公爵夫人は国王陛下の愛妾を目指す

友鳥ことり

文字の大きさ
19 / 73
第四章 公爵と侯爵令嬢の結婚

5 公爵夫人のしごとはじめ

しおりを挟む
 湯浴みをして日常着に着替え、軽食を摂ったところでようやくベルティーユは人心地がついた。
 そういえばオリヴィエールはどこに行ったのだろう、と温かい紅茶を飲みながら首を傾げていると、この屋敷の家事一切を取り仕切っている家政婦長が現れ、使用人たちを紹介すると告げた。
 五十代半ばくらいのふくよかな体格の家政婦長は、おしゃべりではないが、ながらく不在だったダンビエール公爵夫人をふたたび迎えることができて嬉しいといったことをベルティーユに告げた。
 屋敷の半地下にある使用人広間で料理人、従者、配膳係、掃除係、女中、庭師、馬丁、門番など、総勢二十名以上の使用人たちと顔を合わせた。
 以前ベルティーユがこの屋敷を訪問した際に会った家令は姿が見えなかったが、オリヴィエールに付き従っているのだろう。
 さらに家政婦長は屋敷の中を案内すると告げ、大広間、応接室、晩餐室、食堂、図書室、舞踏室、書斎などをひととおり案内してくれた。
 家政婦長は屋敷のすべての部屋の扉をいつでも開けられるよう、腰から鍵束を下げていたが、彼女が歩くたびにこの鍵束がカチャカチャと音を立てた。それがカルサティ侯爵家の家政婦と同じ調子だったので、ベルティーユはこの家政婦長に親しみを覚えた。

「奥様はこの屋敷のすべての部屋に入ることができます。旦那様の部屋も含めてすべて、です。中庭には四阿あずまやや温室などもありますが、ご自由に入っていただけます」
「そうなのね。ありがとう」

 ダンビエール公爵邸は古い屋敷に増築を重ねていたので、ところどころが迷路のように廊下が入り組んでいた。
 一階から階段を上がって二階に辿り着いたと思ったら中二階だったり、螺旋階段を下りているうちに中庭へと続く図書室の前まで着ていたりとややこしい。
 記憶力にはそこそこ自信があるベルティーユも、一度では覚えきれないほど複雑だ。

「ところで、オリ……旦那様はどこにいらっしゃるのかしら」

 いくら妻とはいえ、この屋敷の主であるオリヴィエールを使用人の前で呼び捨てにして良いものかどうか悩んだベルティーユは、言葉を選びながら訊ねた。

(そういえば、彼のことを結婚後にどんな風に呼ぶか、考えていなかったわ)

 この半年ほどは結婚の準備で忙しく、結婚後のことはほとんど考えていなかった。

「旦那様は、王宮へ出掛けられました。午後にはお戻りになる予定です」

 歩調をゆるめずに廊下を進みながら、家政婦長は答えた。

「奥様のお部屋でご不便はございませんか? 旦那様のご指示でお部屋は用意いたしましたが、ご入り用の物がございましたらいつでもおっしゃってください。お部屋の模様替えをご希望でしたら、いつでもお手伝いいたします」
「ありがとう。とても素敵なお部屋で、満足しているわ」

 まだそれほど自分の部屋をじっくりとは見ていないが、居心地の良い部屋であることは間違いなかった。
 屋敷内を案内してもらいながら他の部屋を見て回ったが、ベルティーユの部屋が一番日当たりが良く、広い。来客用の部屋の三倍はあった。

「そう言っていただけますと、とても嬉しゅうございます」

 軽く目を細め、家政婦長は微笑んだ。

 部屋に戻ると、前日の結婚式に出席してくれた人々への礼状の準備に取りかかった。
 書き物机の前に座ると、大量のカードに一枚ずつベルティーユが丁寧に結婚式に出席してくれたことや、祝い物を贈ってくれたことに対する礼を綴っていく。出席者の名簿と贈り物の一覧表を確認しながら、一枚一枚文面を変えて書いていく。
 礼状は送るのが遅くなると相手に対して失礼になるので、早々に書いて贈るよう母であるカルサティ侯爵夫人から忠告されていたのだ。
 曰く、結婚して最初の奥方の仕事は、礼状書きだという。
 嫁ぎ先の女主人として認められるためにも、おろそかにしてはならないのだそうだ。
 とはいえ、カードも二十枚を越えてくると、集中力はなくなり、次第に書く話題もなくなってくるし、感謝を表す語彙も使い果たし、ペンを持つ手が疲れてくるので、字が乱れたり、書き損じが発生したりする。

「奥様。休憩されてはどうですか」

 ミネットが紅茶を淹れて声をかけてきたのを機に、ベルティーユは作業を中断することにした。
 茉莉花ジャスミンの香りがする紅茶と、焼き林檎、梨の砂糖煮、干しあんずなどが円卓の上に並べられた。

「料理長さん曰く、この果物は、すべて公爵家の領地の農園で採れた物だそうです」

 小皿に焼き林檎を取り分けて生クリームを乗せながらミネットが説明してくれる。

「美味しそうね。昨日の披露宴でも果物を使ったお菓子がたくさん並んでいたわよね。わたしも食べたかったのだけど、食べる暇がなかったのが心残りだったの」
「あんなに豪華なお料理が並んでいましたのに、主役の奥様がちっとも召し上がれなかったなんて、残念でしたね」
「ミネットも昨日は忙しかったでしょう? 本当にお疲れ様」
「奥様のお美しい花嫁姿を間近で見られましたから、疲れるなんでことはありませんでしたわ」
「そう? あら、とっても美味しいわ、この林檎」

 ふふっと笑いながらフォークに刺した焼き林檎をひとくち食べたベルティーユは、目を大きく見開いた。
 熟した林檎の甘さと生クリームの食感が絶妙だ。
 カルサティ侯爵家の料理人もかなりの腕前だったが、ダンビエール公爵家の料理人はさらにそれを上回るのかもしれない。

「奥様がお菓子を気に入られたことを料理長さんが知ったら、きっと泣いて喜びますよ」
「大袈裟ねぇ。でも、これはまた作って欲しいわ」

 焼くことで林檎の甘さと香りが増し、噛むたびに口の中で味が深まっていく。
 次に梨の砂糖煮も「美味しい美味しい」と絶賛しながら食べていたときだった。

「ずいぶんと美味しそうに食べているね」

 いつの間に帰ってきたのか、半分開けたままになっていた部屋の扉をコンコンと叩きながら、オリヴィエールが入ってきた。
 外套を羽織ったままの格好を見ると、帰宅してまっすぐこの部屋へ向かったのだろう。

「おかえりなさい。王宮へ行かれていたんですってね」

 食べかけの皿を円卓の上に置いてベルティーユが立ち上がろうとすると、オリヴィエールはそれを手で制止した。

「ただいま。ちょっと陛下に挨拶をしてきたんだ」

 椅子に座ったままのベルティーユの肩に手を置いたオリヴィエールは、軽く屈んで新妻の頬に口づける。

「――――!」

 結婚二日目で夫婦の触れ合いにはまだまったく慣れていないベルティーユは、その行為に一瞬で赤面した。

「君の顔はもぎたての林檎よりも赤くて美味しそうだね」

 歯が浮くようなオリヴィエールのざれごとで、昨夜の出来事が脳裏によみがえってきたベルティーユは、込み上げてきたしゅうしんで顔から火が出そうになった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、孤独な陛下を癒したら、執着されて離してくれません!

花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」 婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。 追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。 しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。 夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。 けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。 「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」 フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。 しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!? 「離縁する気か?  許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」 凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。 孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス! ※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。 【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

処理中です...