幸い(さきはひ)

白木 春織

文字の大きさ
上 下
56 / 131
第六章

第六話

しおりを挟む
「好きです。

 私も桐秋様のことが好きです。

 この身から出る感情をなんと言い表していいのかわかりません。
 
 気がれんほどに、熱くて、苦しくて、切ない。

 それらを一言ひとことで表すすべを私は、私の中に持ち合わせておりません。

 それでも、桐秋様を“好き”という想いは根本こんぽんにあって、揺るがないのです。

 桐秋様がこの世界からいなくなってしまうことがとても恐ろしいのです。

 他の誰にも感じたことのないほど大きい、失う恐怖。

 これを愛というなら、私は桐秋様を・・・」

『『愛している』』

 そこからの言葉は千鶴ひとりに言わせまいと、桐秋も言葉を合わせる。

 その行為に、千鶴はますます童子どうじのように顔をゆがませ、泣き始める。

 こらえようとするが、この世でもっとも清らかな流れは止まず、口はへの字に曲がっている。

 千鶴の感情のれでた様に、桐秋は胸をかきむしるような激情をおさてえきれず、彼女をふところへ抱き入れた。

 千鶴も抵抗ていこうせず、桐秋の胸にすがりつき、はち切れんばかりの感情を爆発させる。

 望陀ぼうだの美しいたまが落とされる。

 思いも掛けない告白に千鶴は戸惑とまどっただろう。

 それでも、桐秋の想いを受け入れ、さらには自身の想いを精一杯、桐秋に告げてくれた。

 嗚咽おえつ交じりに桐秋の胸に顔を埋める千鶴を、桐秋は一層いっそう懐深く抱きいれる。

 落ち着かせるように、なだらかな背骨せぼね沿って、千鶴の背を優しく撫でる。

——想いが重なったとはいえ、現実はつらいものだ。
 
 桐秋の病気は治療手段ちりょうしゅだんがなく、直接ふれて愛し合うことさえ叶わない。

 けれども、今は想いが重なったことを喜ぶ。

 布越ぬのしでも、お互いの生きている体温たいおんを感じることができる。

 なめらかなきぬへだてても、互いの鼓動《こどう》の音を感じることはできるのだ。

 恋の深みをいまだ知らぬえ出たばかりの恋人達は、薄い境界線きょうかいせん越しにふれあうことで生まれる、ささやかな喜びをひしとかみしめながら、しばし幸福の時を過ごすのだった。 
しおりを挟む

処理中です...