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チン。
エレベーターが到着を知らせる音と同時に扉が開く。
私は社長室のある四十九階へ降り立つ。
このエレベーターは社長専用のものだ。だから私が割烹着で乗っても誰にもバレることは無い。
加えて社長室の隣には、私専用のロッカールームがある。
これがもうひとつのロッカールームだ。
社長に個人的に雇われているため、特別に与えられていたのだった。
鏡に向かうと銀縁眼鏡を外し結上げていた髪をほどく。パサリと落ちた黒髪は背中の中ほどで揺れる。
ロッカーから取り出したのはSサイズの上下黒のスーツ。ジャケットはVネックのノーカラー。スカートはひざ丈のタイト。インナーは白のカットソー。
これが私のもう一つの制服だ。
くにゃっと曲がった前髪を直し、化粧を施す。
そして最後に唇に赤い口紅を塗る。
自分でも別人だと思う。
社食に来るおじさんたちにこの姿を見せてあげたい。そう思いながらロッカーの扉を静かに閉めると、社長室へと続く扉をノックする。
「どうぞ」
中から声が聞こえ、私は扉を開ける。
視界が一気に開け東京の街が眼下に広がる。
ここはいつ来ても気持ちがいい。
大きなガラス窓をバックに執務机が置かれ、そこに鎮座している男性。
切れ長の瞳に美しい二重を持ち、ギリシャ彫刻を思わせるスッとした鼻筋、薄目の唇。眉目秀麗とは目の前の人のことを言うのだろう。
そして一瞬で心をつかんでしまう甘く低い声。私は何度この声に心を溶かされてしまっただろうか。
星野 周一郎。
三十二歳。満天堂社長。
満天堂の初期は小さなおもちゃ屋さんだった。
二代目がゲーム業界に参入し、三代目の周一郎さんがヒット作を次々生み出しここまで大きくしたのだった。
「どうした?」
私は彼のデスクの前までモデル歩きで進む。このスーツを着たら私は美しく完璧な女になる。
「実は、新たな仕事の許可を頂きたいのですが」
涼しげに私を見つめる瞳。
「秘書課の本橋唯香の噂はご存知ですか?」
「ああ、出社してすぐに今井から聞いた」
今井さんとは社長秘書の名前。ちなみに男性だ。
「さっき本橋をこの目でも見て来た。デマのショックで泣きはらしたのだろう。瞼がだいぶ腫れていたな。しかし仕事を優先する姿勢は大したものだ」
そうか。朝八時半から重役会議があったっけ。
年寄りは朝に強いから会議は早朝が多い。秘書の皆さん、ご苦労様です。
周一郎さんは、十五分ほどしか顔を出さなかったと言う。
「誰が整形しようが、していまいが俺にとってはどうでもいい話なんだが。どうも女性は噂話がお好みのようだ」
君は?問いかけるような視線を向けられて、私は首を振る。
「仕事上、噂話に敏感ではありますが、興味はありません」
「だろうな」
周一郎さんは満足気に頷く。そんな暇があったら仕事しろ。が彼の本音だろう。
「この件の理想的な解決策ですが、まずSNSでデマを流した犯人を特定すること。そしてそれが噂であることを社内に知らしめること。そうすれば、デマを信じた清水健介は橋本唯香と別れる理由が無くなります」
「二人は元の鞘に収まってめでたし、めでたし。か?」
「はい」
「SNSの件に関しては会社としても看過できないから解決を望む。しかし後半はどうかな」
少し意地悪そうに周一郎さんは口角を上げる。
「二人が別れるきっかけがSNSなんです。デマと分かれば仲直り出来ます」
「……男と女は一度こじれると、修復は難しい」
私たちのことを言っているんですね。
確かにそうだけど――。
吹っ切った感情がよみがえる。
切ないような、でも過去は振りかえらないって私は決めたのだ。
「急ぎの用件はないし、好きにするといい」
周一郎さんは目を通していた書類をパサリと机に置いた。
「では」
社長室を後にすると、私は四十六階にある総務部秘書課へと向かったのだった。
エレベーターが到着を知らせる音と同時に扉が開く。
私は社長室のある四十九階へ降り立つ。
このエレベーターは社長専用のものだ。だから私が割烹着で乗っても誰にもバレることは無い。
加えて社長室の隣には、私専用のロッカールームがある。
これがもうひとつのロッカールームだ。
社長に個人的に雇われているため、特別に与えられていたのだった。
鏡に向かうと銀縁眼鏡を外し結上げていた髪をほどく。パサリと落ちた黒髪は背中の中ほどで揺れる。
ロッカーから取り出したのはSサイズの上下黒のスーツ。ジャケットはVネックのノーカラー。スカートはひざ丈のタイト。インナーは白のカットソー。
これが私のもう一つの制服だ。
くにゃっと曲がった前髪を直し、化粧を施す。
そして最後に唇に赤い口紅を塗る。
自分でも別人だと思う。
社食に来るおじさんたちにこの姿を見せてあげたい。そう思いながらロッカーの扉を静かに閉めると、社長室へと続く扉をノックする。
「どうぞ」
中から声が聞こえ、私は扉を開ける。
視界が一気に開け東京の街が眼下に広がる。
ここはいつ来ても気持ちがいい。
大きなガラス窓をバックに執務机が置かれ、そこに鎮座している男性。
切れ長の瞳に美しい二重を持ち、ギリシャ彫刻を思わせるスッとした鼻筋、薄目の唇。眉目秀麗とは目の前の人のことを言うのだろう。
そして一瞬で心をつかんでしまう甘く低い声。私は何度この声に心を溶かされてしまっただろうか。
星野 周一郎。
三十二歳。満天堂社長。
満天堂の初期は小さなおもちゃ屋さんだった。
二代目がゲーム業界に参入し、三代目の周一郎さんがヒット作を次々生み出しここまで大きくしたのだった。
「どうした?」
私は彼のデスクの前までモデル歩きで進む。このスーツを着たら私は美しく完璧な女になる。
「実は、新たな仕事の許可を頂きたいのですが」
涼しげに私を見つめる瞳。
「秘書課の本橋唯香の噂はご存知ですか?」
「ああ、出社してすぐに今井から聞いた」
今井さんとは社長秘書の名前。ちなみに男性だ。
「さっき本橋をこの目でも見て来た。デマのショックで泣きはらしたのだろう。瞼がだいぶ腫れていたな。しかし仕事を優先する姿勢は大したものだ」
そうか。朝八時半から重役会議があったっけ。
年寄りは朝に強いから会議は早朝が多い。秘書の皆さん、ご苦労様です。
周一郎さんは、十五分ほどしか顔を出さなかったと言う。
「誰が整形しようが、していまいが俺にとってはどうでもいい話なんだが。どうも女性は噂話がお好みのようだ」
君は?問いかけるような視線を向けられて、私は首を振る。
「仕事上、噂話に敏感ではありますが、興味はありません」
「だろうな」
周一郎さんは満足気に頷く。そんな暇があったら仕事しろ。が彼の本音だろう。
「この件の理想的な解決策ですが、まずSNSでデマを流した犯人を特定すること。そしてそれが噂であることを社内に知らしめること。そうすれば、デマを信じた清水健介は橋本唯香と別れる理由が無くなります」
「二人は元の鞘に収まってめでたし、めでたし。か?」
「はい」
「SNSの件に関しては会社としても看過できないから解決を望む。しかし後半はどうかな」
少し意地悪そうに周一郎さんは口角を上げる。
「二人が別れるきっかけがSNSなんです。デマと分かれば仲直り出来ます」
「……男と女は一度こじれると、修復は難しい」
私たちのことを言っているんですね。
確かにそうだけど――。
吹っ切った感情がよみがえる。
切ないような、でも過去は振りかえらないって私は決めたのだ。
「急ぎの用件はないし、好きにするといい」
周一郎さんは目を通していた書類をパサリと机に置いた。
「では」
社長室を後にすると、私は四十六階にある総務部秘書課へと向かったのだった。
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