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ボーダーラインで生きる
③
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ノックの音がした後、引き戸が開いた。いつのまにか眠っていたことに気づき、桜井は目を開け放つ。
「悪い、起こしたな」
視界にレイの顔が写り込む。マキと松田の会話を思い出し、こう訊ねた。
「大丈夫だ。晩飯は食ったのか?」
「腹がはちきれるくらいにな」
途端にレイはうんざりといった表情になる。
「今後はマキが俺の食事を管理するって言い出してさ、参ったよ」
「食事の管理?」
「なんだ、そっちまで話が回ってるわけじゃなかったのか」
ばつが悪そうにレイは頭を掻いた。
「コウから色々聞いたろ。あの後、しばらく飯が食えなくなって、ここで世話になってたことがあるんだよ」
松田がレイをひどく心配していたのは、こういうことだったのかと納得する。
「大変だったんだな」
安っぽい言葉になってしまったが、何か言わずにはいられなかった。
「あの人だけだよ、いまだに俺らを子供扱いするのは」
そう言って、レイは肩をすくめる。名前を呼ばれないことに文句を言っていたマキも、松田を慕っているのは明らかだった。
「最初に言わなきゃならなかったんだけど、助けてくれて、ありがとな」
話が一段落したところで、桜井は改めてレイと向き合った。
「礼はいらない。おまえを助けたのは、理由があってのことだから」
「けど、上の反対を押し切ってのことなんだろ」
「俺の頼んだ仕事が、まだ終わってねえからだよ」
レイはベッドサイドに置かれた椅子に腰掛け、上着を脱ぎ、ネクタイを緩め、鞄から透明のファイルを取り出した。
「その前に、事件がどういう結末になったか、知りたいだろ」
目を覚ましたときから、気になっていた。医者である松田に聞くのはどうかと思ったし、マキは桜井が目を覚ましたことを心から喜んでいたので、聞ける雰囲気ではなかった。
寝そべったまま、桜井はレイに渡されたファイルを手にし、書類に目を通し始める。
「三人目までの事件が痴情のもつれであったこと、四人目からはイソダショウが仕組んだこと、その辺りは事実と変わりない。後でわかったことだが、イソダは四人目の被害者であるヤマトコウセイの弟と同じ中学だった。その頃イソダはいじめを受けていたらしく、弟も加害者の一人だった。彼らはイソダ本人ではなく、兄を攻撃していたが、ある日ヤマトの弟を殴って謹慎処分を受けている。教師に自分は悪くないと主張したらしいが、兄に諭され、謝罪したようだ」
「ヤマトが切り裂きジャックに心酔していたから利用したわけじゃなく、前々から狙っていたということか?」
「さあな。偶然かそれを知ってのことか、こればかりは、本人に聞いてみないとわからない」
「おまえでも、わからないことがあるんだな」
レイがこんな答えを返してくるとは思わず、桜井は驚いた。
「連続殺人犯の気持ちなんて、わかってたまるかよ。けど、その出来事が影響を及ぼしたことだけは確かだろうな。イソダは兄を唯一の理解者だと言っていた。だからこそ憎かったともな」
「イソダを殺したのは、おまえらなんだよな」
渡された資料は被疑者死亡となっている。イソダの死体検案書のコピーには、死因は急性心停止。原因は、銃器で心臓を貫かれたことによるものになっていた。
「そうだ。他の死体も全てな。表向きは、イソダが暴れて一般人に危害を加えようとしたために射殺したことになっている。他の死体も警視庁に引き渡しはしたが、さすがにそこは伏せたようだな」
イソダの他にも外国人の死体検案書のコピーが添付してあった。彼らはイソダが雇ったボディガードであったことが記されている。
「全て草薙の思惑通りさ。あのオッサン、ボスよりたちが悪いぜ」
レイが言うように、草薙はハナムラをうまく利用して事件を解決したように見える。
「いいのか、俺を生かして」
桜井は改めてレイに問いかけた。
「俺はハナムラの内情を知る人間だぞ」
「だったら、俺達の仲間になるか?」
桜井をまっすぐ見つめ、レイは言った。
「依頼を受けて人を殺す。ほとんどが同情の余地無しの相手だが、標的の家族だからという理由だけでバラすこともある」
桜井は即座に首を横に振った。
「どんな悪人であっても命は平等だ。理不尽に思うことは何度もあったし、心から殺したいと思った被疑者もいたが、裁きは法の下で決めることだと俺は思う」
「甘いな、甘すぎて反吐が出る。本当の地獄を知らないから、そんなことが言えるんだぜ」
レイは、桜井の主張をばっさり切り捨てたが、後にこう言い放った。
「おまえは俺達に関わるべきじゃなかったんだよ、ナオ」
名前で呼ばれるのが恥ずかしかったはずなのに、今はナオと呼ばれることが嫌じゃなくなっていた。
「自分から関わったわけじゃない。命令に従うしかなかっただけだ」
「そうだな、ナオは草薙の部下だもんな。これから一生飼い慣らされるぜ。そういう意味では俺らと同じか」
そう言って、レイは表情を緩める。
松田にも言われたが、桜井は草薙の部下というわけではない。警察組織と関係ない彼らだから言い返しはしなかったが、桜井の直属の上司は、捜査一課の高梨になるのだから。
そうこうするうちに、ノックも無しに引き戸が開いた。
「あ、いたいた、レイ、ドクターが呼んでるよぉ」
勝手知ったるでやってきたのは、マキである。
「もう飯は食えねえぞ」
「食後のデザートがあるって」
「まだ食わせるのかよ」
途端にレイはげんなりした。
「甘い物は別腹って言うじゃん」
「勘弁してくれ、これ以上食ったら吐くぞ。つーか、まだ話の途中で」
「そういうことは、直接ドクターに言って。ナオ、また後でね」
マキは嫌がるレイを引っ張って、病室を出て行った。
その後、レイは桜井の病室に顔を出すことはなく、彼が桜井に頼んだ仕事がなんだったかということは、有耶無耶にされてしまった。
「悪い、起こしたな」
視界にレイの顔が写り込む。マキと松田の会話を思い出し、こう訊ねた。
「大丈夫だ。晩飯は食ったのか?」
「腹がはちきれるくらいにな」
途端にレイはうんざりといった表情になる。
「今後はマキが俺の食事を管理するって言い出してさ、参ったよ」
「食事の管理?」
「なんだ、そっちまで話が回ってるわけじゃなかったのか」
ばつが悪そうにレイは頭を掻いた。
「コウから色々聞いたろ。あの後、しばらく飯が食えなくなって、ここで世話になってたことがあるんだよ」
松田がレイをひどく心配していたのは、こういうことだったのかと納得する。
「大変だったんだな」
安っぽい言葉になってしまったが、何か言わずにはいられなかった。
「あの人だけだよ、いまだに俺らを子供扱いするのは」
そう言って、レイは肩をすくめる。名前を呼ばれないことに文句を言っていたマキも、松田を慕っているのは明らかだった。
「最初に言わなきゃならなかったんだけど、助けてくれて、ありがとな」
話が一段落したところで、桜井は改めてレイと向き合った。
「礼はいらない。おまえを助けたのは、理由があってのことだから」
「けど、上の反対を押し切ってのことなんだろ」
「俺の頼んだ仕事が、まだ終わってねえからだよ」
レイはベッドサイドに置かれた椅子に腰掛け、上着を脱ぎ、ネクタイを緩め、鞄から透明のファイルを取り出した。
「その前に、事件がどういう結末になったか、知りたいだろ」
目を覚ましたときから、気になっていた。医者である松田に聞くのはどうかと思ったし、マキは桜井が目を覚ましたことを心から喜んでいたので、聞ける雰囲気ではなかった。
寝そべったまま、桜井はレイに渡されたファイルを手にし、書類に目を通し始める。
「三人目までの事件が痴情のもつれであったこと、四人目からはイソダショウが仕組んだこと、その辺りは事実と変わりない。後でわかったことだが、イソダは四人目の被害者であるヤマトコウセイの弟と同じ中学だった。その頃イソダはいじめを受けていたらしく、弟も加害者の一人だった。彼らはイソダ本人ではなく、兄を攻撃していたが、ある日ヤマトの弟を殴って謹慎処分を受けている。教師に自分は悪くないと主張したらしいが、兄に諭され、謝罪したようだ」
「ヤマトが切り裂きジャックに心酔していたから利用したわけじゃなく、前々から狙っていたということか?」
「さあな。偶然かそれを知ってのことか、こればかりは、本人に聞いてみないとわからない」
「おまえでも、わからないことがあるんだな」
レイがこんな答えを返してくるとは思わず、桜井は驚いた。
「連続殺人犯の気持ちなんて、わかってたまるかよ。けど、その出来事が影響を及ぼしたことだけは確かだろうな。イソダは兄を唯一の理解者だと言っていた。だからこそ憎かったともな」
「イソダを殺したのは、おまえらなんだよな」
渡された資料は被疑者死亡となっている。イソダの死体検案書のコピーには、死因は急性心停止。原因は、銃器で心臓を貫かれたことによるものになっていた。
「そうだ。他の死体も全てな。表向きは、イソダが暴れて一般人に危害を加えようとしたために射殺したことになっている。他の死体も警視庁に引き渡しはしたが、さすがにそこは伏せたようだな」
イソダの他にも外国人の死体検案書のコピーが添付してあった。彼らはイソダが雇ったボディガードであったことが記されている。
「全て草薙の思惑通りさ。あのオッサン、ボスよりたちが悪いぜ」
レイが言うように、草薙はハナムラをうまく利用して事件を解決したように見える。
「いいのか、俺を生かして」
桜井は改めてレイに問いかけた。
「俺はハナムラの内情を知る人間だぞ」
「だったら、俺達の仲間になるか?」
桜井をまっすぐ見つめ、レイは言った。
「依頼を受けて人を殺す。ほとんどが同情の余地無しの相手だが、標的の家族だからという理由だけでバラすこともある」
桜井は即座に首を横に振った。
「どんな悪人であっても命は平等だ。理不尽に思うことは何度もあったし、心から殺したいと思った被疑者もいたが、裁きは法の下で決めることだと俺は思う」
「甘いな、甘すぎて反吐が出る。本当の地獄を知らないから、そんなことが言えるんだぜ」
レイは、桜井の主張をばっさり切り捨てたが、後にこう言い放った。
「おまえは俺達に関わるべきじゃなかったんだよ、ナオ」
名前で呼ばれるのが恥ずかしかったはずなのに、今はナオと呼ばれることが嫌じゃなくなっていた。
「自分から関わったわけじゃない。命令に従うしかなかっただけだ」
「そうだな、ナオは草薙の部下だもんな。これから一生飼い慣らされるぜ。そういう意味では俺らと同じか」
そう言って、レイは表情を緩める。
松田にも言われたが、桜井は草薙の部下というわけではない。警察組織と関係ない彼らだから言い返しはしなかったが、桜井の直属の上司は、捜査一課の高梨になるのだから。
そうこうするうちに、ノックも無しに引き戸が開いた。
「あ、いたいた、レイ、ドクターが呼んでるよぉ」
勝手知ったるでやってきたのは、マキである。
「もう飯は食えねえぞ」
「食後のデザートがあるって」
「まだ食わせるのかよ」
途端にレイはげんなりした。
「甘い物は別腹って言うじゃん」
「勘弁してくれ、これ以上食ったら吐くぞ。つーか、まだ話の途中で」
「そういうことは、直接ドクターに言って。ナオ、また後でね」
マキは嫌がるレイを引っ張って、病室を出て行った。
その後、レイは桜井の病室に顔を出すことはなく、彼が桜井に頼んだ仕事がなんだったかということは、有耶無耶にされてしまった。
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