を目指す。人工の灯りを離れると、あたりは嘘のように静かになっていく。
「シイ、花火見たことあるか」
「あるぞ。村のガキどもがよく遊んでるんだ」
「そうじゃなくて、打ち上げ花火」
「うちあげ……?」
 背中からシイのか細い声が聞こえる。どうやら彼は、手持ち花火しか知らないようだ。
 会場から離れた海岸に、人の姿はなかった。浜辺に下りて、砂地に腰を下ろし、シイに出てくるよう促した。大儀そうに這い出るシイが、肩の上に乗る。
 その時、大きな音が辺りに響き渡った。
 腹を揺るがすその音は、向こうで打ち上がった花火が空で炸裂する音だった。晴斗が見上げる夜空に、大輪の花が咲く。赤、青、黄色。時間差で色が変わるものや、枝垂桜のように垂れていくもの。球体を輪が囲んでいるのは土星を模しているのだろうか。少し遠いが十分に鑑賞できる。
 美しさに言葉もないまま見惚れる晴斗の耳元で、シイが囁いた。「綺麗だ……」
 顔を傾けると、見開かれた大きな瞳に、色鮮やかな花火が映り込むのが見えた。
「すごいだろ」
「ああ。すごい」
 どこか呆然としているシイ。
「あれ、ほんとに花火なのか」
「花火だよ。打ち上げ花火」
「触ったら熱いのか」
「さあ……熱いと思うけど」
「一つ取ってくる」
「え……?」
 晴斗の肩で、シイは四本の足をきちんとそろえた。
「田舎の仲間にも、見せてやりてえんだ」
 そしてぱっと後足で肩を蹴り、前に飛び出した。立ち上がった晴斗が止める間もなく海岸を駆け、何のためらいもなく海へ飛び出す。
「ちょっと、シイ!」
 波打ち際で大声をあげたが、シイはそのまま海の上を走っていく。妖怪の身体は仄かに発光し、軽快に海面を駆ける。
 その身体が、少し大きくなった。
 ひと蹴り、ひと蹴りするごとに、シイの身体がひと回りずつ大きくなる。あっという間に猫ほどの大きさになり、数秒後には犬ほどになり。淡く白く輝くモクリコクリは、どんどん巨大化していく。
 見上げるほどの大きさと化したシイは、海の上を花火めがけて一目散に走る。ぱしゃぱしゃと小さな波が立ち、船にも至る大きさとなる。
 そして海を蹴り、夜空めがけて、いや、輝く星のような花をめがけて飛び上がった。
 大輪の花の中心に、黄金色の両手が伸びる。
 眩い光をその手がしっかりと包んだ。
 その途端、シイの姿は闇に消えた。

 元の大きさに戻り、夜闇から降ってくるシイは、晴斗が伸ばした腕の中にすっぽりと入り込んだ。
「捕まえたぞ!」大事そうに両手を合わせている。「一つだけ、捕まえたぞ!」
「シイ……」はしゃぐシイを抱いたまま「なんてことしてるんだよ」と、晴斗はそれだけを言う。
「ほら」
 そっと手を開くシイは、「あれ?」と不思議そうな声を漏らした。
 小さな手の中には何もなく、毛皮がほんのり黒く焦げているだけだった。
「確かに捕まえたんだ。この手で、花火を」
「知ってるよ。見てたから」晴斗は頷く。「シイは花火を捕まえたんだ」
 自分の手のひらと晴斗を交互に見て、やがてシイもこくんと頷いた。
「花火ってやつな、すげえあったかかったぞ」
「そうか……」
 おざなりな返事をしながら、晴斗は打ち上げの止んだ会場の方角を見る。花火への歓声よりも大きな、人々のどよめきが聞こえる気がした。
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