上 下
10 / 38

第10話 電話

しおりを挟む
 創さんが出て行って、部屋には僕の小さくしゃくり上げる声と、姉ちゃんの深い寝息だけが、やけに大きく響いていた。

「姉ちゃん」

 揺すってみるけど、起きる気配はない。薬で眠らせたって言ってたな。きっと凄く強い睡眠薬なんだろう。
 諦めて、僕より大きい姉ちゃんの身体を苦労してずらして、ジャケットを脱がせてハンガーにかけ、ウエストを緩めて布団をかけた。

 ふと気付いて、玄関に走っていって、チェーンをかけた。これでもう、創さんも誰も、入ってこられない。

「……慶二」

 とてつもなく、慶二に会いたくなった。でも時計を見ると、午前零時。連絡を取るには、躊躇われる時間だった。

「慶二」

 また、ポロポロと涙が溢れ出した。恐い。慶二の声が、聞きたい。
 バッグから慶二の名刺を出すと、裏返して手書きの携帯番号をプッシュする。
 十コールくらい待って、諦めて携帯を耳から外した。

『歩』

 もしもし、とは言わずに、直接名前が呼ばれるのが、細く聞こえた。落ち着いたバリトンに、涙が止まらなくなる。

「慶二……っく、遅くに、ごめっ……」

『歩? どうした、何を泣いてる』

 ただ、声が聞きたかったなんて言ったら、怒られるかな。
 創さんのことは、言わない方が良いのかな。
 その二つが、喉の奥で渋滞する。

『歩、何でも話せ。寂しいのなら、今すぐ行くから』

「駄目……忙しい、んでしょ。来なくて良っから……声だけ聞かせて」

『俺も、歩の声が聞きたい。何で泣いてるのか、話してくれ。どんなことでも聞くから』

 ああ、創さんと慶二が似てるのなんて、雰囲気だけだ。慶二は、創さんとは違う。

「慶二……創さんってお兄さん、居る?」

『兄さんが、どうした? 何かされたのか!?』

「ホテルで……襲われそうになった」

 携帯の向こうで大声が爆発して、僕はちょっと携帯を耳から遠ざけた。

『あの野郎……!!』

 基本は上品な慶二から、罵りの言葉が飛び出して驚く。

「待って、慶二。兄弟喧嘩させたい訳じゃないんだ」

『無事か、歩!?』

「う、うん。慶二とはまだキスもしてないって言ったら、出て行った」

 よっぽど息を吐いたのだろう。電話口に、ザザ、と雑音が入った。

『良かった……今、何処に居る。安全か?』

「うん。部屋にチェーンかけたから、誰も入ってこられないし、姉ちゃんと一緒」

 姉ちゃんは眠ってるけど、心配をかけたくなくてついでに言う。

『すまない、歩。俺と兄さんは、仲が悪い。だけどまさか兄さんが、お前に手を出すとは思わなかった。完全に俺のミスだ。明日迎えに行くから、一緒に住もう』

「えっ?」

 僕は耳を疑って、思わず訊き返す。聞き違いじゃなく、確かに慶二は言った。

『仕事は辞めろ。一緒に住めば、もう恐い思いをする事はない』

「でも……」

『今の職場では、安全が確保されない。仕事がしたいなら、小鳥遊は多岐に渡って企業展開してるから、やりたい職業を選べ』

 仕事を辞めて慶二に頼り切りになるのは気が引けたけど、それなら、良いかもしれない。
 押しの強さだけじゃなく、もうこんな恐い思いをしたくなくて、頷いた。

「うん」

『落ち着いたか?』

「あ……」

 気付くと、涙は止まってた。慶二の声が、僕を安心させてくれたんだ。

「うん。ごめんね、遅くに」

『何かあったら、いつでもかけろ。就寝中でも、仕事の電話で起こされるのは慣れてるし、俺は毎日寝てる時間がまちまちだ』

「うん。ありがと」

 言ってから、ふと慶二の言葉が気になった。

「あの……」

『ん?』

 電話で、火照った顔が見えないのが幸いだと思った。

「何かあった時だけじゃなく、何にもなくても、かけちゃ駄目?」

 慶二が笑った。優しい笑い皺が、脳裏に浮かぶ。

『ふふ。随分と甘いことを言うな。勿論、何もなくてもかけてこい。明日からは、一緒に住むけどな』

 創さんが言った言葉がチラと頭を掠めたけど、そんなの嘘だと思った。慶二が、金に任せた遊び人だったなんて。
 もし仮にそうだとしても、これからは僕だけを好きになってくれるんだ。だから、何にも心配ない。
 慶二と話してると、女の子が恋愛対象だという意志とは裏腹に、愛しさがこみ上げる。僕はありのままを口にした。

「慶二……好き」

『ああ。俺も好きだ、歩』

 生まれて初めて好きと好きが重なる喜びに、押さえようとしても口角が上がってしまう。
 これが、幸せっていう気持ちなのかな。

「おやすみ、慶二」

『ああ。明日迎えに行くから、ホテルの名前を教えてくれ』

「えっ」

 もう一つ、創さんの言葉が蘇った。

『慶二は、女が本当に駄目なんだ。君に女装癖があるなんて知ったら、契約を解除するかもしれないぞ?』

 どうしよう。僕、ワンピースだ。

「だ、大丈夫。家まで姉ちゃんに送って貰うから、アパートに来て。八時半に」

『本当に大丈夫か?』

「うん。姉ちゃん、僕より大きいし気が強いんだ。姉ちゃんと一緒なら大丈夫」

『そうか。じゃあ、八時半に迎えに行く。そのまま勤め先に行って、簡単に事情を話して辞表を出そう』

「うん。わかった」

『おやすみ、歩』

「おやすみ、慶二」

 慶二が切るまで待とうと思ったけど、通話が切れる気配はない。僕は気恥ずかしくなって、こちらから終話ボタンを押した。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

能力1のテイマー、加護を三つも授かっていました。

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:10,289pt お気に入り:2,216

運命の番を見つけることがわかっている婚約者に尽くした結果

恋愛 / 完結 24h.ポイント:8,924pt お気に入り:257

異世界のんびり散歩旅

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:2,216pt お気に入り:745

婚約破棄されたけど前世が伝説の魔法使いだったので楽勝です

sai
ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:1,499pt お気に入り:4,185

仲良しな天然双子は、王族に転生しても仲良しで最強です♪

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:248pt お気に入り:303

処理中です...