公爵夫人は国王陛下の愛妾を目指す

友鳥ことり

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番外編2 大使公邸の日常

1 大使夫妻と補佐官

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 ラルジュ王国よりも南に位置するロザージュ王国の冬は温暖で、ラルジュ王国に比べると雪が少ない。
 ロザージュ王国の王都にあるラルジュ王国大使公邸に入ったダンビエール公爵夫妻は、うっすらと雪が残る公邸の庭を眺めながら、最初の公務を無事終えられたことに胸をなで下ろしていた。

「ロザージュ王国の国王の印象はどうだったんだ? ベル……っと、大使夫人?」

 ダンビエール公爵夫妻より先に公邸入りしていたルイ・ガスタルディが砕けた口調で訊ねる。

「そうね。第一印象は可も無く不可も無いってところかしら」

 従兄の質問に対して、ベルティーユはすこしだけ考えた後、慎重に答えた。
 公邸の居間にしつらえられた暖炉にはたくさんのまきが燃やされており、暖かな部屋の長椅子に腰を下ろしただけで重責から解放された気分になる。

「だよな。俺もそう思った」

 大使の補佐官であるルイは、前任の補佐官と五日前に引き継ぎを済ませたばかりだ。
 ダンビエール公爵も昨日前任の大使から職務を引き継いだばかりなので、大使公邸は帰国した前任者の荷物と着任者の荷物であふれかえっていた。使用人たちが昨日から引っ越し作業をしているが、とにかく荷物が多いので二日かかっても終わらないのだ。
 ルイ・ガスタルディはほぼ着の身着のままで着任したので荷物は少なかったが、公爵夫妻となるとそうはいかない。
 なんとか居間と寝室だけは利用できる状態になったが、まだ公邸内のあちらこちらに家具や荷物が入った箱が並べられているので、結局ベルティーユたちが揃って落ち着いてくつろげる場所といえば居間しかなかった。
 大使夫人の従兄ということで大使公邸の一室をもらって寝起きしているルイは、本人曰く「寝るまもなくこき使われそうな予感しかない」ということで公邸外に住居を持つことを希望したが、大使によってあっさりと却下された。

「大使は?」

 ベルティーユの隣に座って手袋を脱ごうとしていたオリヴィエールに、ルイが気安く訊ねる。
 彼は、ダンビエール公爵が従妹の夫だからというよりも、誰にでも砕けた口調で話しかけるのだ。

「彼女と同意見だ」

 低い声で簡潔にオリヴィエールは答える。
 彼は補佐官が自分の妻に親しく振る舞うことを忌ま忌ましく感じていたが、それを妻の前であからさまに態度に示すことはためらっていた。
 なんといってもルイ・ガスタルディは宰相の息子だ。
 爵位を持たない彼はオリヴィエールが恐れる相手ではないが、着任早々にいがうのも大人げない。空気を読まずになれなれしい態度が続くようであれば注意をしよう、三日くらいは様子見で、とオリヴィエールは心の中で期限を区切った。ほぼ猶予を設けない辺り、結構心が狭い。
 妻と補佐官は幼い頃から親交があったということで、補佐官は彼女を妹のように可愛がっていたようだが、いまも同じ感覚で親しくするようであれば減給だな、とまで考えた。
 ただ、ルイも上司の性格についてはあるていどシルヴェストルから情報を得ているのか、ベルティーユを名前で呼ばないようには気をつけている。ダンビエール公爵は嫉妬心が強い、くらいに聞いているのかもしれない。

 今日の午後は、ダンビエール公爵夫妻がロザージュ国王に着任の挨拶をするため、王宮へ伺候したところだった。
 すでに前任者はおとつい退任の挨拶を済ませている。

「凡庸な人物だが、国王としての自分の力量を正しく把握しているといった感じだ。まつりごとに興味が薄いのか、わざと興味が薄いふりをしているのかは不明だが、前の我が国との戦争も軍を制御しきれていなかった自分の過ちだとおっしゃっていたな。あれが本音なのか建て前なのかは不明だが、重臣たちが強く勧めてきたので戦争を回避できなかったと言い訳をして、のらりくらりと責任逃れをしているようにも見える」
「国王としてなにかを主張する方のようには見えませんでしたわ。両脇にいらっしゃった王子様と王女様たちのご様子から、優しいお父様という雰囲気ではありましたけど。王妃様との間に十二人ものお子様に恵まれるとは、とても幸せな方ですね」

 ロザージュ国王を囲むようにして立っていた王子王女の顔を思い出し、ベルティーユは微笑む。

「あぁ、あの十二人の王子と王女は、ふたりをのぞいて皆妾腹だよ」

 雪で濡れた外套を暖炉の炎にかざして乾かしながらルイが告げる。

「え?」
「うちの陛下に嫁いできたファンティーヌ王女を含めて、王妃が産んだのは三人。あの国王は妾妃が三人いて、あの場にいた十人は妾腹なんだ。妾腹の王子王女は本来であれば公式の場には出ないもんだけど、いまの国王は自分の子供たち全員を平等に扱っている。もちろん、王位継承権を持っているのは王妃が産んだ王子だけだけど、王宮内での基本的な待遇は妾腹も同じだそうだ。もちろん、公務はこなさなければならないから、王子王女としての教育はしっかり受けているらしい」
「三人の妾妃様と、お子様八人が……妾腹?」

 謁見の場に居並んだ王子王女たちの顔を思い浮かべ、ベルティーユは戸惑った表情を浮かべた。

「あー、そっか。ベル……大使夫人にはすぐには理解しがたいところがあるだろうけど、王が妾妃や愛妾を持つのはそう珍しいことではないんだ。うちの陛下はいまのところそんなそぶりはないし、前王陛下だって愛妾はいなかったけどな」

 ルイは『妾妃』という言葉にベルティーユが理解しかねていると考えたらしい。
 なにしろ、ベルティーユはほんの数年前までは国王アントワーヌ五世の王妃候補として最有力視されていた深窓の令嬢だ。これまで学んできた教養の量に関してはルイの比ではないが、実際に世間を知るようになったのは最近のことだ。
 ロザージュ王国に来るまで旅らしい旅といえば新婚旅行だけという点も、彼女がいかに箱入り娘であったかを表している。

「世の中の男の一部は、愛人を持ちたがるもんなんだ。特に、権力者は、さ。そこの公爵様は浮気なんて絶対にしないだろうけどさ」
「当然だ」

 オリヴィエールは即座に断言した。

「うちの親父殿だって浮気はしたことないぞ。あれは愛妻家っていうより恐妻家だけどさ。浮気をしたり、愛人や妾を囲う男なんてほんの一部だって。……多分」

 世間の男たちを擁護しすぎるのもどうかと思ったのか、ルイは最後は歯切れ悪く話をまとめた。

「ロザージュ王国の国王は妾妃を持つのが義務ってわけではないけれど、歴代の王のほとんどには妾妃がいるらしい。国王のそのとき一番のお気に入りの妾妃と親しくなれば、国王との交流もうまくいくってわけだ。ただ、いまの王は三人のどの妾妃が一番お気に入りなのかははっきりしないらしい。妾妃に関しても、良くも悪くも平等って状況だ。王の子供を一番多く産んでいるのは第二妾妃だけど、それだって別に王が頻繁に通っているってわけじゃないし……」

 ルイはここ数日の間に前任者から仕入れた情報をとうとうと披露したが、ベルティーユが唖然として聞いていることに気づき、口を閉じた。

「まぁ、王家の家庭の事情はそう乱れたものではなく、それなりに円満らしい。王妃だって、妾妃が三人いても自分の子供にしか王位がいかないことを知っているから文句はないらしいしな。ロザージュ王国では、法律で妾腹には相続権がないって定められているから、妾腹の王子や王女は父親が生きている間に爵位や領地を貰って独立するそうだ。だから、この国にはやたらと公爵やら侯爵がいるんだ」
「そ、そうなのね……」

 理解できたのかできていないのか、ベルティーユはまだ困惑した表情を浮かべている。

「そういうわけで、いまのところ取り入るとすれば王妃ってところだな。来月催される、王妃の園遊会に招待されているだろ?」
「えぇ、大使夫人宛の招待状が届いているわ。わたしが着く前に届いたそうだけれど、大使夫人宛としか書かれていないからわたしが出席しても問題ないみたい」

 ロザージュ王国では、来月になれば雪解けだ。
 春の花が咲き始める季節のため、空気はまだまだ冷たくとも外で催される園遊会が増えてくる。

「ロザージュ王国では、個人宛てに招待状を送るのはよっぽど親しい相手のみらしい。だから、大使夫人宛の招待状なら受け取った大使夫人と出席する大使夫人が違っていてもまったく不都合はないはずだ」
「そういうものなのね」

 招待状ひとつをとっても国によって習慣が異なるものだ。
 ベルティーユは「どういう服装が園遊会にはふさわしいのかしら」とドレスについて頭を悩ませ始めた。
 オリヴィエールはルイに視線を向けると、「あ、そういえば大使の署名が必要な書類が大量にあるんで、持ってくるから」と居間から逃げるように出て行った。
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