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第五話 同胞
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その翌日、ナディールはシンディーと共にストリートコートに向かっていた。
空は青く晴れ渡って、道を歩く人々を照らしている。
「ずいぶんご機嫌だな」
「そうか?」
「自覚ないのか?」
「いやあるけどよ」
隣を歩くナディールがずいぶん機嫌が良いため、シンディーはどうしたのだろうと多少疑問になった。
「おまえのチームに入って一緒にバスケやんのも楽しそうだな、と」
「バスケは好きなんだな」
「ああ、まあな。
ただ今まで一カ所にとどまらないようにしてたからチームに所属したことなかったし、そもそも誰かと組みたいとか思ったことなかったしなあ。
その点、おまえはうまいし性格も嫌いじゃねえし、それにもし正体がばれたらって心配する必要もない」
「…ふうん」
シンディーは「そんなもんか」と自分で聞いておきながら大した興味もなさそうに相づちを打つ。
ナディールがチームに加入することに関してもなんの心配もしてなさそうな態度だ。
そういうシンディーだから、一緒にバスケをやってみたいという気になった。
「あ、でも」
「でも?」
「…最近会ってないメンバーが何人かいるからな。
オレ、おまえに会ってからなかなかコートに行けてなかったから」
「確かにな」
主にオレがシンディーに無体を働いたせいで行けなくなってたもんな、とナディールは考え、不意にあのリックという青年の言葉を思い出す。
『同じチームメイトで特にあいつにご執心なやつが二人くらいいてさ。
今日は来てないけど。
気をつけないと、場合に寄っちゃ殺されるぜ?』
「…その、最近会ってないやつがなにか問題あんのか?」
「べつに問題なんかねえよ。
おまえよりずっとまともだぜ。
ただ、妙にオレに過保護なとこがあったからな。
こんな刺青見たらなんか細かく聞いてきそうで…」
少し面倒だ、とシンディーは眉を寄せてつぶやく。
それからナディールの顔を見上げ、驚いたように目を丸くした。
「どうした?」
「あん?
なにが?」
「さっきまで機嫌良かったくせに、もう不機嫌になってねえか?」
「…………………そんな顔してたか」
シンディーの意外そうな問いかけで、はじめて自分の眉がきつく寄っていたことに気がつく。
自分でも謎だ。ただ、さっきまでの高揚感はなく、なぜか妙に不快な感覚が胸の辺りにわだかまっていた。
コートに入るとすぐにこちらに気づいたリックが駆け寄ってきた。
以前自分を牽制したことといい、こいつかなりシンディーを慕ってるんだな、とナディールは思った。
そこでまた妙に不愉快になっている自分に気づいて首をかしげる。
「シンディー!
どうしたんだ最近ぜんぜん来なかったけど」
「最近飼い始めたバカな大型犬の躾に手間取っててな」
「おいこらシンディー。
まさかそれオレのことか?」
「なんだ自覚があるのか。
待てすら覚えらんねえんだからバカだろうよ」
はっ、と鼻で笑って馬鹿にしたシンディーに、ナディールは眉を寄せて「犬じゃねえっつーの」と反論する。
しかし苛立ったり不愉快になることはなかった。シンディーの口が悪いのはよくわかっていたし、コミュニケーションの一種だとも理解している。
そう、シンディーと話している分には不愉快にはならない。はずなのに、さっきのもやもやはなんだろうか。
「おいてめえ、シンディーになにしてんだ?
あ?」
「手荒なことはしてねえっつーの。
それよりシンディー。
この場にいるのでぜんいんか?」
「いや、あと二人いないな」
リックにチンピラのように凄まれてもどこ吹く風でシンディーに尋ねたナディールに、シンディーはコートの中を見回して答える。
「ベイカーたちならもうすぐ来るってよ。
…もしかしてそいつ、マジでチームに入るのか?」
チームメンバーがそろっているかどうか確認していたことから、リックはナディールが正式にチームに加入するのではないかと察したらしい。
ナディールに会ったことがないほかのメンバーもリックから「新しいメンバーが加入するかもしれない」という話は聞いていたのか、あまり驚いてはいなかった。
「ああ。
身体能力の高さは保証する」
「それ以外は保証しねえって言ってる気がするんだが」
「よくわかったじゃねえか。
単細胞のくせに」
「おまえは綺麗な顔してマジで口が悪いな」
思わず言い返したナディールに、シンディーは視線を向けると艶やかな笑みを浮かべて、
「なに言ってんだ。
そういうオレがイイって言ったくせによ」
と甘さを含んだ声で告げる。
誘うような微笑と声音に、ナディールの心臓がどきりと大きな音を立てた。
いやまあそういうシンディーが気に入ってるんだけどよ。でももうちょっと言い方をだな、と思いつつも言い返せない。
なんかこいつ、出会って数日はオレにものすごく敵意丸出しだったのにだいぶ順応して来たっていうか、適応力が高いっていうか。
そのやりとりを見ていたリックたちはちょっと心配になる。
あれ?まさかこのナディールってやつ、マジでシンディーになにかしてんじゃ…?
だがなにか言う前にコートに新たに足を踏み入れた二人の男がシンディーに声をかけた。
「シンディー」
「ベイカー。ロイド。
久しぶりだな」
「ああ、ほんとだぜ。
最近なにか忙しかったの………おまえ、その肩の」
この二人が最後のチームメンバーだろう。
どちらもナディールには及ばずともかなり体格の大きな黒人の男だ。
彼らはシンディーの左の首筋から腕に掛けて刻まれた刻印を見て目を見開いた。
「ああ、ちょっとな」
人間の目にはただの刺青にしか見えないはずだから、シンディーも曖昧にごまかす。
しかしベイカーとロイドはその刻印を見て言葉を失い、それからシンディーの近くに立ったナディールを見ていかにも不愉快げに顔をしかめた。
ナディールは内心「想定外だ」と舌打ちしたくなった。
「ベイカー。ロイド。
新しいメンバーの話はリックから聞いてただろう?
そいつがそうだ」
「こいつが…?」
「ああ。名前はマリス・ナディール」
「…ふうん」
あからさまな敵意を隠しもしない二人に、シンディーはあまり気にした様子なく「決定事項だからなるべくもめ事は起こさないでくれよ」と言うだけだ。
この二人がシンディーにご執心だというやつらだろう。シンディーも過保護だと言っていたから、いつものことだと軽く考えているのかもしれない。
だがナディールには、なぜこの二人がシンディーにご執心なのか、過保護なのかその理由が簡単にわかってしまった。
胸の中にわだかまった不快感が消えるどころか強くなる。
焦げ付くような感情は、正体がわからないままだ。
そのあとは普通にゲームをして、ナディールの優れすぎた身体能力にメンバーが驚嘆して、特に問題なかったと思う。
最初に強い敵意を向けてきたベイカーとロイドも表面上普通に話しかけて来た。
「なあ、リック」
「ん?
なんだよ?」
フェンスに寄りかかって休んでいたリックに近寄ると、ナディールはその隣に立つ。
コートの中ではシンディーが、ベイカーとロイドを相手にゲームをしていた。
「シンディーにご執心なのって、あのベイカーとロイドってやつだろ」
「よくわかったな」
リックはあっさり肯定する。否定されても信じられなかったが。
ベイカーとロイドの態度や視線は、隠されてはいたもののわかりやすかった。
シンディーと、それ以外への差が顕著だ。
「一応シンディーにバレないように隠してんだがなあいつらも」
「ってことは、シンディーは気づいてねえのか」
「たぶんな。
いくらシンディーが人一倍聡くても、オレらチームメイトには甘いっつーか、本気で信頼してくれてるし。
だから逆にわかんねえのかもな」
そうかもしれない、とナディールも思った。
確かにこうして見ているだけでも、シンディーはチームメイトには態度がやわらかいというか、信頼しているのが伝わってくる。
それが無性に腹立たしい。
「で、すぐ気付いたってことは、おまえそういう目でシンディー見てんの?」
「………」
リックはやはり、ナディールがシンディーになにかしていないか疑っているらしい。
「さあな。
…ただ、あいつらとは仲良く出来そうにねーわ」
低い声でぼそっとつぶやいたナディールに、リックはやや意外そうに目を瞠った。
夕方前にコートを出て、家に向かった。
前を歩くシンディーの金色の髪が陽光を受けてまぶしく輝く。
「なあ、シンディー」
「…ん?」
ナディールが声を掛けると、足を止めてこちらを振り返った。
「…チームメイトとは、かなり仲が良いんだな」
「…まあ、悪くはねえだろうな」
「かなり慕われてるだろあれは」
「ならうれしいんだがな」
ナディールの言葉にまんざらでもなさそうに笑って見せたシンディーに、ますます不快感が増す。
「あのベイカーとロイドってやつもか?」
「そりゃあそうだろ。
大事な仲間だしな」
「…あの二人は、おまえに対してちょっと過剰な気もしたが」
「だから言っただろ。
あの二人はなんでかオレに過保護なんだ。
まあ出会ったとき、オレがまだ十五歳でちいさかったし、変な男に絡まれることが多かったからじゃねえの?」
「…絡まれた?」
「そう。
絡まれたっつーか、襲われそうになったこともあったが。
そういうときに助けてくれんのいつもあいつらだったしな」
未だに手のかかる弟みたいに思われてんじゃねえの?とシンディーは特に気にした様子なく言う。
胸の中で、じりじりと焼け付くような感情が騒いでいる。
不可解な感情は、どう制御したらいいのかもわからなかった。
「…なあ、おまえ、ほかの吸血鬼に会ったことがない、よな…?」
「…ない、と思うが。
もしかしたら正体に気づかないまま会ってたりするかもな。
おまえの言うとおり人間のふりして紛れ込んでるやつがいっぱいいるなら。
…もしかして、その襲ってきたやつらがそうだって言いたいのか?」
「…可能性はある、ってだけだ」
それだけおまえは極上の獲物なんだよ、と言えばシンディーはあまり危機感もなさそうに「ふうん?」と相づちを打つだけだ。
ああ、ひどく不愉快だ。その原因が、シンディーを襲おうとした名前も知らない男たちではないとわかっていた。
途中店に寄って買い物をして、家に帰るころにはすっかり日が暮れていた。
シンディーは汗を掻いたからとバスルームに向かう。
それを見送って、ナディールは玄関に足を向けた。
家の外に出ると、綺麗に整えられた庭を歩く。月明かりがあっても、生い茂った木々や草花のせいで薄暗い。
「…で、いるんだろ?
出て来たらどうなんだよ?」
そう大きくはない、けれどよく通る声で言った瞬間、どこからともなく目の前に現れたのはあのベイカーとロイドだった。
人間ではあり得ない芸当だ。コートで会ったときに一目でわかった。
「まさか、もう既にシンディーのチームに同族がいるとは思わなかったぜ」
この二人は、ナディールと同じ吸血鬼だ。
「オレらも、少し目を離した隙にあいつを横からかっさらわれると思わなかったよ」
「この辺りに住んでる同族は、シンディーに手を出すとひどい目に遭うってわかってるはずなんだが」
「生憎、オレは最近ここらに来たばっかなんだ。
シンディーに同族のガードがついてるなんて話は今日知ったぜ」
敵意に満ちたまなざしを向けられてもナディールはまったく悪びれない。
「つか、オレがあいつを“贄”にしたって怒るならなんでさっさと自分の印を刻まなかったんだ?」
シンディーの身体に刻まれた印は、同族ならばすぐにわかる。だから彼らはあんなにも驚いていたのだ。
「おまえと一緒にすんな。
そんな即物的なことが出来るか」
「シンディーをただの餌としか見てねえやつが好き勝手言うんじゃねえよ」
顕著に殺気をにじませた二人に、ナディールは不愉快そうに眉を寄せた。
胸の中の不快感が強くなる。
「なんだよ?
まさかシンディーに惚れてんのか?
吸血鬼が人間に惚れるとか、バッカじゃねえの?」
不可解な感情を振り払いたくてわざと挑発すると、ベイカーとロイドのまとう殺気が更にふくれあがった。
これは図星だ。こいつらは本気でシンディーに惚れている。
なら、一歩遅かったらシンディーはこいつらの“贄”になっていたかもしれない。
彼の身体を最初に抱いたのも、自分ではなくなっていたのかもしれない。
その可能性に気づいた瞬間、胸にどす黒い感情が渦巻いた。
「ハッ。
そりゃ悪かったなァ。
まさか惚れてんのに手も出さず印もつけずに放っておくバカがいるとは思わなくてよ。
残念だがシンディーはもうオレのもんだ。
あんな容姿も血も身体も極上の獲物、誰がほかのやつに渡すかよ」
「…おまえ、シンディーを抱いたのか?」
「ああ。
わかってんだろ聞かなくても。おまえらも吸血鬼なら“贄”の役割くらいはよ。
あのプライドの高い綺麗な男が、オレの下で泣きながら乱れる姿は最高にいやらしかったぜ?」
嘲笑うように唇をつり上げ、思い知らせるように告げた瞬間、頬をなにかがかすめた。
ぴりっとした痛みで、頬が切れたのだと気づく。
鋭く伸びたベイカーの爪が頬を裂いたのだ。
ただ、ベイカーはナディールの目を貫く気でいたらしい。その腕を掴んで逸らしたのはロイドだった。
「ロイド。
なにす…っ」
「バカ。
ここはシンディーの家の庭だぞ。
こんなとこでやったらシンディーに気づかれる。
吸血鬼の傷はすぐ癒えても、落ちた血は消えないんだぞ」
「…っ」
ロイドの制止に、ベイカーもわずかに冷静さを取り戻したのか爪を引っ込める。
彼らは本気でシンディーに惚れ込んでいるのだ。己の正体をバラしたくないと、知られたくないと思うほどに。
でなければあの状況で踏みとどまれないだろう。
「―――生憎だが、もう遅いな」
不意にその場に響いた声に、ベイカーとロイドだけでなく、ナディールも呼吸を失って動きを止めた。
「オレは人間だが、殺気とかのたぐいには聡いんだ。
おまけにナディールは家のどこにもいねえしな。
おかしいと思うのが普通だろう?」
「……シンディー」
月明かりの照らす花壇のそばに、腕を組んで佇むシンディーの姿があった。
ナディールはかすれた声で名を呼びながら、内心焦った。
どこまで話を聞いていた?まさか最初からか?二人がシンディーに好意があることも聞いたのか?
「まさかチームに既に吸血鬼が二人いたとはな。
さすがにわからなかったぜ」
「…シンディー」
「…オレは」
正体がバレたとわかっているから、ベイカーとロイドはひどく怯えたような表情でシンディーを見ていた。
「なんだその顔」
「え?」
不意にやわらかな笑みを浮かべて言ったシンディーに、二人は戸惑いの声を漏らす。
「もしかしてオレが吸血鬼だって知ったらチームから追い出すとか、離れるとか思ったのか?
おまえらはチームの主力だ。
抜けられちゃ困るぜ」
「………だ、って」
「そもそもわかってんのか?
ナディールが吸血鬼だってわかってて、チームに入れたんだぜ?
おまえらだって同じだろ。
むしろおまえらのほうが付き合いが長いのに、なんで人間じゃないってだけで切り捨てなきゃならねえんだ?」
シンディーは迷うそぶりなどなく、当然という口調だ。
「…ナディールがいてもか?」
「なんでナディールをチームに入れるのにおまえらを追い出さなきゃならない?
確かにナディールはバスケット選手としても有能だったがな、オレがより信頼を置けるのはおまえらのほうだ。
それだけの時間一緒にやってきたんだからな」
揺るぎない言葉は、シンディーがそれだけ二人を信頼している証だった。
「あと、ナディールに聞いた話だが、オレは吸血鬼に狙われやすいんだろ?
じゃあオレが今まで無事だったのはおまえらがいたおかげってことになる。
感謝こそすれ、疎む理由がわからねえな」
はっきりと告げたシンディーに、ベイカーとロイドの身体から力が抜けた。
表情が安堵にゆるむ。
それを見て、ナディールは思わず拳を握りしめた。
腹の底からせり上がってきたのは、焼け付くほどの激しい執着心。
シンディーが二人への信頼を表すほどにそれは増した。
一緒に過ごした時間がちがう。だからシンディーが自分より彼らを信頼するのは仕方の無いことなのに、なぜこんなにも許せないのか。
ベイカーたちと話すシンディーの声をどこか遠く感じながら、今すぐその身体を引き倒し組み敷いて牙を突き立て、身も世もなく泣かせて自分以外見えなくしてしまいたい衝動を抑えていた。
ベイカーたちは最後までナディールに敵意と殺意を向けたままだったが、シンディーが「ワンダースナッチに必要だから殺すのはやめてくれ」と説得したため、納得しない様子ながら引き下がった。
彼らが帰ったあと、シンディーは立ち尽くしたままのナディールを見て首をかしげる。
「おい、ナディール。
どうした?」
ずっと黙ったままの自分を疑問に思ったくせ、危機感なく近寄ってきたシンディーに、ナディールは顔を上げる。
自分の顔を見て思わず息を呑み、身を引いたシンディーの腕を掴み、近くの木の幹に身体を押さえつけた。
仄暗く歪んだ笑みがその顔ににじんでいる。
「なにするんだ」
「…おまえ、ずいぶんあいつらには甘いんだな」
「…そりゃ、それだけの時間一緒にいたんだし、当然じゃねえか。
オレを守ってくれていたのはあいつらなんだしよ。
それに誰かさんみたいに会ったその日に襲ったりしてねえしな。
よっぽど信頼出来るぜ」
シンディーはまったく怯えず、真っ直ぐにナディールの目を見上げて言い切った。
手首を掴まれ動きを封じられていても、危機感を覚えることはないらしい。
まるで誘うような微笑を投げかけ、ナディールの言葉を待っている。
月明かりに照らされたその姿はひどく魅力的だった。
気安く触れられないほどうつくしく高潔で、だからこそ力尽くで屈服させ、支配したくなるほどに。
わき上がるのは今まで誰かに覚えたことのない仄暗い欲望だ。
こんな感情も、不可解な激しい衝動も、シンディー以外に感じたことはなかった。
「吸血鬼なのにか?」
「だからなんだ?」
どうにか絞り出した言葉はかすれている。
シンディーは「なにが問題なんだ?」という態度だ。
ああ、そうだろう。吸血鬼だからなんてことを気にする男じゃない。
『吸血鬼だろうが知った事か』
自分にだって、そうだったんだ。仲間であるあいつらはなおさらだ。
考えるほどに、焼け付くような痛みが胸の内に湧く。
「あいつらは、おまえになにするかわかんねえぜ。
だって、あいつらは」
頭を支配する怒りに似た感情に蹴飛ばされるように口にしかけ、我に返って言葉を切る。
あの二人がシンディーに好意を寄せていることは、シンディーは知らないはずだ。さっきの会話だって聞いてないかも。
知らせないほうがいい。知って欲しくない。そう思ったのに。
「あいつらが、オレを好きなのは気づいてた」
シンディーはこともなげにそう告げた。ナディールの呼吸が止まる。
「でも知られたくないみたいだったからな。
好き好んで聞いたりしないさ」
「……わかった上で、あいつらを信頼してるってのか?」
ひどく声がかすれていた。喉が絞められたような息苦しさがある。
シンディーは視線を逸らさないまま迷わず答える。
「さっき言ったじゃねえか。
ベイカーたちはオレの仲間だ。
吸血鬼だとか、オレを好きだとかは関係ねえよ」
瞬間、抑えきれない衝動から無理矢理にシンディーの腰を抱き、その唇に喰らいついていた。
「…っん」
思わず目を瞑ったシンディーの両腕をひとまとめに掴んで頭上で拘束し、ベルトに手を掛ける。
「おい、待て。
ナディール」
「いやだ。
おまえはオレのものだ。
自分の所有物をどうしようがオレの勝手だね」
「言っとくが、この場で無理矢理犯すならおまえはいつまで経っても憎たらしい吸血鬼のままだ」
わずかに焦りをにじませた声が告げた言葉に、ナディールの動きが顕著に停止した。
瞳を見開いてシンディーを見下ろしたナディールに、シンディーはかすかに息を吐いて言葉を続ける。
「オレがあいつらを信頼してるのは、それだけの時間、あいつらが信頼に足る行動を取ってきたからだ。
それに引き替え、おまえはオレの信頼を得るようなことをなにかしてきたのか?
あいつらと同じに扱われたいなら、もう少し頭を使って行動しろ」
その台詞に、ナディールは茫然としたまま月明かりに光る碧い瞳を見下ろす。
「…オレは、べつにおまえの信頼が欲しいわけじゃねえ」
「そうか?
あいつらをうらやましがってるように見えたんだがな」
「バカにするな。
おまえの勘違いだ」
「そう。
…じゃあ好きにすればいい。
そんなものが要らないっていうなら、あくまでオレを“贄”として好きにしたいだけなら、…どうぞご自由に?
犯すなりなんなり、すればいいさ。
いつものように命じてな」
胸の中を渦巻く苛立ちからシンディーの言葉を否定したが、どうしてもそのままシンディーを犯すことが出来なかった。
逸らされない真っ直ぐなまなざしは、なにを考えているのか読み取れない。
けれどこのままいつものように犯せば、彼の言った通りになるのだろう。
ベイカーたちのように、信頼を寄せられることはなくなる。
今日のように冗談めかして笑うことも、気安く話してくれることもなくなって、またあの敵意に満ちたまなざしで自分を見るようになるかもしれない。
想像したら胸の辺りがぎりりと締め付けられて痛かった。
シンディーの腕を拘束していた手から力が抜ける。そっと離したら、シンディーは逃げずに自分の言葉を待っていた。
ベイカーたちのことは気にくわない。仲良く出来るとはとても思わない。
『ベイカーたちはオレの仲間だ。
吸血鬼だとか、オレを好きだとかは関係ねえよ』
けれど、シンディーが彼らに寄せるような揺るぎない信頼を、その言葉を。
要らないなんて、言えなくて。
「………じゃあ、命令じゃなく、お願いなら聞いてくれるか?」
やっとの思いで絞り出したのは、そんな言葉だった。
胸の中を渦巻く感情は、突き詰めればシンプルだ。
(シンディーに触れたい)
「内容によるが」
「…抱きしめさせてくれ」
苦しげな声でどこかすがるように告げたナディールに、シンディーは目を丸くして、それから眦をやわらかくゆるませた。
コートの上でベイカーたちに向けていたようなやさしい表情だ。
そう気づいた瞬間、心臓が大きく音を鳴らした。
「…今までに比べると、ずいぶんかわいいお願いだな」
「…ダメか」
「そうは言ってねえよ」
シンディーは微笑むとナディールの頬に触れ、そっと撫でる。
「それなら、かまわない」
許すという言葉に、堪らず目の前の身体をかき抱いていた。
力がこもりすぎて痛いはずなのに、シンディーは逃げないどころか笑っている。
それになんだかとても安堵した。胸の中の痛みが、溶けるように消えていく。
血が欲しかった。その身体が手に入ればいいはずだった。
なのに今は、無性に彼の微笑みが見たいと思っていた。
空は青く晴れ渡って、道を歩く人々を照らしている。
「ずいぶんご機嫌だな」
「そうか?」
「自覚ないのか?」
「いやあるけどよ」
隣を歩くナディールがずいぶん機嫌が良いため、シンディーはどうしたのだろうと多少疑問になった。
「おまえのチームに入って一緒にバスケやんのも楽しそうだな、と」
「バスケは好きなんだな」
「ああ、まあな。
ただ今まで一カ所にとどまらないようにしてたからチームに所属したことなかったし、そもそも誰かと組みたいとか思ったことなかったしなあ。
その点、おまえはうまいし性格も嫌いじゃねえし、それにもし正体がばれたらって心配する必要もない」
「…ふうん」
シンディーは「そんなもんか」と自分で聞いておきながら大した興味もなさそうに相づちを打つ。
ナディールがチームに加入することに関してもなんの心配もしてなさそうな態度だ。
そういうシンディーだから、一緒にバスケをやってみたいという気になった。
「あ、でも」
「でも?」
「…最近会ってないメンバーが何人かいるからな。
オレ、おまえに会ってからなかなかコートに行けてなかったから」
「確かにな」
主にオレがシンディーに無体を働いたせいで行けなくなってたもんな、とナディールは考え、不意にあのリックという青年の言葉を思い出す。
『同じチームメイトで特にあいつにご執心なやつが二人くらいいてさ。
今日は来てないけど。
気をつけないと、場合に寄っちゃ殺されるぜ?』
「…その、最近会ってないやつがなにか問題あんのか?」
「べつに問題なんかねえよ。
おまえよりずっとまともだぜ。
ただ、妙にオレに過保護なとこがあったからな。
こんな刺青見たらなんか細かく聞いてきそうで…」
少し面倒だ、とシンディーは眉を寄せてつぶやく。
それからナディールの顔を見上げ、驚いたように目を丸くした。
「どうした?」
「あん?
なにが?」
「さっきまで機嫌良かったくせに、もう不機嫌になってねえか?」
「…………………そんな顔してたか」
シンディーの意外そうな問いかけで、はじめて自分の眉がきつく寄っていたことに気がつく。
自分でも謎だ。ただ、さっきまでの高揚感はなく、なぜか妙に不快な感覚が胸の辺りにわだかまっていた。
コートに入るとすぐにこちらに気づいたリックが駆け寄ってきた。
以前自分を牽制したことといい、こいつかなりシンディーを慕ってるんだな、とナディールは思った。
そこでまた妙に不愉快になっている自分に気づいて首をかしげる。
「シンディー!
どうしたんだ最近ぜんぜん来なかったけど」
「最近飼い始めたバカな大型犬の躾に手間取っててな」
「おいこらシンディー。
まさかそれオレのことか?」
「なんだ自覚があるのか。
待てすら覚えらんねえんだからバカだろうよ」
はっ、と鼻で笑って馬鹿にしたシンディーに、ナディールは眉を寄せて「犬じゃねえっつーの」と反論する。
しかし苛立ったり不愉快になることはなかった。シンディーの口が悪いのはよくわかっていたし、コミュニケーションの一種だとも理解している。
そう、シンディーと話している分には不愉快にはならない。はずなのに、さっきのもやもやはなんだろうか。
「おいてめえ、シンディーになにしてんだ?
あ?」
「手荒なことはしてねえっつーの。
それよりシンディー。
この場にいるのでぜんいんか?」
「いや、あと二人いないな」
リックにチンピラのように凄まれてもどこ吹く風でシンディーに尋ねたナディールに、シンディーはコートの中を見回して答える。
「ベイカーたちならもうすぐ来るってよ。
…もしかしてそいつ、マジでチームに入るのか?」
チームメンバーがそろっているかどうか確認していたことから、リックはナディールが正式にチームに加入するのではないかと察したらしい。
ナディールに会ったことがないほかのメンバーもリックから「新しいメンバーが加入するかもしれない」という話は聞いていたのか、あまり驚いてはいなかった。
「ああ。
身体能力の高さは保証する」
「それ以外は保証しねえって言ってる気がするんだが」
「よくわかったじゃねえか。
単細胞のくせに」
「おまえは綺麗な顔してマジで口が悪いな」
思わず言い返したナディールに、シンディーは視線を向けると艶やかな笑みを浮かべて、
「なに言ってんだ。
そういうオレがイイって言ったくせによ」
と甘さを含んだ声で告げる。
誘うような微笑と声音に、ナディールの心臓がどきりと大きな音を立てた。
いやまあそういうシンディーが気に入ってるんだけどよ。でももうちょっと言い方をだな、と思いつつも言い返せない。
なんかこいつ、出会って数日はオレにものすごく敵意丸出しだったのにだいぶ順応して来たっていうか、適応力が高いっていうか。
そのやりとりを見ていたリックたちはちょっと心配になる。
あれ?まさかこのナディールってやつ、マジでシンディーになにかしてんじゃ…?
だがなにか言う前にコートに新たに足を踏み入れた二人の男がシンディーに声をかけた。
「シンディー」
「ベイカー。ロイド。
久しぶりだな」
「ああ、ほんとだぜ。
最近なにか忙しかったの………おまえ、その肩の」
この二人が最後のチームメンバーだろう。
どちらもナディールには及ばずともかなり体格の大きな黒人の男だ。
彼らはシンディーの左の首筋から腕に掛けて刻まれた刻印を見て目を見開いた。
「ああ、ちょっとな」
人間の目にはただの刺青にしか見えないはずだから、シンディーも曖昧にごまかす。
しかしベイカーとロイドはその刻印を見て言葉を失い、それからシンディーの近くに立ったナディールを見ていかにも不愉快げに顔をしかめた。
ナディールは内心「想定外だ」と舌打ちしたくなった。
「ベイカー。ロイド。
新しいメンバーの話はリックから聞いてただろう?
そいつがそうだ」
「こいつが…?」
「ああ。名前はマリス・ナディール」
「…ふうん」
あからさまな敵意を隠しもしない二人に、シンディーはあまり気にした様子なく「決定事項だからなるべくもめ事は起こさないでくれよ」と言うだけだ。
この二人がシンディーにご執心だというやつらだろう。シンディーも過保護だと言っていたから、いつものことだと軽く考えているのかもしれない。
だがナディールには、なぜこの二人がシンディーにご執心なのか、過保護なのかその理由が簡単にわかってしまった。
胸の中にわだかまった不快感が消えるどころか強くなる。
焦げ付くような感情は、正体がわからないままだ。
そのあとは普通にゲームをして、ナディールの優れすぎた身体能力にメンバーが驚嘆して、特に問題なかったと思う。
最初に強い敵意を向けてきたベイカーとロイドも表面上普通に話しかけて来た。
「なあ、リック」
「ん?
なんだよ?」
フェンスに寄りかかって休んでいたリックに近寄ると、ナディールはその隣に立つ。
コートの中ではシンディーが、ベイカーとロイドを相手にゲームをしていた。
「シンディーにご執心なのって、あのベイカーとロイドってやつだろ」
「よくわかったな」
リックはあっさり肯定する。否定されても信じられなかったが。
ベイカーとロイドの態度や視線は、隠されてはいたもののわかりやすかった。
シンディーと、それ以外への差が顕著だ。
「一応シンディーにバレないように隠してんだがなあいつらも」
「ってことは、シンディーは気づいてねえのか」
「たぶんな。
いくらシンディーが人一倍聡くても、オレらチームメイトには甘いっつーか、本気で信頼してくれてるし。
だから逆にわかんねえのかもな」
そうかもしれない、とナディールも思った。
確かにこうして見ているだけでも、シンディーはチームメイトには態度がやわらかいというか、信頼しているのが伝わってくる。
それが無性に腹立たしい。
「で、すぐ気付いたってことは、おまえそういう目でシンディー見てんの?」
「………」
リックはやはり、ナディールがシンディーになにかしていないか疑っているらしい。
「さあな。
…ただ、あいつらとは仲良く出来そうにねーわ」
低い声でぼそっとつぶやいたナディールに、リックはやや意外そうに目を瞠った。
夕方前にコートを出て、家に向かった。
前を歩くシンディーの金色の髪が陽光を受けてまぶしく輝く。
「なあ、シンディー」
「…ん?」
ナディールが声を掛けると、足を止めてこちらを振り返った。
「…チームメイトとは、かなり仲が良いんだな」
「…まあ、悪くはねえだろうな」
「かなり慕われてるだろあれは」
「ならうれしいんだがな」
ナディールの言葉にまんざらでもなさそうに笑って見せたシンディーに、ますます不快感が増す。
「あのベイカーとロイドってやつもか?」
「そりゃあそうだろ。
大事な仲間だしな」
「…あの二人は、おまえに対してちょっと過剰な気もしたが」
「だから言っただろ。
あの二人はなんでかオレに過保護なんだ。
まあ出会ったとき、オレがまだ十五歳でちいさかったし、変な男に絡まれることが多かったからじゃねえの?」
「…絡まれた?」
「そう。
絡まれたっつーか、襲われそうになったこともあったが。
そういうときに助けてくれんのいつもあいつらだったしな」
未だに手のかかる弟みたいに思われてんじゃねえの?とシンディーは特に気にした様子なく言う。
胸の中で、じりじりと焼け付くような感情が騒いでいる。
不可解な感情は、どう制御したらいいのかもわからなかった。
「…なあ、おまえ、ほかの吸血鬼に会ったことがない、よな…?」
「…ない、と思うが。
もしかしたら正体に気づかないまま会ってたりするかもな。
おまえの言うとおり人間のふりして紛れ込んでるやつがいっぱいいるなら。
…もしかして、その襲ってきたやつらがそうだって言いたいのか?」
「…可能性はある、ってだけだ」
それだけおまえは極上の獲物なんだよ、と言えばシンディーはあまり危機感もなさそうに「ふうん?」と相づちを打つだけだ。
ああ、ひどく不愉快だ。その原因が、シンディーを襲おうとした名前も知らない男たちではないとわかっていた。
途中店に寄って買い物をして、家に帰るころにはすっかり日が暮れていた。
シンディーは汗を掻いたからとバスルームに向かう。
それを見送って、ナディールは玄関に足を向けた。
家の外に出ると、綺麗に整えられた庭を歩く。月明かりがあっても、生い茂った木々や草花のせいで薄暗い。
「…で、いるんだろ?
出て来たらどうなんだよ?」
そう大きくはない、けれどよく通る声で言った瞬間、どこからともなく目の前に現れたのはあのベイカーとロイドだった。
人間ではあり得ない芸当だ。コートで会ったときに一目でわかった。
「まさか、もう既にシンディーのチームに同族がいるとは思わなかったぜ」
この二人は、ナディールと同じ吸血鬼だ。
「オレらも、少し目を離した隙にあいつを横からかっさらわれると思わなかったよ」
「この辺りに住んでる同族は、シンディーに手を出すとひどい目に遭うってわかってるはずなんだが」
「生憎、オレは最近ここらに来たばっかなんだ。
シンディーに同族のガードがついてるなんて話は今日知ったぜ」
敵意に満ちたまなざしを向けられてもナディールはまったく悪びれない。
「つか、オレがあいつを“贄”にしたって怒るならなんでさっさと自分の印を刻まなかったんだ?」
シンディーの身体に刻まれた印は、同族ならばすぐにわかる。だから彼らはあんなにも驚いていたのだ。
「おまえと一緒にすんな。
そんな即物的なことが出来るか」
「シンディーをただの餌としか見てねえやつが好き勝手言うんじゃねえよ」
顕著に殺気をにじませた二人に、ナディールは不愉快そうに眉を寄せた。
胸の中の不快感が強くなる。
「なんだよ?
まさかシンディーに惚れてんのか?
吸血鬼が人間に惚れるとか、バッカじゃねえの?」
不可解な感情を振り払いたくてわざと挑発すると、ベイカーとロイドのまとう殺気が更にふくれあがった。
これは図星だ。こいつらは本気でシンディーに惚れている。
なら、一歩遅かったらシンディーはこいつらの“贄”になっていたかもしれない。
彼の身体を最初に抱いたのも、自分ではなくなっていたのかもしれない。
その可能性に気づいた瞬間、胸にどす黒い感情が渦巻いた。
「ハッ。
そりゃ悪かったなァ。
まさか惚れてんのに手も出さず印もつけずに放っておくバカがいるとは思わなくてよ。
残念だがシンディーはもうオレのもんだ。
あんな容姿も血も身体も極上の獲物、誰がほかのやつに渡すかよ」
「…おまえ、シンディーを抱いたのか?」
「ああ。
わかってんだろ聞かなくても。おまえらも吸血鬼なら“贄”の役割くらいはよ。
あのプライドの高い綺麗な男が、オレの下で泣きながら乱れる姿は最高にいやらしかったぜ?」
嘲笑うように唇をつり上げ、思い知らせるように告げた瞬間、頬をなにかがかすめた。
ぴりっとした痛みで、頬が切れたのだと気づく。
鋭く伸びたベイカーの爪が頬を裂いたのだ。
ただ、ベイカーはナディールの目を貫く気でいたらしい。その腕を掴んで逸らしたのはロイドだった。
「ロイド。
なにす…っ」
「バカ。
ここはシンディーの家の庭だぞ。
こんなとこでやったらシンディーに気づかれる。
吸血鬼の傷はすぐ癒えても、落ちた血は消えないんだぞ」
「…っ」
ロイドの制止に、ベイカーもわずかに冷静さを取り戻したのか爪を引っ込める。
彼らは本気でシンディーに惚れ込んでいるのだ。己の正体をバラしたくないと、知られたくないと思うほどに。
でなければあの状況で踏みとどまれないだろう。
「―――生憎だが、もう遅いな」
不意にその場に響いた声に、ベイカーとロイドだけでなく、ナディールも呼吸を失って動きを止めた。
「オレは人間だが、殺気とかのたぐいには聡いんだ。
おまけにナディールは家のどこにもいねえしな。
おかしいと思うのが普通だろう?」
「……シンディー」
月明かりの照らす花壇のそばに、腕を組んで佇むシンディーの姿があった。
ナディールはかすれた声で名を呼びながら、内心焦った。
どこまで話を聞いていた?まさか最初からか?二人がシンディーに好意があることも聞いたのか?
「まさかチームに既に吸血鬼が二人いたとはな。
さすがにわからなかったぜ」
「…シンディー」
「…オレは」
正体がバレたとわかっているから、ベイカーとロイドはひどく怯えたような表情でシンディーを見ていた。
「なんだその顔」
「え?」
不意にやわらかな笑みを浮かべて言ったシンディーに、二人は戸惑いの声を漏らす。
「もしかしてオレが吸血鬼だって知ったらチームから追い出すとか、離れるとか思ったのか?
おまえらはチームの主力だ。
抜けられちゃ困るぜ」
「………だ、って」
「そもそもわかってんのか?
ナディールが吸血鬼だってわかってて、チームに入れたんだぜ?
おまえらだって同じだろ。
むしろおまえらのほうが付き合いが長いのに、なんで人間じゃないってだけで切り捨てなきゃならねえんだ?」
シンディーは迷うそぶりなどなく、当然という口調だ。
「…ナディールがいてもか?」
「なんでナディールをチームに入れるのにおまえらを追い出さなきゃならない?
確かにナディールはバスケット選手としても有能だったがな、オレがより信頼を置けるのはおまえらのほうだ。
それだけの時間一緒にやってきたんだからな」
揺るぎない言葉は、シンディーがそれだけ二人を信頼している証だった。
「あと、ナディールに聞いた話だが、オレは吸血鬼に狙われやすいんだろ?
じゃあオレが今まで無事だったのはおまえらがいたおかげってことになる。
感謝こそすれ、疎む理由がわからねえな」
はっきりと告げたシンディーに、ベイカーとロイドの身体から力が抜けた。
表情が安堵にゆるむ。
それを見て、ナディールは思わず拳を握りしめた。
腹の底からせり上がってきたのは、焼け付くほどの激しい執着心。
シンディーが二人への信頼を表すほどにそれは増した。
一緒に過ごした時間がちがう。だからシンディーが自分より彼らを信頼するのは仕方の無いことなのに、なぜこんなにも許せないのか。
ベイカーたちと話すシンディーの声をどこか遠く感じながら、今すぐその身体を引き倒し組み敷いて牙を突き立て、身も世もなく泣かせて自分以外見えなくしてしまいたい衝動を抑えていた。
ベイカーたちは最後までナディールに敵意と殺意を向けたままだったが、シンディーが「ワンダースナッチに必要だから殺すのはやめてくれ」と説得したため、納得しない様子ながら引き下がった。
彼らが帰ったあと、シンディーは立ち尽くしたままのナディールを見て首をかしげる。
「おい、ナディール。
どうした?」
ずっと黙ったままの自分を疑問に思ったくせ、危機感なく近寄ってきたシンディーに、ナディールは顔を上げる。
自分の顔を見て思わず息を呑み、身を引いたシンディーの腕を掴み、近くの木の幹に身体を押さえつけた。
仄暗く歪んだ笑みがその顔ににじんでいる。
「なにするんだ」
「…おまえ、ずいぶんあいつらには甘いんだな」
「…そりゃ、それだけの時間一緒にいたんだし、当然じゃねえか。
オレを守ってくれていたのはあいつらなんだしよ。
それに誰かさんみたいに会ったその日に襲ったりしてねえしな。
よっぽど信頼出来るぜ」
シンディーはまったく怯えず、真っ直ぐにナディールの目を見上げて言い切った。
手首を掴まれ動きを封じられていても、危機感を覚えることはないらしい。
まるで誘うような微笑を投げかけ、ナディールの言葉を待っている。
月明かりに照らされたその姿はひどく魅力的だった。
気安く触れられないほどうつくしく高潔で、だからこそ力尽くで屈服させ、支配したくなるほどに。
わき上がるのは今まで誰かに覚えたことのない仄暗い欲望だ。
こんな感情も、不可解な激しい衝動も、シンディー以外に感じたことはなかった。
「吸血鬼なのにか?」
「だからなんだ?」
どうにか絞り出した言葉はかすれている。
シンディーは「なにが問題なんだ?」という態度だ。
ああ、そうだろう。吸血鬼だからなんてことを気にする男じゃない。
『吸血鬼だろうが知った事か』
自分にだって、そうだったんだ。仲間であるあいつらはなおさらだ。
考えるほどに、焼け付くような痛みが胸の内に湧く。
「あいつらは、おまえになにするかわかんねえぜ。
だって、あいつらは」
頭を支配する怒りに似た感情に蹴飛ばされるように口にしかけ、我に返って言葉を切る。
あの二人がシンディーに好意を寄せていることは、シンディーは知らないはずだ。さっきの会話だって聞いてないかも。
知らせないほうがいい。知って欲しくない。そう思ったのに。
「あいつらが、オレを好きなのは気づいてた」
シンディーはこともなげにそう告げた。ナディールの呼吸が止まる。
「でも知られたくないみたいだったからな。
好き好んで聞いたりしないさ」
「……わかった上で、あいつらを信頼してるってのか?」
ひどく声がかすれていた。喉が絞められたような息苦しさがある。
シンディーは視線を逸らさないまま迷わず答える。
「さっき言ったじゃねえか。
ベイカーたちはオレの仲間だ。
吸血鬼だとか、オレを好きだとかは関係ねえよ」
瞬間、抑えきれない衝動から無理矢理にシンディーの腰を抱き、その唇に喰らいついていた。
「…っん」
思わず目を瞑ったシンディーの両腕をひとまとめに掴んで頭上で拘束し、ベルトに手を掛ける。
「おい、待て。
ナディール」
「いやだ。
おまえはオレのものだ。
自分の所有物をどうしようがオレの勝手だね」
「言っとくが、この場で無理矢理犯すならおまえはいつまで経っても憎たらしい吸血鬼のままだ」
わずかに焦りをにじませた声が告げた言葉に、ナディールの動きが顕著に停止した。
瞳を見開いてシンディーを見下ろしたナディールに、シンディーはかすかに息を吐いて言葉を続ける。
「オレがあいつらを信頼してるのは、それだけの時間、あいつらが信頼に足る行動を取ってきたからだ。
それに引き替え、おまえはオレの信頼を得るようなことをなにかしてきたのか?
あいつらと同じに扱われたいなら、もう少し頭を使って行動しろ」
その台詞に、ナディールは茫然としたまま月明かりに光る碧い瞳を見下ろす。
「…オレは、べつにおまえの信頼が欲しいわけじゃねえ」
「そうか?
あいつらをうらやましがってるように見えたんだがな」
「バカにするな。
おまえの勘違いだ」
「そう。
…じゃあ好きにすればいい。
そんなものが要らないっていうなら、あくまでオレを“贄”として好きにしたいだけなら、…どうぞご自由に?
犯すなりなんなり、すればいいさ。
いつものように命じてな」
胸の中を渦巻く苛立ちからシンディーの言葉を否定したが、どうしてもそのままシンディーを犯すことが出来なかった。
逸らされない真っ直ぐなまなざしは、なにを考えているのか読み取れない。
けれどこのままいつものように犯せば、彼の言った通りになるのだろう。
ベイカーたちのように、信頼を寄せられることはなくなる。
今日のように冗談めかして笑うことも、気安く話してくれることもなくなって、またあの敵意に満ちたまなざしで自分を見るようになるかもしれない。
想像したら胸の辺りがぎりりと締め付けられて痛かった。
シンディーの腕を拘束していた手から力が抜ける。そっと離したら、シンディーは逃げずに自分の言葉を待っていた。
ベイカーたちのことは気にくわない。仲良く出来るとはとても思わない。
『ベイカーたちはオレの仲間だ。
吸血鬼だとか、オレを好きだとかは関係ねえよ』
けれど、シンディーが彼らに寄せるような揺るぎない信頼を、その言葉を。
要らないなんて、言えなくて。
「………じゃあ、命令じゃなく、お願いなら聞いてくれるか?」
やっとの思いで絞り出したのは、そんな言葉だった。
胸の中を渦巻く感情は、突き詰めればシンプルだ。
(シンディーに触れたい)
「内容によるが」
「…抱きしめさせてくれ」
苦しげな声でどこかすがるように告げたナディールに、シンディーは目を丸くして、それから眦をやわらかくゆるませた。
コートの上でベイカーたちに向けていたようなやさしい表情だ。
そう気づいた瞬間、心臓が大きく音を鳴らした。
「…今までに比べると、ずいぶんかわいいお願いだな」
「…ダメか」
「そうは言ってねえよ」
シンディーは微笑むとナディールの頬に触れ、そっと撫でる。
「それなら、かまわない」
許すという言葉に、堪らず目の前の身体をかき抱いていた。
力がこもりすぎて痛いはずなのに、シンディーは逃げないどころか笑っている。
それになんだかとても安堵した。胸の中の痛みが、溶けるように消えていく。
血が欲しかった。その身体が手に入ればいいはずだった。
なのに今は、無性に彼の微笑みが見たいと思っていた。
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