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第3章 同族嫌悪も甚だしく

14話

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「お前……自分が今日何をされたか覚えていないのか」

 その夜は、いつもとは少し違う形で食卓を囲む。テーブルに肘をつく厘は、不機嫌そうに岬を見据えた。

「忘れたわけじゃないけど……」

「おぉ、これ美味いな。なんつーんだっけ、茶碗蒸す?」

 岬の声に被せた庵は、目を爛々とさせて厘を見る。

「……茶碗蒸しだ。阿呆」

「あぁ?阿呆だぁ……?」

 今夜は庵が一緒に食卓を囲んでいた。ホームレスさながらの暮らしをしている庵を案じ、岬が「一緒に夕飯食べない?」と誘ったからだ。
 厘が機嫌を損ねる理由は二人の不仲にあると知っても、厘の美味しいご飯を食べればきっと、と多少の希望を抱いたのも事実。しかし、早速瓦解しそうになるプランに、岬は汗を飛ばす。

「こっ、この茶碗蒸し、私もすごく美味しいと思う。銀杏も入ってるはずだよ」

 ピリつきそうになった空気を、どうにかぎ払った。

「実が入ってんのか?」

「うん、厘に頼んで入れてもらったんだ。私が、上手く作れればよかったんだけど……」

「カハハッ、お前見るからに不器用そうだもんな。非力だし」

 ゴツン———厘が庵に拳を降らせる。唾を飛ばしながらキレる庵を、厘はその額を押さえて冷静に動きを封じる。
 また、何かが彼の気に障ったらしい。岬は休まらない心に、茶碗蒸しの温かさを落とした。

「いいから大人しく食え。あぁ、もしや、共食いになることをうれいているのか?」

 眉を下げて意地の悪い表情を見せるのは、庵に限ってなのか、否か。少しだけこっちにも、と考える自分はどこかおかしいのだろうか。岬は自分を憂いた。

「残念ながら杞憂だな。そんな小さいこと俺は気にしねぇ。なんたって、お前よりも漢だからな」

「それは、雌雄異株の雄だから、という意味か」

「あぁ?他に理由なんてねぇだろうが」

「はん……岬を使って俺を誘き寄せるなど、雄々おおしさ皆無だけどな」

「……」

 反論、と思いきや珍しく黙り込む庵は、そっと岬の顔を覗き込む。

「悪かったよ。怖がらせて」

 そして、弱々しくそう言った。金色の髪から覗く彼の耳は、またしても赤い。同時に岬も、芯から温かくなったように感じた。

「ううん、もう平気だよ。……それより、どうして厘に会いたかったの?」

「その言い方には語弊がある。俺は別に、会いたかったわけじゃねぇ」

「じゃあどうして……」

「いわゆる、同族嫌悪っつーやつだ。とくにこいつはチャラチャラしていて気に食わない」

 言われた厘は、ツンとそっぽを向いている。どちらかと言えば、庵の身なりの方が “チャラチャラ” に等しい気もするけれど。と、着崩された制服を見据えて苦笑した。

「もうひとつ、聞いてもいいかな?」

「うん?なんだよ」

「庵はいつから学校にいたの?今日まで全然気づかなくって……」

『俺、知ってる。最初は分からなかったけど、たぶん一か月くらい前に現れた転校生だよ。こいつ』

 庵よりも先に答えたのは中の声。汐織は環央学園に棲みついた霊だ、と聞いていたので、諸々の事情を知っているらしい。

「へぇ……なるほどな」

「何がだよ」

 頷いた厘に、庵は眉間を狭める。やはり、庵には汐織の声が届かないようだ。

「えっと……もしかして、転校してきたの?少し前に」

「まぁ、そんなとこだ」

 今さっき仕入れた情報に狂いはなさそうだ。しかし聞けば、“転校生” というステータスは庵にとって相当に不本意なものだったらしい。

「人に変わってすぐ、目立たねぇように周りと同じ恰好をしたんだが……門の前でやたら偉そうな人種に捕まった」

 つまり、門番の先生に捕まってしまった、ということ。今朝見た光景と相違なく、映像が再生される。当時も、頭髪をしつこく注意されたのだろう。

「並木道を歩いていた生徒の、制服姿を模倣した……ってこと?」

「一日一食、飯の当てがあるのはいいが、学校生活っつーのは窮屈だ。俺にとってはとくに」

「術を掛けたのか」

「ふん、別に構やしねぇだろ」

 術———?
 首を捻る岬を、厘はじっと見つめる。庵よりも濃い瞳の色に、吸い込まれてしまいそうだった。思わず、喉を鳴らした。

「学校では多少なりとも身分証明が必要だろう。おそらく、こいつは教師陣に思い込ませたんだ。……転入してくる予定の生徒だと」

「それが、庵の術……?」

 使い慣れていないフレーズをたどたどしく紡ぐ。そういえば、厘も鈴を鳴らして———。

「大筋は合ってんな。お前に当てられんのは癪だが」

「衣服も即興で縫い上げたんだろ。妖術で」

「いかにも勘が鈍りそうな造りだけどな」

 犬猿ながらもテンポのいい会話を聞きながら、ああ、本当にこの二人は妖精みたいだ、と岬はしばらく呆けていた。


「庵。よかったら、今日はうちに泊まっていく?」

 同時に、高揚していたのかもしれない。庵を誘いながら、オーラを尖らせている厘の方へは向かないように気を付けた。

「まぁ……今日だけなら」

 言いながら、庵は奥に詰まっていた銀杏を口に含む。

「あ、うめぇなコレ」

 金色の長い睫毛が落とした影に、岬は柔く微笑んだ。
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