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番外編1 ある伯爵令嬢の恋愛事情
3 ある伯爵令嬢の結婚
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ヴァンテアン公爵とソワサント伯爵令嬢の結婚式は、婚約発表から一ヶ月後に執り行われた。
「おめでとうございます、サラ様」
かつてサラとともに王妃の座を競ったカルサティ侯爵令嬢ベルティーユが、満面の笑みをうかべて腕からあふれそうになるほどの数の赤い薔薇を贈ってくれた。
ダンビエール公爵と婚約したベルティーユも、そう遠くない将来に結婚する。
王妃候補だった令嬢たちは、このひと月の間に次々と嫁ぎ先が決まっていった。
彼女たちが結婚を急ぐ理由は年齢もあるが、宰相の「ロザージュ王国への配慮」もあるらしい。曰く、王妃候補の令嬢が未婚のままでは、ロザージュ王国の王女が王妃になることを阻む一派が国内にいると疑惑を持たれかねないというのだ。
「そういうわけだから」と内務副大臣であるサラの父親は、娘の結婚を急がせた理由をもっともらしく語ったが、サラには納得できる話ではない。
大叔母の屋敷から帰ってきてみれば勝手にマルセルとの婚約がまとまっていたし、挙式の日取りも結婚の準備も両家の親がすみやかに決めてしまっていた。
マルセルの両親は健在だが、彼の父親は嫡男が成人すると同時に爵位を譲って引退してしまった。名目上は体力の衰えだが、実際は趣味の地質研究に没頭したいだけなのだ。
「ありがとうございます、ベルティーユ様」
今日の主役である花嫁のサラよりも華奢で可憐なベルティーユを見やりながら、こんな美少女でもアントワーヌ五世は妃に選ばなかったのだということを再認識した。もしくは、選べなかったのだ。
国王との結婚はそれだけ政治的な問題であり、王が恋だの愛だので結婚できるほどラルジュ王国は平和ではないのだろう。
ならば、自分がいくら王を愛していても、またもし王に愛されていたとしても、王と結婚することは難しかったはずだ。
「どうぞ末永くお幸せに」
「えぇ、あなたも」
ベルティーユは自分が王妃になれなかったことをどう考えているのだろう、とサラはいつか機会があれば訊ねてみたいと思った。
さすがに自分の結婚式で、王妃になれなかった云々を同じ王妃候補だった令嬢に愚痴るわけにはいかないが、いずれはそんな話をできるようになるかもしれない。
ベルティーユがダンビエール公爵との婚約を発表したのは、サラとマルセルの婚約発表の数日後のことだった。彼女はそれこそ、宰相に早急な結婚を求められたひとりなのかもしれない。その割には、宰相と政治的に相容れないダンビエール公爵と婚約しているのが謎ではあるが。
披露宴にはダンビエール公爵も招待していた。
嫋やかなベルティーユの隣に立つ公爵は、同じ年代の男性の中でも群を抜いた美貌の持ち主だが、あまりにも整いすぎていてサラには怖いくらいだった。彼の隣でにこやかに微笑んでいるベルティーユを見ると、美男美女の組み合わせというのは相手の容姿に負けないくらい自分に自信があるから成立するのだろうと納得した。
ヴァンテアン公爵邸での披露宴は、大勢の親族、友人、知人を招いて盛大に催された。
婚約から挙式まで一ヶ月という期間しかなかったにも関わらず、一年前から準備をしてきたようにすべてが完璧な宴だった。
この一ヶ月の間にサラがしたことといえば、花嫁衣装と披露宴で着用するドレスの注文だけだ。ドレスを二着縫ってもらうだけでも、採寸、仮縫い、試着とかなりの時間を費やしたものだ。
なのに、夜になってヴァンテアン公爵夫人のために用意された部屋に入ってみれば、衣装部屋にはたくさんの新しい日常着、外出着、訪問着、夜会用ドレスなどが吊されており、靴、帽子、宝飾品の数々に、寝間着も光沢がある絹の生地に襟首や袖口にレースとリボンをたっぷりとあしらい裾にはさらにたっぷりと襞をつけた物が用意されていた。
試着した記憶はないが、身体にぴったりと合わせる必要がないので、仕立屋は採寸だけで仕上げたのだろう。
これを着て寝ると、朝には寝間着が皺だらけになるのではないだろうかとサラは心配になった。
披露宴で酒を口に含むていどだが飲んだせいか、身体がふわふわしている。滅多に飲まない酒に酔ったようだ。
もしくは、今朝から続いた緊張からようやく解放されたというのに、興奮状態が続いているのかもしれない。
入浴を済ませて侍女に髪を梳かしてもらっていると、まだ正装姿のマルセルが寝室に姿を現した。
「うわ……君の寝間着姿ってすごく色っぽい……。花嫁衣装の君もとってもきれいだったけど、いまの君もきれいっていうか艶めかしいっていうか、愛しいって感じ」
「そういうあなたはかなり酔っているようね。ものすごくお酒くさいわよ」
やたらと饒舌なマルセルを観察しながら、サラは顔をしかめた。
「友人たちに次々と飲まされたからねぇ。新郎だから酒を断るなって言われて、披露宴の最初から飲みっぱなしだよ。さすがにそろそろ切り上げないと初夜だっていうのに花嫁をひとり寝させてしまうって言ったらようやく解放してもらえたんだけど……」
息だけでなく、酒を浴びたのかと思うくらい全身から酒精の臭いが漂っている。
首元のクラバットをだらしなく緩め、上着の釦を外しながら足下がふらついているところを見ると、完全な酔っ払いだ。
「水でも飲んだら?」
「うん……そうする」
水差しの水を硝子の杯に注いでサラが差し出すと、マルセルは一気にそれを飲み干した。
「あ、ちょっと酔いが醒めた気がする。君の色気にはますます酔いそうだけど。なんかちょっと本当に結婚したんだって実感がじわじわわいてきた」
「まだかなりお酒に酔っているみたいね。もうちょっと水を飲んだ方がよさそうよ」
酔っ払いの戯言がだだ漏れ状態だ。
侍女は顔をほんのり赤らめながら黙って部屋から出て行ってしまった。
当然のことながら、部屋にふたりきりになってしまった。
(え? わたしひとりにこの酔っ払いの相手をしろというの!? 誰よ! マルセルにこんなにお酒を飲ませたのは!)
サラが渋い顔で杯に水を注いでいると、マルセルは皺ひとつない寝台の上にゆっくりと座った。
「サラ、もしかして怒ってる?」
上目遣いで相手の機嫌を伺うようにマルセルが訊ねてきた。
「えぇ、少しね」
「それはつまり……結婚相手が僕だから?」
「は? そんなことに怒るくらいなら、そもそもわたしはあなたと結婚しないわ」
いまさらなにを言っているのだ、とサラは夫になったばかりのマルセルを睨んだ。
「泥酔していますぐ意識を失いそうなあなたに怒っているの」
今夜は結婚初夜だ。
それがどういうものかくらい、二十歳にもなれはサラだって知っている。
「酒くさいし、煙草くさいし、いますぐ寝てしまいそうだし」
「君に接吻をして、抱きしめて、それからもっといろいろするまでは寝ないよ」
「瞼が半分閉じかけている状態で言っても説得力がないわよ。疲れているんでしょ」
「うん、まぁ……昨日から緊張して眠れなかったから」
「昨日から!?」
サラは昨夜、今日の結婚式と披露宴にそなえてかなり早く寝た。日の出前に起きて支度に取りかからなければならなかったからだが、眠れないということは一切なかった。
「君が本当に式に来てくれるか心配で不安で緊張して胸が潰れそうだったんだ」
「昨日、あなたがうちに打ち合わせに来たときにちゃんと行くって約束したわよね!?」
マルセルは結婚の日取りが決まった後、毎日のようにサラを訪ねてきては「僕と結婚してね。約束だからね。お願いだからやっぱり修道院に行くとか言わないでね」と繰り返し言ってきたのだ。
それに対してサラは「ちゃんと行くわよ」と面倒くさそうに返事をしていた。
毎日同じことを言われると、うんざりして返答が粗雑になるのは仕方がないとサラは思っている。
「でも、君のことだから」
「よっぽどわたしのことを信用していないのね」
「そういうわけではないけれど、そういうことになってしまうのかなぁ。この一ヶ月の間になんとかして君にもう一度僕との恋を始めて欲しかったんだけど、なんかまったく僕の空回りになっていた気がするし、君は陛下への恋心をますます募らせただけなんじゃないかという気がするし」
自問自動を繰り返しながら、マルセルは眠そうにあくびをする。
ちなみにサラは、実家の自室に飾ってあったアントワーヌ五世の肖像画はさすがに持ってこなかった。
結婚するとなると、それなりにけじめをつけるべきだろうと考えたからだ。
「今夜は君にいっぱい接吻をして、いっぱい君を抱きたいとか考えていたら興奮して眠れなくなってしまったのもあるんだけど」
「もういいからさっさと寝て」
「えぇ……? だって、このままだと初夜が台無しになるよ」
「誰のせいだと思っているのよ」
「うーん、僕のせいだよねぇ。じゃあ、接吻だけでもしようよ」
ねっ、と言いながらマルセルはおいでおいでとサラに手を振る。
(完全に足腰に酔いが回っているわね)
ため息をつきながらサラは寝台のマルセルの元へと近づいた。
「もうおやすみなさいな、わたしの旦那様」
これ以上酔っ払いの相手はしたくないとばかりに、サラはマルセルの額にそっと口づけた。
それで彼は満足して眠りにつくと思ったのだ、が――――。
「……あ、酔いが醒めた」
サラの予想に反して、マルセルの瞼は完全に閉じるどころか見事に開いていた。
「えぇ?」
「君に旦那様なんて呼ばれたら、嬉しすぎて酒精が一瞬で抜けた」
さきほどまでのぼんやりとした様子とは打って変わって、マルセルは頬が紅潮しているものの、口調がはっきりとしてきている。
「わたしはいま、百年の恋も冷めそうな状況なんだけど」
「え? もしかして、一度目の恋が復活してる!? じゃあ、冷める前に急いで温めないと! 愛してるよ、サラ!」
まったく意味不明な理屈をこねて、マルセルはサラの手を掴み、そのまま寝台に押し倒した。
「復活してない!」
「じゃあ、二度目の恋だね」
「二度目はないって散々言ったでしょうが!」
おおいかぶさってきたマルセルに対してサラが抗議の声を上げるが、唇が相手の熱を帯びた唇で塞がれる。
酒のにおいが鼻に付いた。
相手の舌が口の中に侵入し、性急に口腔を探るように舐める。流れ込んできた唾液は酒の味をさせながら、喉の奥へと流れ込んだ。
「ん……っ」
濃厚な口づけを繰り返しながら、マルセルはサラの寝間着の襟に手をかけた。
絹の布地の隙間に指を差し込んでサラの肌に触れる。
そのままゆっくりと胸元に指を滑らせようとしたところで、マルセルの動きが止まった。
「……気持ちよすぎて意識が飛びそう」
「眠いなら眠いって正直におっしゃいなさいよ」
「……ごめんなさい」
サラの隣に仰向けで横たわると、マルセルは大きなあくびをした。
「ちょっとだけ眠らせて……」
「朝まで寝てくれてかまわないわ。わたしもゆっくり眠りたいし」
寝間着の襟元を直しながら、サラはため息をついた。
(やっぱり二度目はないわよ)
すでに眠り込んでいるマルセルの姿に目をやりながら、サラは自分に言い聞かせた。
(でも……一度目の続きなら、もしかしたら有りかもしれないわね)
「おめでとうございます、サラ様」
かつてサラとともに王妃の座を競ったカルサティ侯爵令嬢ベルティーユが、満面の笑みをうかべて腕からあふれそうになるほどの数の赤い薔薇を贈ってくれた。
ダンビエール公爵と婚約したベルティーユも、そう遠くない将来に結婚する。
王妃候補だった令嬢たちは、このひと月の間に次々と嫁ぎ先が決まっていった。
彼女たちが結婚を急ぐ理由は年齢もあるが、宰相の「ロザージュ王国への配慮」もあるらしい。曰く、王妃候補の令嬢が未婚のままでは、ロザージュ王国の王女が王妃になることを阻む一派が国内にいると疑惑を持たれかねないというのだ。
「そういうわけだから」と内務副大臣であるサラの父親は、娘の結婚を急がせた理由をもっともらしく語ったが、サラには納得できる話ではない。
大叔母の屋敷から帰ってきてみれば勝手にマルセルとの婚約がまとまっていたし、挙式の日取りも結婚の準備も両家の親がすみやかに決めてしまっていた。
マルセルの両親は健在だが、彼の父親は嫡男が成人すると同時に爵位を譲って引退してしまった。名目上は体力の衰えだが、実際は趣味の地質研究に没頭したいだけなのだ。
「ありがとうございます、ベルティーユ様」
今日の主役である花嫁のサラよりも華奢で可憐なベルティーユを見やりながら、こんな美少女でもアントワーヌ五世は妃に選ばなかったのだということを再認識した。もしくは、選べなかったのだ。
国王との結婚はそれだけ政治的な問題であり、王が恋だの愛だので結婚できるほどラルジュ王国は平和ではないのだろう。
ならば、自分がいくら王を愛していても、またもし王に愛されていたとしても、王と結婚することは難しかったはずだ。
「どうぞ末永くお幸せに」
「えぇ、あなたも」
ベルティーユは自分が王妃になれなかったことをどう考えているのだろう、とサラはいつか機会があれば訊ねてみたいと思った。
さすがに自分の結婚式で、王妃になれなかった云々を同じ王妃候補だった令嬢に愚痴るわけにはいかないが、いずれはそんな話をできるようになるかもしれない。
ベルティーユがダンビエール公爵との婚約を発表したのは、サラとマルセルの婚約発表の数日後のことだった。彼女はそれこそ、宰相に早急な結婚を求められたひとりなのかもしれない。その割には、宰相と政治的に相容れないダンビエール公爵と婚約しているのが謎ではあるが。
披露宴にはダンビエール公爵も招待していた。
嫋やかなベルティーユの隣に立つ公爵は、同じ年代の男性の中でも群を抜いた美貌の持ち主だが、あまりにも整いすぎていてサラには怖いくらいだった。彼の隣でにこやかに微笑んでいるベルティーユを見ると、美男美女の組み合わせというのは相手の容姿に負けないくらい自分に自信があるから成立するのだろうと納得した。
ヴァンテアン公爵邸での披露宴は、大勢の親族、友人、知人を招いて盛大に催された。
婚約から挙式まで一ヶ月という期間しかなかったにも関わらず、一年前から準備をしてきたようにすべてが完璧な宴だった。
この一ヶ月の間にサラがしたことといえば、花嫁衣装と披露宴で着用するドレスの注文だけだ。ドレスを二着縫ってもらうだけでも、採寸、仮縫い、試着とかなりの時間を費やしたものだ。
なのに、夜になってヴァンテアン公爵夫人のために用意された部屋に入ってみれば、衣装部屋にはたくさんの新しい日常着、外出着、訪問着、夜会用ドレスなどが吊されており、靴、帽子、宝飾品の数々に、寝間着も光沢がある絹の生地に襟首や袖口にレースとリボンをたっぷりとあしらい裾にはさらにたっぷりと襞をつけた物が用意されていた。
試着した記憶はないが、身体にぴったりと合わせる必要がないので、仕立屋は採寸だけで仕上げたのだろう。
これを着て寝ると、朝には寝間着が皺だらけになるのではないだろうかとサラは心配になった。
披露宴で酒を口に含むていどだが飲んだせいか、身体がふわふわしている。滅多に飲まない酒に酔ったようだ。
もしくは、今朝から続いた緊張からようやく解放されたというのに、興奮状態が続いているのかもしれない。
入浴を済ませて侍女に髪を梳かしてもらっていると、まだ正装姿のマルセルが寝室に姿を現した。
「うわ……君の寝間着姿ってすごく色っぽい……。花嫁衣装の君もとってもきれいだったけど、いまの君もきれいっていうか艶めかしいっていうか、愛しいって感じ」
「そういうあなたはかなり酔っているようね。ものすごくお酒くさいわよ」
やたらと饒舌なマルセルを観察しながら、サラは顔をしかめた。
「友人たちに次々と飲まされたからねぇ。新郎だから酒を断るなって言われて、披露宴の最初から飲みっぱなしだよ。さすがにそろそろ切り上げないと初夜だっていうのに花嫁をひとり寝させてしまうって言ったらようやく解放してもらえたんだけど……」
息だけでなく、酒を浴びたのかと思うくらい全身から酒精の臭いが漂っている。
首元のクラバットをだらしなく緩め、上着の釦を外しながら足下がふらついているところを見ると、完全な酔っ払いだ。
「水でも飲んだら?」
「うん……そうする」
水差しの水を硝子の杯に注いでサラが差し出すと、マルセルは一気にそれを飲み干した。
「あ、ちょっと酔いが醒めた気がする。君の色気にはますます酔いそうだけど。なんかちょっと本当に結婚したんだって実感がじわじわわいてきた」
「まだかなりお酒に酔っているみたいね。もうちょっと水を飲んだ方がよさそうよ」
酔っ払いの戯言がだだ漏れ状態だ。
侍女は顔をほんのり赤らめながら黙って部屋から出て行ってしまった。
当然のことながら、部屋にふたりきりになってしまった。
(え? わたしひとりにこの酔っ払いの相手をしろというの!? 誰よ! マルセルにこんなにお酒を飲ませたのは!)
サラが渋い顔で杯に水を注いでいると、マルセルは皺ひとつない寝台の上にゆっくりと座った。
「サラ、もしかして怒ってる?」
上目遣いで相手の機嫌を伺うようにマルセルが訊ねてきた。
「えぇ、少しね」
「それはつまり……結婚相手が僕だから?」
「は? そんなことに怒るくらいなら、そもそもわたしはあなたと結婚しないわ」
いまさらなにを言っているのだ、とサラは夫になったばかりのマルセルを睨んだ。
「泥酔していますぐ意識を失いそうなあなたに怒っているの」
今夜は結婚初夜だ。
それがどういうものかくらい、二十歳にもなれはサラだって知っている。
「酒くさいし、煙草くさいし、いますぐ寝てしまいそうだし」
「君に接吻をして、抱きしめて、それからもっといろいろするまでは寝ないよ」
「瞼が半分閉じかけている状態で言っても説得力がないわよ。疲れているんでしょ」
「うん、まぁ……昨日から緊張して眠れなかったから」
「昨日から!?」
サラは昨夜、今日の結婚式と披露宴にそなえてかなり早く寝た。日の出前に起きて支度に取りかからなければならなかったからだが、眠れないということは一切なかった。
「君が本当に式に来てくれるか心配で不安で緊張して胸が潰れそうだったんだ」
「昨日、あなたがうちに打ち合わせに来たときにちゃんと行くって約束したわよね!?」
マルセルは結婚の日取りが決まった後、毎日のようにサラを訪ねてきては「僕と結婚してね。約束だからね。お願いだからやっぱり修道院に行くとか言わないでね」と繰り返し言ってきたのだ。
それに対してサラは「ちゃんと行くわよ」と面倒くさそうに返事をしていた。
毎日同じことを言われると、うんざりして返答が粗雑になるのは仕方がないとサラは思っている。
「でも、君のことだから」
「よっぽどわたしのことを信用していないのね」
「そういうわけではないけれど、そういうことになってしまうのかなぁ。この一ヶ月の間になんとかして君にもう一度僕との恋を始めて欲しかったんだけど、なんかまったく僕の空回りになっていた気がするし、君は陛下への恋心をますます募らせただけなんじゃないかという気がするし」
自問自動を繰り返しながら、マルセルは眠そうにあくびをする。
ちなみにサラは、実家の自室に飾ってあったアントワーヌ五世の肖像画はさすがに持ってこなかった。
結婚するとなると、それなりにけじめをつけるべきだろうと考えたからだ。
「今夜は君にいっぱい接吻をして、いっぱい君を抱きたいとか考えていたら興奮して眠れなくなってしまったのもあるんだけど」
「もういいからさっさと寝て」
「えぇ……? だって、このままだと初夜が台無しになるよ」
「誰のせいだと思っているのよ」
「うーん、僕のせいだよねぇ。じゃあ、接吻だけでもしようよ」
ねっ、と言いながらマルセルはおいでおいでとサラに手を振る。
(完全に足腰に酔いが回っているわね)
ため息をつきながらサラは寝台のマルセルの元へと近づいた。
「もうおやすみなさいな、わたしの旦那様」
これ以上酔っ払いの相手はしたくないとばかりに、サラはマルセルの額にそっと口づけた。
それで彼は満足して眠りにつくと思ったのだ、が――――。
「……あ、酔いが醒めた」
サラの予想に反して、マルセルの瞼は完全に閉じるどころか見事に開いていた。
「えぇ?」
「君に旦那様なんて呼ばれたら、嬉しすぎて酒精が一瞬で抜けた」
さきほどまでのぼんやりとした様子とは打って変わって、マルセルは頬が紅潮しているものの、口調がはっきりとしてきている。
「わたしはいま、百年の恋も冷めそうな状況なんだけど」
「え? もしかして、一度目の恋が復活してる!? じゃあ、冷める前に急いで温めないと! 愛してるよ、サラ!」
まったく意味不明な理屈をこねて、マルセルはサラの手を掴み、そのまま寝台に押し倒した。
「復活してない!」
「じゃあ、二度目の恋だね」
「二度目はないって散々言ったでしょうが!」
おおいかぶさってきたマルセルに対してサラが抗議の声を上げるが、唇が相手の熱を帯びた唇で塞がれる。
酒のにおいが鼻に付いた。
相手の舌が口の中に侵入し、性急に口腔を探るように舐める。流れ込んできた唾液は酒の味をさせながら、喉の奥へと流れ込んだ。
「ん……っ」
濃厚な口づけを繰り返しながら、マルセルはサラの寝間着の襟に手をかけた。
絹の布地の隙間に指を差し込んでサラの肌に触れる。
そのままゆっくりと胸元に指を滑らせようとしたところで、マルセルの動きが止まった。
「……気持ちよすぎて意識が飛びそう」
「眠いなら眠いって正直におっしゃいなさいよ」
「……ごめんなさい」
サラの隣に仰向けで横たわると、マルセルは大きなあくびをした。
「ちょっとだけ眠らせて……」
「朝まで寝てくれてかまわないわ。わたしもゆっくり眠りたいし」
寝間着の襟元を直しながら、サラはため息をついた。
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