39 / 56
第七章 魔に魅入られた者達
7-1 揺らぐ辺境、動く都
しおりを挟む
魔竜による鉄血都市への襲撃──その知らせはノエルの放った伝書家禽により、テレザ達が辺境のギルドに戻るよりなお早く王宮に届いた。
王国の象徴たる、磨き抜かれた白い壁が支配する謁見の間にて。今まさに王へと報告が届けられている。
「……ふむ、鉄血都市が魔竜に襲撃されたと。そして、棟梁のナガラジャが重傷か」
「はい。伝書によれば、あと一カ月ほどは動けぬ容体。魔竜は鉄血都市を離脱後、王国南部の森林に移動したと思われる、とのことでございます」
「相分かった。魔竜の復活か……ご苦労、下がってよいぞ」
「はっ! 失礼致します」
奏上した騎士を鷹揚な仕草で下がらせ、凶報を受けた国王のハイクツェルペ・ロードランは、まだ蓄えの乏しい口髭を撫でる。王としては若年の彼、少しでも貫禄が出るかと思い生やし始めたのだが……妻と娘からはおおいに不評を買っている。侍女たちの噂話に耳をそば立ててみても、やはり似合ってはいないらしい。
「やはり……」
剃るか。今なら被害も小さく済む……などというハイクツェルペの思考は、側に控えていた老齢の男に筒抜けだったようだ。その男が纏う厚地のローブは、素人が見ても分かるほど強烈な木属性幻素が編みこまれており、襟元には白金級の階級章が燦然と輝いている。含み笑いをすると、口元を覆い隠すほどに立派な髭が重々しく揺れた。
「陛下。国も髭も、一日にしてはならず、でございます。伸び揃えば、不評の声も収まるでしょうや」
「ゲーゲンス。そなたに言われると説得力というか、何と言うかだな」
「ほっほっ。この老骨、伊達に四十年も髭を蓄えておりませぬ。……して、魔竜の話でしたな」
名をゲーゲンス・リジックス。齢八十を超えてなお現役の幻導士として王宮に仕える、国内で知らぬ者などいない実力者である。知恵袋として、何より有事の際の懐刀として、先代の国王からも全幅の信頼を寄せられていた。ハイクツェルペもまた、彼を大いに頼っている。
「うむ。そなたの見解を聞きたい。余としては、今すぐ討伐隊を差し向けたいが、どうだ?」
「魔竜となると、歴史書の中の存在。よって、ギルド所属の幻導士だけでは対処は難しい、と愚考いたします。このゲーゲンスめ、陛下のお考えに異論はございませぬ」
「そうか。ならば急ぎ、討伐隊の陣容を考えねば。先方は戦いの様子も伝えてくれた、少しでも勝率の高い者を――」
ハイクツェルペの言葉の続きは、乱暴に開け放たれた謁見の間の扉に吸い込まれて消える。
「やれやれ……」
ゲーゲンスの顔が曇った。
誰何するまでもない。謁見の間を幾重にも守護する騎士達を突破できる実力を持ち、かつ実行に移す者など、王宮にいる人間にたった一人だ。
案の定、見覚えのある鎧姿がハイクツェルペに向かって歩いてきていた。鋭角なエッジに彩られた漆黒の甲冑を身に纏う長身の男。首には黄金級の階級票がかけられている。薄茶色の瞳は階級票に勝るとも劣らぬ輝きを放ち、黒く小さな瞳孔がその中でカタカタと揺れる。鬣のように逆立った栗色の髪と相まって、激昂した獅子を思わせる風貌だった。
ゲーゲンスが眉間を抑え、乱入者を怒り半分呆れ半分で睨む。
「何用か、ジークフリート。陛下の御前であるぞ、良い加減に礼節を──」
「『何用か』だと? 野暮なことを聞くなゲーゲンス。決まっている、魔竜の件だ」
ジークフリートと呼ばれた男は言葉の後半を遮り、ハイクツェルペの座す玉座に大股で近づいた。ゲーゲンスの雰囲気がいよいよ剣呑になり、流石に玉座へと続く階段で足を止める。しかし男の表情は些かも変わらない。この距離ならばゲーゲンスがどんな攻撃をしてこようと捌ける。そんな自信が見え隠れしていた。
「どこで聞いた?」
礼を極限まで欠いているが、ジークフリートに悪意がないことはハイクツェルペとて分かっている。自儘すぎる振る舞いにも寛容に、ハイクツェルペは聞いた。
「さっき出てきた奴に、直接聞いた。随分と慌てて入っていったから、緊急事態だと思ってな。まさか魔竜とは思わなかったが」
「目ざといことだ。たった今、魔竜の討伐隊の陣容を考えていたところでな」
「良かったじゃないか。おあつらえ向きの奴が志願しに来たぞ」
やはり、魔竜の討伐に参加すると言ってきた。このジークフリート・レイワンスは、王宮に仕える前から大物のみを狩る幻導士として有名だった。各地を放浪し、取り憑かれたように高難度の依頼ばかりを受け続ける姿から『冠位を食む者』と畏れられ、誰1人近づこうとしなかった彼を、ハイクツェルペが是非にと欲しがり声をかけた。
「あんたは俺を雇う時、こう言ったはずだ。『大物の討伐は優先的に回す。だから王宮に仕えろ』と。魔竜が大物じゃないのなら、一体何なんだ?」
「確かに、そう言ったな……」
ジークフリートに凄まれ、ハイクツェルペは少々考える。下手に断り、へそを曲げられてもかなわない。
「良かろう。貴様に討伐隊を任せる。人員も、大した人数は連れて行くまい? 好きに見繕え」
それ以上渋ることなく、すんなり許可を出すハイクツェルペ。そこへゲーゲンスが声を上げる。
「陛下! そんなあっさりと──」
「案ずるな、ゲーゲンスよ。余とて、何も考えず答えているわけではない」
ハイクツェルペは自身の考えを開示し、ゲーゲンスを説得する。木々が生い茂る中での作戦となれば、大人数での行動は難しい。何より人数が増えれば、その分移動も遅くなる。翼を持つ魔竜はいつ飛び立つかも分からない。ならば求められるのは、少数精鋭による速攻だ、と主張した。
「事態は一刻を争う。数多の強敵を単身で仕留めてきたジークフリートこそ、適任ではないか?」
決して安請け合いではない、とハイクツェルペは強調する。ゲーゲンスはそれを受け、反論の余地はないと考えたらしい。深々と頭を下げる。
「出過ぎたことを申しました。年甲斐もなく、頭に血が上っていたようです」
「フン。分かれば良い」
話が決まると、ジークフリートが「余計な手間をかけさせるな」と言わんばかりに鼻を鳴らした。
「いや、ジークフリートよ。そなたがもっと穏当な手段を選んでいれば、ゲーゲンスとて頑なにはならなかったのだぞ?」
「知らんな。これが一番早いと思っただけだ」
苦笑して嗜めるハイクツェルペに、ジークフリートは相変わらずぶっきらぼうに答えた。敬意の欠片もあったものではない。彼にとっては謁見の間も、ギルドの受付カウンターと変わらないようだ。
だが、そんな彼であっても従ってもらわねばならぬ作法が一つだけある。
ハイクツェルペは玉座から立ち上がり、ジークフリートの目前に立つ。立ち上がったハイクツェルペは190センチを超えるジークフリートよりやや低いものの、肩幅も広く中々立派な体格の持ち主。ゆったりした衣装で目立たないが、その下には多忙の合間を縫って鍛えている筋肉が隠されている。
「ジークフリートよ。任務に出る前のこれだけは、余とて譲れぬ」
「ああ……そうか。構わん」
ハイクツェルペの雰囲気が変わった。それを察したジークフリートは、既に目的は達したこともあり、素直に跪いた。恭しく首を垂れたその姿はあたかも忠節溢れる騎士のようで、普段からこうであったなら……というゲーゲンスの嘆きが聞こえてきそうだ。
これから行われるのは、重要な任務に際した任命式のようなものだ。王が代わっても、王宮に仕える者が変わっても、この儀式だけは連綿と受け継がれている。
朗々としたハイクツェルペの声が謁見の間にこだました。王は自らの名と、激励の言葉を。
「ジークフリート・レイワンス。国王ハイクツェルペ・ロードランの名の下、貴殿に魔竜討伐の命を与える。必ずや勝利し、凱歌を響かせるのだ」
「我が剣、グラムに懸けて──王に勝利を、民に平和を、そして国に栄光を」
そして任命される者は自らの得物と、王、民、国への誓いを口にする。王宮に来て最初に教わるのが、この儀式の文言や作法と言っても良い。
宣誓を終えると、ジークフリートはさっさと立ち上がる。そのまま特に何も言うことなく、謁見の間から立ち去って行った。あまりの変わり身の早さに、ゲーゲンスがため息をつく。
「全く。初めてここへ来たときから、あやつの態度、一向に改善が見られませんな……」
「あれでも最低限、余の下した命令は守っておる。強くは言えぬよ。我が道を譲らぬ、生粋の幻導士……と言うのは、流石に聞こえが良すぎるか」
「あまりにも良すぎまする。が、幻導士として有能なのは紛れもない事実。痛し痒しとはこのことでございますなあ……」
一気に元の静けさを取り戻した謁見の間に、再度ゲーゲンスのため息がこぼれた。
テレザ達が帰ってくると、ギルド酒場は騒然としていた。そこここに怪我人が見られ、人々が忙しく往来している。
街並みが破壊されていたりはしないが、何かしら魔竜の影響を受けていることは疑いようがない。そんな中、テレザは見知った顔を見つけて声をかけた。まずは、このギルドが置かれている状況を知りたい。
「フィーナ。久しぶり」
「あっ! テレザさんにシェラさん、オーガスタスさんも! 無事に帰ってこられたんですね。えっと、そちらは……?」
クラレンスに視線を向けたフィーナは、何やら既視感を覚える。誰かに似ている、という引っ掛かりは、彼の名で一気に解消された。
「クラレンス・スオードナイトだ。姉のカミラが、このギルドで世話になっている」
「カミラさんの! 通りで、似てらっしゃるわけですね」
「……」
受付嬢としてカミラを知る、フィーナからも似ていると評されたクラレンス。そんなに似ているか? と聞きたげだったが、今はそれどころではない。テレザはフィーナに現在の状況を問う。
「呼び止めてごめんなさい。ただ事じゃないみたいね」
「いえ、皆さんが戻られて何よりです。現状ですが、魔物や魔獣の数が異常に増えていて、その対応に追われている状況です」
「何ですって?」
「突如として、森から大量の魔物が出没するようになったんです。中には大型の魔獣も混じっていて……森へ近い集落の方には、既にこの街への避難を呼びかけています」
地域住民が危機にさらされている事態に、オーガスタスが色を変える。
「そりゃまずい。すぐに俺達も向かわねえと」
しかしフィーナは、あくまで慎重な意見を述べる。その顔には、自身で戦えないもどかしさが滲んでいた。
「いかにオーガスタスさんでも、今の森では何が起こるか分かりません。皆さんと足並みを合わせて森へ入っていただく方が良いかと思います」
「む……そう、ですか。くそっ、こんなことならもっと早く戻って来れば……!」
歯がゆい思いを隠さないオーガスタスだが、たらればを言っていても仕方がない。テレザが諫める。
「誰も予想できない事態なんだから、仕方ないわ。実際、私達だけが森に入ってもできることには限度がある。何よりほぼ全員病み上がりだし、無理はできないわ」
その通り、テレザとオーガスタスが血剣宴で互いにつけ合った傷も完治はしていない。改めて考えると、四人の中で無傷と言えるのはクラレンスだけだった。ギルドに帰って来たは良いもののできることは多くない。
暗い空気に支配されかけた時、それまで黙っていたシェラが使命感を口にした。
「それでも……私だって、もう体は動きます。何もしないわけにはいきません!」
幻導士と呼ぶにはあまりに華奢で、弱っちいくせに。その目だけは決意に燃えていた。後輩にこうまで言わせて、先輩が落ち込んでいるわけにはいかない。両の頬をパシッと叩き、テレザは気合を入れ直す。
「……そうね。できることから、始めましょう」
一同は改めて、フィーナから現在の方針を聞くことにする。
「ギルドの幻導士総出で、森での捜索・森から出てきた魔物の討伐・休憩をローテーションしつつ、二四時間態勢を敷いています。が……魔物と渡り合えるのは一定以上の実力がある幻導士だけ。負傷者も増え、徐々に人員が不足しはじめています」
「となると、私達もそのローテに組み込んでもらえば動きやすいか」
「はい、そうですね。……現在森に出ているパーティが帰ってきたら、編成を変えましょう」
フィーナが編成を記した表を睨む。しかしその思案は再び開かれた酒場の扉、そして無遠慮に酒場内に踏み込む複数の足音に中断された。
「? どちら様でしょう……」
王国の象徴たる、磨き抜かれた白い壁が支配する謁見の間にて。今まさに王へと報告が届けられている。
「……ふむ、鉄血都市が魔竜に襲撃されたと。そして、棟梁のナガラジャが重傷か」
「はい。伝書によれば、あと一カ月ほどは動けぬ容体。魔竜は鉄血都市を離脱後、王国南部の森林に移動したと思われる、とのことでございます」
「相分かった。魔竜の復活か……ご苦労、下がってよいぞ」
「はっ! 失礼致します」
奏上した騎士を鷹揚な仕草で下がらせ、凶報を受けた国王のハイクツェルペ・ロードランは、まだ蓄えの乏しい口髭を撫でる。王としては若年の彼、少しでも貫禄が出るかと思い生やし始めたのだが……妻と娘からはおおいに不評を買っている。侍女たちの噂話に耳をそば立ててみても、やはり似合ってはいないらしい。
「やはり……」
剃るか。今なら被害も小さく済む……などというハイクツェルペの思考は、側に控えていた老齢の男に筒抜けだったようだ。その男が纏う厚地のローブは、素人が見ても分かるほど強烈な木属性幻素が編みこまれており、襟元には白金級の階級章が燦然と輝いている。含み笑いをすると、口元を覆い隠すほどに立派な髭が重々しく揺れた。
「陛下。国も髭も、一日にしてはならず、でございます。伸び揃えば、不評の声も収まるでしょうや」
「ゲーゲンス。そなたに言われると説得力というか、何と言うかだな」
「ほっほっ。この老骨、伊達に四十年も髭を蓄えておりませぬ。……して、魔竜の話でしたな」
名をゲーゲンス・リジックス。齢八十を超えてなお現役の幻導士として王宮に仕える、国内で知らぬ者などいない実力者である。知恵袋として、何より有事の際の懐刀として、先代の国王からも全幅の信頼を寄せられていた。ハイクツェルペもまた、彼を大いに頼っている。
「うむ。そなたの見解を聞きたい。余としては、今すぐ討伐隊を差し向けたいが、どうだ?」
「魔竜となると、歴史書の中の存在。よって、ギルド所属の幻導士だけでは対処は難しい、と愚考いたします。このゲーゲンスめ、陛下のお考えに異論はございませぬ」
「そうか。ならば急ぎ、討伐隊の陣容を考えねば。先方は戦いの様子も伝えてくれた、少しでも勝率の高い者を――」
ハイクツェルペの言葉の続きは、乱暴に開け放たれた謁見の間の扉に吸い込まれて消える。
「やれやれ……」
ゲーゲンスの顔が曇った。
誰何するまでもない。謁見の間を幾重にも守護する騎士達を突破できる実力を持ち、かつ実行に移す者など、王宮にいる人間にたった一人だ。
案の定、見覚えのある鎧姿がハイクツェルペに向かって歩いてきていた。鋭角なエッジに彩られた漆黒の甲冑を身に纏う長身の男。首には黄金級の階級票がかけられている。薄茶色の瞳は階級票に勝るとも劣らぬ輝きを放ち、黒く小さな瞳孔がその中でカタカタと揺れる。鬣のように逆立った栗色の髪と相まって、激昂した獅子を思わせる風貌だった。
ゲーゲンスが眉間を抑え、乱入者を怒り半分呆れ半分で睨む。
「何用か、ジークフリート。陛下の御前であるぞ、良い加減に礼節を──」
「『何用か』だと? 野暮なことを聞くなゲーゲンス。決まっている、魔竜の件だ」
ジークフリートと呼ばれた男は言葉の後半を遮り、ハイクツェルペの座す玉座に大股で近づいた。ゲーゲンスの雰囲気がいよいよ剣呑になり、流石に玉座へと続く階段で足を止める。しかし男の表情は些かも変わらない。この距離ならばゲーゲンスがどんな攻撃をしてこようと捌ける。そんな自信が見え隠れしていた。
「どこで聞いた?」
礼を極限まで欠いているが、ジークフリートに悪意がないことはハイクツェルペとて分かっている。自儘すぎる振る舞いにも寛容に、ハイクツェルペは聞いた。
「さっき出てきた奴に、直接聞いた。随分と慌てて入っていったから、緊急事態だと思ってな。まさか魔竜とは思わなかったが」
「目ざといことだ。たった今、魔竜の討伐隊の陣容を考えていたところでな」
「良かったじゃないか。おあつらえ向きの奴が志願しに来たぞ」
やはり、魔竜の討伐に参加すると言ってきた。このジークフリート・レイワンスは、王宮に仕える前から大物のみを狩る幻導士として有名だった。各地を放浪し、取り憑かれたように高難度の依頼ばかりを受け続ける姿から『冠位を食む者』と畏れられ、誰1人近づこうとしなかった彼を、ハイクツェルペが是非にと欲しがり声をかけた。
「あんたは俺を雇う時、こう言ったはずだ。『大物の討伐は優先的に回す。だから王宮に仕えろ』と。魔竜が大物じゃないのなら、一体何なんだ?」
「確かに、そう言ったな……」
ジークフリートに凄まれ、ハイクツェルペは少々考える。下手に断り、へそを曲げられてもかなわない。
「良かろう。貴様に討伐隊を任せる。人員も、大した人数は連れて行くまい? 好きに見繕え」
それ以上渋ることなく、すんなり許可を出すハイクツェルペ。そこへゲーゲンスが声を上げる。
「陛下! そんなあっさりと──」
「案ずるな、ゲーゲンスよ。余とて、何も考えず答えているわけではない」
ハイクツェルペは自身の考えを開示し、ゲーゲンスを説得する。木々が生い茂る中での作戦となれば、大人数での行動は難しい。何より人数が増えれば、その分移動も遅くなる。翼を持つ魔竜はいつ飛び立つかも分からない。ならば求められるのは、少数精鋭による速攻だ、と主張した。
「事態は一刻を争う。数多の強敵を単身で仕留めてきたジークフリートこそ、適任ではないか?」
決して安請け合いではない、とハイクツェルペは強調する。ゲーゲンスはそれを受け、反論の余地はないと考えたらしい。深々と頭を下げる。
「出過ぎたことを申しました。年甲斐もなく、頭に血が上っていたようです」
「フン。分かれば良い」
話が決まると、ジークフリートが「余計な手間をかけさせるな」と言わんばかりに鼻を鳴らした。
「いや、ジークフリートよ。そなたがもっと穏当な手段を選んでいれば、ゲーゲンスとて頑なにはならなかったのだぞ?」
「知らんな。これが一番早いと思っただけだ」
苦笑して嗜めるハイクツェルペに、ジークフリートは相変わらずぶっきらぼうに答えた。敬意の欠片もあったものではない。彼にとっては謁見の間も、ギルドの受付カウンターと変わらないようだ。
だが、そんな彼であっても従ってもらわねばならぬ作法が一つだけある。
ハイクツェルペは玉座から立ち上がり、ジークフリートの目前に立つ。立ち上がったハイクツェルペは190センチを超えるジークフリートよりやや低いものの、肩幅も広く中々立派な体格の持ち主。ゆったりした衣装で目立たないが、その下には多忙の合間を縫って鍛えている筋肉が隠されている。
「ジークフリートよ。任務に出る前のこれだけは、余とて譲れぬ」
「ああ……そうか。構わん」
ハイクツェルペの雰囲気が変わった。それを察したジークフリートは、既に目的は達したこともあり、素直に跪いた。恭しく首を垂れたその姿はあたかも忠節溢れる騎士のようで、普段からこうであったなら……というゲーゲンスの嘆きが聞こえてきそうだ。
これから行われるのは、重要な任務に際した任命式のようなものだ。王が代わっても、王宮に仕える者が変わっても、この儀式だけは連綿と受け継がれている。
朗々としたハイクツェルペの声が謁見の間にこだました。王は自らの名と、激励の言葉を。
「ジークフリート・レイワンス。国王ハイクツェルペ・ロードランの名の下、貴殿に魔竜討伐の命を与える。必ずや勝利し、凱歌を響かせるのだ」
「我が剣、グラムに懸けて──王に勝利を、民に平和を、そして国に栄光を」
そして任命される者は自らの得物と、王、民、国への誓いを口にする。王宮に来て最初に教わるのが、この儀式の文言や作法と言っても良い。
宣誓を終えると、ジークフリートはさっさと立ち上がる。そのまま特に何も言うことなく、謁見の間から立ち去って行った。あまりの変わり身の早さに、ゲーゲンスがため息をつく。
「全く。初めてここへ来たときから、あやつの態度、一向に改善が見られませんな……」
「あれでも最低限、余の下した命令は守っておる。強くは言えぬよ。我が道を譲らぬ、生粋の幻導士……と言うのは、流石に聞こえが良すぎるか」
「あまりにも良すぎまする。が、幻導士として有能なのは紛れもない事実。痛し痒しとはこのことでございますなあ……」
一気に元の静けさを取り戻した謁見の間に、再度ゲーゲンスのため息がこぼれた。
テレザ達が帰ってくると、ギルド酒場は騒然としていた。そこここに怪我人が見られ、人々が忙しく往来している。
街並みが破壊されていたりはしないが、何かしら魔竜の影響を受けていることは疑いようがない。そんな中、テレザは見知った顔を見つけて声をかけた。まずは、このギルドが置かれている状況を知りたい。
「フィーナ。久しぶり」
「あっ! テレザさんにシェラさん、オーガスタスさんも! 無事に帰ってこられたんですね。えっと、そちらは……?」
クラレンスに視線を向けたフィーナは、何やら既視感を覚える。誰かに似ている、という引っ掛かりは、彼の名で一気に解消された。
「クラレンス・スオードナイトだ。姉のカミラが、このギルドで世話になっている」
「カミラさんの! 通りで、似てらっしゃるわけですね」
「……」
受付嬢としてカミラを知る、フィーナからも似ていると評されたクラレンス。そんなに似ているか? と聞きたげだったが、今はそれどころではない。テレザはフィーナに現在の状況を問う。
「呼び止めてごめんなさい。ただ事じゃないみたいね」
「いえ、皆さんが戻られて何よりです。現状ですが、魔物や魔獣の数が異常に増えていて、その対応に追われている状況です」
「何ですって?」
「突如として、森から大量の魔物が出没するようになったんです。中には大型の魔獣も混じっていて……森へ近い集落の方には、既にこの街への避難を呼びかけています」
地域住民が危機にさらされている事態に、オーガスタスが色を変える。
「そりゃまずい。すぐに俺達も向かわねえと」
しかしフィーナは、あくまで慎重な意見を述べる。その顔には、自身で戦えないもどかしさが滲んでいた。
「いかにオーガスタスさんでも、今の森では何が起こるか分かりません。皆さんと足並みを合わせて森へ入っていただく方が良いかと思います」
「む……そう、ですか。くそっ、こんなことならもっと早く戻って来れば……!」
歯がゆい思いを隠さないオーガスタスだが、たらればを言っていても仕方がない。テレザが諫める。
「誰も予想できない事態なんだから、仕方ないわ。実際、私達だけが森に入ってもできることには限度がある。何よりほぼ全員病み上がりだし、無理はできないわ」
その通り、テレザとオーガスタスが血剣宴で互いにつけ合った傷も完治はしていない。改めて考えると、四人の中で無傷と言えるのはクラレンスだけだった。ギルドに帰って来たは良いもののできることは多くない。
暗い空気に支配されかけた時、それまで黙っていたシェラが使命感を口にした。
「それでも……私だって、もう体は動きます。何もしないわけにはいきません!」
幻導士と呼ぶにはあまりに華奢で、弱っちいくせに。その目だけは決意に燃えていた。後輩にこうまで言わせて、先輩が落ち込んでいるわけにはいかない。両の頬をパシッと叩き、テレザは気合を入れ直す。
「……そうね。できることから、始めましょう」
一同は改めて、フィーナから現在の方針を聞くことにする。
「ギルドの幻導士総出で、森での捜索・森から出てきた魔物の討伐・休憩をローテーションしつつ、二四時間態勢を敷いています。が……魔物と渡り合えるのは一定以上の実力がある幻導士だけ。負傷者も増え、徐々に人員が不足しはじめています」
「となると、私達もそのローテに組み込んでもらえば動きやすいか」
「はい、そうですね。……現在森に出ているパーティが帰ってきたら、編成を変えましょう」
フィーナが編成を記した表を睨む。しかしその思案は再び開かれた酒場の扉、そして無遠慮に酒場内に踏み込む複数の足音に中断された。
「? どちら様でしょう……」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
真祖竜に転生したけど、怠け者の世界最強種とか性に合わないんで、人間のふりして旅に出ます
難波一
ファンタジー
"『第18回ファンタジー小説大賞【奨励賞】受賞!』"
ブラック企業勤めのサラリーマン、橘隆也(たちばな・りゅうや)、28歳。
社畜生活に疲れ果て、ある日ついに階段から足を滑らせてあっさりゲームオーバー……
……と思いきや、目覚めたらなんと、伝説の存在・“真祖竜”として異世界に転生していた!?
ところがその竜社会、価値観がヤバすぎた。
「努力は未熟の証、夢は竜の尊厳を損なう」
「強者たるもの怠惰であれ」がスローガンの“七大怠惰戒律”を掲げる、まさかのぐうたら最強種族!
「何それ意味わかんない。強く生まれたからこそ、努力してもっと強くなるのが楽しいんじゃん。」
かくして、生まれながらにして世界最強クラスのポテンシャルを持つ幼竜・アルドラクスは、
竜社会の常識をぶっちぎりで踏み倒し、独学で魔法と技術を学び、人間の姿へと変身。
「世界を見たい。自分の力がどこまで通じるか、試してみたい——」
人間のふりをして旅に出た彼は、貴族の令嬢や竜の少女、巨大な犬といった仲間たちと出会い、
やがて“魔王”と呼ばれる世界級の脅威や、世界の秘密に巻き込まれていくことになる。
——これは、“怠惰が美徳”な最強種族に生まれてしまった元社畜が、
「自分らしく、全力で生きる」ことを選んだ物語。
世界を知り、仲間と出会い、規格外の強さで冒険と成長を繰り広げる、
最強幼竜の“成り上がり×異端×ほのぼの冒険ファンタジー”開幕!
※小説家になろう様にも掲載しています。
無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……
タマ マコト
ファンタジー
王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
クラス最底辺の俺、ステータス成長で資産も身長も筋力も伸びて逆転無双
四郎
ファンタジー
クラスで最底辺――。
「笑いもの」として過ごしてきた佐久間陽斗の人生は、ただの屈辱の連続だった。
教室では見下され、存在するだけで嘲笑の対象。
友達もなく、未来への希望もない。
そんな彼が、ある日を境にすべてを変えていく。
突如として芽生えた“成長システム”。
努力を積み重ねるたびに、陽斗のステータスは確実に伸びていく。
筋力、耐久、知力、魅力――そして、普通ならあり得ない「資産」までも。
昨日まで最底辺だったはずの少年が、今日には同級生を超え、やがて街でさえ無視できない存在へと変貌していく。
「なんであいつが……?」
「昨日まで笑いものだったはずだろ!」
周囲の態度は一変し、軽蔑から驚愕へ、やがて羨望と畏怖へ。
陽斗は努力と成長で、己の居場所を切り拓き、誰も予想できなかった逆転劇を現実にしていく。
だが、これはただのサクセスストーリーではない。
嫉妬、裏切り、友情、そして恋愛――。
陽斗の成長は、同級生や教師たちの思惑をも巻き込み、やがて学校という小さな舞台を飛び越え、社会そのものに波紋を広げていく。
「笑われ続けた俺が、全てを変える番だ。」
かつて底辺だった少年が掴むのは、力か、富か、それとも――。
最底辺から始まる、資産も未来も手にする逆転無双ストーリー。
物語は、まだ始まったばかりだ。
俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない
宍戸亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。
不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。
そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。
帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。
そして邂逅する謎の組織。
萌の物語が始まる。
ブラック国家を制裁する方法は、性癖全開のハーレムを作ることでした。
タカハシヨウ
ファンタジー
ヴァン・スナキアはたった一人で世界を圧倒できる強さを誇り、母国ウィルクトリアを守る使命を背負っていた。
しかし国民たちはヴァンの威を借りて他国から財産を搾取し、その金でろくに働かずに暮らしている害悪ばかり。さらにはその歪んだ体制を維持するためにヴァンの魔力を受け継ぐ後継を求め、ヴァンに一夫多妻制まで用意する始末。
ヴァンは国を叩き直すため、あえてヴァンとは子どもを作れない異種族とばかり八人と結婚した。もし後継が生まれなければウィルクトリアは世界中から報復を受けて滅亡するだろう。生き残りたければ心を入れ替えてまともな国になるしかない。
激しく抵抗する国民を圧倒的な力でギャフンと言わせながら、ヴァンは愛する妻たちと甘々イチャイチャ暮らしていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる