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第二章 婚約
2 婚約の理由
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カルサティ侯爵夫妻が王都に戻ってきたのは、その日の日没後のことだった。
侯爵は、王妃になれないと知った娘が予想外に落ち着いていることに驚いたが、国王がロザージュ王国王女を娶ることについては驚いてはいなかった。
それよりも、ダンビエール公爵が間髪を入れずにベルティーユに求婚していたことに泡を食った。
「公爵はうちの娘と結婚したい、と」
オリヴィエールの申し出を怪しむように睨みながらカルサティ侯爵は繰り返した。
「陛下一筋十数年で陛下への愛を叫び続けてきたうちの娘と結婚したい、とおっしゃるのですか」
「ベルティーユ嬢が陛下を慕われていることは充分存じています」
昨日のベルティーユの醜態をオリヴィエールは間近で見ていたことは、シルヴェストルもベルティーユも黙っていた。
「ただ、陛下とロザージュ王国王女の婚約が公式に発表された以上、ベルティーユ嬢はすみやかに新たな結婚相手を見つけ婚約するのが適切かと思うのです。陛下の妃候補だったベルティーユ嬢が誰とも婚約しないままでは、ロザージュ王国の心証がよろしくないのではないかと」
「それはつまり……陛下と王女の婚約が白紙になることを望む一派がいるとロザージュ王国に思われかねないということですか?」
軽く眉を顰めたカルサティ侯爵の質問に、オリヴィエールは大きく頷く。
「私とベルティーユ嬢が陛下よりも先に結婚すれば、ロザージュ王国に対してベルティーユ嬢が王妃になることはないと示せるではありませんか」
「なるほど。つまり、この結婚は陛下のため、ひいては我が国のためになるとおっしゃりたいのですね」
うんうんなるほど、と納得した様子でカルサティ侯爵は頷いた……わけではなかった。
「そんな政治的理由で求婚するような方にうちの大事な娘を嫁がせるわけにかいきませんな! たとえ公爵であろうとも、金銀財宝を積んだ馬車をすくなくとも五台は連ねて求婚にくるか、十台の馬車いっぱいの薔薇を持って求婚にくるような男でなければ娘の婿には断固として認めないっ!」
カルサティ侯爵は突然激昂した。
そして、当然ながら結婚は認めて貰えなかった。
「うちの父は、お伽話の王子様級の男でなければベルの婿として認めないと以前から公言しているんだ。本物の王様に嫁ぐなら求婚は省いてもいいそうだけど、君は似非王子様だからねぇ」
「そういうことは昨日のうちに教えておいてくれないか? あと、似非王子様というのは心外だな」
後になってシルヴェストルの説明を聞いたオリヴィエールは、顎に手を遣り「薔薇の数が少なすぎたかな」とぼやいた。
「それで、ベルはどうする? 父様はこの結婚にひとまず反対したよ」
さきほどから長椅子に座り上品に紅茶を飲むベルティーユに、シルヴェストルは訊ねる。
「どうもしないわ。長旅で疲れて戻られたばかりのお父様は、わたしが王妃になれないことが決まったことで動揺していらっしゃるのよ。一晩ゆっくり休んで頭を冷やせば、もうすこしまともに状況が把握できるはずよ」
侯爵に結婚を認めてもらえず焦るオリヴィエールと、父親の娘に対する愛情の強さがわかりすぎて頭を痛めていたシルヴェストルは、昨日とは打って変わって冷静なベルティーユをまじまじと見つめた。
「お父様だって、こうなったらわたしを陛下以外の殿方のところへ嫁がせるしかないことはわかっているはずよ。ただ、陛下の婚約が決まった途端にわたしを陛下以外の誰かとすぐさま婚約させるというのも体裁が悪いように感じたんじゃないかしら」
ベルティーユの説明に、オリヴィエールとシルヴェストルは顔を見合わせる。
「お父様だって、わたしが婚期を逃さないように早々に結婚相手を探さなければならないことはわかっていらっしゃるはずよ。ただ、すぐにオリヴィエールとの結婚を認めてしまうと、まるで最初からわたしが王妃になれなかった場合を想定していたように周囲から見られてしまうことを心配しているのだと思うわ。もちろん、ロザージュ王国のことを考えてわたしの結婚を急がせたという主張は悪くはないけれど、一度伯父様に婚約の時期については相談した方がいいかもしれないわね」
「宰相に相談するのは好ましくないよ。宰相はベルが僕と結婚することを反対するだろうね。彼の立場からすれば、ダンビエール公爵家に人質を取られたも同然になってしまうからね」
腕組みをしてベルティーユの話を聞いていたオリヴィエールは、即座に首を横に振った。
「あら。じゃあ、噂どおり、伯父様とあなたは政敵なの?」
軽く目を瞠ったベルティーユが首を傾げる。
「宰相と祖父が政敵だった、というのが事実だけど、宰相からしたら祖父の後を継いだ僕は政敵という役割も引き継いでいると思っているだろうね。確かに僕はいまのところは、祖父の政治基盤を引き継いでいるわけだから」
オリヴィエールは軽くため息を吐いた。
ダンビエール公爵家を継ぐと同時に貴族院の議員に就任したオリヴィエールは、宰相に反対する派閥に属している。
特に、前ダンビエール公爵は宰相と犬猿の仲だったと言われていた。
そのわりに前ダンビエール公爵はオリヴィエールがカルサティ侯爵家に出入りすることを黙認していた。
国王の妃候補になる娘が直系にいなかったダンビエール公爵家は、宰相の姪であるベルティーユが妃になることを反対していたが、他の貴族令嬢を強く推しているわけでもなかった。
なんとなくのらりくらりと王妃が決まらないまま季節だけが変わり続けているうちにロザージュ王国との戦争が始まった。
戦時中からアントワーヌ五世とロザージュ王国王女との結婚を和睦の条件としてロザージュ王国側に最初に提案していたのは、実は前ダンビエール公爵だったという噂がある。
祖父の行状については、オリヴィエールも『噂』でしか聞いたことがない。
亡くなるまで、孫にはほとんど政治的な話をしない人物だったのだ。
「明日、出直すよ」
特に気落ちした様子は見せず、オリヴィエールは絹の手袋に包まれたベルティーユの右手を取ると、軽く口づけをする。
「えっ……えぇ、そうね」
手袋越しとはいえ、突然の口づけに驚き赤面するベルティーユの反応を楽しげに眺めながら、オリヴィエールはカルサティ侯爵邸を去った。
侯爵は、王妃になれないと知った娘が予想外に落ち着いていることに驚いたが、国王がロザージュ王国王女を娶ることについては驚いてはいなかった。
それよりも、ダンビエール公爵が間髪を入れずにベルティーユに求婚していたことに泡を食った。
「公爵はうちの娘と結婚したい、と」
オリヴィエールの申し出を怪しむように睨みながらカルサティ侯爵は繰り返した。
「陛下一筋十数年で陛下への愛を叫び続けてきたうちの娘と結婚したい、とおっしゃるのですか」
「ベルティーユ嬢が陛下を慕われていることは充分存じています」
昨日のベルティーユの醜態をオリヴィエールは間近で見ていたことは、シルヴェストルもベルティーユも黙っていた。
「ただ、陛下とロザージュ王国王女の婚約が公式に発表された以上、ベルティーユ嬢はすみやかに新たな結婚相手を見つけ婚約するのが適切かと思うのです。陛下の妃候補だったベルティーユ嬢が誰とも婚約しないままでは、ロザージュ王国の心証がよろしくないのではないかと」
「それはつまり……陛下と王女の婚約が白紙になることを望む一派がいるとロザージュ王国に思われかねないということですか?」
軽く眉を顰めたカルサティ侯爵の質問に、オリヴィエールは大きく頷く。
「私とベルティーユ嬢が陛下よりも先に結婚すれば、ロザージュ王国に対してベルティーユ嬢が王妃になることはないと示せるではありませんか」
「なるほど。つまり、この結婚は陛下のため、ひいては我が国のためになるとおっしゃりたいのですね」
うんうんなるほど、と納得した様子でカルサティ侯爵は頷いた……わけではなかった。
「そんな政治的理由で求婚するような方にうちの大事な娘を嫁がせるわけにかいきませんな! たとえ公爵であろうとも、金銀財宝を積んだ馬車をすくなくとも五台は連ねて求婚にくるか、十台の馬車いっぱいの薔薇を持って求婚にくるような男でなければ娘の婿には断固として認めないっ!」
カルサティ侯爵は突然激昂した。
そして、当然ながら結婚は認めて貰えなかった。
「うちの父は、お伽話の王子様級の男でなければベルの婿として認めないと以前から公言しているんだ。本物の王様に嫁ぐなら求婚は省いてもいいそうだけど、君は似非王子様だからねぇ」
「そういうことは昨日のうちに教えておいてくれないか? あと、似非王子様というのは心外だな」
後になってシルヴェストルの説明を聞いたオリヴィエールは、顎に手を遣り「薔薇の数が少なすぎたかな」とぼやいた。
「それで、ベルはどうする? 父様はこの結婚にひとまず反対したよ」
さきほどから長椅子に座り上品に紅茶を飲むベルティーユに、シルヴェストルは訊ねる。
「どうもしないわ。長旅で疲れて戻られたばかりのお父様は、わたしが王妃になれないことが決まったことで動揺していらっしゃるのよ。一晩ゆっくり休んで頭を冷やせば、もうすこしまともに状況が把握できるはずよ」
侯爵に結婚を認めてもらえず焦るオリヴィエールと、父親の娘に対する愛情の強さがわかりすぎて頭を痛めていたシルヴェストルは、昨日とは打って変わって冷静なベルティーユをまじまじと見つめた。
「お父様だって、こうなったらわたしを陛下以外の殿方のところへ嫁がせるしかないことはわかっているはずよ。ただ、陛下の婚約が決まった途端にわたしを陛下以外の誰かとすぐさま婚約させるというのも体裁が悪いように感じたんじゃないかしら」
ベルティーユの説明に、オリヴィエールとシルヴェストルは顔を見合わせる。
「お父様だって、わたしが婚期を逃さないように早々に結婚相手を探さなければならないことはわかっていらっしゃるはずよ。ただ、すぐにオリヴィエールとの結婚を認めてしまうと、まるで最初からわたしが王妃になれなかった場合を想定していたように周囲から見られてしまうことを心配しているのだと思うわ。もちろん、ロザージュ王国のことを考えてわたしの結婚を急がせたという主張は悪くはないけれど、一度伯父様に婚約の時期については相談した方がいいかもしれないわね」
「宰相に相談するのは好ましくないよ。宰相はベルが僕と結婚することを反対するだろうね。彼の立場からすれば、ダンビエール公爵家に人質を取られたも同然になってしまうからね」
腕組みをしてベルティーユの話を聞いていたオリヴィエールは、即座に首を横に振った。
「あら。じゃあ、噂どおり、伯父様とあなたは政敵なの?」
軽く目を瞠ったベルティーユが首を傾げる。
「宰相と祖父が政敵だった、というのが事実だけど、宰相からしたら祖父の後を継いだ僕は政敵という役割も引き継いでいると思っているだろうね。確かに僕はいまのところは、祖父の政治基盤を引き継いでいるわけだから」
オリヴィエールは軽くため息を吐いた。
ダンビエール公爵家を継ぐと同時に貴族院の議員に就任したオリヴィエールは、宰相に反対する派閥に属している。
特に、前ダンビエール公爵は宰相と犬猿の仲だったと言われていた。
そのわりに前ダンビエール公爵はオリヴィエールがカルサティ侯爵家に出入りすることを黙認していた。
国王の妃候補になる娘が直系にいなかったダンビエール公爵家は、宰相の姪であるベルティーユが妃になることを反対していたが、他の貴族令嬢を強く推しているわけでもなかった。
なんとなくのらりくらりと王妃が決まらないまま季節だけが変わり続けているうちにロザージュ王国との戦争が始まった。
戦時中からアントワーヌ五世とロザージュ王国王女との結婚を和睦の条件としてロザージュ王国側に最初に提案していたのは、実は前ダンビエール公爵だったという噂がある。
祖父の行状については、オリヴィエールも『噂』でしか聞いたことがない。
亡くなるまで、孫にはほとんど政治的な話をしない人物だったのだ。
「明日、出直すよ」
特に気落ちした様子は見せず、オリヴィエールは絹の手袋に包まれたベルティーユの右手を取ると、軽く口づけをする。
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