幸い(さきはひ)

白木 春織

文字の大きさ
44 / 131
第五章

幕間 

しおりを挟む
 カララ、パタン、ふぅ。
 
 男は愛の告白を終え、スマートに何事もなかったように、その家の扉を閉めた。

 …ように思わせた。
 男にとっては、一世一代の告白。緊張しないはずがない。
 
 足から、肩からこわばっていた力が、抜けていく。

 抜けた力の行き先は口。なんとも間の抜けた息がれ出た。
  
 彼女は自分の告白に戸惑っていたなと中路は思う。
 
——でも、決してそれをしなければよかったなどとは思わない。

 むしろ気持ちを伝えれてよかった。

 でないと、彼女は自分を意識してくれないだろう。

 中路が、想い人である千鶴とともに過ごした時間は、一年に満たない。

——出会った当時、彼女は女学生だった。

 実家の病院を継ぐにあたり、参考になるだろうと思い、働いた下町の小さな診療所。

 そこは中路の理想とする地域医療そのものだった。

 貴賤きせん関係なく、病あるものを助け、その予防にもあたる。医者と患者の信頼関係も密に築かれていた。

 そして、その一端を担っていたのが、敬愛する医者の娘。
 
 彼女は父を手伝い、診療所の掃除をしたり、待合室にいて、患者の雑談に付き合ったりしていた。
 
 若い娘にとって、ほかに優先したいことはあるだろうに、彼女は時間のある時はいつも診療所にいた。

 お年寄りの手を握り、柔らかに微笑みながら聞き入る様は、中路の目には、光輝いて見えて、幼き日に実家の病院の礼拝堂で見た聖母マリアのようでもあった。

 その診療所で、中路は医に携わるものとしての在り方をみた気がした。

 中路もそうあろうと努力し、千鶴ともある程度の信頼関係を築いていった。そんなとき、彼女から相談を受けた。

 看護婦になりたいと。

 中路は、相談の先に自分がいたことが誇らしかった。

 一もニもなく応援した。

 看護衣をきて、自分の隣に並ぶ彼女を想像したのはここだけの秘密。

 彼女は満面の笑みを浮かべ、お礼を言ってくれた。憧れていた微笑みが自分一人に向いた。

 中路が恋に落ちた瞬間だった。

 その後、千鶴は看護婦になるための勉強をはじめ、合格すると養成所の寮に入った。

 中路も研鑽けんさんを積むため、診療所を離れた。

 しかし、未来の、白衣をまとう彼女の姿を忘れた日はなかった。

———

 そして、自分の思い描いた通りの彼女と再会し、 

「なかみちさん」

 そう言われて、聖母、いや天使のような笑みを向けられれば、やはり恋に落ちざるを得ない。

 たが、素晴らしい看護婦となっていた彼女の前で、みっともない姿をさらせない。
 
——自分も成長した姿を見せなければならない。
 
 いや、そんな下心なしに、看護婦になりたい、そう信頼されて打ち明けられた、人として、医者として、中路も患者に向き合わないとなければならなかった。

 だからこそ、中路は最大限の努力をして桐秋と、桜病にむき合った。

——そんな折、実家の父から連絡が入る。

 そろそろ家に帰ってきてほしい。

 いつも壮健な父の弱い言葉だった。
 
 父は年の初め、病にかかっていた。ただの風邪だったが、その風邪にさえ、父はかかったことがなく、気持ち的に落ち込んでいた。

 老いが父にも降りかかってきたのだ。

 しかし、一人の男にとって、その知らせも、何かの天啓てんけいかと思った。

 これを逃せば機会はないと。
 
 それが今日の告白に至るまでのこと。

 四半刻もない私的な時間、千鶴に自身の想いを告げた。

 彼女は驚いた様子だった。

 でも、目を逸らさなかった。

 しかと、自分の想いを受けとめてくれた。

——彼女はどんな答えを出すだろう…。

 彼は、一つまぶたをとじて、想い人の天使のような姿をうかべる。

———。

——ゆっくりと瞳を開いた時には、もう一人の医者の顔に戻っていた。

 彼は、夏の強い日差しを正面から浴びながら、前に歩みを進めた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

冷徹公爵の誤解された花嫁

柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。 冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。 一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

届かぬ温もり

HARUKA
恋愛
夫には忘れられない人がいた。それを知りながら、私は彼のそばにいたかった。愛することで自分を捨て、夫の隣にいることを選んだ私。だけど、その恋に答えはなかった。すべてを失いかけた私が選んだのは、彼から離れ、自分自身の人生を取り戻す道だった····· ◆◇◆◇◆◇◆ 読んでくださり感謝いたします。 すべてフィクションです。不快に思われた方は読むのを止めて下さい。 ゆっくり更新していきます。 誤字脱字も見つけ次第直していきます。 よろしくお願いします。

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

処理中です...