幸い(さきはひ)

白木 春織

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第十章

第十三話

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 西野は南山に目線をやる。

 南山は言葉を発するため、手をつけていなかったテーブルの茶を少しむせて、それでも無理に飲み込んだ。

 この状況なら毒でも仕込まれてもおかしくはなかったが、幸いそれは極めて苦いだけの普通の緑茶だった。

「驚いた。

 馬で生成する抗毒素血清の副作用について話した後、では人ではどうかと尋ねてきたのだから」 


――私は幼少期に桜病に罹り、それを克服しています。

 ですから、桐秋様の桜病に対する抗体をもっているかもしれません。

 どうか私の血から血清を抽出していただけませんでしょうか。


「人間かんの体液の譲渡だから副作用の可能性も少ないはずだと訴えてきた。

 私はすべてを超越ちょうえつした彼女の発言に、何をいっているのか、はじめ理解できなかった。

 だが、言葉の意味を少しずつ咀嚼そしゃくするうちに、桐秋の病状に焦る私の頭は、彼女の提案が今の桐秋にできる最良の治療ではないかと思えた。

 浅ましくも私は、彼女に冷静になれと諭しておきながら、目処の立たぬ馬の血よりも、目先のうら若き乙女の血を欲したのだ」

 南山の声にこみ上げるものが滲む。

「皮肉でしょう。

 自分が殺した人の娘が、自分の妻を殺した病のもととなった娘が、自分の息子の命を救おうとしている」

 何の戯曲ぎきょくだろうかと。

「でも疑わないでほしいのは、あの子が貴方の息子さんを救おうとしたのは、今まで話してきた後ろ暗い背景はまったく関係ありません。

 ただそこにあったのは、あの子が純粋に真っすぐに桐秋様を想う心だけ。

 幼い頃からずっと慕い続けてきた初恋の人を救いたいという澄んだ気持ちだけ。

 私たちのこんなどす黒い感情など、微塵みじんもないのです。ただただあの子が桐秋様を救いたいと願った心は、この上なく真っ白な想いで満ちている」

 そういって、一つ西野は涙をこぼす。

 南山は最後に問う。

「その子は今どこに」

 西野は夕暮れを表す影が半分落ちた壁に目をうつす。

 そこに飾られているのは一枚の色あせた雛菊の栞。

 それは親友がささやかに上げた結婚式の返礼品。

 結婚式の夜、深酒の勢いで告げられたのろけ話。

 妻の故郷には変わらぬ友情を謳った詩があるのだと。

 そこに出てくる花が雛菊なのだと。

 嬉しそうに語り、自分にそれを渡してきた。

 そして、自分たちは変わらぬ友情を杯に交わし合った。

 遠い遠い日の友情を思う。

 その親友が最期に残した大切な宝もの・・・。



「娘は成人期の桜病を発症しました。もうここにはいません」


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