あやかしの花嫁~白の執心~

永久(時永)めぐる

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4.忍び寄る変化

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「ごちそうさまでした!」
「どう? 美味しかった?」
「はい! すごく」

 鈴花の前に置かれた漆塗りのお膳は綺麗にからになっている。
 空腹だったのと料理の美味しさに、黙々と夢中で平らげてしまったと今更ながら気づいた。
 
「あんまり美味しいので、夢中になっちゃいました」
「君の口に合って良かった」

 見苦しい食べ方をしたつもりはないものの、一緒に食べている人を置き去りにしてしまったのは事実で、付け足すように言い訳を口にした。
 が、夏々地は全く気にしていないようだ。むしろ鈴花の食べっぷりに満足したかのような笑みを浮かべ、酒の入った平盃ひらはいをくいっと傾ける。

「イワナの塩焼きも、ウワバミソウの浅漬けも初めて食べました。こんなに美味しいんですね」
「君にそんなふうに喜んで貰えれば、作ったあおもさぞ喜ぶよ。――ああ、青というのは通いのお手伝いさんのことだよ。さっき君も会ったろう?」

 鈴花の脳裏に、盥を運んでくれた着物姿の女性が浮かぶ。
 
「あの方は青さんとおっしゃるんですね。あとで御礼を言いたいのですが」
「残念ながら彼女はいない。他のお手伝いさんもみんなそうなんだけれど、彼女も通いなんだ。タイミングが良ければ明日会えるかもね。お礼はその時に直接言って」

 夏々地の言葉に、鈴花は妙な緊張を覚える。

 ――お手伝いさんはみんな通い? ということは、今ここにいるのは……夏々地さんと私だけ!? いや、最初に会った時に一人暮らしって言ってたもの、今更何を狼狽えてるの、私!

「どうしたの? そんなに顔を赤くして。――可愛いなぁ」
「えっ!? 冗談はやめてください!」

 狼狽えているところに褒められて、返す言葉が想像以上にきつくなった。
 夏々地は驚いたように目を見開いた。
 彼を傷つけてしまったのでは? と鈴花はますます慌てふためいた。

「あ……すみません。私、お世辞には慣れていないので……そういうのはやめていただけると助かります」

 ――もっとお世辞や冗談をさらっと受け流せる性格だったら良かったのに……。

 今まで何度も繰り返してきたことが、また心に浮かぶ。
 もう気にしないと決めたのに、心の底がズキズキと痛んでしまう。

 ――人付き合いがもっと上手かったら。親も親戚もいない故郷に逃げ帰ったりしないで、今も東京で……あの会社で上手くやれていたのかな。

『このくらいただのスキンシップだろう? 大袈裟な』
『君はつまらない女だな』
『そんなに頑なだから仕事だってできないんだ』
『冗談も通じないなんて、君はおかしいんじゃないのか?』

 上司からかけられた言葉の数々が浮かんできては、ガラスの破片のように突き刺さる。
 自然と顔が俯いてしまう。
 鈴花は膝の上に揃えた両手をグッと握りしめた。
 思い出してしまったことをやり過ごせるように。そしてそれ以上嫌なことを思い出さないように。

「鈴花ちゃん……」

 握りこぶしに、大きな手が重ねられた。
 驚いて顔を上げると、夏々地が寄り添うように隣にいた。

「ごめんね。からかったんじゃない。心の底から可愛いと思ったからそう言ったんだ」

 彼の手にわずかに力が籠もる。

「どうか僕の言うことを信じて。君は今まで出会った誰よりも素敵だよ」
「嘘……」
「嘘じゃない。君と出会ったのは宿命だったんじゃないかと思うくらい君に惹かれてる」

 夏々地の言葉に、鈴花は苦笑の形に唇を歪めた。

「そんな馬鹿げたことあるわけないわ」
「何が馬鹿げたこと? 僕が君に惹かれるのはおかしい?」

 おかしいに決まってる。なぜこんなに美しい人が、自分なんかを好きになるものか……。

「ねえ、鈴花ちゃん。嘘だと思うなら僕の目を見て」

 鈴花の顎を冷たい指が固定する。これではもう顔を動かせない。
 否応なしに彼の目をのぞき込むことになった。
 やや切れ長の目は真剣味を帯びて、鈴花をジッと見つめている。
 光の加減によっては濃紺にさえ見える黒い瞳。灯された明かりの色のせいか、時折赤みが混じる。

「あ……」

 目が逸らせない。逃げられない。
 本気にしてしまいたい衝動と、信じられないという不安に心が揺れる。
 助けを求めるように手を無意識に動かせば膳にぶつかった。乗っている食器がガチャンと耳障りな音を立てる。

「逃げないで」
「あ……の……」
「逃げても無駄だから」

 顎を押さえていた手が肌を滑り、今度は頬に添えられる。
 拘束はされていないというのにますます動けなくなって、鈴花は泣きそうな顔で夏々地を見つめた。

「ひと目見て、君を好きになってしまったんだ。君のこの温もりも、飾りのない優しい言葉も、花のような君の笑顔も僕の目を惹きつけてやまない」
「でも……私たちは、会ったばかりですし」

 顔が動かせないかわりに、視線だけでも逸らしたいのに。
 それすら果たせない。まるで魅入られたようだ。

「時間なんて関係ない」

 夏々地の顔がどんどん近づき、耳朶に触れるほどの場所で囁く。

「――ねえ、ずっとここにいてよ、鈴花」

 胸を疼かせる甘い囁きに、鈴花は小さく震える。
 彼の提案は非常識なものだ。断るべきだと理性が言う。
 だが、彼のことは嫌いじゃない。
 むしろ惹かれている。
 その自覚がある彼女は即答ができず、瞳を揺らすだけだった。

「君は僕のことが嫌い?」

 鈴花は躊躇いながらも首を横にふる。
 嫌いと言うべきだったと頭の片隅で思うものの、夏々地に対して嘘はつきたくなかったのだ。

「ならいいじゃないか。ここにいれば誰も君を傷つけない。大切に、大切に、僕が守ってあげる」

 それは蜜のように甘い誘惑だ。

「君は何も憂うことなく、僕だけを見ていてくれれば、それでいいんだ」

 頷いてしまいたい。
 でも、自分の気持ちが恋なのかも分からない。

「夏々地さんのことは嫌いじゃないです。でも……この気持ちがなんなのか分からない、から」

 返事はできない、と。そう言うつもりだったのに。
 清流に似た香りに包まれたかと思った瞬間、唇が不意に塞がれた。

「んっ!?」

 驚愕の声は口から零れるのではなく、鼻にかかった。
 キスをされたのだと理解したのは、彼の唇がより深い結合を求めて角度を変えた時だ。
 覆い被さってくる彼の身体を押しのけようとして伸ばした腕は簡単に絡め取られてしまい、逃げることも叶わない。

「んんんっ!」

 触れ合った場所が甘い熱を帯びて、思考を溶かす。どんどん抵抗する気力が消え失せていくのが怖ろしかった。
 もう意識を保っているのも無理だと思った矢先、彼の唇が遠ざかった。

「あ……」

 思わず名残惜しげな声が漏れてしまい、慌てて口をつぐんだ。

「ねえ、鈴花。僕とのキスは嫌だった?」

 夏々地の唇は、どちらのものとも知れない唾液に濡れて光っている。
 艶めかしい赤い唇が動く様は官能的で、思わず目を奪われた。

「そ、れは……」

 嫌ではなかった。けれど素直にそう答えるのは恥ずかしい。
 嫌だったと嘘をつくのもはばかられる。
 
「嫌じゃなかったんだね。良かった」

 夏々地は鈴花の態度から気持ちを推し量ると、満足そうに笑った。

「今日のところは君の気持ちが知れただけで良しとしようかな。君も長時間歩いて疲れただろうからもうお休み。答えは明日聞かせてくれると嬉しいな」

 そう告げると、夏々地は鈴花の額に軽いキスを落として立ち上がった。

「夏々地さん!」

 何か用があったわけでもないのに、思わず呼び止めてしまった。

「どうしたの、鈴花」
「なんでもないです。ごめんなさい」

 離れがたい気がしたからだなんて、口が裂けても言えない。

「眠れない? なら僕ともっと進んでみる?」

 蠱惑的な表情で言われて、鈴花は顔を真っ赤に染めた。

「けけけけけ、結構です! お休みなさい!!」

 叫ぶように答えると、夏々地は愉快そうに声を上げて笑った。

「何だ、残念。――お休み、鈴花。良い夢を」

 夏々地は何事もなかったかのような顔で平然と姿を消した。
 後に残された鈴花は火照った頬を押さえて、どうしたら良いのかと途方に暮れていた。



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 外廊下を月明かりが照らしている。
 その中を音もなく夏々地が歩いていた。白い肌も、銀鼠色の着物も、月光を弾くようだ。
 鈴花がいる部屋からだいぶ離れると、彼はふと足を止めた。

「青、いるかい?」

 すると庭の茂みがザワザワと揺れた。
 木陰から一匹のアオダイショウが、美しく滑らかな身体をくねらせながら現れた。
 夏々地のそばまで這い出ると、その蛇は見る間に美しい女の姿に変わった。
 地面に片膝をつき頭を垂れると、鈴の鳴るような声で返事をした。

「はい、主様。ここに」
「誰かに、鈴花の過去を探らせて。特に東京にいた頃のことを念入りにね」
「かしこまりました。けいれんを向かわせましょう」
「よろしく頼む」

 青は一礼するとまた蛇の姿に戻り、どこかへ消えていった。

「僕の大事な鈴花を傷つけた奴には、念入りに御礼をしないとね。こんなに腹が立ったのは久しぶりだ。自分を抑えられなくなりそうで怖いな」

 怖いとは微塵も思っていない顔で笑う。
 その目は赤く、人ならざる形をしていた。
 白い頬には、肌よりもっと白い鱗がうっすらと浮かんでいる。

「いけない。こんな顔を鈴花に見られたら嫌われてしまう。もうしばらくは内緒にしていないとね」

 彼の脳裏には、先ほど見た初々しい鈴花の姿が浮かぶ。

 ――ごめんね、鈴花。君が明日どんな返事をしても、僕は君を手に入れるよ。

「僕の結界を破ってここに迷い込んだのが運の尽きさ。君は僕の……花嫁になる運命なんだよ」

 クスクスと笑う夏々地を見ているのは、煌々と光る月だけ。
 その月も、にわかに湧きだした黒雲に隠された。
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