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沙都希の回想①
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ガタガタと揺れる電車内。
沙都希が外を見ると、日が沈みかけ夕日の赤が車内に差し込んでいた。
「夕日って、綺麗だよね。私好きだな」
由依香が小学生の頃、一緒に買い物に行ったときに何気なく言った言葉だ。
沙都希自身、その時までは夕日は夕日で、それ以上でもそれ以下でもなかった。
綺麗だなんて思ったことはない。
だが、由依香のその言葉で沙都希は夕日を好きになった。
由依香が好きだから、夕日が好きになる。
実に単純で、親バカな理由だった。
夕日を綺麗だと言える子供に育ってくれて、本当に嬉しかった。
自分はそんな感覚を持ち合わせていない。
きっと、自然に目を向けるような余裕はなかったからだろう。
19年前。
由依香を胸に抱きあげた日の2年前。
あれは高校2年生になった日。
始業式の日の夜のことだった。
友達と長い間話し込んでしまい、辺りはもう暗くなり始めていた。
早く帰ってご飯支度をしなくっちゃ。
そう思って、沙都希は家路へと急いでいた。
半年前くらいだろうか。
母親が晩御飯を作らなくなった。
……いや、作らなくなったというよりも、スーパーで買ったお惣菜を温めるだけになった。
つまり、自分で作らなくなってしまったのだ。
酷いときは家族3人でカップラーメンを食べるなんて日があった。
母親はパートで働いていて、それが忙しいのか、帰りも遅くなることが多い。
最初、沙都希は母親に文句を言った。
仕事でお父さんも疲れているんだから、ちゃんとご飯くらい作ってよ、と。
だが、母親は改善しようとはしなかった。
だからこそ、晩御飯は沙都希が作ることにしたのだ。
家に走っている間に冷蔵庫の中を思い出しながら、晩御飯の献立を立てていく。
そして、アパートのドアを開けて中に入った。
中には既に父親が帰っていた。
一瞬、沙都希はヤバいと思ったが、すぐに異変に気が付いた。
家の中は電気が付いていない。
日は落ちて、家の中は暗い。
その中で父親は一枚の紙を握り締めて呆然としている。
そして、その紙には『好きな人が出来たので、出ていきます』と1文だけが書かれていた。
それが地獄の始まりだった。
その日から父親は仕事に行くのを止めた。
母親と父親は再婚で、沙都希は母親の連れ子だった。
父親は良くも悪くも、父親は母親を深く愛していた。
だからこそ、母親の子供である沙都希を可愛がってくれていたのだ。
だが、父親が愛していた母親は、沙都希もろとも置いていなくなった。
残されたのは、血の繋がっていない親子。
父親は完全に壊れてしまった。
酒浸りになり、部屋に閉じこもり、顔を見せなくなる。
沙都希はすぐにバイトを始めた。
早朝と学校が終わったらすぐに始めて、深夜近くに終わるバイトを掛け持ちしていた。
疲労で学校の勉強もままならなくなり、学校を休むことも多くなっていった。
だが、沙都希は引きこもっている父親に文句を言うことはしなかった。
このとき、沙都希は母親がしたことの罪悪感でいっぱいだったのだ。
申し訳ないという気持ちしかなかった。
父親が部屋から出るのは、お酒が切れたときだけ。
そして、部屋から出てきたときは酒を買って来いと騒ぐのだ。
お金がないと断った時は暴力を振るわれた。
だから、沙都希は自分の食費を削り、酒代だけは別に残すようになる。
そんなあるとき、父親に襲われた。
いや、未遂で終わったのだが、沙都希の心に大きな傷を残した。
父親に押し倒されて、服を剝ぎ取られた。
沙都希は抵抗しなかったが、父親の方が叫び声を上げ、苦しみ始める。
沙都希は母親と顔がそっくりだった。
そのため、沙都希を見ると母親を思い出し、トラウマをえぐったようだ。
その一件から、父親の酒の量が増えた。
そうなると、どんなに節約してもお金を捻出することができない。
そんな中、父親は言い放った。
「学校を辞めて、働け」
そして、そのときに渡してきたのが風俗のチラシだった。
そのチラシを見た時、沙都希の中で何かが壊れた感覚がした。
今まで必死に耐えていたものが崩壊し、あふれ出してきたのだ。
次の日、沙都希は学校を辞め、風俗の店に入っていった。
年齢を偽って風俗店に入った沙都希は、若いこともありすぐに人気になった。
最初こそ、嫌悪感で嘔吐することもあったが、1ヶ月もすると慣れていく。
「3万上乗せするから、生でさせてよ」
お金が貰えるならと沙都希は断るようなことはしなかった。
日々、お金のために男に抱かれるだけの生活。
あるとき、沙都希は何のために生きているのだろうと疑問を持つようになった。
そしてすぐに生きていても仕方がないという考えに至った。
――死のう。
このときは何のためらいもなかった。
いつも酒だけを要求してくる父親に対しての罪悪感も消え失せていた。
自分がいなくなれば、おそらく父親も死ぬだろうと思うが、いっそその方が父親も幸せだろうと思うようになった。
せめて死に方は選びたい。
そう思って、方法を色々と調べているとき――。
沙都希は妊娠してしまったのだった。
最初、沙都希は戸惑い、おろそうと思った。
自分は子供を捨てた母親の血を継いでいる。
きっと、自分も子供を捨ててしまう可能性があると考えた。
だが、沙都希は母親と決定的に違うところがあることに気づく。
それは――男を愛すことはない、ということだった。
自分が母親のように子供を捨てて男と出ていくなんてことはあり得ない。
沙都希にとって、男は嫌悪の対象でしかなかったからだ。
産もう。
沙都希は決意した。
自分が歩めなかった人生を、この子に歩んでもらいたい。
自分が掴めなかった幸せを掴んで欲しい。
幸い、沙都希はある程度の金を持っていた。
なんといっても、沙都希は人気の風俗嬢だったのだから。
すぐに沙都希は父親に黙って家を出た。
いや、父親を捨てた。
お腹が大きくなるギリギリまで風俗店で働き、客の家を渡り歩いた。
そして、出産の予定日が3ヶ月後に迫った時、沙都希は病院に入院することにした。
山城病院。
そこで同室になったのが、中里亜衣加だった。
中里亜衣加は26歳で幼馴染の修二と結婚し、今、子供ができたことで幸せの絶頂と話している。
沙都希の年齢も聞かれたが、20歳と言っておいた。
もちろん、病院側は沙都希の本当の年齢を知っているが、気を利かせたのか周りには話していないようだった。
まあ、17歳で妊娠なんて噂が流れれば、沙都希は病院内で有名人になってしまうだろう。
それでも20歳であればまだまだ若い。
亜衣加は「私をお姉ちゃんだと思ってなんでも頼って」なんて言う始末だ。
同室で波風を立たせたくなかった沙都希は、笑顔を浮かべて「嬉しいです」と言って話を合わせた。
夫のことも聞かれたので、5歳年上の会社員だったが、事故で死んだと話しておく。
だが、そのせいもあって余計に亜衣加に気を使われることになった。
毎日毎日、何かと亜衣加に話しかけれる。
確かに入院中はすることがない。
こうして話すくらいしかやることがないので仕方ないだろう。
しかも、病室内に亜衣加より年下なのは沙都希しかいなかったというのもあるかもしれない。
ただ、沙都希自身も年上とはいえ、こうして同性と世間話をするのは久しぶりだった。
高校に通っていた時のことを思い出す。
高校を辞めてから1年も経っていないのに、遥か昔のように感じる。
それどころか、自分が普通の生活をしていたこと自体が夢だったのではないかと思うほどだ。
なので、自然と亜衣加に色々と相談するようになっていた。
「……うーん。考えたことなかったなぁ」
「え? そうなんですか?」
「だって、自分の子供だよ? 愛せる愛せないなんて話をすること自体おかしくない?」
「……そう、なんですか……ね」
沙都希は子供を産むと決めたときから、ずっと心に引っかかっていたことがあった。
それは自分の子供を愛せるか、というものだ。
沙都希の母親は子供の自分よりも、好きになった異性を選んだ。
しかも、結婚し、夫がいたのに。
そんな母親の血を、自分も継いでいる。
たとえ、異性を愛すことがなかったとしても、子供を捨てることがあるかもしれない。
その可能性を考えると、子供を産んでもいいのかと、どうしても考えてしまうのだ。
「ふふ。生まれちゃえば、そんなことで悩んでたことがバカみたいに思うようになるわよ」
「……そうだといいんですけど」
亜衣加も今回が初出産のはずである。
それなのに、なんでこんなに断言できるのだろうと不思議だった。
だけど、亜衣加はまるで確定事項かのように、生まれてくる子供は可愛く、愛すべき存在だという考えを持っている。
こんな無責任で根拠のない言葉でも、沙都希の心には温かく残り、前を向く勇気を貰えた。
――はずだった。
不安と期待が入り混じる中、出産を迎えた沙都希。
意識が遠のきそうなほどの激痛を体験し、産むことを決めたことを後悔した。
だが、産声を聞いた瞬間、苦痛と後悔は一気に消え去った。
この子は絶対に幸せにしてみせるという強い決意を固める。
しかし。
「え?」
看護師さんに連れられて見た赤ちゃんの顔を見て、沙都希は驚愕した。
「あ、あの……?」
「ああ、これは口唇口蓋裂と言って……」
出産を担当した医師が色々と説明してくれたが、沙都希の耳には入っていかなかった。
ただただ、赤ちゃんの裂けた唇から目を離せず、頭の中が真っ白になってしまう。
どうしよう。こんな子供、愛せない。
そんな言葉だけが頭の中でグルグルと回っていた。
「……」
「大丈夫よ。手術で治るんでしょ?」
病室で呆然とする沙都希に亜衣加が必死になって励ましてくる。
確かに医者も治ると話していた気がする。
だが、沙都希の脳裏には唇が裂けた衝撃的な姿だけが鮮明に残っている。
「無理……。無理よ。あんな子、絶対に愛せない……」
「何言ってるのよ。あなたの子供じゃない。あなたが愛せなくて、誰が愛せるの?」
「……そんなの」
「考えてみて。あの子はあなただけの子供じゃないのよ。今は亡くなってしまった、あなたが愛した旦那さんの子供でもあるんだから。それを思い出して」
あの子供の父親。
一体、誰なのか沙都希自身もわからない。
愛してもいない、ただの客。
それどころか嫌悪の対象でさえある。
そんな人間の子供と考えると、さらに赤ちゃんへの想いは冷めていく。
「……確か、赤ちゃんポストっていうところが、赤ちゃんを引き取ってくれるって」
「何言ってるの!」
亜衣加は叫ぶように怒鳴った。
本気で怒っている。
「子供を捨てるなんて……そんな母親、どこにいるのよ!」
沙都希は母親に捨てられている。
このとき、沙都希は初めて母親の気持ちが少しだけ理解できた。
ああ、子供を捨てるなんて簡単なんだ、と。
「他人事だから、そんなこと言えるのよ」
「そんなことない!」
「あの子は将来、絶対にイジメられるわ。みじめな人生を送ることになる。それならいっそのこと……」
「母親の愛があれば子供はまっすぐ育つはずよ」
亜衣加は沙都希の肩を掴んで、真っすぐ目を見てくる。
濁りのない、綺麗な瞳。
何不自由なく、真っすぐに育ったのだろう。
沙都希とは何もかもが違う。
そんな人間から説教をされても、沙都希の心には一切、響かなかった。
沙都希が亜衣加の手を振りほどいて、放っておいてと言おうとした時だ。
「うっ!」
いきなり、亜衣加がお腹を押さえて屈みこんでしまう。
「ど、どうしたんですか?」
「う、生まれる……」
「え?」
確か、亜衣加の出産予定はもう少し先だったはずだ。
だが、興奮してしまったことが切っ掛けだったのか、亜衣加は産気づいてしまったのだった。
沙都希が外を見ると、日が沈みかけ夕日の赤が車内に差し込んでいた。
「夕日って、綺麗だよね。私好きだな」
由依香が小学生の頃、一緒に買い物に行ったときに何気なく言った言葉だ。
沙都希自身、その時までは夕日は夕日で、それ以上でもそれ以下でもなかった。
綺麗だなんて思ったことはない。
だが、由依香のその言葉で沙都希は夕日を好きになった。
由依香が好きだから、夕日が好きになる。
実に単純で、親バカな理由だった。
夕日を綺麗だと言える子供に育ってくれて、本当に嬉しかった。
自分はそんな感覚を持ち合わせていない。
きっと、自然に目を向けるような余裕はなかったからだろう。
19年前。
由依香を胸に抱きあげた日の2年前。
あれは高校2年生になった日。
始業式の日の夜のことだった。
友達と長い間話し込んでしまい、辺りはもう暗くなり始めていた。
早く帰ってご飯支度をしなくっちゃ。
そう思って、沙都希は家路へと急いでいた。
半年前くらいだろうか。
母親が晩御飯を作らなくなった。
……いや、作らなくなったというよりも、スーパーで買ったお惣菜を温めるだけになった。
つまり、自分で作らなくなってしまったのだ。
酷いときは家族3人でカップラーメンを食べるなんて日があった。
母親はパートで働いていて、それが忙しいのか、帰りも遅くなることが多い。
最初、沙都希は母親に文句を言った。
仕事でお父さんも疲れているんだから、ちゃんとご飯くらい作ってよ、と。
だが、母親は改善しようとはしなかった。
だからこそ、晩御飯は沙都希が作ることにしたのだ。
家に走っている間に冷蔵庫の中を思い出しながら、晩御飯の献立を立てていく。
そして、アパートのドアを開けて中に入った。
中には既に父親が帰っていた。
一瞬、沙都希はヤバいと思ったが、すぐに異変に気が付いた。
家の中は電気が付いていない。
日は落ちて、家の中は暗い。
その中で父親は一枚の紙を握り締めて呆然としている。
そして、その紙には『好きな人が出来たので、出ていきます』と1文だけが書かれていた。
それが地獄の始まりだった。
その日から父親は仕事に行くのを止めた。
母親と父親は再婚で、沙都希は母親の連れ子だった。
父親は良くも悪くも、父親は母親を深く愛していた。
だからこそ、母親の子供である沙都希を可愛がってくれていたのだ。
だが、父親が愛していた母親は、沙都希もろとも置いていなくなった。
残されたのは、血の繋がっていない親子。
父親は完全に壊れてしまった。
酒浸りになり、部屋に閉じこもり、顔を見せなくなる。
沙都希はすぐにバイトを始めた。
早朝と学校が終わったらすぐに始めて、深夜近くに終わるバイトを掛け持ちしていた。
疲労で学校の勉強もままならなくなり、学校を休むことも多くなっていった。
だが、沙都希は引きこもっている父親に文句を言うことはしなかった。
このとき、沙都希は母親がしたことの罪悪感でいっぱいだったのだ。
申し訳ないという気持ちしかなかった。
父親が部屋から出るのは、お酒が切れたときだけ。
そして、部屋から出てきたときは酒を買って来いと騒ぐのだ。
お金がないと断った時は暴力を振るわれた。
だから、沙都希は自分の食費を削り、酒代だけは別に残すようになる。
そんなあるとき、父親に襲われた。
いや、未遂で終わったのだが、沙都希の心に大きな傷を残した。
父親に押し倒されて、服を剝ぎ取られた。
沙都希は抵抗しなかったが、父親の方が叫び声を上げ、苦しみ始める。
沙都希は母親と顔がそっくりだった。
そのため、沙都希を見ると母親を思い出し、トラウマをえぐったようだ。
その一件から、父親の酒の量が増えた。
そうなると、どんなに節約してもお金を捻出することができない。
そんな中、父親は言い放った。
「学校を辞めて、働け」
そして、そのときに渡してきたのが風俗のチラシだった。
そのチラシを見た時、沙都希の中で何かが壊れた感覚がした。
今まで必死に耐えていたものが崩壊し、あふれ出してきたのだ。
次の日、沙都希は学校を辞め、風俗の店に入っていった。
年齢を偽って風俗店に入った沙都希は、若いこともありすぐに人気になった。
最初こそ、嫌悪感で嘔吐することもあったが、1ヶ月もすると慣れていく。
「3万上乗せするから、生でさせてよ」
お金が貰えるならと沙都希は断るようなことはしなかった。
日々、お金のために男に抱かれるだけの生活。
あるとき、沙都希は何のために生きているのだろうと疑問を持つようになった。
そしてすぐに生きていても仕方がないという考えに至った。
――死のう。
このときは何のためらいもなかった。
いつも酒だけを要求してくる父親に対しての罪悪感も消え失せていた。
自分がいなくなれば、おそらく父親も死ぬだろうと思うが、いっそその方が父親も幸せだろうと思うようになった。
せめて死に方は選びたい。
そう思って、方法を色々と調べているとき――。
沙都希は妊娠してしまったのだった。
最初、沙都希は戸惑い、おろそうと思った。
自分は子供を捨てた母親の血を継いでいる。
きっと、自分も子供を捨ててしまう可能性があると考えた。
だが、沙都希は母親と決定的に違うところがあることに気づく。
それは――男を愛すことはない、ということだった。
自分が母親のように子供を捨てて男と出ていくなんてことはあり得ない。
沙都希にとって、男は嫌悪の対象でしかなかったからだ。
産もう。
沙都希は決意した。
自分が歩めなかった人生を、この子に歩んでもらいたい。
自分が掴めなかった幸せを掴んで欲しい。
幸い、沙都希はある程度の金を持っていた。
なんといっても、沙都希は人気の風俗嬢だったのだから。
すぐに沙都希は父親に黙って家を出た。
いや、父親を捨てた。
お腹が大きくなるギリギリまで風俗店で働き、客の家を渡り歩いた。
そして、出産の予定日が3ヶ月後に迫った時、沙都希は病院に入院することにした。
山城病院。
そこで同室になったのが、中里亜衣加だった。
中里亜衣加は26歳で幼馴染の修二と結婚し、今、子供ができたことで幸せの絶頂と話している。
沙都希の年齢も聞かれたが、20歳と言っておいた。
もちろん、病院側は沙都希の本当の年齢を知っているが、気を利かせたのか周りには話していないようだった。
まあ、17歳で妊娠なんて噂が流れれば、沙都希は病院内で有名人になってしまうだろう。
それでも20歳であればまだまだ若い。
亜衣加は「私をお姉ちゃんだと思ってなんでも頼って」なんて言う始末だ。
同室で波風を立たせたくなかった沙都希は、笑顔を浮かべて「嬉しいです」と言って話を合わせた。
夫のことも聞かれたので、5歳年上の会社員だったが、事故で死んだと話しておく。
だが、そのせいもあって余計に亜衣加に気を使われることになった。
毎日毎日、何かと亜衣加に話しかけれる。
確かに入院中はすることがない。
こうして話すくらいしかやることがないので仕方ないだろう。
しかも、病室内に亜衣加より年下なのは沙都希しかいなかったというのもあるかもしれない。
ただ、沙都希自身も年上とはいえ、こうして同性と世間話をするのは久しぶりだった。
高校に通っていた時のことを思い出す。
高校を辞めてから1年も経っていないのに、遥か昔のように感じる。
それどころか、自分が普通の生活をしていたこと自体が夢だったのではないかと思うほどだ。
なので、自然と亜衣加に色々と相談するようになっていた。
「……うーん。考えたことなかったなぁ」
「え? そうなんですか?」
「だって、自分の子供だよ? 愛せる愛せないなんて話をすること自体おかしくない?」
「……そう、なんですか……ね」
沙都希は子供を産むと決めたときから、ずっと心に引っかかっていたことがあった。
それは自分の子供を愛せるか、というものだ。
沙都希の母親は子供の自分よりも、好きになった異性を選んだ。
しかも、結婚し、夫がいたのに。
そんな母親の血を、自分も継いでいる。
たとえ、異性を愛すことがなかったとしても、子供を捨てることがあるかもしれない。
その可能性を考えると、子供を産んでもいいのかと、どうしても考えてしまうのだ。
「ふふ。生まれちゃえば、そんなことで悩んでたことがバカみたいに思うようになるわよ」
「……そうだといいんですけど」
亜衣加も今回が初出産のはずである。
それなのに、なんでこんなに断言できるのだろうと不思議だった。
だけど、亜衣加はまるで確定事項かのように、生まれてくる子供は可愛く、愛すべき存在だという考えを持っている。
こんな無責任で根拠のない言葉でも、沙都希の心には温かく残り、前を向く勇気を貰えた。
――はずだった。
不安と期待が入り混じる中、出産を迎えた沙都希。
意識が遠のきそうなほどの激痛を体験し、産むことを決めたことを後悔した。
だが、産声を聞いた瞬間、苦痛と後悔は一気に消え去った。
この子は絶対に幸せにしてみせるという強い決意を固める。
しかし。
「え?」
看護師さんに連れられて見た赤ちゃんの顔を見て、沙都希は驚愕した。
「あ、あの……?」
「ああ、これは口唇口蓋裂と言って……」
出産を担当した医師が色々と説明してくれたが、沙都希の耳には入っていかなかった。
ただただ、赤ちゃんの裂けた唇から目を離せず、頭の中が真っ白になってしまう。
どうしよう。こんな子供、愛せない。
そんな言葉だけが頭の中でグルグルと回っていた。
「……」
「大丈夫よ。手術で治るんでしょ?」
病室で呆然とする沙都希に亜衣加が必死になって励ましてくる。
確かに医者も治ると話していた気がする。
だが、沙都希の脳裏には唇が裂けた衝撃的な姿だけが鮮明に残っている。
「無理……。無理よ。あんな子、絶対に愛せない……」
「何言ってるのよ。あなたの子供じゃない。あなたが愛せなくて、誰が愛せるの?」
「……そんなの」
「考えてみて。あの子はあなただけの子供じゃないのよ。今は亡くなってしまった、あなたが愛した旦那さんの子供でもあるんだから。それを思い出して」
あの子供の父親。
一体、誰なのか沙都希自身もわからない。
愛してもいない、ただの客。
それどころか嫌悪の対象でさえある。
そんな人間の子供と考えると、さらに赤ちゃんへの想いは冷めていく。
「……確か、赤ちゃんポストっていうところが、赤ちゃんを引き取ってくれるって」
「何言ってるの!」
亜衣加は叫ぶように怒鳴った。
本気で怒っている。
「子供を捨てるなんて……そんな母親、どこにいるのよ!」
沙都希は母親に捨てられている。
このとき、沙都希は初めて母親の気持ちが少しだけ理解できた。
ああ、子供を捨てるなんて簡単なんだ、と。
「他人事だから、そんなこと言えるのよ」
「そんなことない!」
「あの子は将来、絶対にイジメられるわ。みじめな人生を送ることになる。それならいっそのこと……」
「母親の愛があれば子供はまっすぐ育つはずよ」
亜衣加は沙都希の肩を掴んで、真っすぐ目を見てくる。
濁りのない、綺麗な瞳。
何不自由なく、真っすぐに育ったのだろう。
沙都希とは何もかもが違う。
そんな人間から説教をされても、沙都希の心には一切、響かなかった。
沙都希が亜衣加の手を振りほどいて、放っておいてと言おうとした時だ。
「うっ!」
いきなり、亜衣加がお腹を押さえて屈みこんでしまう。
「ど、どうしたんですか?」
「う、生まれる……」
「え?」
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私はこの日月神示(ひつきしんじ)に出会い、研究し始めてもう25年になります。
日月神示が降ろされた場所は麻賀多神社(まかたじんじゃ)です。日月神示の最初の第一帖と第二帖は第二次世界大戦中の昭和19年6月10日に、この神社の社務所で岡本天明が神憑りに合い自動書記さされたのです。
殆どが漢数字、独特の記号、若干のかな文字が混じった文体で構成され、抽象的な絵のみで書記されている「巻」もあります。
本巻38巻と補巻1巻の計39巻が既に発表されているが、他にも、神霊より発表を禁じられている「巻」が13巻あり、天明はこの未発表のものについて昭和36年に「或る時期が来れば発表を許されるものか、許されないのか、現在の所では不明であります」と語っています。
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そのために、仮訳という副題を添えての発表もありました。
なお、原文を解読して漢字仮名交じり文に書き直されたものは、特に「ひふみ神示」または「一二三神示」と呼ばれています。
縄文人の祝詞に「ひふみ祝詞(のりと)」という祝詞の歌があります。
日月神示はその登場以来、関係者や一部専門家を除きほとんど知られていなかったが、1990年代の初め頃より神典研究家で翻訳家の中矢伸一の著作などにより広く一般にも知られるようになってきたと言われています。
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政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
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