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幼少・少年編

花人②

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「ほんまは、名前が滲んだらあかんのやけど……薄墨だけは別なんや。涙の証。キーチ。お父ちゃんはな、この薄墨の色が大好きや。泣いてもええんやよ、つらいつらい、言うてもええ。そうやなかったらあかんよ。ぐっ、とこらえたら……墨みたいに真っ黒になるからな。心が真っ黒になる。そんで誰も彼も憎くなる。憎くなったら誰も好きになれへんようになる。僕は大好きなキーチにそんな風になってもらいたくないなあ……」
「大丈夫や、お父ちゃんたちは俺の事、よう見てくれる。隠そうと思ってもでけへん。そやし、大丈夫や」
「そうか……」

そう言って父と母は口づけを沢山、喜一に落としてくれる。

喜一の父母は二人で一セットの泡姫だ。

もちろん父は男だが、股が濡れる。男を受け入れる体を持っている。母と一緒に客を取る高級ソープ嬢だ。喜一はそれを不思議とは思わない。そんな花人はたくさんいたし、その中でも両親はダントツに美しかった。

その頃の喜一の両親は三十半ばだったけれど、不思議といくつにでも見えた。年若く笑み、老獪に誘う。大きな水槽で人魚の恰好をして客を誘う事もあった。

「女も、男も、気持ちが良い」

そう言って両親を指名する客が後を絶たなかった。

月に二度。

両親は決まって休む日がある。

一度は母の生理だ。

二度は花人の発情期だった。


「花人は、身持ちが悪い。花人は、好色だ」と大人は言う。喜一の同級生も、喜一に向かって叫ぶ。
「お前の父ちゃん、スケベ!お前の母ちゃん、スケベ!」

だが、それはものすごく正しくて、ものすごく間違っている、と喜一は思っている。

正解は、と喜一は思う。

(正解は、俺らにしか解らんのや)

父と母の発情期は、月に一度だが、三日と早かった。そしてそんな時は、喜一は一人で飯を食い、一人で銭湯に行き、茶の間で布団を敷いて寝る。いつも喜一が両親と寝ている部屋の襖は固く、閉じられている。

ただ、聞こえる。

水音と、笑い声と、衣擦れの音だ。

ただ、ただ、匂うのだ。

慎ましやかで、瑞々しい、濃厚な百合の香りが。

飯も食わず、両親は三日の間、睦み合う。


その実情を喜一は見たことがない。

ただ、あの襖の中身は一体どうなっているのか、気になって仕方がない。

仕方がない、と思って寝ると、夢を見る。

喜一は夢で自分の家にいる。茶の間で正座していた。

目の前で、固く閉じられた寝室の襖があいている。

薄紫、蓮華色の光が煌々こうこうと燃えていた。

百合の香りが喜一を押しつぶすように濃厚に薫る。

その中で、一糸まとわぬ両親たちが睦み合っていた。片方は胸に膨らみがある。片方は股の合間に膨らみがある。その他はとくに違いがない。かぐわしい香りに、なにやら綺麗な音楽。襖の向こう側はまるで極楽浄土の有様だった。花はない。花などいらない。花は、二つ、もうあるのだ。花人達はくすくす……と笑い合ってお互いの胸を触り、陰部をこすりつけ、まるで転げまわるようにお互いを押し倒したり、押し倒されたりして……濡れた鴉の羽のような髪が絡まって、どちらのものか解らなくなって……そしてその乱れた髪の合間から、両親たちは瓜二つの顔で、喜一を見つめ、誘うのだ。

【キーチ、早う、おいで】

その姿はまるで、天女達のようだった。

そこで、喜一は目が覚める。

部屋はしん、としている。けれども濃厚な百合の匂いは消えない。

小学五年の時だ。

喜一は両親達の発情期の時に、同じような夢を見て目が覚めた。しかし、なにか違和感がある。ふと、布団をめくってみると。

股が濡れていた。

これは何事か。

三日の発情期が終わって開いた襖から出てきた両親に尋ねてみると、二人は驚いた顔をしたが、「ああ、喜一もそんな年になったんやねえ」と二人でまたも、くすくす……と笑った。

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