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二章
13b
しおりを挟む一日の疲労により死んだ顔で、空になったビールジョッキを静かに見下ろす。
レトロな雰囲気の店内。壁には手作り感溢れるメニューが貼られてる。照明は昔の電球だろうか。心地良い橙色の光が天井から広がる。畳の上には座布団が敷いてあり、その上に適当に座る形で、客たちはテーブルを囲んでいた。
店内のBGMを掻き消すような笑い声が沸き起こったとき、店の隅に座っていた俺の肩をトントンと叩く手があった。
「真山さん」
「うっ、うん?」
「次。何飲みます?」
パッと顔を上げれば、首を傾げた犬飼がこちらを見ていた。
「あっ、ああ……ハイボールを……」
「了解です。あ、すみません」
慣れた様子で店員を呼び止め、注文する犬飼。ふわりと鼻腔をくすぐるのは石鹸のような清潔感のある香りだ。
「…悪い。主役に注文させちまって」
「いえ。俺がしたいだけなんで」
さらりとそう返される。そして流れるように横に腰を下ろし、身を寄せてきた。
「……」
ちょっと近すぎる気がする。さりげなく距離を取るため僅かに尻をスライドさせる。
「……飲んでます?」
「の、飲んでる飲んでる」
しかし少し離れると寄ってくる犬飼。この男はどうしても空間を作りたくないらしい。「顔赤くないですね」とジッと見つめられて、「そ、そう?」とギクシャクと返す。
今日は、犬飼の昇格祝いの集まりだ。うちの営業所は総務部員も含めて20人弱のメンバーで構成されてる。こういう任意参加の会は、主役の人望が参加割合に影響されるが、さすが社内のアイドル。営業所メンバー全員参加はもちろん、他エリアの営業所メンバーも参加するという参加率100%超えの会になっている。俺のときは―……いや…自分で自分の心を傷つけるのは止めよう。
一次会はエスニック料理の小洒落たレストランで、二次会はこの居酒屋だ。
皿に余った枝豆をちまちまと口に運ぶ。
「…改めて昇格おめでと。まあ、犬飼の成績なら当然の結果か」
「ですね。さっさと真山さんより偉くなって、職権濫用するつもりです」
「……何する気だよ…………」
アルコールのせいか、頭がふわふわする。犬飼も酔ってるのか、黒眼が熱っぽく揺れてる。隣にぴったりとくっつく体温を感じながら、ハイボールを呷った。
「…てか、俺なんかと話してないで、他の人のところ行ってこいよ。みんな、犬飼と喋りたそうにしてるぞ」
「一軒目で十分話しましたよ。俺は真山さんと居たいんです」
「……」
「迷惑ですか?」
「…………め、迷惑じゃないけど」
二次会は座席が決まっておらず、皆自由に行き来してる。俺を除いて、幾つかの島が形成されていた。その島のどれかに参加すればいいものを。迷惑ってわけじゃないが、先日の一件を思い出すと、少し距離を置いたほうがいいのではないか、という気持ちが湧く。
「真山さんの傍って落ち着くんです。小動物と戯れてる気持ちになるというか」
「……馬鹿にしてるよな?」
「褒めてます」
するとヴ…ヴ…と振動音が微かに聞こえる。
「…犬飼、携帯鳴ってる?」
「はぁ、…弟です。特殊プレイに付き合わされるだけなんで放っておいていいです」
「特殊……ぷれい……?」
聞き馴染みのない言葉に首を傾げると、ぐいっと顔が接近する。
「見ますか?真山さんには刺激が強いかも」
「…は……?」
犬飼は少し疲れた様子で人差し指と親指で目頭のあたりを押さえてから、通話開始のアイコンを押した。俺はグラスに口をつけて、携帯画面を横目で見下ろす。
《兄ちゃん?やっと繋がった~!》
「ッ……!?」
パッとビデオ電話に切り替わったとき、口に含んだハイボールをゲホッと喉に詰まらせた。そのままゴホゴホと咳き込み、おしぼりで口を抑える。
画面には見覚えのある少年が写っていた。
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