紅の牡丹は今宵も散る

ルータ・ラクリマ

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第二話 抱かれる理由

抱かれる理由

 駅から乗り換えたバスに揺られ、目的地に着いたのは家を出てから一時間後のことだった。

「城田病院」と書かれた門をくぐり、中に入ると案外沢山の人がいた。
 エレベーターで三階に昇り、迷うことなく目的の病室の前にたどり着く。一応名前を確認し、見慣れた名前があることになんとなくほっとする。

 四人部屋の病室には、二人はトイレかどこかにいるのかベッドにはいなかった。

 一番奥のベッドに、その人はいた。

「母さん」
 呼びかけると、半身を起こして本を読んでいたその人はゆっくりとこちらを向いた。一つに束ねていた長い黒髪が揺れる。

「圭司」
 僕の名前を口にした母さんは、目を細めて笑った。

「どう? 具合は」
 僕はベッドの傍に置いてあった丸椅子に腰掛けるとそう問うた。

「今日は調子いいわ」
「そうか、良かった」
 言いつつ、僕はベッド脇に置いてある小さな机の上の、白い花瓶に目を向けた。花瓶には中に何も入っておらず、前回僕が来た時に入れた花の跡も見当たらない。

「あぁそれね。枯れてしまったから看護師さんが片付けてくれたの」
 せっかく持ってきてくれた物だったのにごめんね、と呟く。

「気にしなくていいよ。ほら、また持ってきたから」
 そう言って手にしていた牡丹の花を見せる。その花をベッドの上に置き、花瓶を手にして立ち上がり共同の洗面台の蛇口を捻る。

「そんなに毎回買ってこなくてもいいのに。少しは貯金してるの?」
「してるよ」
 水が花瓶の半分を満たした辺りで僕は蛇口を締めた。花瓶を元の机の上に戻し、ベッドの上の花を再び手にする。

「仕事はどう? 上手くやれてる?」
 母さんがその一言を口にしたのは、花を包んでいたセロハンを剥がしているときだった。思わず止まりそうになった手をなんとか動かして、僕はあぁ、と頷いた。

「それなりにね」
 剥がしたセロハンをゴミ箱に入れ、剥き出しになった茎を軽く握り締めた。

「そう」
 幸いにも母さんはそれ以上追及してこなかった。

「圭司」
「うん?」
 一本ずつ丁寧に花瓶に花を挿していた僕を母さんが呼ぶ。

「せっかくの休みなのにいいの?」
 その言葉を聞くのは初めてじゃない。僕は何度も返してきた答えを口にする。

「大丈夫だよ」
 上手くできたか分からない笑みを母さんに向ける。
 五本目まで入れたところで花瓶の中は一杯になってしまった。やっぱり六本は多かったかな。

「圭司」
 最後の一本を無理やり押し込んでいる僕に母さんは再度僕の名を口にした。

「何?」
「圭司の会社にも転勤とかあるんじゃない?」
「まぁ箱根とか、あとあちこちにも支店があるから」
「もし……異動が決まったら行っておいでね」

「……っ」
 僕は息を呑んだ。

 母さんは気付いているのだろうか。

 動揺を悟られないように必死に手を動かす。

 最後の一本を無理矢理捻じ込むように入れ、僕は口を開いた。
「母さんをほっといて行けるわけないでしょ」
 口元を歪ませただけの僕の笑みは、きっと最後の一本を花瓶に活けるときよりも無理矢理なものだっただろう。それを悟られないようにうつむいていたから母さんがどんな表情をしているかは分からなかった。

「ほら、出来たよ」
 机の上の花が見えるように体をどけると、母さんは嬉しそうに笑った。
「綺麗ねぇ」
 無理矢理に押し込んだ牡丹の花に視線を送りながら、母さんは再び口を開いた。

「ねぇ、圭司」
「ん?」
「牡丹の花言葉は『恥じらい』よ。どんなに仕事が忙しくて大変でも恥じらいと誇りを忘れずにね……」
「うん……」

 母さんをみると普段と変わらない表情をしていた。

 恥じらい……か。

 母さんの言葉を反芻して僕は心の中で溜息をついた。そして、ここ数ヶ月の自分を思い返す。
 母さんがどんな意図で言ったのかは分からない。分からないけど多分気付いていないはずだ。
 このままでいいのか、と言われれば当然良いはずはない。だけど、僕には他に方法がないんだ。

 今、異動するわけにはいかない。

 牡丹の花を嬉しそうに眺める母さんを見て、両手の拳を握り締める。その瞬間ポケットに入れたスマホが短く震えて、俺は拳を解いた。

「ちょっとごめん」
 母さんに一言謝って、僕はスマホを取り出した。
 震えていた時間は短かったから、メッセージアプリだということは分かっていた。

 なんとなく嫌な予感がして、アプリを開くとやっぱり考えていた通りの人物の名前が一番上に来ていた。相手の名前が「桜井主任」と書かれたメッセージを開き、中身を確認する。

『今日、いつもの場所で』

 絵文字も何もなく、それだけしか書かれていない簡素なメッセージ。いつも呼び出すときはこの文面だった。
 この、たった一文の文章が、何故だかいつも重い。

「どうしたの?」
 心配そうに見つめる母さんに、僕は笑みを向けた。

「何でもないよ。仕事の申し送り」
 言いつつ、スマホをポケットに戻す。

「じゃ、ごめん。そろそろ帰るよ。また来るから」
「うん。……圭司」
 椅子から立ち上がり背中を向けた僕を母さんが呼び止め、僕は振り返った。

「無理しないでね」
 僕はしばし間無言で母さんを見つめた。いつもは帰るから、と伝えてそのまま病室を後にするからか、その一言が身に染みた。

「ありがとう」

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