幸い(さきはひ)

白木 春織

文字の大きさ
8 / 131
第一章

第七話

しおりを挟む
――それでも・・・・。

「お父さん、私のことを深く想ってくださり、ありがとうございます」

 椅子の肘掛けをしかと握りしめた父のしわの多くなった拳を、千鶴は両の手で柔らかに包み込む。

 その手の温かさに西野ははっとさせられる。

――いつぶりに千鶴に手を握られただろう。

 幼い頃の千鶴は手袋をしていても手が冷たく、よく自分がその上から手を握り、温めていた。

 しかし今、老いて冷たくなるばかりの自身の手は、千鶴の体温で温められている。

 西野は刻の過ぎゆくことの早さに気づかされる。

「それならなおのこと、私はその方の元へ行きたいと思います。

 南山様が私にご子息のことをお話になった時、いつくしむような話し方に、お子様をとても大事に想っていらっしゃることが伝わってきました。

 そのように誰かに心の底から大切に想われている方を、知っておいて放っておくだなんてできません」

 千鶴は父の手をしっかりと握って座り込み、下を向く父親に目を合わるように見上げた。

 そのき通った瞳は、昔、今と同じように西野の反対を押し切って、看護婦養成所に行きたいと告げられた時と同じ、自分の意志をどこまでも貫くまっすぐなもの。

 この目を見れば、何を言っても決心が揺らがないことを父として、医者として西野は知っている。

 そこにはもう、自分が守ってあげなければならない幼い娘の姿はかけらもないのだ。

 すでに自分がこれからどう生きていくか、千鶴は自分自身で決めている。

 大人になった子どもの意志に、父親が干渉かんしょうすることは許されない。
本来なら、千鶴は自分の制止を振り切ってどこへでも行くことができる、

 けれど、父である西野の心を思いやって千鶴は許可を得ようとしているのだ。

 それは思いやりであり、とても残酷ざんこくなこと。

 それでも、父も娘を思いやり、背中を押してやらなければならない。

 西野がふっと顔を上げた視線の先に、額に飾られた色あせた雛菊ひなぎくしおりが目に入る。

 昔、友人に貰った大切な宝もの。

――花の言葉は希望だったろうか・・・。

 千鶴は自分とは違い、未来に望みをかけているのだ。

「わかった」

 西野はのどから絞り出した声で告げると、千鶴の手を一度強く握り返し、ゆっくりとその手を離した。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

冷徹公爵の誤解された花嫁

柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。 冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。 一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

届かぬ温もり

HARUKA
恋愛
夫には忘れられない人がいた。それを知りながら、私は彼のそばにいたかった。愛することで自分を捨て、夫の隣にいることを選んだ私。だけど、その恋に答えはなかった。すべてを失いかけた私が選んだのは、彼から離れ、自分自身の人生を取り戻す道だった····· ◆◇◆◇◆◇◆ 読んでくださり感謝いたします。 すべてフィクションです。不快に思われた方は読むのを止めて下さい。 ゆっくり更新していきます。 誤字脱字も見つけ次第直していきます。 よろしくお願いします。

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

処理中です...