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第五章 新婚旅行
7 宿酔
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目を覚ました途端これほどの頭痛に襲われたのは、多分ベルティーユの人生で初めての出来事だ。
高熱を出して寝込んだときだって、これほどの頭痛で苦しんだ覚えがない。
羽毛の枕にどっぷりと顔を埋め、ベルティーユは深い反省と後悔と羞恥の念で鬱々とした朝を過ごしていた。
窓の外は清々しいほどの秋晴れだ。
雷雨で荒れ狂う天候であれば良かったのに、と眩しい太陽が恨めしく思えてくる。
「奥様、お水をお持ちいたしました」
盆に杯と水差しを載せて運んできたミネットは、ベルティーユの体調を気遣うようにそっと声をかける。
「薄荷水もお持ちいたしましたが、いかがですか。二日酔いに効くそうですよ」
「……いただくわ」
呻き声を上げながら、ベルティーユはそろりと顔を上げる。
寝台の上にうつ伏せになったまま、ミネットが杯に注いでくれた薄荷水をちびちびと飲む。
薄荷の爽快な香りが鼻と喉に通ると、一瞬だけ酒臭さが中和された気がした。
(最悪だわ。お酒に酔ってそのまま寝てしまうだけでも恥ずかしいのに、二日酔いで動けなくなる醜態を晒すなんて……しかも新婚旅行中だっていうのに! オリヴィエールは呆れ返っているに違いないわ!)
猛省をすればするほど、頭痛は酷くなるばかりだ。
「吐き気などはございませんか?」
「……それは、大丈夫、多分」
「しばらくお酒は控えられた方がよろしいかと存じます」
「二度と飲まないわ」
「奥様のお立場ですと、まったく飲まないというのも社交上差し障りも出て参りましょうから多少はお飲みになってもよろしいかと思いますが、旦那様が薦められるお酒は控えられた方がよろしいかもしれません」
「別に、オリヴィエールが悪いわけではないのよ。勧められたとはいえ、わたしが自分で飲んだわけだし……」
「奥様がお酒を飲み慣れていらっしゃらないことを知っていながら勧めた旦那様をかばう必要はございませんわ」
「飲んだのはわたしだもの……」
確かに、晩餐でブランデーを勧められても飲んだりはしないだろうから、あの状況でブランデーを出してきたオリヴィエールにも多少の責任がないとはいえない。
結婚式の夜のときのように、林檎酒をすこし飲むくらいであれば二日酔いで苦しむこともなかっただろうに。
「ベル、大丈夫かい?」
そっと寝室を覗き込んできたオリヴィエールが小声で尋ねる。
朝になって目を覚ましたベルティーユが頭痛を訴えてからいままで、狼狽えながらミネットを呼びに行ったり、家令に薬を買いに行かせたり、旅籠の主人に医者を呼びに行かせようとしたりとかなり慌てふためいていたらしい。
ミネットがきっぱりと「ただの二日酔いですから安静にしているのが一番です」と断言して寝室からオリヴィエールを追い出すまで、邪魔なくらいに部屋の中を落ち着かない様子でうろうろしていたらしい。
「いまは大丈夫じゃないけれど……そのうち大丈夫になると思うわ。――ごめんなさい」
「貴女が謝ることではないよ。貴女にブランデーを勧めたのは僕だからね」
「旦那様。しばらくは奥様をそっとしておいてくださいませ。二日酔いになると、喋るだけでも頭に声が響いて苦しいんですよ」
しっし、とミネットがオリヴィエールを追い払おうとする。
とても主人である公爵に対する態度ではないが、ミネットにとって敬愛する主人はベルティーユひとりであり、その夫であるオリヴィエールは主人と同等ではないのだ。
しかも、ベルティーユに強い酒を飲ませて酔い潰した挙げ句に二日酔いで苦しませているのだから、害虫扱いを受けても仕方ない状態ではある。
「ベル、貴女は気にせず安静にしているといいよ。旅は予定通りに進まなければいけないものではないからね」
「でも、訪問のお約束が……」
「一日くらい遅れることを相手に手紙で知らせておけば、まったく失礼にならないから問題ないよ」
じゃあ、とオリヴィエールは心配そうにしながらも寝室の扉を閉めた。
「あぁ……きっとオリヴィエールは幻滅したでしょうね。わたしと結婚したことを後悔しているかもしれないわ」
枕に顔を埋め、ベルティーユは大きく溜め息をついた。
頭が痛いので思考もまともに働かない。
「酒癖が悪いと思われたかもしれないわ」
「奥様が気になさることではありませんわ。それに、奥様が二日酔いで寝込んでいる姿なんて結婚しなければ見られるものではありませんから、旦那様は奥様の意外な一面を見られて内心喜んでいるかもしれません」
「……ちょっとそこまで楽天的には考えられないわ」
「夫婦だからこそ見られる側面、夫婦でなければ見られない一面というものもあるではないですか。奥様の完璧な貴婦人ぶりはもちろん素敵ですが、二日酔いで弱っている姿も艶めかしいと思っているかもしれません」
「………………現実逃避で悪酔いしそうよ」
口を開けば愚痴と溜め息が漏れるばかりだ。
「他になにかご入り用の物はございますか?」
「ありがとう。いまのところいいわ。しばらくひとりで眠らせて」
「承知いたしました」
ベルティーユがふたたび枕に顔を埋めると、ミネットは寝室から出て行った。
ほんのすこし開け放たれた窓の隙間から、小鳥の鳴き声が聞こえている。
旅籠の前の道路を走る馬車の車輪の音、馬の蹄の音、物売りが荷車を引く音、犬の鳴き声、通りを歩く人の話し声なども流れ込んでくる。
(まさか新婚旅行の二日目から宿で寝込む羽目になるなんてね――)
目を瞑っていると頭は痛いが、聞こえてくる外の音を聞いていると多少は気が紛れた。
(これはもう、離婚案件かもしれないわ。新婚旅行から戻ってきたら夫婦仲が悪くなって別居なんてことも時々訊くし、オリヴィエールもわたしと結婚したことを後悔しているかもしれないし)
二日酔いとは別の頭痛でさらにベルティーユの気分が落ち込み始めたときだった。
コンコン、と窓の木枠を軽く叩く音が響いた。
(――なに?)
枕から片眼だけ上げて窓に視線を向けたベルティーユは、窓の隙間から室内を覗き込むディスを見つけてしまった。
(……確かこの部屋って二階、よね)
どう見ても外壁に梯子を掛けて上がってきたようには見えない。
となると、雨樋を伝って屋根に上がり、この窓まで辿り着いたということになる。
(ディスって、泥棒にもなれるかもしれないわね。でも、身体が大きいから、ちょっと無理かしら)
腕の力だけで窓枠によじ登って寝室に入ろうとするディスを見つめながら、ベルティーユはぼんやりと考えた。
高熱を出して寝込んだときだって、これほどの頭痛で苦しんだ覚えがない。
羽毛の枕にどっぷりと顔を埋め、ベルティーユは深い反省と後悔と羞恥の念で鬱々とした朝を過ごしていた。
窓の外は清々しいほどの秋晴れだ。
雷雨で荒れ狂う天候であれば良かったのに、と眩しい太陽が恨めしく思えてくる。
「奥様、お水をお持ちいたしました」
盆に杯と水差しを載せて運んできたミネットは、ベルティーユの体調を気遣うようにそっと声をかける。
「薄荷水もお持ちいたしましたが、いかがですか。二日酔いに効くそうですよ」
「……いただくわ」
呻き声を上げながら、ベルティーユはそろりと顔を上げる。
寝台の上にうつ伏せになったまま、ミネットが杯に注いでくれた薄荷水をちびちびと飲む。
薄荷の爽快な香りが鼻と喉に通ると、一瞬だけ酒臭さが中和された気がした。
(最悪だわ。お酒に酔ってそのまま寝てしまうだけでも恥ずかしいのに、二日酔いで動けなくなる醜態を晒すなんて……しかも新婚旅行中だっていうのに! オリヴィエールは呆れ返っているに違いないわ!)
猛省をすればするほど、頭痛は酷くなるばかりだ。
「吐き気などはございませんか?」
「……それは、大丈夫、多分」
「しばらくお酒は控えられた方がよろしいかと存じます」
「二度と飲まないわ」
「奥様のお立場ですと、まったく飲まないというのも社交上差し障りも出て参りましょうから多少はお飲みになってもよろしいかと思いますが、旦那様が薦められるお酒は控えられた方がよろしいかもしれません」
「別に、オリヴィエールが悪いわけではないのよ。勧められたとはいえ、わたしが自分で飲んだわけだし……」
「奥様がお酒を飲み慣れていらっしゃらないことを知っていながら勧めた旦那様をかばう必要はございませんわ」
「飲んだのはわたしだもの……」
確かに、晩餐でブランデーを勧められても飲んだりはしないだろうから、あの状況でブランデーを出してきたオリヴィエールにも多少の責任がないとはいえない。
結婚式の夜のときのように、林檎酒をすこし飲むくらいであれば二日酔いで苦しむこともなかっただろうに。
「ベル、大丈夫かい?」
そっと寝室を覗き込んできたオリヴィエールが小声で尋ねる。
朝になって目を覚ましたベルティーユが頭痛を訴えてからいままで、狼狽えながらミネットを呼びに行ったり、家令に薬を買いに行かせたり、旅籠の主人に医者を呼びに行かせようとしたりとかなり慌てふためいていたらしい。
ミネットがきっぱりと「ただの二日酔いですから安静にしているのが一番です」と断言して寝室からオリヴィエールを追い出すまで、邪魔なくらいに部屋の中を落ち着かない様子でうろうろしていたらしい。
「いまは大丈夫じゃないけれど……そのうち大丈夫になると思うわ。――ごめんなさい」
「貴女が謝ることではないよ。貴女にブランデーを勧めたのは僕だからね」
「旦那様。しばらくは奥様をそっとしておいてくださいませ。二日酔いになると、喋るだけでも頭に声が響いて苦しいんですよ」
しっし、とミネットがオリヴィエールを追い払おうとする。
とても主人である公爵に対する態度ではないが、ミネットにとって敬愛する主人はベルティーユひとりであり、その夫であるオリヴィエールは主人と同等ではないのだ。
しかも、ベルティーユに強い酒を飲ませて酔い潰した挙げ句に二日酔いで苦しませているのだから、害虫扱いを受けても仕方ない状態ではある。
「ベル、貴女は気にせず安静にしているといいよ。旅は予定通りに進まなければいけないものではないからね」
「でも、訪問のお約束が……」
「一日くらい遅れることを相手に手紙で知らせておけば、まったく失礼にならないから問題ないよ」
じゃあ、とオリヴィエールは心配そうにしながらも寝室の扉を閉めた。
「あぁ……きっとオリヴィエールは幻滅したでしょうね。わたしと結婚したことを後悔しているかもしれないわ」
枕に顔を埋め、ベルティーユは大きく溜め息をついた。
頭が痛いので思考もまともに働かない。
「酒癖が悪いと思われたかもしれないわ」
「奥様が気になさることではありませんわ。それに、奥様が二日酔いで寝込んでいる姿なんて結婚しなければ見られるものではありませんから、旦那様は奥様の意外な一面を見られて内心喜んでいるかもしれません」
「……ちょっとそこまで楽天的には考えられないわ」
「夫婦だからこそ見られる側面、夫婦でなければ見られない一面というものもあるではないですか。奥様の完璧な貴婦人ぶりはもちろん素敵ですが、二日酔いで弱っている姿も艶めかしいと思っているかもしれません」
「………………現実逃避で悪酔いしそうよ」
口を開けば愚痴と溜め息が漏れるばかりだ。
「他になにかご入り用の物はございますか?」
「ありがとう。いまのところいいわ。しばらくひとりで眠らせて」
「承知いたしました」
ベルティーユがふたたび枕に顔を埋めると、ミネットは寝室から出て行った。
ほんのすこし開け放たれた窓の隙間から、小鳥の鳴き声が聞こえている。
旅籠の前の道路を走る馬車の車輪の音、馬の蹄の音、物売りが荷車を引く音、犬の鳴き声、通りを歩く人の話し声なども流れ込んでくる。
(まさか新婚旅行の二日目から宿で寝込む羽目になるなんてね――)
目を瞑っていると頭は痛いが、聞こえてくる外の音を聞いていると多少は気が紛れた。
(これはもう、離婚案件かもしれないわ。新婚旅行から戻ってきたら夫婦仲が悪くなって別居なんてことも時々訊くし、オリヴィエールもわたしと結婚したことを後悔しているかもしれないし)
二日酔いとは別の頭痛でさらにベルティーユの気分が落ち込み始めたときだった。
コンコン、と窓の木枠を軽く叩く音が響いた。
(――なに?)
枕から片眼だけ上げて窓に視線を向けたベルティーユは、窓の隙間から室内を覗き込むディスを見つけてしまった。
(……確かこの部屋って二階、よね)
どう見ても外壁に梯子を掛けて上がってきたようには見えない。
となると、雨樋を伝って屋根に上がり、この窓まで辿り着いたということになる。
(ディスって、泥棒にもなれるかもしれないわね。でも、身体が大きいから、ちょっと無理かしら)
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