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どんでん返し 3

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 それから三日後。

 池入ひなのと増田鏡子は揃って社食に姿を現した。
 私はテーブルに置かれている割りばしの補充をするふりをして、二人の席に近づく。

 そして二人の会話に耳を澄ます。

「――会社辞めると思ってたんだけど」
「けっこうしぶといですよね」
「あたしさ、あいつの顔見るだけでムカつくんだよね」
「分かります、それ。又やりますか、先輩」
「そうね……」

 友達を裏切っておいて、まだ何かやる気らしい。
 坊主憎けりゃ何とやらってやつだ。

 これは急がないと。やられる前に手を打たなくちゃ。

 割烹着のポケットに忍ばせておいたボイスレコーダーのスイッチを切った。

 これで完璧。

 唯ちゃんと市田専務は三日前から大阪に出張に行っていた。
 本社に帰ってくるのは明日。

 市田専務に連絡を取って作戦決行よっ!!




 翌日、第二営業課の池入ひなの、増田鏡花の二人は役員専用ラウンジにいた。
 社長名で呼び出してもらった。けれどそこに彼の姿はない。

 私はパーテーションの陰から様子を伺っていた。
 二人の会話が聞こえる。

「すごいですね先輩、役員専用ラウンジ。ソファーはふかふかだし、あのシャンデリア高そうですよ」

 ひなのはキョロキョロしている。

「あたしたちの働いた金で、いい思いしてるわね~。だいたい役員なんてどんな仕事してるか分かったもんじゃないわよね。おまけに給料は高いし」
「そうですよねぇ。毎日会議か接待ですもんね」
「そうよ。それで給料もらえるわ、こんな贅沢してるわ、なんかムカつくよね」
「でもどうして呼ばれたんでしょうね。あたしたち特別何もしてないのに」

 首を傾げるひなのに鏡花が教える。

「噂なんだけど、時々社員がここに呼ばれることあるみたいよ」
「へー、日頃の感謝を込めて接待してくれるとかだったら最高なんですけど」
「案外そうかもよぉ」

 きゃははと二人の笑い声がラウンジに響く。

 黒服をビシッと決めたボーイが彼女らの前に進み出るとメニューを差し出す。

「どうぞ。お好きなものをご注文下さい」
「ほら、やっぱりっ!」
「キャー、マジっ!?」

 二人はあれこれ注文を済ませると、目の前に置かれていたウェルカムドリンクを手に取る。

「最高ですね~」
「でもさ、これもあたしたちの給料でまかなわれてるんだし」
「だからキャビアとフォアグラ頼んだんですね」
「当然。少しくらいモト取り戻してもバチあたんないでしょっ」
「ですね~。乾杯!」

 はしゃぐ二人を見ながら私はため息をつく。

 幸せ回路だね。
 直属の上司ならともかく、重役が平社員を接待することなんてあり得ないでしょうが。普通に考えて。

「う~ん、このシャンパン美味しい」
「ラベルにモエ・エ・シャンドンって書いてありましたよ」
「うっそ、めちゃ高いやつじゃん」
「あたし初めて飲みました」
「あたしだってそうよ」

 楽しむ二人にふいに声が掛けられた。

「楽しんでいますか?」

 市田常務だった。その後ろには唯ちゃんもいる。

「えっ!?」

 二人は驚いて乱暴にグラスをテーブルに置く。
 ガチャン。不快な音と共に、グラスの中のゴールドの液体が跳ねてテーブルに広がった。

「あー、そのままでいいですよ。どうぞ最後まで飲んでください」

 穏やかな喋り口の市田常務。頭に白髪が混じる、おっとりしたおじいさん。もうすぐ、七十歳になる。
 
 この状況で飲めと言われても、中々飲めないだろう。
 さすがに二人もそこまで図々しくは無かったらしい。

 常務と唯ちゃんは、テーブルを挟んで二人の前に座った。
 その時点で、二人は何かを察したらしい。表情が曇り体を硬くした。
 言い知れぬ緊張感が二人を支配しているのが、ありありと見て取れた。

「どうも、うちの本橋がお世話になったみたいだね」

 常務の言葉に心当たりがあるのだろう。二人は同時に視線を泳がせ、うつむいた。
 膝の上には固く結んだ拳が置かれている。

「そのSNSってやつなんだけどね、私はどうも、そういう物に疎くてね」

 二人は微動だにしない。
 緊張した空気がその場を支配している。

「本橋に見せてもらったんだよ。随分酷いことが書いてあるね。これのせいで本橋も相当傷ついてしまってね。いつも明るい彼女が急に元気がなくて私も心配していたんだよ。原因はこれだったんだね」

 俯いていた増田鏡花が顔を上げ口を開いた。

「先ほどから常務のお話されていることが良く分からないのですが。SNSで本橋さんが傷ついたことは良く分かりましたが、そのSNSと私たちに何か関係があるとでも?」

 しらを切るつもりだな。
 私はぎゅっと唇をかみしめる。

「営業二課の清水君が言っていたよ。本橋が整形したと、君たちから聞いたらしいね」
 
 唯ちゃんは黙って二人をじっと見つめている。
 年長の鏡花が再び口を開いた。

「はい。確かに話しました。でも私たちだって聞いた話です。えっと、誰から聞いたかは覚えてないですけど」
「そ、そうです。噂です。SNSは私たちとは関係ありません」

 鏡花にひなのも加勢する。

「そうか。酷い噂を流す奴がいるもんだね。これはもう名誉棄損にあたるね」

 市田常務は続ける。

「懲戒処分の対象だし、民事訴訟だって起こせる。私は本橋の名誉のために訴訟を起こしてもいいと考えているんだ」
「ひっ」

 声を上げたのは、池入ひなのだった。

「そ、そ、そんなに、大袈裟な事になるんですか!?」

 常務は無言で頷く。

「ま、まさか」

 明らかにひなのは動揺していた。
 しかし、増田鏡花は肝が座っていると言うか、古だぬきの貫禄と言うか……。

「常務。本橋さんは私の横に座る池入と同期です。とても仲がいいです。どうか犯人を捜して処分して下さい」

 これには私も舌を巻いた。
 こっちが『ひぇ』と言葉を発しそうになるぐらい驚いてしまった。
 犯罪心理学を学んだことは無いけれど、ここまで堂々と出来るものだろうか。

「そうだね、私もそう思っているんだ」

 にっこり笑うと専務はボイスレコーダーを取り出し、テーブルに置くとスイッチを入れる。

 ジーとレコーダーが起動する音に続き、昨日の社食での二人の会話が流れる。

 二人から血の気が引くのが遠くから見ていた私にもはっきりと確認できた。

「これから顧問弁護士に相談して、君たちの処分を決めようと思う」
「ちょっと待って下さいっ」

 やはり声を上げたのは鏡花だった。ひなのは生気の抜けた表情で、ぼんやりと天井を見つめているだけだった。
 鏡花はこのごに及んで、まだ何かあるのだろうか。
 私は眉をひそめて成り行きを伺う。

「常務。私はSNSでデマを流してはいません。流したのは池入です。録音された会話からもそれはお分かりになるはずです。池入が『また何かしますか』って言っているじゃありませんか。すべて池入のしたことです」

 私だけじゃなく、市田常務、唯ちゃん、池入ひなのが絶句したことは言うまでもない。

「私は処分対象にはなりません。池入だけ処分してください」

 これには池入ひなのも黙っていなかった。

「酷いです先輩!先輩がやれって言ったじゃないですかっ!」
「冗談でしょ。あたしはそんなこと言ってないわよっ。あんたが勝手にやったんでしょ。あたしを巻き込まないでよっ」
「今さら嘘つくんですかっ!これは先輩の――」
「いい加減にしたまえっ」

 市田常務が二人の不毛な会話を打ち切らせた。

「直接手を出していなくても、共謀罪は成り立つんだよ。知らないのかね」

 一瞬鏡花動きが止まった。そして二人はガックリと肩を落とし泣き始めた。

「ごめんなさい。まさかこんな事になるとは思わなかったのよ。ほんの軽い気持ちで」
「ゆ、許して。唯から清水さんと付き合ってるって聞かされて、ちょっと腹が立って。でも唯のこと嫌いじゃないし、友達だと思ってる。ちょっといじめてやろうと思っただけだから。本気で嫌いじゃないのよっ」


 私の体はプルプルと震えていた。
 どこまでこの二人は面の皮が厚いのだろう。
 今さら命乞いなんて恥ずかしくないのだろうか。
 人間窮地に陥った時、潔さは失いたくないものだと改めて思う。
 
 あんな酷いことをして、本気で許されると思っているのなら、おめでたい人たちだ。
 市田常務と唯ちゃんの表情を見れば、それは絶対にないのに。

「ごめんなさいっ!」

 二人は土下座して何度も何度も謝った。

 ため息をついたのは市田常務だった。

「人間引き際が肝心ですよ」
「ごめんなさいっ!」

 それでも二人は頭を下げ続ける。
 けれど、遅いのだ。

 

「失礼します」

 そこへあらたな人物が姿を現したのだった。

わたくし、株式会社満天堂の顧問弁護士をしております春山と申します」
 
 唯ちゃんは、うな垂れる二人にいつまでも冷たい視線を送っていたのだった。






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