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本編
本編3.プラットフォームス
しおりを挟む赤いレンガ風の小さなビルの入り口のガラスドアに「アトリエ・マール」と掲げられている。
バイクのエンジン音が大きくなり、その前に滑り込んでくる。
カズヤはバイクを降りると、そこから離れるでもなく、ただ頭を上下左右に回すような動きでドア越しに内部を覗き込もうとし始める。
間もなく人影が現れ、カズヤが屈んでいた体を垂直に伸ばす。
現れた智恵は分厚いグレーのツィードのコートを肩に掛け、煙草一本とライターを片手に、出てくるなり気だるそうにため息をつく。
カズヤは、この人の前ではいつも緊張してしまう。
ルイコの上司、という事実だけではなく、この人にはこの人の持つ圧倒的な存在感を感じるのだ。
カズヤは自然と『気をつけ』の姿勢で立っていた。
智恵は寒そうな仕草で指にタバコを挟むと同時にカズヤに気がつく。
「あれ? ルイコちゃんのカレよね?」
「あ、はい。いつもどもっす」
カズヤは、両腕を体側にピッタリ合わせて深々と一礼する。
「お姫様はとっくに帰らせたわよ?」
「え? 仕事じゃぁ?」
カズヤは姿勢を変えずに顔だけ困惑した顔をした。
「今日はクリスマス・イヴだし、明日お休みあげられなかったからね。どうせウチは
独り者ばっかりだし、魔女役は嫌だもの」
智恵は再びため息を交え、指に挟んだタバコを顔の前に置きながら話した。
「……」
カズヤは混乱していて、何も頭に思い浮かばないだけでなく、身体のどの部分も動かせずにいた。
━━ルイコ……ルイコが嘘?
「すれ違っちゃったのかしら?」
智恵の簡単な言葉はカズヤにとっては重く感じられ、ただ、動け!というパルスがカズヤの身体をめぐった。
「ありがとうございます。失礼します」
カズヤはその場を振り切るように言ってお辞儀し、バイクに跨ると、一気に走り出す。
「気をつけてぇ!」
智恵は指に挟んでいたタバコを旗代わりのように振った。
「……はぁ、いいわねぇ。正に白馬に乗ったサンタ王子だわ……」
智恵はカズヤの消えた方向を見つめながら穏やかな顔を見せた。
「ん? でもサンタが王子で姫と魔女が出てくる話なんてあったかしら? ……あ、う、さぶっ」
智恵は急に再び寒さに気づいたように顔を震わせて、両手で両肘をさする。
カズヤ、バイクに乗り、全速力で飛ばしている。
冷たい風がカズヤの身体を抜ける。
「……んなわけねーよ」
マンションの一室。暗めの室内にミッド・センチュリー風の背の高いスタンドの明かりと、小さな熱帯魚が何匹も泳ぐ水槽の青い電灯が点いている。
「ダダダダダ……」
業務用のミシンの音が響いていて、室内の落ち着いた雰囲気とのズレを生み出している。
スタンドの明かりの下、ルイコが古いミシンに向いミシンのライトが照らす手元に布を滑らせている。
ルイコの座る椅子の下の床には布地の切れ端があちこちに散らかり布まみれ。
ローテーブルの上にはやはり布地の切れ端と型紙とがくしゃくしゃのまま置いてあり、その中から頭を覗かせるスマホがある。
一心不乱に針先を見つめるルイコ。
━━晩秋。
黄色に染まりかけた銀杏並木の道。
木々の葉の間から信号機が見え、黄色から赤に変わる。
カズヤのバイクが停止線の上に静かに停まる。
薄いジャケット姿のカズヤとその背中を抱いてしがみつくように乗っているルイコ。
ルイコは厚手のコートにクリーム色のマフラーを巻いて、モコモコと身を丸くしている。
「ううう、体の芯まで透き通る……」
カズヤは肩をすくめて縮みあがる。
「そろそろ厚めの上着でも着たら?」
ルイコは、カズヤの肩の上、ヘルメットの片側に語りかける。
カズヤはルイコの方を首を回す。
「去年まで着てたの飽きて売っちゃったし」
「え?ホント?あれ似合ってたのに。 他に無いの?」
「格好いいの見つかんねぇからさぁ」
「でもそれじゃぁ凍えちゃうよ!」
ルイコはカズヤを気遣ってか、ひと際大きな声で言う。
「ははぁん、それが意外と大丈夫なんだよね。アメリカではみんな寒くてもこれくらいだったらそんなに厚着しないんだ。それに慣れたって言うか、平気」
「でもずっとじゃぁ……どんなの欲しいの?」
カズヤは急に姿勢を正すと、バイザーを上げてできる限りルイコの方を向くように身体をひねった。
「ハーフよりは長く、ロングよりは短いコート。全部がカナリ微妙な感じでさ、袖がちょこっとだけラッパみたいに開いててぇ、襟がこう、釦がついてて閉められるようなの」
カズヤは身振り手振りで説明し、着ているジャケットの両襟を立てて合わせてみせる。
「お~、あったか~、みたいな」
カズヤはそう言って笑い、襟を元に戻す。
「う~ん、色は?」
「そ、それ、大事! パッと見黒なのによく見ると濃いブルーって感じで、それでいて裏地は絶対赤! もう、超赤!(笑)」
「あははは。そのままのがあったらカナリ奇跡だね」
「そう! ミラクル大歓迎!」
カズヤは笑い、再び前を向くとバイザーを下ろし、青信号に向いバイクを走らせる。
風を受けるルイコの髪。
ルイコは微笑し、カズヤの肩に頭を傾けた。
「ダダダダダ……」
ルイコの部屋に響くミシンの音。
引き続き一心不乱に針先を見つめるルイコ。
ミシンの押さえ金を上げては布を回し、また止め、回し、上げの繰り返し。
ルイコはしきりに目をパチパチとさせる。
「間に合う間に合う」
ルイコは自分に言い聞かせるような調子で言うと、うんうんと頷く。
「フ~フフンフ~ン……」
自然と”きよしこの夜”のメロディがルイコの口から出た。
しかし、次第に鼻歌も止み、瞼が重く降りてきて首がガクンガクンと落ちてくる。
『ダダッ、ダダッ』
ミシンの音が不規則になる。
『ダダダダッダッ』
ルイコの手が布を大きく奥へ引っ張り、ミシンの針があらぬ方向へと走り出す。
はっ、と目を開き、姿勢を戻すルイコ。
「あっ、だめ、だめ。もうっ」
ルイコは乱れた縫い目を見て溜息をつく。
すぐに針を上げて布をひきだし、慣れた手つきで糸を引き抜いていく。
ルイコは再び縫い口をミシンに当てる。
ミシン越しに見える正面の壁にはルイコがクレパスで描いた手書きのデザイン画が貼ってある。
『BEFORE(カズヤのボロジャケット姿の画で、木枯らしが吹いている描写で寒そうな絵) → AFTER(カズヤが言ったままのコートを着たデザイン画。オレンジ色の後光が差す描写で暖かそう。ハートマークも飛んでいて、「カズヤ大好き!」と大きく書いてある)』
ルイコはいったん手を止め、デザイン画に目をやる。
顔つきは次第に緩み、デレッとしてから針先に目を戻す。
「カズヤのコート~」
ルイコは機嫌よく言葉にリズムをつけて言い、作業を続ける。
「ダダダダダ……」
再び動き出すミシンの音。
ルイコは布の縫い口の両端を引っ張り、縫い進めていく。
その手つきは危ういところが無く研ぎ澄まされているようで、無駄なく次へ次へと切り替わっていく。
だが、まもなく、再びミシンの音が乱れる。
「ダダッ、ダダッ、ダダダ……」
ルイコの頭は上下に揺れる。
そして、ミシンの足踏みスイッチからルイコの足がスルリと外れる。
ミシンは止まり、ガクンと大きく前屈みになった拍子に手が伸び、ミシン台の前にある陶器でできた魔女の置物を床に落とす。
魔女はころころと転がり、それが床にある電気スタンドのスイッチを押して部屋が暗くなる。
ルイコは机の上に頬をつきそうでつかない距離にかろうじて保ち、ミシンのライトに照らされる薄くだけ目を開けている。
「あぁ……」
ルイコは薄暗い中で深い溜息をついて、それを合図に両腕を机の上に組み、アゴを落とす。
そして座ったままで右足の指を曲げ伸ばしながら、スイッチに向かいソロソロと横に伸ばしていく。
芋虫がノソノソと進んでいくようなルイコの足先。
たが、右足がピンと伸びきったところであと一歩届かない。
ルイコは諦め、脚の力を抜くと同時にルイコの目蓋が重く降り、上体を机に突っ伏して片足を横に伸ばしたままの滑稽な格好で眠りに落ちる。
すると、ルイコの背後にあるテーブル上のスマホがブルっと震え、『電池残量がありません』というメッセージが表示される。
ルイコは腕の中に顔をうずめている。
スマホの画面がブラックアウトする。
熱帯魚が水槽の中で静かに浮かんでいる。
ルイコのマンション前に到着したカズヤ。
だが、ここまで走ってきたバイクを運転していたのは自分であるような気がしない。
バイクはハンドルを回さなくても曲がるし、赤信号では自然と停まる。
車を追い越しながら蛇行するのも、車体が勝手に傾いて自分がやっているとは思えない。
そして、この場所への最短距離の道をスルスルと驚くほどにスムースに抜けてきたことを思い返しても、このバイクが勝手に走ってきた、そう思えるくらいカズヤの頭の中は「?」で溢れていた。
今ここにいる自分。
カズヤは一番したくなかったことを今しているという嫌悪感と、ルイコに対して芽生えた疑念とを合わせて感じ、身体をえぐられたような嫌な感覚に打ちひしがれた。
ルイコの部屋を見上げるが、真っ暗でひっそりとしている。
カズヤはバイクに跨ったままスマホを取り出す。
LINEのメッセージを見るが、「ルイコ、どうした?」と書いたカズヤのメッセージに既読はついていない。
そして通話キャンセルのマークが2つほどついている。
電話帳からスクロールしてルイコの番号を表示すると、その上に親指をかざした。
もし、ルイコが呼び出しに出なかったら、もし、ルイコが出てどこか別の場所にいたら、もし、電話がつながらなかったら……様々なシチュエーションを一瞬に思い浮かべたカズヤだったが、答えを出すにはこれをタップするしかなかった。
スマホを耳に当てるカズヤ。
『お客様のおかけになった電話は電波の届かない所にあるか……』
応答メッセージが淡々と流れる。
カズヤはスマホをしまうともう一度ルイコの部屋を見上げる。
二人で選んで買った、ベージュ地に茜色のまだら模様が入ったカーテンが少し開いているが、人の気配は感じない。
マンションの別の部屋の多くには明かりが見て取れるので余計にルイコの部屋がひっそりとして見える。
カズヤはしばらく部屋から目を離すことができずにボ~ッと立っていた。
いったい何処に……連絡もナシでこんなことってわけがわからない。
カズヤはだんだんと混乱に拍車が掛かることを感じると、それを振り切るように言葉を発する。
「ない、ない、なーい。なんか、ある。あるよな」
ルイコが嘘をつくなんてよっぽどの理由があるはずだと思いをめぐらす。
理由。
理由。
そう、それがあると思うから、ここに来るまで同じ問いが頭の中を回っていた。
そしてここに来れば見つからなかった答えもルイコの笑顔でかき消せると思った。
カズヤは強張った表情を隠すようにヘルメットを被ると、今度は自分で重いバイクを走らせる。
-本編4へつづく
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