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第三章
閑話 過去語り、呼ぶ声
しおりを挟むこの小さな山間の村には、周辺一帯の大地主である東神様(とうじんさま)のお屋敷があった。
山裾に建つ豪邸は、まるでお城にしか見えない。
お屋敷を畏怖と憧憬を交えた瞳で遠目に眺めるのが私の常だった。
私の家は家族で食べて行くのがやっとの小さな農家だったが、それは村では珍しくもない普通の事。
あの大きな屋根付きの門をくぐったらどんな風に景色が広がるのだろうか?
あそこで暮らせたらどんな気持ちだろうか?
それはきっとお姫様の様な気分だろうと想像をした。
ただ、それは私だけではなく、他の大人や子供も同じだったろうと思う。
私には三才年上の理子(さとこ)という、母親似で目がぱっちりとした、黒目がちで美しい顔立ちの姉がいた。
だけど私は姉とは違い、父親に似た瞼の分厚い一重の目元で、骨格も女子なのに骨太の父親似だったので、ほっそりと華奢で美しい姉とは全く似ていなかった。
何処にでもいそうな平凡な田舎の子供だったけど、年の近い美しい姉がいるというだけで、他人の私に対する評価は厳しいものになった。
ただ、そう、母親ゆずりの髪質だけは姉と似ていた。黒くて真っすぐで、艶やかで羨ましいと友達にも言われた事がある。だから、髪はいつも綺麗に梳かしていた。唯一の自慢できる部分だったから。
容姿が良く、性格も穏やかで優しい姉は、誰からも好かれた。妹の私には特に優しかった。
でも私は周りの者から姉と比べて「ぶさいく」だと散々言われて育ったので、小学生の高学年になる頃には、すでに卑屈な性格になっていた。『どうせ私なんて』と、心の中で呟くのが常だった。
両親は容姿で二人の娘を差別するような事は無かったが、子供の頃の三つ上というと大差がある。何でもお姉ちゃんが先で、自分は後だという事にも不満を覚えた。
嫌だったのは、いつも洋服が姉のお下がりだった事だ。でも、“お下がり”が嫌だった訳ではない。
服は大人しい姉が大切に着ていたので、そんなに傷んでいるわけではない。
けれども体型がスラリとした姉が着てよく似合った洋服が、骨太の私に似合うわけもなく、そんな事も周りの子供や大人から失笑を買っていることに気づいていた。
だから私に似合わない姉のお下がりを着るのが嫌だった。
けど、裕福でもない家で、姉妹で服を使い回さないという考えはもちろん無かった。
私だって、私に似合う新しい服を買ってくれなどと親に言える訳がない。
せめて生まれる順番が違っていれば、少しは違っていたかもしれない等と思う事もあった。
「理子ちゃんはお母さん似なのに、雪代ちゃんはお父さんによく似ているよねえ」
そんな風に残念そうな目で、遠回しに言われる言葉が、針となって私の心をつき刺すのだ。
もうひとつ、姉の同級生に東神家の一人息子の東神政宗様がいた。
大きい家の子息らしく、清潔で品の良い上級生で、あの東神様の跡継ぎだ、モテない訳がない。
その政宗様は、私の美しい姉を幼馴染としてだけでなく、異性としてとても好いていた。
自然の成り行きで、当たり前の様に年頃になると二人が付き合い始めた。
周りの者たちは、それはさも当たり前の様に思った様だ。
それ程、姉の美しさは、年を追うごとに輝くばかりになった。
誰が見ても美しいと思う、田舎の娘らしくない美貌だったから。
その陰にかくれて私はいっそう僻み妄想が酷くなったが、そんなことはおくびにも出さない様にしていた。
醜い私が、醜い事を言えば、輪をかけて『醜い』と言われるだろう。
私の口元は、楽しくも嬉しくもないのに、自分を守る為に笑みが乗るようになった。
それは父親が自分に似ている私を可哀そうに思ったようで、私に言った事があるから。
「お前には理子の様に目立つ容姿をやれなかったが、健康な体があるから僻まずに育ってくれな」
そう、姉は体が丈夫ではなく、何かと直ぐに熱を出したりした。流感にも弱く寝込む事が多かった。
だけど私は健康な体よりも、病弱でも姉の様に美しく生まれたかったと思う。
父親の手前、口に出すような事は無かったけれど。
政宗様は大学は関東の大学に行かれたけど、卒業するとこの村に戻って来た。姉が居たからだ。
姉は地元の商業高校を出て短大に行き、地元の会社に入社していたが、政宗様とは遠距離恋愛をしてその縁は続いていたのだ。彼の私の姉を思う強い気持ちから、大学を卒業するとすぐに地元に戻り姉と結婚したのだ。
姉が誰かに奪われるのが政宗様は恐ろしかったのだとうちの両親にも言われていた。
それから東神家の経営する会社を継がれたのだった。
東神家は、会社だけでなく、開発地になった多くの土地も持っているようだった。
そうして、姉は望まれて東神家に入り、大切にされた。私の憧れた屋敷で、裕福で幸せな生活を送る女。
それが同じ両親を持つ姉なのだ。
姉が羨ましかった。ずっとずっと羨ましかった。
美しい容姿を持ち誰からも好かれ、私の憧れた夢の様な生活を、あのお城の様なお屋敷に住む姉が妬ましかった。
子供の頃から、モヤモヤと胸のあたりに渦巻くその黒い気持ちは無くなるどころか、年月を経てますます降り積もり、決壊してしまいそうだった。
それでも、私は笑っていなければならない。
姉の結婚式はお屋敷で執り行われたが、そこでもヒソヒソと私の容姿を貶める陰口を耳にした。
「お気の毒よねえ、お姉さんがあんなに綺麗なんじゃ。まさに、月とスッポンてやつよねずっと比べられて大変だわ」
クスクスと笑う声が聞こえた。
ほら、どんどん黒いものが膨らんで、目の前を覆っていくようだ。それを一生懸命抑え込んで笑おうとした。
東神家は山裾の広大な敷地に建っていた。
子供の頃に憧れた屋敷の中へと入る事が叶ったのは姉のおかげだった。
けれども敷居が高いというのか、どうにも場違いな場所という感覚は拭えなかった。
庭は、表の庭だけでなく、裏にも自然を利用した壮大な築山がある、結婚後の姉に招かれて屋敷に行くことが多かった私は、その裏庭の一部が妙に気になるのだ。
姉は私に会いたがり、お茶をしにおいでとなにかと屋敷に誘ってくる。
「雪ちゃん、雪ちゃん」
姉の声は優しく、確かに、そう呼ばれるのは好きだった。
姉はいつも私に優しかった。
屋敷に行けば東神家の裏庭の何かに呼ばれているような気持ちになる。
暗く湿った裏庭の隅に、樹の陰にあるそれは、異質だった。
惹かれるように縁側の履物を履いて歩いて行き、そこを覗くと、何故か四角く注連縄が張られていた。
その四角い隔絶された空間は触ってはならない場所だと姉から教えられる。
私がそこを気にして、姉の所に行くたびに縁側から遠目に見ていたからだ。
「雪ちゃん、あそこは不浄の場所なので絶対に触れてはいけないんだって。なんか暗くて嫌な臭いがするような感じよね」
そんな不思議な事を姉は言った。
紙垂(しで)と呼ばれる白い稲妻の様な形をした紙は、四角く張られた縄にぶら下がって風に揺れている。
「お姉ちゃん、でもああいうのって神様の棲む場所と区切る為の結界ではないの?」
そんな話を聞いた事がある。祭りのときに張られる綱にぶら下げられていたはずだ。
「普通はそうだけど、あそこは違うんだって、怖い物が閉じ込めてあるんだって、政宗さんが子供の頃に聞いたって言ってたもの」
どうやら東神家では、あそこに悪い物が閉じ込められているのだという謂われがあるそうだ。
姉も詳しくは知らない様だった。
ずっと昔から言われているので、政宗様もただそういうものとして聞いているだけの様だ。
この頃には、私も政宗様の事を『お義兄さん』と呼べる様になっていた。
政宗様と姉からそう呼ぶようにと言われたからだった。
本当に悪いものなのだろうか?
私にはそうは思えなかった。だって私を呼んでいるような気がする。
それはいやな感じがしなかったから。
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