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第十章 公爵夫妻のゆくさき
2 公爵夫人の告白
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オリヴィエールが目を覚ましたのは、夕刻になってからだった。
寝台のすぐ隣に置いた椅子にベルティーユの姿を見つけると、嬉しそうに手を伸ばしてきたので、ベルティーユはその手を握り返した。
「あなたが眠ってから、伯父様がいらっしゃったの」
「宰相閣下が?」
「あなたが寝込んでいることを話したら、後からお見舞いを届けてくださったの。なんと、鼈をまるごと一匹!」
「それはまた、高価な物を贈ってくださったものだね」
鼈といえば、東方でなければ生息していない種類の亀だ。
滋養強壮に効くともっぱらの評判だが、高値というだけではなくなかなか輸入されないので、王侯貴族でも手に入れるのは困難だ。
「なんでも、お詫びのしるしだとおっしゃっていたけれど、伯父様から謝られるようなことなんてないのに」
「貴女を王宮に呼んだことを悔いていらっしゃるだろうね」
「王宮内で迷子になったのは、わたしの問題であって、伯父様が悪いわけではないわ。でも、伯父様はとても気にしてくださっていたの。あなたが寝込んでしまったことも気にしていらしたわ。ただこの鼈、どう料理すれば良いのか料理長はわからないらしくて、伯父様に料理人を手配してもらうことにしたの。だから、鼈をいただけるのは明日なのよ」
「別にかまわないよ」
薬を飲み、粥を食べたオリヴィエールは、熱もほぼ下がってきたらしく、寝台で身体を起こせるまでに回復していた。
「あと、伯父様からこれを預かっているの。あなたに、ロザージュ王国へ大使として行っていただきたいんですって」
「大使? シルヴェストルの話では、大使は宰相閣下のご子息で、その部下の外交官ということだったけど」
「お兄様から聞いていたの? ルイは大使の部下になるんですって」
「ふうん。閣下のご子息の部下では、僕が断ると思ったのかな」
「伯父様は冗談めかして、あなたを国外追放したいみたいなことをおっしゃっていたわ」
「だろうね」
「――なにか心当たりがある様子ね」
「宰相閣下は、僕ひとりを国外にやりたいわけではなく、貴女ともどもしばらくは外国に追い出したいんだよ。貴女になにかあるたびに、僕が目くじらを立てて文句を言うんじゃないかとひやひやしているんだろうね」
「わたし、しばらくはあなたのそばでおとなしくしているわよ?」
封筒を開けて中の書類を確認するオリヴィエールに、ベルティーユはしおらしく訴える。
「それは嬉しいな。どういう心境の変化?」
書類から視線を上げると、オリヴィエールは軽く微笑んだ。
「わたし、昨日ファンティーヌ王女様にお会いしたの。とても美しい方だけれど、陛下から愛されることを期待していないような雰囲気だったわ。でも、政略結婚だからといって最初から愛されなくても良いと考えるのはなんだか悲しいことのように思えてきたの」
「そう……それで?」
「わたしは、陛下がファンティーヌ王女様と恋をして、おふたりが愛し合えば良いのにって思ったの」
「貴女は……それで良いの? 陛下が王女を愛したら、陛下は貴女を愛さなくなるかもしれないのに」
「わたしは、誰に愛されたいのかしらって考えてみたの。よくよく考えてみて、いまのわたしは陛下に愛されたいわけじゃない気がしてきたの」
「――――じゃあ、誰?」
オリヴィエールは紫紺色の瞳でじっと妻を見つめた。
「……多分……あなた」
目を伏せてベルティーユが声を震わせながら答える。
「僕はずっと貴女を愛してる」
寝台から滑り降りるようにして抜け出すと、オリヴィエールはそっとベルティーユを抱きしめた。
「貴女を妻として迎えられただけでも十分幸せだと思っていた。貴女が僕以外の誰かを愛していても、貴女は僕の妻であることに変わりはないのだから、僕を愛して欲しいと、僕だけを愛して欲しいと望むのは贅沢だと思っていた。でも、貴女のそばにいればいるほど、貴女に恋して欲しいと、愛して欲しいと願わずにはいられないんだ」
「わたしは……あなたのことが……好きよ?」
「うん。でも、もっと好きになって欲しい。僕が貴女以外の女性と話をするだけで嫉妬するくらい、僕に恋をして欲しい。もし貴女が焼き餅をやいてくれたら、僕はもう嬉しすぎて貴女以外の女性と口を利かないだろうな」
「そ、そこまでは考えたことはないけれど、昨夕、あなたがそばにいないことが寂しいって思ったの。それに、あなたが迎えにきてくれたことがとっても嬉しいって」
ベルティーユが告げた途端、オリヴィエールは噛みつくように口づけをした。
「それだけでいまは十分だよ」
強くベルティーユを抱きしめると、オリヴィエールは耳朶に舌を這わせながら囁く。
「貴女が陛下のことを諦めるきっかけを作ってくれたようだから、今回は宰相に感謝するしかなさそうだね」
「じゃあ、大使の話は引き受けるの?」
首筋に唇を強く押しつけられたところで「病み上がりでしょうが!」と叫んで抵抗しながら、ベルティーユは訊ねた。
「ひとまず、引き受けるとしようか。貴女とロザージュ王国に行ってみるのも悪くないからね。仕事は有能な宰相のご子息に任せるとして」
『有能』が『宰相』なのか『ご子息』なのかは、ベルティーユは考えないことにした。
従兄弟の性格からすると、オリヴィエールとすぐに友好な関係が築けるようには思えないが、なんとかなるだろう。
「僕は貴女がもっと僕に恋をしてくれるよう、日々努力をすることにするよ」
「――――努力?」
たまにオリヴィエールの発言の真意がまったく読み取れない、と思いつつ、ベルティーユはなんとか夫を安静にさせるため寝台に戻そうと四苦八苦し、結局執事を呼ぶ結果となった。
寝台のすぐ隣に置いた椅子にベルティーユの姿を見つけると、嬉しそうに手を伸ばしてきたので、ベルティーユはその手を握り返した。
「あなたが眠ってから、伯父様がいらっしゃったの」
「宰相閣下が?」
「あなたが寝込んでいることを話したら、後からお見舞いを届けてくださったの。なんと、鼈をまるごと一匹!」
「それはまた、高価な物を贈ってくださったものだね」
鼈といえば、東方でなければ生息していない種類の亀だ。
滋養強壮に効くともっぱらの評判だが、高値というだけではなくなかなか輸入されないので、王侯貴族でも手に入れるのは困難だ。
「なんでも、お詫びのしるしだとおっしゃっていたけれど、伯父様から謝られるようなことなんてないのに」
「貴女を王宮に呼んだことを悔いていらっしゃるだろうね」
「王宮内で迷子になったのは、わたしの問題であって、伯父様が悪いわけではないわ。でも、伯父様はとても気にしてくださっていたの。あなたが寝込んでしまったことも気にしていらしたわ。ただこの鼈、どう料理すれば良いのか料理長はわからないらしくて、伯父様に料理人を手配してもらうことにしたの。だから、鼈をいただけるのは明日なのよ」
「別にかまわないよ」
薬を飲み、粥を食べたオリヴィエールは、熱もほぼ下がってきたらしく、寝台で身体を起こせるまでに回復していた。
「あと、伯父様からこれを預かっているの。あなたに、ロザージュ王国へ大使として行っていただきたいんですって」
「大使? シルヴェストルの話では、大使は宰相閣下のご子息で、その部下の外交官ということだったけど」
「お兄様から聞いていたの? ルイは大使の部下になるんですって」
「ふうん。閣下のご子息の部下では、僕が断ると思ったのかな」
「伯父様は冗談めかして、あなたを国外追放したいみたいなことをおっしゃっていたわ」
「だろうね」
「――なにか心当たりがある様子ね」
「宰相閣下は、僕ひとりを国外にやりたいわけではなく、貴女ともどもしばらくは外国に追い出したいんだよ。貴女になにかあるたびに、僕が目くじらを立てて文句を言うんじゃないかとひやひやしているんだろうね」
「わたし、しばらくはあなたのそばでおとなしくしているわよ?」
封筒を開けて中の書類を確認するオリヴィエールに、ベルティーユはしおらしく訴える。
「それは嬉しいな。どういう心境の変化?」
書類から視線を上げると、オリヴィエールは軽く微笑んだ。
「わたし、昨日ファンティーヌ王女様にお会いしたの。とても美しい方だけれど、陛下から愛されることを期待していないような雰囲気だったわ。でも、政略結婚だからといって最初から愛されなくても良いと考えるのはなんだか悲しいことのように思えてきたの」
「そう……それで?」
「わたしは、陛下がファンティーヌ王女様と恋をして、おふたりが愛し合えば良いのにって思ったの」
「貴女は……それで良いの? 陛下が王女を愛したら、陛下は貴女を愛さなくなるかもしれないのに」
「わたしは、誰に愛されたいのかしらって考えてみたの。よくよく考えてみて、いまのわたしは陛下に愛されたいわけじゃない気がしてきたの」
「――――じゃあ、誰?」
オリヴィエールは紫紺色の瞳でじっと妻を見つめた。
「……多分……あなた」
目を伏せてベルティーユが声を震わせながら答える。
「僕はずっと貴女を愛してる」
寝台から滑り降りるようにして抜け出すと、オリヴィエールはそっとベルティーユを抱きしめた。
「貴女を妻として迎えられただけでも十分幸せだと思っていた。貴女が僕以外の誰かを愛していても、貴女は僕の妻であることに変わりはないのだから、僕を愛して欲しいと、僕だけを愛して欲しいと望むのは贅沢だと思っていた。でも、貴女のそばにいればいるほど、貴女に恋して欲しいと、愛して欲しいと願わずにはいられないんだ」
「わたしは……あなたのことが……好きよ?」
「うん。でも、もっと好きになって欲しい。僕が貴女以外の女性と話をするだけで嫉妬するくらい、僕に恋をして欲しい。もし貴女が焼き餅をやいてくれたら、僕はもう嬉しすぎて貴女以外の女性と口を利かないだろうな」
「そ、そこまでは考えたことはないけれど、昨夕、あなたがそばにいないことが寂しいって思ったの。それに、あなたが迎えにきてくれたことがとっても嬉しいって」
ベルティーユが告げた途端、オリヴィエールは噛みつくように口づけをした。
「それだけでいまは十分だよ」
強くベルティーユを抱きしめると、オリヴィエールは耳朶に舌を這わせながら囁く。
「貴女が陛下のことを諦めるきっかけを作ってくれたようだから、今回は宰相に感謝するしかなさそうだね」
「じゃあ、大使の話は引き受けるの?」
首筋に唇を強く押しつけられたところで「病み上がりでしょうが!」と叫んで抵抗しながら、ベルティーユは訊ねた。
「ひとまず、引き受けるとしようか。貴女とロザージュ王国に行ってみるのも悪くないからね。仕事は有能な宰相のご子息に任せるとして」
『有能』が『宰相』なのか『ご子息』なのかは、ベルティーユは考えないことにした。
従兄弟の性格からすると、オリヴィエールとすぐに友好な関係が築けるようには思えないが、なんとかなるだろう。
「僕は貴女がもっと僕に恋をしてくれるよう、日々努力をすることにするよ」
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