nameless

兔世夜美(トヨヤミ)

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第二話 不埒な吸血鬼

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 目を覚まして最初に見たのは、馴染んだベッドルームの天井とまぶしい朝陽。
「…………」
 シンディーはぼうっと天井を見上げたまま、ふと「吸血鬼は朝陽に弱いはずだよな」と考えた。
 伝承の通りならそうだが、所詮それも人間が勝手に考えたフィクションの中の話だ。
 実際、自分のそばにいるあの吸血鬼は、太陽の陽射しなどものともしない。
 ゆっくり上体を起こす。今日はめまいもしない。体調はほぼ回復したようだ。
 一昨日と昨日は貧血状態が続いていて、外出すら出来なかった。
 致死量には達していなかったとはいえ、かなり大量の血を一度に失ったのだから当然だ。
 床に足を降ろしたシンディーは壁にかかった鏡に目をやり、近寄った。
 左側の首筋から腕にかけて刻まれた複雑な紋様は、ナディールの“印”だという。
 こんなものを強引に刻むような相手を、受け入れられるはずもない。ないのに、自分には逆らう術がない。
 人間相手ならば負ける気はないが、相手は本物の吸血鬼だ。
 刻印に隠れて見にくいが、首筋に残った牙の跡もまだ癒えきっていない。
 そういえば伝承では「吸血鬼は鏡には映らない」とあったが、これも間違いだな。
 そう思った矢先、扉がノックされてシンディーの思考の大部分を占めていた男が顔を覗かせた。
「ああ、起きたのか。
 おはよう。
 飯出来たぞ」
「…………」
「なんだよ?」
 シンディーが無言でにらみつけても、この吸血鬼――マリス・ナディールは笑っている。
 この男にとってはシンディーは“贄”なのだから、怯える理由もないらしい。
 ナディールの姿ははっきりと鏡に映っている。
「…伝承はだいたい嘘ばかりだな」
「ああ、だって所詮人間が考えたファンタジーだからな。
 朝陽も十字架も平気だし、鏡にだって映る。ニンニクも個人差はあるが食べられないわけじゃねえ。
 ま、現実なんてそんなもんだ」
 鏡を見てから視線を戻したシンディーの言いたいことをすぐ察し、ナディールは鷹揚に笑って答える。
 のっそりとした動きでシンディーに近寄ってくると、「よく眠れたか?」なんてこともなげに尋ねた。
「どっかの化け物のせいで安心して寝てられない」
「安心しろ。
 寝込みを襲ったりしねえよ」
「人を無理矢理襲った時点で信用出来ないと思わないか?」
「まあそうだがな。
 反応がないとつまらねえからやらねえよ」
 ナディールの返答はある意味彼らしい。そう言えるほどシンディーはナディールの性格を知らないが、おそらく自分の欲望に忠実なタイプなのだろうと思っている。
 黙ったままでいるシンディーになにを思ったのか、ナディールは太く硬い指先でシンディーのおとがいを捉えた。
「それとも、襲って欲しいってリクエストか?」
「誰が」
「だろうな」
 絶対零度のまなざしで切り捨てたシンディーを見て、ナディールはとても楽しそうに笑う。
 自分のプライドの高さや気の強さを、ナディールはずいぶんお気に召したらしい。
 自分がちっとも従順にならないのをとても愉快そうに見ている。
「で、飯出来たぞ」
「……おまえが“主”と言う割に、やけに甲斐甲斐しいな?」
「ま、一応居候だしな。
 家賃分くらいは働くさ。もちろん生活費も出す。
 誰かの世話になりっぱなしなのはオレ様のプライドが許さねえし、それに」
「それに…?」
「おまえみたいな極上の血の持ち主にははじめて会ったんだ。
 顔も容姿も性格も好みだし、じゃあそれなりのことはしてやろうって気にもなる。
 オレは気に入ったやつには相応にやさしいんだぜ?」
 ナディールは殊更に“やさしい”を強調したが、不思議と恩着せがましくはなかった。
 それはたぶんほんとうに自分を“贄”か“お気に入りの人形”程度の認識でいるからだろう。
 自分に媚びへつらう人間のように下心や打算ありきではなく、ただ本能と欲望に忠実に動く。そしてそれを隠そうともしない。
 だからか、陰湿さや厭らしさはまるで感じられなかった。
「男のためになにかして不毛にならないのか。
 この前連れていた女がタイプじゃないのか?」
「まあ普通はな。
 男の血を吸ったのはおまえがはじめてだが、おまえは例外だ。
 おまえ以外のやつの血はほんとまずくてよぉ」
 心底という口調で言ったナディールに、シンディーは内心「まずいと言われながら襲われた女が少し哀れだな」と思った。同情はしないが。
 ナディールは人の血は飲んでも殺したことは一度もないらしい。だいたいの吸血鬼はそうだという。
 人間社会に溶け込むために、普段は人間と変わらない生活を送る。中には人から吸血せず、輸血パックの血を飲んで補うやつもいるんだとか。
 ナディールは「まあ吸血鬼だってバレるリスクもあるからな」と話していたが、彼自身はそんなやり方をする気はないらしい。元々一カ所にとどまって生活して来なかったせいもあるだろう。バレたら困るような友人や恋人たちがいれば、リスクを避けるようにもなるだろうが。
 あのときナディールが襲った女も無事だ。吸血鬼の牙は意識を奪ったり記憶を混濁させる効果もあるらしく、ただ貧血で倒れたことになっているようだ。
 自分の記憶が混濁していなかったのはひとえにナディールが吸血鬼だとはっきり認識してしまったからだろう。
「オレの血が好みだから世話を焼くのか?」
「まあそうだな。
 なんせおまえはオレのごちそうだし、手塩にかけるのは当然じゃねえか?」
 出来るだけいいもん食ってて欲しいしよ、とナディールは言って廊下に足を向けた。
 伝承とはなにもかもちがう。やけに人間くさい吸血鬼。
 自分のために栄養価の高い料理を作ったり、居候だからと屋敷を掃除したり、けれど吸血鬼らしい傲慢さも持ち合わせている。
 自分が“贄”だからと甲斐甲斐しく世話しながら、“贄”だからと強制的に己のものにして、けれど自分のプライドの高さを好んでもいて。
 ほんとうに、意味のわからない男だ。



 数日ぶりにストリートコートを訪れると、同じチームのリックが駆け寄ってきた。
「シンディー!
 どうしたんだここ数日来なかったけど」
「ああ、いろいろあって」
「あれ?
 つかそんな刺青あったっけ?」
「…まあ、ちょっと」
 リックの邪気のない問いかけに曖昧な返答しか言えない。
 刺青じゃなく吸血鬼の刻印だなんて言ったら頭の心配をされるだろう。
 普通、吸血鬼が実在するなんて思わない。自分だってあの日、ナディールに襲われるまでは吸血鬼なんてフィクションの存在だと思っていた。
 歯切れの悪い自分に、リックは踏み込んではいけないと思ったのかそれ以上聞いて来なかった。
「それでそいつは?
 この前、道でぶつかったやつだよな?」
「よう。
 マリス・ナディールってんだ。
 よろしくな」
 しれっとついてきたナディールが笑顔でリックに挨拶する。
 シンディーは出来ればナディールを連れて来たくなかったが、命令されれば逆らえないのだから仕方ない。まあナディールも人前では“主”として命令する気はないらしいが。
「おまえいかにもプライド高くて誰にも従わない感じだから、おまえがオレの言うことに従順に頷くのを見たやつが不審に思うだろうし、オレもおまえのいちいち逆らおうとする気の強いとこが気に入ってるからな」と言っていた。
「全員そろってるのか?」
「ベイカーとかがいないかな。
 まあいつも全員そろってるわけじゃないし、用事あるやつもいるだろ」
「まあな」
 試合のときでない限り、年中チームメンバー全員がそろっているわけではない。
 ましてここ数日自分がコートに姿を見せなかったから余計だろう。
「ナディール。
 余計なマネするなよ」
「ああ、わかってるよ」
 ナディールをにらんで釘を刺すと、彼は案外素直に頷いた。



 シンディーがチームメイトとゲームしている間、ナディールはフェンスに寄りかかってその様子を眺めていた。
 やはりシンディーはうまい。それにバスケをしている最中は余計に色香がある。
 証拠にさっきからちらちらと欲のこもった目でシンディーを見ている男があちこちにいるではないか。
 マジでさっさと印つけといてよかった。人間の男ですら手当たり次第魅了するほどの美貌と色気があるのだ。放っておいたらすぐほかの吸血鬼に奪われていただろう。
「なあ、ナディール」
「ん?
 ええと、」
「リックだ」
「ああ、リック」
 不意に隣に立ったリックに、ナディールは視線を向けて「なんの用だ?」と視線で問うた。
「おまえうちのチームに入るのか?」
「…そう見えたのか?」
「…その台詞が出るってことは、勧誘されてなかったんだな。
 おっかしーな…。
 あのときはシンディー、そう言ってたのに…」
「あー…」
 いつのことかすぐ思い当たった。シンディーを襲ったあのときだ。
 シンディーがあの路地にいたのはナディールを追いかけて来たからだろう。
 自分の恵まれすぎた体格に目を付けて、チームに勧誘する気でいたのか。
 そしたら襲われるし“贄”にされるしで、もうそんな気は失せてしまったのだろうな。
 得体の知れない吸血鬼をチームに入れたくないと思ったのもあるだろう。
「…でもさ、ずいぶんシンディーに気安いんだな」
「あー、まあな」
「おまえさ、ぶつかったとき、ぶっちゃけシンディーに見惚れてただろ?
 そのあとコートに来たのもシンディーを見に来たんだろうし、実際シンディーばっか見てたしな」
「………オレがシンディーになにかしねえか、心配してんのか?」
 自分を見るリックの視線はどこか刺々しく、まるで牽制するようだ。
 まあ彼はシンディーを慕っているみたいだし、大事なリーダーにおかしな男がつきまとっていたら心配にもなるか。
「多少はな。
 まああいつバカみたいに強いからだいじょうぶだろうけど」
「確かにな」
 人間としちゃ破格に強い。同じ人間が相手ならば負けないだろうが。
「ただ、同じチームメイトで特にあいつにご執心なやつが二人くらいいてさ。
 今日は来てないけど。
 気をつけないと、場合に寄っちゃ殺されるぜ?」
 リックは冷たく目を細め、まるで脅すように言う。
 ナディールは不敵な笑みを浮かべると迷わず口を開く。
「安心しな。
 シンディーは大事な“贄”やつだからさ。
 手荒な事はしないぜ」
「……ふうん?」
 ナディールの言葉を信用してはいないのだろう。
 突き刺さるような視線はそのままだった。



「さっき、リックとなに話してたんだ?」
「見てたのか?」
「ああ」
 コートから帰る道中、前を歩きながら不意に尋ねてきたシンディーに、ナディールは少し驚いた。
 視線をこちらに向けている様子はなかったのだが。
「オレは人より目が良いんだ」
「ああ、そういえば最初襲ったときもすぐ反応したもんな…」
 あの反応の早さは反射神経もあるが、目が良いからか、とナディールも納得した。
「で?」
「おまえのことだよ。
 オレがおまえになにかしたんじゃないかって心配してたらしいな?」
「…なんて答えたんだ?」
「適当にごまかしたに決まってんだろ。
 素直に話すと思うのかよ?」
「……まあそうだが」
 シンディーは肩越しにわずかに視線を向けると、足を止めてナディールに向き直った。
「一応言っておくが、オレのチームメイトに手を出すなよ」
「冗談。
 おまえは例外だっつっただろ?
 おまえ以外の男の血なんて飲む気になれねえよ」
 ナディールは大仰に肩をすくめてみせると「それにほかのやつを襲うのはありえねえ」と言い切った。
「根拠は?」
「オレたち吸血鬼は、基本好みの相手なら誰でもターゲットにするが、主人と贄の契約を結んだ場合はべつなんだ。
“贄”が生きてる間はほかの人間の血を飲んじゃいけねえって暗黙の掟があるんだよ」
「……ふうん。
 じゃあ、オレが用済みになったら殺してべつのやつを狙うのか?」
「…どうだろうなあ。
 用済みにはならねえと思うぜ?
 おまえほど極上の血の持ち主はほかにいねえだろうしな」
 見た目と性格に関しても、とナディールは口の端をつり上げて言う。
「……つまり、オレはどのみち死ぬまで解放されねえってことかよ」
「まあそういうことかもな」
「やっぱりおまえを殺すしかないんだな」
 物騒な台詞をさらっと放って、シンディーは前を向くとまた歩き出した。
「…おまえはオレに怯えねえよな。
 化け物だっつーのによ」
「なにが化け物だ」
 人気のない道は静かで、真っ赤な夕焼けに染め上げられている。
 シンディーの金色の髪も燃えるように赤かった。
 彼はもう一度振り返ると出会ったときから変わらぬ、真っ直ぐで気高いまなざしでナディールを射た。
「オレからしたら、てめえはただの迷惑な居候だよ。
 そのうちに追い出してやるから覚悟してやがれ」
 怯えなど欠片もない碧い瞳は澄んでいてどこまでも綺麗だった。
 目を奪われたまま、ナディールは呼吸すら失う。
 誰もが自分の正体を知って“化け物”と怯えた。
 彼だけがちがう。
 怯えもなにもない、その意志の強いまなざしに惹かれた。



 家に帰ると、シンディーはさっさとバスルームに入った。
 ゲームをして汗を掻いたからだ。
 家の中にいても気が休まらない。自分を意のままに操れるようなやつが同じ家の中にいたら普通そうなる。
 だがそれ以上に腹が立った。腹の中を渦巻くのは怒りと屈辱だ。
 ぎりっ、と奥歯をかみしめた瞬間、バスルームの戸が開いて息を呑んだ。
「よう。
 一緒に入っていいか?」
「…断る。
 バスルームならもう一つあるからそっちに行けよ」
「べつにいいじゃねえか。
 男同士なんだしよ」
 ナディールはシンディーににらまれても気にした様子なくバスルームの中に入ってくる。
 服を身につけていないその身体はひどく屈強で、彼に比べると自分がずいぶん細く頼りなく見えて余計に苛立った。
「それに」
 思わず身を引いたシンディーを逃さず、ナディールはその腕を掴んで壁に縫い止める。
「そろそろまたごちそうが欲しくてな。
 服を着てるときだと服が汚れちまうだろ?」
「………おまえの飲み方が下手なんじゃないのか?」
「かもな。
 でも、夢中になるほどおまえの血が美味いからだぜ」
 掴まれた腕はびくともしない。たとえ強制的に自分を従わせる力がなくとも、抵抗は無意味だと思わせるほどの体格と腕力の差がある。
 にらむだけで抵抗しない自分に、ナディールは口の端をつり上げると腰を抱き寄せ、細く長い両足を割って密着してきた。
「…吸血鬼ってのは、血を飲む相手はそういう対象なのか…?」
「まあ、だいたいそういう場合が多いな。
 だからオレは普段、女ばっか襲ってたんだよ」
 欲のにじんだまなざしに、シンディーは不愉快げに顔をゆがめながら問いかける。
 ナディールの返答に嫌悪感をにじませたものの、抵抗しても無駄だとはわかっていた。
「…早くしろ。
 暇じゃないんだ」
「…ああ」
 ふい、と顔を背けて素っ気なく言うと、ナディールの唇に刻まれた笑みが深くなった。
 ナディールの顔が首筋に近づく。冷たく尖ったものが、皮膚に触れたと感じた瞬間。
「っ、あ!」
 ずぷ、と突き刺さった牙に痛みが走って、びくんと身体が跳ねた。
 その身体をきつく抱きしめ、ナディールは勢いよく血を飲み始める。
 自分の血が吸われているのがわかった。噛まれた場所から響く鈍い痛みに、シンディーの瞳に涙が浮かぶ。
 なのに痛いと感じていたのはほんのわずかな間で、徐々に首筋から甘いしびれが全身に広がってきた。
「ぅあ、あっ!?
 ひ、ぁっ」
 身体を支配し始める未知の感覚に、シンディーは思わずきつくナディールの腕を掴む。
 わき上がってくるそれは、ひどく熱く、自分の意思を無視して体内で暴れ始める。
 くすぶるような熱は、まるで甘美な毒のようにシンディーの身体をむしばんだ。
「んっ、シル、ぁ、あっ」
 もうやめて欲しくてナディールの腕を引っ掻くように掴んだが、ナディールはまるで動じない。血が吸われる感覚すら甘いしびれとなって、びくびくと身体が震えた。
 思わず縮こまった足の先が床を引っ掻く。ナディールに抱きしめられていなかったら座り込んでいたかもしれない。
 もう痛みはなかった。
 ただ狂うような熱としびれに支配されて、涙が頬を伝う。
 ナディールが首筋を音を立てて吸うたび、腰がびくんと跳ねて甲高い声が口を吐いた。
 気づいたらナディールにすがるようにその背中に爪を立てている。
「ぁっ、ふ、ぁあっ、んっ、や、ぁ…っ」
 止めどなくあふれる涙が頬を濡らす。過ぎた快楽に頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。
 女を抱いたときだって、こんな頭がおかしくなるほどの快楽に支配されたことはない。
 あつい。くるしい。きもちいい。いやだ。もう。

(もっと)

 一瞬脳裏に浮かんだあり得ない思考に、シンディーは絶望で目の前が真っ暗になった気がした。
 信じられない。勝手に所有物にされて好き勝手されて、なのに一瞬でも求めるようなことを考えた自分が。
 それが自分の意思と無関係のものであっても、到底受け入れられないものだった。
「っぁ……」
 不意に牙が引き抜かれ、シンディーの唇からちいさな声が漏れる。
 足ががくがくと震えて、自力ではとても立っていられなかった。
 ナディールは満足げに舌なめずりすると、シンディーの頬に手を添えて上向かせる。
 赤く上気した頬、潤んだ瞳からまた涙がこぼれた。浅く呼吸する唇は薄く開いていて、男を誘っているようにしか見えない。
 ナディールが頬を撫でただけで甘くかすれた声を漏らして身を震わせる。
「さっきのな、血を飲む相手が性欲の対象になるってのは、こういうことだからだ」
「っん」
「吸血鬼の牙には催淫作用があってな、一度噛まれたくらいなら痛いだけで特に問題はないが、二度目以降となるとそうもいかない。
 特に“贄”になったやつは覿面に効果が出るんだ。なんせ“贄”ってのはそういう役目も担うらしいし。
 オレは基本、一度吸ったやつはもう狙わないし、吸った後に抱くなんてマネはしねえから、今まであんまり関係なかったんだがな」
 バレたら困るしよ、とナディールは舌なめずりして笑う。
 シンディーはナディールがなにを言っているのか、半分以上理解出来ずにいた。
 頭と身体を支配する熱に浮かされ、まともな思考と判断力が奪われていく。
「だが“贄”の役割はわかってたし、…だから言っただろ?
 おまえだから“贄”にしたんだってよ」
 ひどく欲のこもった声が耳元で響く。熱い吐息が耳に吹き込まれただけで大仰なほどに身体が跳ねる。
 むき出しの身体が密着しているせいで、己とナディールの性器がすっかり反応していることもまざまざと思い知らされて、なのに嫌悪感すら浮かばなかった。
 頭を支配するのは苦しいほどの熱だけだ。
「シンディー。
 …なにが欲しい?」
 嗜虐に歪んだ笑みが、涙でぼやけた視界に映った。
 獲物をいたぶる悪魔のような顔だ。ほとんど混濁した意識でもそれくらいわかった。
 だから最後に残った理性できつく唇をかみしめる。
 それを見て、ナディールはとても楽しそうに笑う。
「…これだから、おまえはイイんだ」
 抑えきれない欲望でかすれた声が耳に触れた瞬間、喰らうような口づけに呼吸ごと奪われた。



 ふ、と意識が戻る。
 あれからどのくらいの時間が経ったのか、シンディーにはわからない。
 ただ、カーテンが引かれていても窓の外が暗いのはわかった。
 ベッドルームの寝台に横たえられた自分の身体はひどく重く、あちこちが痛む。
 シーツに触れる感触から、自分がなにも身につけていないことと、後始末はされたのだと理解した。
 己がナディールに女のように犯されたことも、どうにか覚えている。
 牙が与えた効果はすさまじく、はじめて男に犯されたにも関わらず痛みはほとんどなく、
代わりに気が狂うような快楽にずっと支配されていた。
 ナディールが相手だからなのかなにをされても気持ち良くて、ただ必死で彼の身体にすがって与えられる熱にかすれた嬌声をあげるしかなかった。
 正直、最中に自分がなにを口走ったのかすら記憶にない。
 熱が冷めてから自覚するのは激しい怒りと屈辱。
 なのに逆らう術がないことが、死ぬほど悔しかった。
「よう、起きたのか?」
 不意に扉が開いてナディールが姿を見せる。
 シャワーを浴びていたらしく、湿った髪をタオルでぬぐいながら寝台に腰掛けた。
 その腕や背中に自分が刻んだはずの爪痕はもうない。驚異的な再生力を持つらしい吸血鬼ならば、あれくらいすぐ癒えてしまうだろう。
「貧血にはなってないはずだぜ?
 今回はちゃんと加減して飲んだしな」
「……こういう目的のためにか?」
「…まあそれもある。
 男相手ははじめてだが、おまえは身体も美味そうだったしな。
 思った通り良かったぜ」
 満足げな笑みを浮かべて言うナディールに殺意すら沸いた。
 けれど血を飲まれた上、散々犯された身体は指一本動かすことすらおっくうだった。
 ナディールの手が伸びてシンディーの髪に触れる。シンディーはそれを緩慢に首を振って避けた。
「…触るな」
「…冷てえなあ。
 セックスの最中はあんなにかわいかったのによぉ」
 嘲笑うような声にシンディーの手が握りしめられる。
 ナディールはシンディーの顔の横に手を突くと、覆い被さるような体勢で顔を見下ろした。
 熱い指先でおとがいを掴んで自分のほうを向かせると、愛撫のような手つきで牙の跡の残った首筋をなぞる。
「オレに泣きながらすがりついて、もっとってせがんで来たじゃねえか。
 かわいかったんだぜ?」
「…っ」
 いたぶるように殊更やさしい声でささやいたナディールに、シンディーの瞳に明確な殺意が宿った。
 伸ばされた両手がナディールの首を捉える。首を絞められてもナディールは楽しげに笑っていた。
 そもそも大した力などこもらなかった。これでは人間すら殺せない。
「おまえ、マジで最高だな」
 強い殺意のにじんだまなざしにナディールはぞくぞくと背筋を震わせ、シンディーに顔を寄せると口づけた。

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