【完結済み】深く昏い森の中、垣根の向こうの匣庭で

兔世夜美(トヨヤミ)

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第九話 君が好き

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 しんしん、と雪が降る。
 淡い花びらのように空から降り注いで、地上を覆い隠していく。
 音もなく、静かに、ひっそりと。
 それは密かに削れて、欠けていく月のように。
 こぼれていく砂時計の砂のように。

 ───彼の、命のように。

 ぱちぱちと、暖炉で火が燃える。
 リビングにはそれ以外、なんの音もない。
 窓のそばに佇んで、レンドーサはソファに座ったフィンの横顔を見つめた。
 今朝、会ったときにはフィンはいつものように微笑んで「おはようございます」と挨拶した。
 なにも変わらない平穏な日々の続きのように。
 笑い返すことも出来なくて、離れることも出来なくて、ただ胸が塞がるような思いでいっぱいになる。
 暖炉で燃える木のように、そうやって燃え尽きて消えるのか。
 炎を灯して、やがて溶けて尽きる蝋燭のように。
「…なあ」
 ぽつり、とこぼした声は存外室内によく響いた。
「はい?」
 フィンはいつものようにやわらかく微笑んでこちらを見上げる。
「…………寿命、わかんの?」
 たったそれだけ尋ねるのに、どれだけの勇気が必要だっただろう。
「いえ、自分では…。
 ただ、レンドフルール家の今までの“呪憑き”は皆、約十年ほどで死にました。
 もうそろそろだというのは、確かです」
 フィンはまるで何気ない日常の風景のように答える。
 空を見上げて「雪ですね」と告げるように、些細なことのように。
「…ねえの」
「え?」
「…未練は、ねえのか」
「…………そう言われましても、…呪いを継承した時点で自分の余命はわかっていましたから」
 今更ですよ、とフィンは笑うのだ。
 もうなにもかも手遅れだと言うように。

『来てくれるなら、助けに来てくれるなら。
 …十年前に、あのときに。
 来てくれたのがきみだったなら、…きっと私は喜んですがったのに』

 ああ、だからああ言ったのか。
 十年前でなければ、意味がなかったと。
 呪いを継承する前でなければ、意味がなかったと。
「だから、最期にきみに会えて、楽しい時間を過ごせました。
 私は幸運です」
「…っ」
 今際の際のような台詞を、どこまでもやさしい微笑を浮かべて告げるから堪えきれなくなって大股で近寄り、その胸ぐらを掴んだ。
「本気で言ってんのか」
 普通の人間ならすくみ上がるようなおそろしい形相で凄んでも、フィンは表情すら変えない。
 その端正な顔に浮かぶのは、凍り付いた水面のように無感情な色だ。
「幸運だって、本気で言ってんのかよあんた。
 勝手に呪い継がされて、あと少しで死ぬって、そんな理不尽な目に遭ってなんでそんなことが言える!」
「だから、今更なんですよ」
 吐いた怒声は、いっそ悲痛な泣き声のように響いた。
 なのにフィンの声はどこまでもおだやかだ。
 風のない夜のように、空に佇む月のように、ただそこにある事実を告げる。
「十年前でなければ、なんの意味もない。
 もう、手遅れですから」
「…っ」
 ぎゅう、と胸ぐらを掴む手に力を込めても、片腕を振り上げることも出来ない。
 殴りたいのは、きっと運命か、居もしない神か。
 間に合わなかった、自分自身なのか。
 手を離してすぐに、持ち上げた腕できつく抱きすくめた。
 フィンはなにもかもをただ享受する。
 踏みつけられて、汚されても、ただ受け入れてそこにある白い雪のように、静かに。
 手のひらからこぼれ落ちるやわらかな髪が、砂時計の砂のように思えた。
 終わりがわかっていたから、すべて受け入れたのか?
 自分のことも、なにも。
 もう、なにも動かないから、手遅れだから。
 こうして抱きしめてあたためても、なにもかも無意味だというのか。



「なあ、ファンティア。
 教えろよ」
 その日の昼過ぎ、レンドーサはまたファンティアの泊まっている宿屋の一室に足を運んだ。
 訪れるなり険しい顔をしてそう言ったレンドーサを、ファンティアはなにもかも察していたように椅子に腰掛けたまま迎えた。
「“呪憑き”の呪いの解き方。
 あるなら教えろよ。
 オレたちだって悪魔だ。
 方法があるんじゃねえのか」
 ひどく必死に、切羽詰まったように、打ちひしがれたように訴えたレンドーサにファンティアは手に持っていた本を閉じ、嘆息を吐いた。
「…そこまで彼を愛したか」
「いいから、教えろよ。
 おまえなら知ってんだろ。
 なあ!?」
 ファンティアは高位の悪魔だ。
 並の悪魔なら束になっても敵わないほどの、人間の手では決してどうにも出来ないような、おそろしい。
 そのファンティアなら、知っているんじゃないか。
 なにか、なにかを。
 そう、わらにもすがる思いで問い詰めた。
「…レンドーサ。
“呪憑き”の呪いはほかの悪魔の呪いとはわけが違うぞ」
 ファンティアは本を近くのテーブルの上に置くと、真っ直ぐレンドーサを見上げて足を組んだ。
「通常、悪魔の呪いは人間や動物の命を代償に捧げて行使されるものだ。
 だが“呪憑き”の呪いは人間たちに殺され喰らわれた悪魔自身が己の命を代償に、血肉を喰った者の血族すべてにかけた命がけの呪い──いや、祟りだ。
 言わば“呪憑き”の呪いは、悪魔からの報いだ。
 同じ悪魔であっても、容易に解けるものではない」
「…っでも、おまえなら…!」
「“呪憑き”の呪いを解くことは、オレですら困難だよ」
 はっきりと断言したファンティアに、レンドーサの表情が絶望に歪んだ。
「レンドーサ。
 呪いは解けない。
 ───死ぬまで、決して」

「悪魔の呪いというのはそういうものだ」

 それを、悪魔であるおまえが知らないはずがない。
 そう、残酷な宣告を落とす。
 罪人に振り下ろす罪過の鎌のように。死神が振るう死の刃のように。
 一縷の望みも、光も絶つように。



 ずる、と足を引きずるように教会に戻ってきて、それでもまだなにかにすがろうとしている。
 悪魔である自分が、なににすがる気だとレンドーサ自身、バカらしく思うのに。
 雪が降る庭に立ち尽くしたまま、心臓まで凍り付いたように動けなくて。
「レンくん」
 礼拝堂の扉が開いて、フィンがこちらに歩いて来た。
 窓から自分の姿が見えたのだろう。
「どうしたんです?」
 自分を案じる姿は、出会ったときと変わらない。
 あのころは、なにも知らないから幸せでいられた。
 その幸福も、かけがえなさも気づかないままで、それでも自分は確かに、幸せだったのだ。

(彼に、出会えたから)

「…オレがあんたを殺したら、あんたはそれで満足か?」
 自分を見上げるフィンに、そっと問いかけた。
 絶望にひしゃげた声で。
 伸ばされた彼の手をそっと握りしめて、自分の頬に寄せて。
「…はい」
「オレの中に流れる血になって、残ればあんたはそれで幸福か?」
「…はい」
 フィンの答えは変わらない。
 真っ直ぐに自分を射貫く瞳も、なにも、出会ったときからなにも。
「私の血をすべて飲み干して、私を、きみの中に残して。
 …きみの中で一緒に永遠に生きられるなら、私はそれで幸福です」
 そう、今にも溶けて消える雪のように綺麗に微笑むのだ。
 その祭服に触れてボタンを外せば、フィンは拒まなかった。
 細い肩を抱き寄せて雪のように白い首筋に口元を寄せると、受け入れるように目を伏せる。
 振り下ろされる鎌を受け入れる罪人のように、静かに。
 その首筋に突き立てた牙が、赤い血を吸い上げる。
 鮮やかな赤が肌を伝って、白い雪の上に跡を残した。
 その赤い血は、すぐに白い雪に覆い尽くされるだろう。
 けれど、その赤は雪の底に埋まったまま、消えはしない。
 雪は、赤く染められたことを忘れない。
 そんな風に自分の中に彼をすべて刻んで、奪って、それで。

(満たされるはずがなかった)

 牙を引き抜けば、伝った血が雪を更に汚した。
 わずかに驚いたように瞳を揺らして、フィンが自分を見る。
 そのちいさな後ろ頭を抱いて、血の流れる唇でキスをした。
 フィンの口の端から、血が伝ってこぼれる。
「…あんたを殺したら、オレは永遠に不幸になる。
 悪魔を不幸にする、あんたのほうがずっと残酷だ」
「…レンくん?」
「…殺せねえよ。
 殺せるかよ」
 その身体を抱く腕が震えるのは、寒さのせいじゃなかった。
 喪失への恐怖と絶望。
 真っ黒に塗りつぶすような、絶望が視界を塞ぐ。
 雪のように一面を、ただひたすらに塗りつぶして、なにも見えなくした。
「…なんで、もっと早く会えなかったんだろうな。
 もっと早く、あんたが呪いを引き継ぐ前に、会えたなら。
 そうしたら、なにを引き換えにしても、誰を不幸にしても、どんな手段を使ってもあんたを連れて行ったのに」
 きっと、自分の顔は情けなく歪んでいるだろう。
 今にも泣きそうに、ひしゃげたように無残に。
「オレにあんたが殺せるわけねえだろ…。
 生まれてはじめて本気で好きになったやつを、なんでオレがこの手で殺さなきゃなんねえ!」
 悲鳴のように叫んだ瞬間に、瞳から涙があふれた。
 ずっと、流すことのなかった滴が一筋伝って、雪の上に落ちる。
 そのままフィンのそばを通り過ぎて、大股で礼拝堂の中に飛び込む。
 神の像はただ静かにそこにあって、物言わぬままに佇むだけでなにもしてはくれない。
 振り上げた拳が殴ったのは、なにもない壁だった。
 壁がひび割れて、無残な音を立てる。
 ひび割れた鏡のように、壊れる。
 もう、戻らない。



 はらはらと花びらみたいに、涙みたいに雪が降る。
 雪の降り注ぐ庭に立ち尽くしたまま、フィンはかじかんだ指先に残ったレンドーサの涙に、そっと触れる。
「…レンくん」
 そう、呼んでもレンドーサはここにはいない。
 届かない。
 わかっていても、声が震えた。
「…レンくんが」

『生まれてはじめて本気で好きになったやつを、なんでオレがこの手で殺さなきゃなんねえ!』

 あの悲痛な叫びが、胸をきつく締め付ける。
 未練のように、鋭い刃で傷跡を残す。
「…私を」
 好きだ、と言った。彼が。
 瞳ににじんだ涙で、視界が歪む。
 指に触れて溶ける淡雪のように、自分の命の残り火はもうじき溶けるのに。
 なのに、どうしてこんなにも、胸が痛んで震えるのか。
 悪魔の呪いで殺されることが、いやだった。
 レンドーサに殺されたかった。
 この命が終わるときに、最期に彼がそばにいてくれたならきっと。
 それで、未練はなくなると思ったのに。
 不意に背後で足音が響いて意識が遅れて引き上げられる。
 気づくのが遅れた。頭に鈍い衝撃を受けて、意識が遠のく。
 脳裏に浮かんだのは、あの悲痛な泣き顔だった。

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