霧と魔眼のファタ・モルガーナ

氷翠

文字の大きさ
32 / 41

32話「繋がる穢れ」

しおりを挟む
 薄暗い部屋の奥、闇のようなローブを纏った男が、机を拳で叩きつけた。

「……シトリーが、やられた……だと……?」

 怒声が壁を揺らす。ランプの火が揺らめき、静まり返った室内に、血のような赤がにじんだ。
 バティムはゆっくりと立ち上がった。手の中に握っていた小さな黒晶が、罅割れて砕ける。
 シトリーと繋がっていた“媒介”――つまり、その死が確定した証だ。

「この俺の“器”にまで指を伸ばすとは……やってくれるな、小僧」

 怒りは沈黙よりも重く、部屋の空気が粘りつくように濁った。
 部屋の外では誰かが呻き声をあげていた。床に転がるのは、半ば魂を抜かれた老人の残骸。既に目は虚ろで、口は微かに動いているが、言葉にはなっていない。
 バティムはそれに一瞥もくれず、窓の外を見た。
 眼下には、貧民街が広がっている。
 腐った木材、歪な屋根。煙すら立ち上らぬほどの静けさ。人の気配はあるのに、息遣いが聞こえてこない。まるで町そのものが死を飲み込んでいるかのようだった。

「貧民層の魂は弱い。脆い。だが数はいる……それが唯一の利点だった」

 バティムの視線が下へ向く。小さな魂の水晶がいくつも積まれている。微かに揺れる光。だが、どれも鈍く、力に満ちてはいない。

「……これだけ集めてようやく、一体……。一匹の怪物を生むのに、どれだけの労力を要したと思ってる……!?」

 言葉の後半は誰に向けられたものでもなかった。
 ただ、自身の怒りを制御するために吐き出しただけ。
 バティムは机の奥に手を差し入れると、黒鉄で作られた小さな端末のような装置を取り出した。古代術式と機械技術を組み合わせたもの。魂の波長に反応し、遠方の術者と接触が可能な“霊絡器”だった。
 ゆっくりと力を流す。淡い光が浮かび、やがて仮面のような顔が現れた。
 精密な面と仮装のような異様な装飾。低く、機械的な声が応答した。

『……バティム。随分と久しぶりだな。』
「貴様のところの進捗はどうだ」
『順調だ。こっちは市民層から順に、“試料”を集めている。魂の質も悪くない。あんたの町より効率的だな』
「……チッ。貧困層ばかりじゃ“器”にすら足りん。選りすぐっていては手間ばかり増える……!」

 バティムの目が血走る。

「シトリーがやられた。例のガキどもだ。名は……サリエルと、ジブリール」
『ああ……そちらで話題になってるな。ギルドの記録にも出ていた。』
「ガキどもに構っていられる時間はない……今のままでは、“渾沌の核”を完全に満たすには程遠い」

 バティムは背後の壁を睨みつける。
 そこには複雑な術式と、歪んだ紋様が刻まれていた。
 脈動するように揺れる紋章の中心には、小さな球体――“核”がある。
 そこには今までに集めた魂が封じられている。だが、まだ完全ではない。今なお、無数の魂が必要だった。

『そっちは見限るのか?』
「いいや……こっちの収集は継続させる。だが、お前の方と“リンク”を強化する。魂の流通を開放しろ」
『……あの術を使うのか? 距離の制限はあるぞ。』
「知っている。だが、やる。魂を循環させ、こちらで怪物を量産する。お前の町で“質”を集めろ。こっちは“数”を支える」

 仮面の男が低く笑う。

『良い。ならば“供給”は任せてくれ。だが見返りももらうぞ、バティム。そちらの“核”が完成したら、第一優先で俺に還元してもらう』
「……いいだろう。約束は果たす。だがその前に――“奴ら”を潰す」

 バティムは目を細めた。まるで地獄の底を覗くような瞳だった。

「俺は怒っているんだ。シトリーを潰しただけじゃない。俺の“実験場”を荒らした。貴様ならわかるだろう、俺のこの感情を……!」
『ふふ、わかるとも。怒りは良い。混沌を動かす力だ。』

 通信が切れた。
 部屋に再び静けさが戻る。だがその沈黙は、以前よりも重く、黒く、鈍いものだった。
 バティムは核の前に立ち、手を翳した。唇から低い呪文が漏れる。
 霊絡の術式が展開され、魂の通路が一時的に開かれる。

「さあ……この町は、“選ばれた地”だ。もう逃げられんぞ、小僧……!」

 バティムの口元がゆがんだ。
 それは冷酷な笑みでも、満足げな微笑でもない。
 怒りと執着と、歪んだ愛情のまじった――狂気そのものだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

ブラック国家を制裁する方法は、性癖全開のハーレムを作ることでした。

タカハシヨウ
ファンタジー
ヴァン・スナキアはたった一人で世界を圧倒できる強さを誇り、母国ウィルクトリアを守る使命を背負っていた。 しかし国民たちはヴァンの威を借りて他国から財産を搾取し、その金でろくに働かずに暮らしている害悪ばかり。さらにはその歪んだ体制を維持するためにヴァンの魔力を受け継ぐ後継を求め、ヴァンに一夫多妻制まで用意する始末。 ヴァンは国を叩き直すため、あえてヴァンとは子どもを作れない異種族とばかり八人と結婚した。もし後継が生まれなければウィルクトリアは世界中から報復を受けて滅亡するだろう。生き残りたければ心を入れ替えてまともな国になるしかない。 激しく抵抗する国民を圧倒的な力でギャフンと言わせながら、ヴァンは愛する妻たちと甘々イチャイチャ暮らしていく。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。

みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。 高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。 地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。 しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。

軽トラの荷台にダンジョンができました★車ごと【非破壊オブジェクト化】して移動要塞になったので快適探索者生活を始めたいと思います

こげ丸
ファンタジー
===運べるプライベートダンジョンで自由気ままな快適最強探索者生活!=== ダンジョンが出来て三〇年。平凡なエンジニアとして過ごしていた主人公だが、ある日突然軽トラの荷台にダンジョンゲートが発生したことをきっかけに、遅咲きながら探索者デビューすることを決意する。 でも別に最強なんて目指さない。 それなりに強くなって、それなりに稼げるようになれれば十分と思っていたのだが……。 フィールドボス化した愛犬(パグ)に非破壊オブジェクト化して移動要塞と化した軽トラ。ユニークスキル「ダンジョンアドミニストレーター」を得てダンジョンの管理者となった主人公が「それなり」ですむわけがなかった。 これは、プライベートダンジョンを利用した快適生活を送りつつ、最強探索者へと駆け上がっていく一人と一匹……とその他大勢の配下たちの物語。

レオナルド先生創世記

ポルネス・フリューゲル
ファンタジー
ビッグバーンを皮切りに宇宙が誕生し、やがて展開された宇宙の背景をユーモアたっぷりにとてもこっけいなジャック・レオナルド氏のサプライズの幕開け、幕開け!

貧弱の英雄

カタナヅキ
ファンタジー
この世界では誰もが生まれた時から「異能」と「レベル」呼ばれる能力を身に付けており、人々はレベルを上げて自分の能力を磨き、それに適した職業に就くのが当たり前だった。しかし、山奥で捨てられていたところを狩人に拾われ、後に「ナイ」と名付けられた少年は「貧弱」という異能の中でも異質な能力を身に付けていた。 貧弱の能力の効果は日付が変更される度に強制的にレベルがリセットされてしまい、生まれた時からナイは「レベル1」だった。どれだけ努力してレベルを上げようと日付変わる度にレベル1に戻ってしまい、レベルで上がった分の能力が低下してしまう。 自分の貧弱の技能に悲観する彼だったが、ある時にレベルを上昇させるときに身に付ける「SP」の存在を知る。これを使用すれば「技能」と呼ばれる様々な技術を身に付ける事を知り、レベルが毎日のようにリセットされる事を逆に利用して彼はSPを溜めて数々の技能を身に付け、落ちこぼれと呼んだ者達を見返すため、底辺から成り上がる―― ※修正要請のコメントは対処後に削除します。

処理中です...