「ちくま800字文学賞」応募作品集

夕月 檸檬 (ゆづき れもん)

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不思議な春の夜

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私の“ルーツ”がある、少し遠い町に行ってきた。

通過列車を待つ駅で、一旦ホームの待合室に出た。
電車の外の空気を吸って、少し気分が悪いのを紛らわせようとした。

少し遅れて、別の車両から若者が降りてきた。
途中で乗り降りするのは、結構な手間がかかりそうな荷物を抱えて。

何を思ったのか、遠いほうのドアから待合室に入ってきた。
座ったのは、一つ置いて隣の椅子。

思わず、私は目を見張った。
遠い昔に恋した人に、あまりにも似ている。
身に纏(まと)う雰囲気まで酷似(こくじ)している!

でも、当時のあの人よりも若い。
声の高さが違う。
まつ毛の密度も長さも違う。
そっくりな別人なのは、明らかだった。
なのに“あの人”にわかりそうな話を振ってみた。

発車時刻が近づき、降りてきた時とは別の車両に乗り込む若者。
偶然にも、私が乗りたい車両。
若者の後を追うようにして、待合室と同じ距離を保ちながら座った。

会話を続けながら、恋した人がメンズエステで若返り、まつ毛エクステをしているのかもしれないと思おうとした。
我ながら往生際(おうじょうぎわ)が悪い。

若者は、人違いをされていると感じた様子ながら、気持ちよく会話に付き合ってくれた。

次の駅で私が降りるまで続いた、ほんの数分間の会話──。

降りる駅はもっとずっと先だと言っていたのに、一瞬、私と一緒に降りようとしてくれた。
その理由は、都合よく解釈してもいいの……?
隣の駅で一旦降りたのは、私が気分悪そうに見えたから……?
まさか、それで、気にかけてくれたの……??

夢見心地なまま、改札に続く階段を昇った。

「またどこかで会えたら、お茶でもしましょう。」
なんて、人生初のセリフで若者を制してしまったけれど……、そんな言葉は、夢見心地だから出せたのだと、頭の中がふわふわしたまま歩いていた。

恋した人との再会代わりに、ほんの束(つか)の間(ま)、そっくりな若者を会わせてくれたのかと思うような、不思議な出来事。
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