上方びいどろ

前野羊子

文字の大きさ
2 / 44

2【くらわんか】

しおりを挟む
 嵐山から伏見の港まで一時ちょっと(二時間余り)でたどり着いた瑠璃は、小ぶりな十石船の席を確保してから、男物の着物の襟から汗だくの手ぬぐいをひっぱり出して、井戸水で濯いで絞り、顔や首の汗を拭いてもう一度濯いで固く絞って、男物の帯に引っ掛ける。
 昼前に姫と呼ばれていた女性とは別人で、お使い帰りの丁稚にも見える。

「ぼうず、えらい汗だくやな」
「はは、嵐山から走ってきてん。あっつ」
 襟元を緩めて風を入れるしぐさをする。
 しかし腹掛けの下にさらしを巻き付けているから暑いのだ。
「今から船に乗るんか?」
「道頓堀に帰らなあかんねん」
 今から乗る船の船頭が、自分の荷物の隙間から団扇を出してきた。
 ぱたぱたぱた
「ひゃあ、おっちゃんおおきに。涼し」
「せやけど、淀川の夜は寒なるで、川風もあるしな」
「ごんぼ汁の船が来たらもらおかな」
「あいつらは、絶対来よるわ」

 伏見港から淀川を下る船は夜行だが、途中の枚方浜あたりで飲み食いを売りに来る船がやかましく近づいてくるのは知られたこと。

「ほならおっちゃん、先に寝とくから、ごんぼ汁の船が来ても寝とったら起こしてや」
「よっしゃ寝とき。せやけど風邪ひきなや」
「おおきに」
 船頭は一番近くの少年にしか見えない客が風邪をひかぬようにと、きれいめなむしろを上からかぶせてやる。

 しばらくして、減速する船から汁を啜る音があちこちから聞こえてきた。
 もちろん、連れ持って乗ってきた客は握り飯を頬張りながら話もしている。

 握り飯食らわんか~、牛蒡汁もあるよって~
 酒いらんか~

 隣の小舟ではさらに物売りをしようと声を張り上げる声が聞こえている。

 ふーふーずるずる
「あったまるわ」
 抱えた膝小僧の間に顔をのせて、両手で包んだ器の牛蒡汁を啜る。
「……それで、どうやったん?」
 かがり火を背にしている船頭の顔は真っ暗だ。
「なにが」
 船頭を見ると親指を立てている。
「うまくいったで」
 もぐもぐ、あ、蒟蒻入ってるやん。おいし。

「じゃあ尾関の御曹司と縁切れたんやな」
「白拍子上がりの娘と引っ付いてくれはったわ」
「そりゃよかった。親方様も喜びはるわ」
「せやろか」
「まだまだ瑠璃姫はこれから活躍するんやから。奥に入ってしまうのはもったいないわ」
「ははは。確かにうちも、もうちょっと仕事やりたいんよ。面白くなってきたし。
 このままやったら修行した時間の方が長すぎるし、意味ないやん?」
「せや。お瑠璃はよちよちしてた時からしごかれとったもんな」

「しごかれてても、期待されてるて分かりやすかったからしょうがないねん。とりあえず〈姫〉は廃業出来そうやな」
「姫かてなかなか慣れるもんちゃうのに」
 「ははは。綺麗な着物を着れるだけや。新調はせず同じものを着まわしてるだけやけどな」

 皆が食事をしやすいように、船は流れに任せてゆっくり流れているだけだ。
 船頭も、櫂で気にするのは岩にぶつからないように、ぐらいである。
 周りの舟も同じ。
「ほな、もうちょっと寝るからまた起こしてや」
「その空の器もらっとこか」
「おおきに」

 羽森 瑠璃は、平安より昔から続く公家の羽森家の一族の三女。羽森家は奈良に都があった時から、帝の暗部として活躍していた古い家だというのは、今では雲の上の一部の人にしか知られていない。表向きは公家だが、身内には武士もいる。そして瑠璃は忍びと、ほかにかけ持ちがいくつかあった。

 この船頭も一族の一人で、京の都と大坂の交通を担いながら、あらゆる情報を握っている。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

カモフラ婚~CEOは溺愛したくてたまらない!~

伊吹美香
恋愛
ウエディングプランナーとして働く菱崎由華 結婚式当日に花嫁に逃げられた建築会社CEOの月城蒼空 幼馴染の二人が偶然再会し、花嫁に逃げられた蒼空のメンツのために、カモフラージュ婚をしてしまう二人。 割り切った結婚かと思いきや、小さいころからずっと由華のことを想っていた蒼空が、このチャンスを逃すはずがない。 思いっきり溺愛する蒼空に、由華は翻弄されまくりでパニック。 二人の結婚生活は一体どうなる?

罪悪と愛情

暦海
恋愛
 地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。  だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――

処理中です...