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第四章 公爵と侯爵令嬢の結婚

7 公爵の思惑

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「ベルが陛下の愛妾になるためにはまず、我が公爵家の跡継ぎを産むこと。ひとり目で男の子が生まれるとは限らないけど、子供はたくさんいて家の中が賑やかになるのは大歓迎だよ。僕は一人っ子だから、きょうだいに憧れていたしね。五人くらいいると楽しいだろうね」
「そ、そう?」

 そんなに産めるだろうか、とベルティーユは心配になった。
 王妃になると体力も必要なので、日々運動はしていたが、妊娠出産となるとまた別だ。
 それに、五人も子供を産む頃にはベルティーユも二十代後半になる。
 愛妾に年齢制限はないはずだが、国王の支えになるためにも、できるだけ早く王宮に上がりたい。
 となれば、ベルティーユも頑張って早く跡継ぎを産まなければならない。

「あと、愛妾としての技術も磨いておく必要があるだろうね」
「愛妾としての……技術?」

 そんなものがあるのか、とベルティーユは首を傾げた。

「陛下をお慰めするのが愛妾の役目だから、いまから稽古をしておくべきだろうね。もちろん、僕が練習相手になるよ」
「稽古ってどんな稽古?」
「そりゃあ、一番必要な稽古は夜伽じゃないかな。貴女は昨夜初めて経験したばかりだから、これからできる限り稽古を重ねて、陛下の寵愛を得られる愛妾になる努力をしなければね」
「よ、とぎ……?」
「愛妾になったら、貴女は閨で積極的にふるまうことを求められるだろうね。できるかな?」

 蠱惑的な眼差しでベルティーユを見つめたオリヴィエールは、ゆっくりと唇を重ねてきた。

「ん……っ」

 強く唇を押し付けられ、熱い舌が口の中に侵入してくる。
 強く抱きすくめられたまま身体を持ち上げられたかと思うと、ベルティーユはオリヴィエールの膝の上に足を開く格好で座らされた。

「ちょ、ちょっと待って!」

 雰囲気に流されかけていたベルティーユは、両腕でオリヴィエールの胸板を押し返す。

「いま、わたしがしなければならないのはお礼状を書くことです! まずはしっかりと公爵夫人としてのつとめを果たさなければならないんですから、邪魔しないでくださいませ!」

 できるだけ強い口調でベルティーユは主張した。

「――邪魔?」
「はい、そうです。邪魔です」

 きっぱりとベルティーユは断言し、いそいそとオリヴィエールの膝の上から下りて、ドレスの裾を丁寧に直した。

「お礼状が書き終わらなければ、旅行に出掛けられません。明日、予定通り出発するためにも、わたしは一枚でも多くのお礼状を今日中に書いてしまわなければならないんです」
「でも、愛妾になるための稽古も必要じゃないかな?」
「貴方がおっしゃるお稽古とやらは、今日しなければならないものではないでしょう? 旅行の準備だってまだできていないんですから!」

 腰に手を当ててベルティーユは夫を説き伏せようとした。

「邪魔……はしないようにするよ」

 まさか邪魔者扱いされるとは予想していなかったらしく、オリヴィエールは肩を落とした。

「申し訳ない――」

 叱られた子供のように肩を落とすと、オリヴィエールは椅子から立ち上がった。

「夕食はいっしょに摂れるかな?」
「えぇ、そうできるように、頑張ってお礼状を書きますわ」

 ベルティーユが大きく頷くと、オリヴィエールはすごすごと部屋から出て行った。

(……ちょっと言い過ぎてしまったかしら)

 オリヴィエールの背中が廊下の向こうに消えた頃になって、ベルティーユはすこしだけ反省した。
 とはいえ、あのままオリヴィエールに流されて昨夜の続きのようなことが始まれば、いつまで経っても礼状書きの作業を再開できない。
 明日の出発時刻はずらすことができない。
 旅行の日程はきっちり決まっており、訪問先に遅れて到着するような失礼をすることがないよう、できるだけ予定通りに行動する必要があるのだ。
 天候や不慮の出来事で遅れる場合はあるが、それでもよほどのことがない限りは約束の日時に相手を訪問するのが礼儀だ。

「さてと、続きに取りかかりますか」

 大きな声を上げて自分に気合いを入れると、ベルティーユは書き物机へと向かった。
 白紙のカードに目を遣り、ペンを手に取る。
 夕食までに、半分は書き終えることをまずは目標とすることにした。

     *

 ベルティーユの部屋から追い出されたオリヴィエールは、自室に戻って従僕に手伝ってもらいながら外出着から室内着へと着替えた。
 夫婦の会話は部屋の外にいる使用人たちまで聞こえているはずはないのだが、なぜか侍従が憐れみの目つきをしているような気がして、オリヴィエールは面白くない。
 これまで、祖父とふたり暮らしの間は、使用人の目など気にしたことはなかった。
 祖父との会話は誰に聞かれても困ることはほとんどなかったし、祖父が人払いをしてオリヴィエールだけに政治的な話をすることはあっても、それは使用人に聞かせるべき話ではないのだという意識があるだけで、聞かれて恥ずかしいものではなかった。
 それが、結婚した途端、夫婦の会話を使用人たちが固唾を呑んで聞き耳を立てているようで、落ち着かない。
 使用人たちは皆、新たなダンビエール公爵夫人となったベルティーユを歓迎している。
 若い公爵夫人のため、皆が一致団結して働いている。
 公爵夫人が気持ち良く過ごせるように掃除をし、公爵夫人が喜ぶように邸内に花を飾り、公爵夫人が美味しそうに食べる姿を見たくて料理をする。
 昨日までは若き公爵のために働いていた使用人たちが、今日になってみると公爵夫人のために働いているのだ。

(いや、別にそれでいいのだけれど)

 いつもほがらかに笑うベルティーユを見れば、誰もがその魅力のとりこになる。
 使用人たちも、彼女のために動く。

(女主人がいるのといないのとで、こうも違うものなのか)

 オリヴィエールがベルティーユと正式に婚約した旨が新聞に掲載された日、使用人たちは新聞を回し読みしながら喜んでくれていたという。
 ダンビエール公爵の結婚は、公爵家だけではなく、使用人たちにとっても慶事だったのだ。

(家の中がこれまでよりも華やいでいる気がするのは、気のせいではないのだろう)

 結婚で浮かれているのは自分だけではないはず、とオリヴィエールは自分に言い聞かせた。
 着替え終えると、特に急ぐ用事はないが書斎に行こうかと考えたときだった。

「旦那様、お客様です」

 扉を叩いて部屋に入ってきた家令が淡々と告げる。

「カルサティ侯爵の御子息です」
「シルヴェストル? まさかもうベルを連れ戻しに来たわけじゃないだろうな」

 わざとらしく顔を顰めて見せたオリヴィエールは、客を居間に通すように指示した。
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