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3章 ノンフィクション
幸せと引換えに4
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「まって、やめて! やめてよ!」
絶叫とともに駆け寄り、彼女は彼に抱き着いた。鍵を開けさせないよう、彼が出て行ってしまわないよう、右手でその手を包むように握りしめる。
取っ手からするりと彼の手が滑り落ちると、その瞳に自分が映るよう、握りしめた細い肩を力強く揺さぶって振り向かせた。がくがくと揺れる彼の身体には驚くほど力がなく、肩の鞄の重みに潰されないのが、不思議なほどだった。
「そんなわけないじゃん……! あんたに死んでほしいなんて……そんなこと、思ってるわけないじゃんか!」
「……うそ、吐かないでください」突然の台詞に、彼はぽとりと呻く。
「嘘なんだよ! 全部、全部うそ! 嘘なの、反対なの! あんたまで死んじゃったら……死んじゃったら、私は一生、幸せになんてなれない。笑うことなんて、もう二度と出来ないよ!」
先ほどとはまったく正反対の言葉を叫びながら、少女は縋るように少年を抱きしめ、必死に首を振って全てを否定した。だが彼にしても、あれほどの台詞に対して今となって手のひらを返されても、すぐに理解できるはずがない。
「だけど、あなたが……」
「ごめん、ごめんね! 本当に、ごめんね……!」
がっくりと肩を落とす彼の身体に両腕を回し、鼓動を感じるほど強く抱きしめる彼女の謝罪には嗚咽が混じる。彼女自身、滅多に流すことのない涙が、遂には目の縁に滲む。
「馬鹿なのは、私の方だった。下手な言葉しか言えなくて、気づけなかったんだ。あんたが……あんたが、こんなに私のこと好きでいてくれてるって、気づけなかったんだ。だからあんな、無茶苦茶言っちゃったんだ……!」
もう少しで、今腕の中にある彼の温みが、消えてしまうところだった。その瞳は永遠に星空も深海も宿さなくなり、彼が持つ優しい言葉も微笑みさえも、この世界から失われてしまうところだった。自分が彼に促した絶望的な結末を想うと、彼女の背筋は凍り付く。そんなのは絶対に嫌だと、彼の温かな頬に頬を押し当て、痩せた身体を抱く腕に一層の力を込めた。
「私、嘘つきなの。天邪鬼だから……。本当は、そんなこと少しも思ってなかったんだ……。ほんのちょっと、離れてほしいだけだったの。私のこと、最低だって言って、諦めてほしかったの……」
「……どういう、こと……」
抱きしめられたままの少年は、かき消えそうな声とともに、ようやっと小さく頭を動かした。戸惑い、疲れ切り、死の淵を覗き込んでいた彼の瞳に、震える口元を動かして笑おうとする彼女の姿が映った。
「私、もう、駄目みたいなんだ。あんたと一緒にいるのも、無理みたい。だからさ、離れてよ。私のこと、嘘つきだって、嫌いになってよ」
理解しがたいそんな説明で、彼が納得するはずがない。疲弊した表情をぴくりとも動かすことなく、彼はかぶりを振る。
「ぼくは、嫌いになりません」
じっと自分を見つめる彼の頬に手をやり、彼女はふふっと笑った。
「わからず屋」そんな彼が、やっぱり大好きだ。
少女は彼の額に額を当て、もう一度強く抱きしめると、鼻のてっぺんに唇を軽く当てる。照れてしまうより呆然としている彼の両腕を握り締め、数歩後ずさって出口から遠ざかる。あれほどのことを言ったのだ。万が一を思うと、いくら今更否定をしても彼が思い直してしまう恐怖は、心の奥にこびりついていた。
「嘘だよ。あんたに悪いところなんてない。嫌いになってないよ。何度でも言う、全部、ぜーんぶ嘘。真っ赤な嘘。何があってもあんただけには生きてて欲しいし、どうしても大好きだよ。変わんない。大好きなままなんだよ」
ようやく、彼女が嘘をついていたという可能性を信じ始めた彼は、安堵するくせに顔を僅かに歪めてしまった。良かったと口にさえしないが、彼女の「大好き」という言葉の苦しさに、涙の見えない泣き顔を見せた。
彼が流せない分、自分の頬を伝う涙を拭いながら、彼女は彼の愛する表情で笑う。それは初雪のごとく、美しい笑顔だった。
「ほんとはね、私だって、ずっと会いたかったよ。この二週間、ずっと寂しかった。ひと目でも会いたくって、それが無理なら、声だけでも聞きたくって。だけど、どうしたらいいのか分からなくって……。情けないよ、何度も泣いちゃった」
部屋の明かりが、彼女の涙に反射する。滑らかな頬を伝い落ちる雫は、ぽたりぽたりと硬い床に光の粒を重ねる。「だけどね」最後のひと雫を、彼女は拭った。
「もう、一緒になんていられないの」
会いたいのに、大好きなのに、一緒にはいられない。ようやく彼女の葛藤を理解した彼は、不安げに眉尻を下げ、心配そうに彼女の濡れた瞳を見つめた。
「どうしたの」
悲しい全てを教えてほしいと、彼は優しい声で様子を覗う。その腕を引き、肩から鞄を下ろさせると、彼女は並んでソファーに座った。燃え上がっていた少女の心、全てを打ち捨てる少年の決意。時間をかけてようやく二つの波が収まった頃、ぽつりぽつりと話し始めた。
絶叫とともに駆け寄り、彼女は彼に抱き着いた。鍵を開けさせないよう、彼が出て行ってしまわないよう、右手でその手を包むように握りしめる。
取っ手からするりと彼の手が滑り落ちると、その瞳に自分が映るよう、握りしめた細い肩を力強く揺さぶって振り向かせた。がくがくと揺れる彼の身体には驚くほど力がなく、肩の鞄の重みに潰されないのが、不思議なほどだった。
「そんなわけないじゃん……! あんたに死んでほしいなんて……そんなこと、思ってるわけないじゃんか!」
「……うそ、吐かないでください」突然の台詞に、彼はぽとりと呻く。
「嘘なんだよ! 全部、全部うそ! 嘘なの、反対なの! あんたまで死んじゃったら……死んじゃったら、私は一生、幸せになんてなれない。笑うことなんて、もう二度と出来ないよ!」
先ほどとはまったく正反対の言葉を叫びながら、少女は縋るように少年を抱きしめ、必死に首を振って全てを否定した。だが彼にしても、あれほどの台詞に対して今となって手のひらを返されても、すぐに理解できるはずがない。
「だけど、あなたが……」
「ごめん、ごめんね! 本当に、ごめんね……!」
がっくりと肩を落とす彼の身体に両腕を回し、鼓動を感じるほど強く抱きしめる彼女の謝罪には嗚咽が混じる。彼女自身、滅多に流すことのない涙が、遂には目の縁に滲む。
「馬鹿なのは、私の方だった。下手な言葉しか言えなくて、気づけなかったんだ。あんたが……あんたが、こんなに私のこと好きでいてくれてるって、気づけなかったんだ。だからあんな、無茶苦茶言っちゃったんだ……!」
もう少しで、今腕の中にある彼の温みが、消えてしまうところだった。その瞳は永遠に星空も深海も宿さなくなり、彼が持つ優しい言葉も微笑みさえも、この世界から失われてしまうところだった。自分が彼に促した絶望的な結末を想うと、彼女の背筋は凍り付く。そんなのは絶対に嫌だと、彼の温かな頬に頬を押し当て、痩せた身体を抱く腕に一層の力を込めた。
「私、嘘つきなの。天邪鬼だから……。本当は、そんなこと少しも思ってなかったんだ……。ほんのちょっと、離れてほしいだけだったの。私のこと、最低だって言って、諦めてほしかったの……」
「……どういう、こと……」
抱きしめられたままの少年は、かき消えそうな声とともに、ようやっと小さく頭を動かした。戸惑い、疲れ切り、死の淵を覗き込んでいた彼の瞳に、震える口元を動かして笑おうとする彼女の姿が映った。
「私、もう、駄目みたいなんだ。あんたと一緒にいるのも、無理みたい。だからさ、離れてよ。私のこと、嘘つきだって、嫌いになってよ」
理解しがたいそんな説明で、彼が納得するはずがない。疲弊した表情をぴくりとも動かすことなく、彼はかぶりを振る。
「ぼくは、嫌いになりません」
じっと自分を見つめる彼の頬に手をやり、彼女はふふっと笑った。
「わからず屋」そんな彼が、やっぱり大好きだ。
少女は彼の額に額を当て、もう一度強く抱きしめると、鼻のてっぺんに唇を軽く当てる。照れてしまうより呆然としている彼の両腕を握り締め、数歩後ずさって出口から遠ざかる。あれほどのことを言ったのだ。万が一を思うと、いくら今更否定をしても彼が思い直してしまう恐怖は、心の奥にこびりついていた。
「嘘だよ。あんたに悪いところなんてない。嫌いになってないよ。何度でも言う、全部、ぜーんぶ嘘。真っ赤な嘘。何があってもあんただけには生きてて欲しいし、どうしても大好きだよ。変わんない。大好きなままなんだよ」
ようやく、彼女が嘘をついていたという可能性を信じ始めた彼は、安堵するくせに顔を僅かに歪めてしまった。良かったと口にさえしないが、彼女の「大好き」という言葉の苦しさに、涙の見えない泣き顔を見せた。
彼が流せない分、自分の頬を伝う涙を拭いながら、彼女は彼の愛する表情で笑う。それは初雪のごとく、美しい笑顔だった。
「ほんとはね、私だって、ずっと会いたかったよ。この二週間、ずっと寂しかった。ひと目でも会いたくって、それが無理なら、声だけでも聞きたくって。だけど、どうしたらいいのか分からなくって……。情けないよ、何度も泣いちゃった」
部屋の明かりが、彼女の涙に反射する。滑らかな頬を伝い落ちる雫は、ぽたりぽたりと硬い床に光の粒を重ねる。「だけどね」最後のひと雫を、彼女は拭った。
「もう、一緒になんていられないの」
会いたいのに、大好きなのに、一緒にはいられない。ようやく彼女の葛藤を理解した彼は、不安げに眉尻を下げ、心配そうに彼女の濡れた瞳を見つめた。
「どうしたの」
悲しい全てを教えてほしいと、彼は優しい声で様子を覗う。その腕を引き、肩から鞄を下ろさせると、彼女は並んでソファーに座った。燃え上がっていた少女の心、全てを打ち捨てる少年の決意。時間をかけてようやく二つの波が収まった頃、ぽつりぽつりと話し始めた。
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