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第八章 公爵夫人の計画
8 公爵夫妻と恋
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「もう、読むのはやめましょう!」
ばしっと勢いよく本を閉じると、ベルティーユは宣言した。
「なぜ? ふたりで恋愛小説を読むなんて、なかなか刺激的で楽しいじゃないか」
「あなたは楽しそうだけれど、わたしは楽しくないわ!」
ベルティーユの肩に顎を乗せる格好で身体を密着させてくるオリヴィエールは、少々残念そうに妻の腰に腕を回す。
「恋愛小説の中には、貴女に言って欲しい言葉がたくさん書かれているから、小説に書かれている台詞を貴女が読み上げるだけでぞくぞくするな」
「ものすっごく棒読みで読みましたけど!?」
「貴女の声であんな素敵な台詞が聞けただけで興奮するよ。さらに貴女が熱っぽく読んでくれたら、すぐに押し倒しているね」
ベルティーユの髪に口づけをしながらオリヴィエールは妻の身体を引き寄せ、自分の膝の上に後ろから抱きすくめる格好で座らせる。
夜着の布越しに、ベルティーユの背中にはオリヴィエールの胸板の堅さが感じられた。
それだけではなく、尻には彼の下半身の熱がじわじわと伝わってくる。
「ね、ねぇ、オリヴィエール。もう遅いことですし、そろそろ休みませんこと?」
部屋の隅の傍机の上に置いた時計に目をやり、ベルティーユは提案した。
どう考えてもこの体勢は危険だ。
「早々に休みたいだなんて、貴女は明日、午前中から出かける用事でもあるのかな?」
「出かける予定はありませんけど……」
「なら、もうすこし起きていようよ。この『麗しの花園の妖精』を読むのと、僕と賭け事をするのと、どちらがいい?」
「で、では、小説を読むことにしますわ! 兄からは、後で感想を聞きたいと言われていますので、早めに読んでしまいたいんですもの」
オリヴィエールと賭け事をすると、札遊戯でも駒遊戯でもベルティーユは勝てない。しかも、賭けるのが金品ではなくベルティーユにあれをして欲しいこれをして欲しいといったオリヴィエールからの要望なのだ。
「そう。じゃあ、どうぞ続きを読んで」
オリヴィエールは最初から答えを予想していた様子でベルティーユを促すが、抱き寄せたまま離してはくれない。しかも、彼の手はベルティーユの胸のふくらみに伸びている。
「オリヴィエール。わたし、ひとりで読んでも良いかしら?」
どう考えてもゆっくりと読書ができる状況ではない。
しかも、オリヴィエールはもう片方の手でベルティーユの夜着の裾をめくろうとしている。
「駄目。夜にひとり寝なんて、寒いじゃないか」
「さ、寒いってこんなに暖炉で部屋を暖めているのに!?」
「貴女を抱きしめているだけで身体が温まるよ」
「わたしは懐炉じゃありません!」
またからかわれている、と抗議しかけたベルティーユは、ふっと夕方の馬車の中の会話を思い出した。
あのときははぐらかされたような格好になったけれど、いまだったらきちんと答えてくれるだろうか。
「ねぇ、オリヴィエール。わたし、あなたに聞きたいことがあるの」
「聞きたいこと? なんでも聞いてくれてかまわないよ」
「あなたは結婚後に――いえ、あなたは恋をしたことがありますか?」
夕方と同じ質問をしかけて、ベルティーユは内容を変えた。
オリヴィエールの顔が見えないいまなら、どんな答えを聞いても動揺を隠せると思ったのだ。
「恋は――している。いまもずっと。僕は……初恋をずっと引きずって生きているんだ」
「はつ……こい……?」
声が震えるのをなんとか誤魔化そうとしながら、ベルティーユは訊ねた。
それはいつからなのか、相手は誰なのか、と聞きたかったが、喉が詰まってさらに言葉を続けることができない。
「一目惚れをして、でも、恋をした瞬間からかなうことがない恋だとわかっていた。彼女は僕の手が届かない人で、彼女が僕に恋をしてくれることはないと諦めていたけれど、それでも僕は恋することをやめられずにいた。何年経っても彼女以外を愛することはできなかったけど、彼女が幸せであればそれで良いと思っていた。彼女が僕に恋をしてくれなくてもかまわないと思っていた。思っていたはずなのに――」
ベルティーユの髪に顔を埋めたまま、オリヴィエールは苦しげに囁いた。
「彼女に手が届いた途端、僕に恋をして欲しくてたまらなくなったんだ。僕以外を見ないで欲しいと心の中で叫び続けているんだ。初恋をこじらせるとこんなに強欲になるものかと自分でも驚いたよ。でも、手に入らないはずのものが奇跡的に転がり込んできたのだから、どうしても気持ちが抑えられないんだ。ねぇ、ベルティーユ」
珍しくオリヴィエールは「ベル」でも「奥様」でもない呼び方をした。
「お願いだから、僕に恋をしてくれないか? 他になにも望まないから。ねぇ、初恋の君――」
低い昏い声でオリヴィエールが懇願する。
暖炉の薪が爆ぜる音だけが部屋の中で響いた。
ばしっと勢いよく本を閉じると、ベルティーユは宣言した。
「なぜ? ふたりで恋愛小説を読むなんて、なかなか刺激的で楽しいじゃないか」
「あなたは楽しそうだけれど、わたしは楽しくないわ!」
ベルティーユの肩に顎を乗せる格好で身体を密着させてくるオリヴィエールは、少々残念そうに妻の腰に腕を回す。
「恋愛小説の中には、貴女に言って欲しい言葉がたくさん書かれているから、小説に書かれている台詞を貴女が読み上げるだけでぞくぞくするな」
「ものすっごく棒読みで読みましたけど!?」
「貴女の声であんな素敵な台詞が聞けただけで興奮するよ。さらに貴女が熱っぽく読んでくれたら、すぐに押し倒しているね」
ベルティーユの髪に口づけをしながらオリヴィエールは妻の身体を引き寄せ、自分の膝の上に後ろから抱きすくめる格好で座らせる。
夜着の布越しに、ベルティーユの背中にはオリヴィエールの胸板の堅さが感じられた。
それだけではなく、尻には彼の下半身の熱がじわじわと伝わってくる。
「ね、ねぇ、オリヴィエール。もう遅いことですし、そろそろ休みませんこと?」
部屋の隅の傍机の上に置いた時計に目をやり、ベルティーユは提案した。
どう考えてもこの体勢は危険だ。
「早々に休みたいだなんて、貴女は明日、午前中から出かける用事でもあるのかな?」
「出かける予定はありませんけど……」
「なら、もうすこし起きていようよ。この『麗しの花園の妖精』を読むのと、僕と賭け事をするのと、どちらがいい?」
「で、では、小説を読むことにしますわ! 兄からは、後で感想を聞きたいと言われていますので、早めに読んでしまいたいんですもの」
オリヴィエールと賭け事をすると、札遊戯でも駒遊戯でもベルティーユは勝てない。しかも、賭けるのが金品ではなくベルティーユにあれをして欲しいこれをして欲しいといったオリヴィエールからの要望なのだ。
「そう。じゃあ、どうぞ続きを読んで」
オリヴィエールは最初から答えを予想していた様子でベルティーユを促すが、抱き寄せたまま離してはくれない。しかも、彼の手はベルティーユの胸のふくらみに伸びている。
「オリヴィエール。わたし、ひとりで読んでも良いかしら?」
どう考えてもゆっくりと読書ができる状況ではない。
しかも、オリヴィエールはもう片方の手でベルティーユの夜着の裾をめくろうとしている。
「駄目。夜にひとり寝なんて、寒いじゃないか」
「さ、寒いってこんなに暖炉で部屋を暖めているのに!?」
「貴女を抱きしめているだけで身体が温まるよ」
「わたしは懐炉じゃありません!」
またからかわれている、と抗議しかけたベルティーユは、ふっと夕方の馬車の中の会話を思い出した。
あのときははぐらかされたような格好になったけれど、いまだったらきちんと答えてくれるだろうか。
「ねぇ、オリヴィエール。わたし、あなたに聞きたいことがあるの」
「聞きたいこと? なんでも聞いてくれてかまわないよ」
「あなたは結婚後に――いえ、あなたは恋をしたことがありますか?」
夕方と同じ質問をしかけて、ベルティーユは内容を変えた。
オリヴィエールの顔が見えないいまなら、どんな答えを聞いても動揺を隠せると思ったのだ。
「恋は――している。いまもずっと。僕は……初恋をずっと引きずって生きているんだ」
「はつ……こい……?」
声が震えるのをなんとか誤魔化そうとしながら、ベルティーユは訊ねた。
それはいつからなのか、相手は誰なのか、と聞きたかったが、喉が詰まってさらに言葉を続けることができない。
「一目惚れをして、でも、恋をした瞬間からかなうことがない恋だとわかっていた。彼女は僕の手が届かない人で、彼女が僕に恋をしてくれることはないと諦めていたけれど、それでも僕は恋することをやめられずにいた。何年経っても彼女以外を愛することはできなかったけど、彼女が幸せであればそれで良いと思っていた。彼女が僕に恋をしてくれなくてもかまわないと思っていた。思っていたはずなのに――」
ベルティーユの髪に顔を埋めたまま、オリヴィエールは苦しげに囁いた。
「彼女に手が届いた途端、僕に恋をして欲しくてたまらなくなったんだ。僕以外を見ないで欲しいと心の中で叫び続けているんだ。初恋をこじらせるとこんなに強欲になるものかと自分でも驚いたよ。でも、手に入らないはずのものが奇跡的に転がり込んできたのだから、どうしても気持ちが抑えられないんだ。ねぇ、ベルティーユ」
珍しくオリヴィエールは「ベル」でも「奥様」でもない呼び方をした。
「お願いだから、僕に恋をしてくれないか? 他になにも望まないから。ねぇ、初恋の君――」
低い昏い声でオリヴィエールが懇願する。
暖炉の薪が爆ぜる音だけが部屋の中で響いた。
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