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第六章 公爵夫妻の蜜月

4 伯爵夫人との茶話会、または反省会

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 ケリング卿の城館は、閑静な森に囲まれた場所にある。
 城館の隣にはケリング卿が狩猟のために所有している森があり、この日ケリング卿は宿泊客を狐狩りに誘った。
 男性客は皆狩りに出掛け、女性客もほとんどは狩りに同行した。
 城館に残ったのはダンビエール公爵夫人とラクロワ伯爵夫人、それに高齢で足が弱っているというケリング卿の母親だけだった。
 ケリング卿の母親は肌寒い外気が痛む膝に悪いからと言って部屋に籠もっているが、ベルティーユとアレクサンドリーネは昼食後に日当たりの良い中庭で茶話会を楽しんでいた。
 ケリング卿夫人が使用人に命じてふたりのためにたくさんの軽食や菓子を用意してくれていたので、中庭に置かれた円卓の上には食べきれないほどの食べ物と飲み物が並んでいる。
 風が木の枝を揺らす音と鳥の鳴き声、そして木々の向こう側から時折聞こえる馬の嘶きや犬が吠える声、銃声が空気を震わせている。
 くちゅん、とベルティーユが口元を抑えて小さくくしゃみをすると、侍女のミネットがすぐさま絹の肩掛けを主人に羽織らせた。

「あら、風邪? お大事にね」

 紅茶を飲んでいたアレクサンドリーネが眉根を寄せる。

「いえ、風邪というほどではないのよ。ちょっと昨夜湯冷めをして……」
「まぁあ、そうなの」

 ふふっと含み笑いを浮かべたアレクサンドリーネの声音に、ベルティーユは自分が口を滑らせたことを察した。

「風邪をひかないように気をつけてね、と言っても、盛り上がってしまったらそんなこと頭から吹き飛んでしまうでしょうけど一応は言っておくわ」
「な、なんのことかしら?」

 顔を紅潮させながらベルティーユはしらばっくれる。

「その様子だと、新婚激甘夫婦作戦は成功しているようね」
「――それがそうでもないのよ」

 しばらく迷った様子を見せた後、ベルティーユは告白した。

「オリヴィエールには、わたしがあなたに入れ知恵をされたって思われているのよ」
「入れ知恵はしたから、当然ね」
「……なぜばれたのかしら?」
「あなたが急に積極的にせまってきたら、そう考えるしかないじゃないの」
「そうなの?」
「公爵は、あなたがどんな淑女かをあたくし以上にご存じのはずよ。王妃にもなれるほどの気品と教養の塊であるあなたが、いくら相手が夫とはいえ恥じらいもなくせまってきたら、誰かがそう振る舞うように教えたって考えるでしょうね」
「恥ずかしいとは思ったのよ」
「あなたのお母様がそんな振る舞いを指導したとは考えにくいでしょうから、あたくしが入れ知恵をしたと考えるのが妥当なのよ」
「わたしが自分で考えたとは思わないのかしら?」
「深窓の侯爵令嬢だったあなたが夫婦の営みの楽しみ方を知っていたとは、あたくしだって思わないわ」

 きっぱりとアレクサンドリーネは断言し、焼き菓子を口に入れる。

「そう……わたしらしくない振る舞いだったのかしら」

 肩を落としてベルティーユが溜め息をつく。

「それで朝から落ち込んでいたの? 朝食の席でも元気がなさそうに見えたけど」
「落ち込んでいるというか、反省しているというか……なかなか難しいと思って」
「そうだったのね。てっきりあたくしは、あの王女様がついにエテルネルに向けて出発したという話題で気落ちしているのかと思ったわ。あの話題の最中は、公爵も無表情でちょっと怖かったし」
「そう、だったかしら? そういえばそういう話をあなたの旦那様とケリング卿がしていたわね」

 今朝、食堂で話題となったのはロザージュ王国のファンティーヌ王女がついにラルジュ王国に向けて出発したという新聞記事だった。
 寝不足のベルティーユはぼんやりと話を聞いているだけだったし、隣に座るオリヴィエールの顔はいろいろな意味で見づらかったので、彼がその話題に対してどんな返事をしていたかはまったく覚えていない。

「公爵は、あなたが陛下を思い出して自分との結婚を後悔し出すんじゃないかとひやひやしながら聞いているように見えたわよ。だってあなたったら、王女様の名前が出た途端に落ち込んだ顔をしていたもの」
「落ち込んでいたのは昨夜……いえ、陛下や王女様は関係ないわ」
「あらぁ? そうなのね。じゃあ、どうやら心配する必要はなかったようね。公爵はあたくしが入れ知恵したと気づきはしても、あなたの誘いに乗ったんでしょう?」
「え、えぇ……」
「じゃあ、成功じゃないの」

 あれで本当に成功なのだろうか、とベルティーユは昨夜の出来事を思い返し、途中で全身が熱くなったので考えるのを止めた。
 オリヴィエールはベルティーユの振る舞いに対して多少の疑いは抱きつつも、繰り返しベルティーユを求め続けた。
 途中、浴槽の湯が冷めて水になりかけてきたので風呂から出たが、その頃にはベルティーユは湯が冷たいのかどうかもわからないくらい意識が朦朧としていた。
 寝室に移動した後も、オリヴィエールはベルティーユを離さなかった。
 全身を包む熱が途切れることはなく、中に放たれる熱が彼女を翻弄し、獣のような喘ぎ声をあげるオリヴィエールが怖いと思う瞬間もあった。
 それ以上に、このまま永遠に彼を独占したいと思う自分がいることが、恐ろしいと思った。

「成功、したのかしら……」
「その様子だと、昨夜は満足できるほど濃密な一夜ってほどではなかったのかしらね。あの公爵なら、あなたがちょっと誘っただけでめくるめく夜になると思ったのは、あたくしの見込み違いだったのかしら」
「えっと――見込み違いというわけではないのだけど……」

 実のところ、朝から足腰が痛い。
 身体のあちらこちら、ドレスで隠れている部分には愛撫の跡が残っている。
 初夜のときからは想像もしなかったようなあの行為の数々がめくるめく夜でなかったのならお手上げだと叫びたいほどだ。

「でも、不満があるというわけね」
「不満というより……不安というか……彼はわたしが誘ったから応じてくれたのでしょうけれど、そもそもわたしが王妃になれないことが決まったことに同情して求婚してくれたわけだから、もしかしたら新婚激甘夫婦はしたくないのかも……」
「そ、れ、は、な、い、わ、ね! 絶対、に!」
「な、なんでそう思うの?」

 握りこぶしを作って断言するアレクサンドリーネの顔を凝視して、ベルティーユは訊ねる。

「今朝の公爵の顔を見たらわかるわよ。陛下の話題が出るまではかなり上機嫌だったのに、陛下とロザージュ王国王女の話題になった途端に無表情よ。陛下への嫉妬心を見せなかっただけまだ上出来といったところじゃないかしら。ま、半分嫉妬心が見え隠れしかけてはいたけれど」
「嫉妬?」
「男の嫉妬よ! あたくし、そういう醜態って色気があって良いと思うわ。公爵はあなたのものだから興味はないけれど、公爵のあなたに対する独占欲が丸出しなところが時々あるから見ていて楽しいわ」
「オリヴィエールは……わたしが可哀想だと思っているだけよ」

 アントワーヌ五世とロザージュ王国王女の婚約の記事を新聞で読んだときの振る舞いを思い出し、ベルティーユはさらに落ち込んだ。

「じゃあ、こうしましょうよ。今夜の新婚激甘夫婦作戦は、押すのではなく退いてみるの」
「退く?」
「公爵と距離を置くのよ。距離と言っても、使用人が間を通れるくらいの距離を空けておくの。昨夜はぐいぐい誘ってきたあなたが今夜は距離を置くようになったら、公爵はどう思うかしらね」
「……これまでどおりって思うんじゃないかしら?」
「どうかしらねぇ」

 にんまりとアレクサンドリーネは策士の笑みを浮かべた。

「晩餐が終わって部屋に戻ったら、すこしだけ憂い顔をしてみたらどうかしら。きっと公爵には物凄い効果があるはずよ」
「どんな効果?」
「あなたが陛下のことを考えているって勘違いすることで、公爵に与える効果よ。あたくしの期待通りになるかはわからないけれど、かなりの効果があるはずよ。とにかく、あなたは憂い顔で公爵とすこぉしだけ距離を取ること」
「またあなたに入れ知恵されたって思われないかしら?」
「あの公爵のことだから、そんなこと考えている余裕もなくなると思うわ」

 オリヴィエールには簡単に見抜かれてしまうのではないだろうか、と思いつつ、ベルティーユは「憂い顔ですこしだけ距離を取る」と繰り返し唱えてみる。
 肌寒い秋風がほんのりと火照った頬を撫でた。
 またしてもベルティーユは小さくくしゃみをする。

「どうやら、噂をされているようね、あなた」

 アレクサンドリーネが楽しげに告げる。

「殿方たちは狩りの休憩中かしらね。きっとあなたのことをあれこれと公爵に尋ねているのよ」
「良い噂じゃないのでしょうね」
「どうかしら。きっと殿方たちの興味は、公爵がどうやってあなたを口説き落としたかに集中しているでしょうよ」
「そんなことを聞いてどうするの?」
「どうするんでしょうね」

 曖昧に微笑んだアレクサンドリーネは、ベルティーユの疑問を適当にはぐらかした。
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