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29 説得
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「芽衣! 何なの? あの靴は!」
お母さんはため息をついて、玄関をあごでしゃくった。私のスニーカーは、片方は裏返ってたたきに転がり、片方はサンダルの上に乗っかっている。
「いくらなんでもひどすぎるわよ!」
しまった。今、お母さんの機嫌を損ねるのはまずい。完璧なうそを用意できても、家から出してもらえないかもしれない。
「ごめんなさい……急いでたから、つい。次は気をつける」
肩を縮こめ、ボソボソと言うと、お母さんは眉をひそめた。
「急いでる? どうして?」
「美咲と約束してるの。いつもの公園で遊ぼうって。だから、早くしなくちゃ。行ってきます!」
これ以上何か聞かれる前に、と私は玄関へ向かおうとした。けれど、身をひるがえしてすぐに、腕をお母さんにつかまれてしまった。
「待ちなさい!」
「ご、ごめんってば! 次はちゃんとそろえて脱ぐから……」
「そうじゃないわよ! 本当に、美咲ちゃんと約束してるの?」
お母さんは、うそを暴こうとするように、厳しい目つきで私を見すえている。またユウマくんのところへ行くんじゃないかと、疑っているらしい。
「ほ、本当だよ」
「……じゃあ、いつもの公園ってどこ?」
「美咲の家の近くだけど……」
「丘本公園? それとも、将倉公園?」
「えっと……植え込みに、アジサイがたくさん咲いてるとこ」
「なら、丘本公園ね……」
よく知ってるなあ。頭の片隅で感心しつつも、同時に焦りが募ってきた。早くしないと日が暮れて、黒いアパートをまた見つけられなくなってしまう。
「お母さん、もう離してよ! そんなに気になるなら、美咲のケータイに電話してみれば? 私のケータイ、持ってるでしょ?」
「してもいいの? 本当にするわよ」
「いいよ」
じっと睨み合っていると、お母さんの目から疑わしげな色が消えた。「よし」と思ったのに、今度はとがめるような瞳が私を見つめてくる。
「でも、その前に宿題は?」
(……忘れてた!)
思わず大声を上げそうになったけれど、ギリギリでそれをのみくだして、平常心を装って答えた。
「か、帰ってからやるよ。今日、量が少ないし」
「バカなこと言わないで! 昔、そう言ったのに宿題が終わらなくて、お父さんに手伝ってもらってたじゃない!」
いつの昔だろう。まったく覚えていない。私に記憶力があるなら、それはお母さんゆずりに違いない。
「で、でも……また雨が降るかもしれないし。今のうちに、行かないと」
「明日じゃダメなの? あんたも美咲ちゃんも、火曜は塾がないじゃない」
「ほら、あの……き、昨日、いろいろあったし、今日は気晴らししたいんだよ。お母さん、前に言ってたじゃん。『美咲ちゃん、気晴らししたいのもわかるけど』って。私だって、そうしたい気分の時があるの。……わかってよ」
昨日のことを心に浮かべながら、お母さんの目を見つめた。
お母さんは、どう言えばいいかと迷うように、視線をさまよわせている。
「今日だけだから!」
私は叫んだ。お母さんの心へ届くようにと祈りながら。
「明日は、帰ってすぐに宿題やるから。ねえ、お願い。明日も友だちに会えるとは限らないでしょ? ユウマくんとだって、もう電話で話せないもん……」
お母さんの体が、何かに刺されたかのように、ビクッと震えた。それから気まずそうに目をそらすと、
「6時半までには、帰るのよ」
と、小声でつぶやいて、私の腕を離した。
「わかった、行ってきます!」
玄関へと走り、あちこちへ散らばったスニーカーを拾い集める。1つずつ足をつっこんで、大急ぎで靴紐を結んだ。
うしろで、お母さんが「だんだん美咲ちゃんに似てきた気がするわ」とため息をついている。
私は聞こえなかったフリをして、外へ飛び出した。
自転車のカギを外して、サドルに腰を落ち着ける。
(まずはムツバスーパーだけど……大きな道へ出たら、左に曲がろう)
少し遠回りになるけれど、真っ直ぐスーパーへ向かったら、また「立ち入り禁止」の札に通せんぼされてしまう。
私は深呼吸をして、ペダルをこぎ始めた。
頭に刻みつけた目印をたどりながら、多少迷いつつも、ムツバスーパーに到着する。昨日来た時に比べて、まだ空が明るい。
(やった、思ったより早く着いたみたい!)
これなら、黒いアパートもしっかり見えるはず。片手でガッツポーズをしたけれど、まだ安心はできない。
問題は、ここからだ。
お母さんはため息をついて、玄関をあごでしゃくった。私のスニーカーは、片方は裏返ってたたきに転がり、片方はサンダルの上に乗っかっている。
「いくらなんでもひどすぎるわよ!」
しまった。今、お母さんの機嫌を損ねるのはまずい。完璧なうそを用意できても、家から出してもらえないかもしれない。
「ごめんなさい……急いでたから、つい。次は気をつける」
肩を縮こめ、ボソボソと言うと、お母さんは眉をひそめた。
「急いでる? どうして?」
「美咲と約束してるの。いつもの公園で遊ぼうって。だから、早くしなくちゃ。行ってきます!」
これ以上何か聞かれる前に、と私は玄関へ向かおうとした。けれど、身をひるがえしてすぐに、腕をお母さんにつかまれてしまった。
「待ちなさい!」
「ご、ごめんってば! 次はちゃんとそろえて脱ぐから……」
「そうじゃないわよ! 本当に、美咲ちゃんと約束してるの?」
お母さんは、うそを暴こうとするように、厳しい目つきで私を見すえている。またユウマくんのところへ行くんじゃないかと、疑っているらしい。
「ほ、本当だよ」
「……じゃあ、いつもの公園ってどこ?」
「美咲の家の近くだけど……」
「丘本公園? それとも、将倉公園?」
「えっと……植え込みに、アジサイがたくさん咲いてるとこ」
「なら、丘本公園ね……」
よく知ってるなあ。頭の片隅で感心しつつも、同時に焦りが募ってきた。早くしないと日が暮れて、黒いアパートをまた見つけられなくなってしまう。
「お母さん、もう離してよ! そんなに気になるなら、美咲のケータイに電話してみれば? 私のケータイ、持ってるでしょ?」
「してもいいの? 本当にするわよ」
「いいよ」
じっと睨み合っていると、お母さんの目から疑わしげな色が消えた。「よし」と思ったのに、今度はとがめるような瞳が私を見つめてくる。
「でも、その前に宿題は?」
(……忘れてた!)
思わず大声を上げそうになったけれど、ギリギリでそれをのみくだして、平常心を装って答えた。
「か、帰ってからやるよ。今日、量が少ないし」
「バカなこと言わないで! 昔、そう言ったのに宿題が終わらなくて、お父さんに手伝ってもらってたじゃない!」
いつの昔だろう。まったく覚えていない。私に記憶力があるなら、それはお母さんゆずりに違いない。
「で、でも……また雨が降るかもしれないし。今のうちに、行かないと」
「明日じゃダメなの? あんたも美咲ちゃんも、火曜は塾がないじゃない」
「ほら、あの……き、昨日、いろいろあったし、今日は気晴らししたいんだよ。お母さん、前に言ってたじゃん。『美咲ちゃん、気晴らししたいのもわかるけど』って。私だって、そうしたい気分の時があるの。……わかってよ」
昨日のことを心に浮かべながら、お母さんの目を見つめた。
お母さんは、どう言えばいいかと迷うように、視線をさまよわせている。
「今日だけだから!」
私は叫んだ。お母さんの心へ届くようにと祈りながら。
「明日は、帰ってすぐに宿題やるから。ねえ、お願い。明日も友だちに会えるとは限らないでしょ? ユウマくんとだって、もう電話で話せないもん……」
お母さんの体が、何かに刺されたかのように、ビクッと震えた。それから気まずそうに目をそらすと、
「6時半までには、帰るのよ」
と、小声でつぶやいて、私の腕を離した。
「わかった、行ってきます!」
玄関へと走り、あちこちへ散らばったスニーカーを拾い集める。1つずつ足をつっこんで、大急ぎで靴紐を結んだ。
うしろで、お母さんが「だんだん美咲ちゃんに似てきた気がするわ」とため息をついている。
私は聞こえなかったフリをして、外へ飛び出した。
自転車のカギを外して、サドルに腰を落ち着ける。
(まずはムツバスーパーだけど……大きな道へ出たら、左に曲がろう)
少し遠回りになるけれど、真っ直ぐスーパーへ向かったら、また「立ち入り禁止」の札に通せんぼされてしまう。
私は深呼吸をして、ペダルをこぎ始めた。
頭に刻みつけた目印をたどりながら、多少迷いつつも、ムツバスーパーに到着する。昨日来た時に比べて、まだ空が明るい。
(やった、思ったより早く着いたみたい!)
これなら、黒いアパートもしっかり見えるはず。片手でガッツポーズをしたけれど、まだ安心はできない。
問題は、ここからだ。
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