契約結婚のススメ

文月 蓮

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初めての夜会

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 王城からレティシアの元に登城を許す手紙が届けられた。
 いよいよ一週間後には王城での仕事が始まる。
 その前に、レティシアは侯爵邸で開かれる夜会を乗り切らなければならなかった。
 夜会に必要な楽団や食事、屋敷内部の飾りつけなどはアロイスが全て手配を調えてくれたため、レティシアは社交の準備に専念することができた。
 領地にいた執事長のエドモンが前日には来てくれ、屋敷を取り仕切ってくれるというので、安心だ。
 長年執事として侯爵家を取り仕切っている彼がいれば、大抵の問題は片付いてしまう。
 領地で彼の仕事の一端を目にしたレティシアは、エドモンの存在を頼もしく思っていた。
 そして、朝からメイドの手を借りて身支度を調えていたレティシアは、鏡の前で最後の仕上げをしてもらっているところだった。

「夜会が開かれるのは本当に久しぶりなので、少々手際が悪いところもありましたが、どうにか今夜を迎えられて、ほっとします」

 グレースの言葉に、レティシアは驚く。

「もしかして、アロイスが侯爵になってから一度も?」
「いいえ、もっと以前からです。ですよね、グレースさま」

 レティシアの髪を整えていたニナがグレースに尋ねる。

「ええ、大奥様……だんな様のお母様がなくなってから、侯爵家で夜会が開かれたことはございません。もう、十年近くになりますね」
「そうだったの……」

 アロイスの母が亡くなっていることは知っていたが、レティシアの母と似たような時期に亡くなっていたとは知らなかった。

「さあ、ニナ。おしゃべりはしても手を止めないで」
「はい」

 ニナがかわいい顔に真剣な表情を浮かべ、レティシアの髪の仕上げに取り掛かった。
 レティシアはいつも下ろしている髪を、今夜はゆったりと結い上げている。髪を結い上げている所為であらわになったうなじは細く、彼女の姿を儚げに見せていた。
 そこへ扉をノックする音が聞こえてくる。

「レティ、少しいいか?」
「はい」

 アロイスが箱を手に入ってきた。
 彼もまた夜会に相応しい燕尾服を身にまとっていた。
 うしろに撫で付けられた髪が、一筋だけ額にかかり影を作っている。レティシアは鏡の中に映った彼のまぶしい姿に、目を細める。
 アロイスが箱からなにかを取りだすと、グレースがはっと息を呑んだ。

「旦那様、それは、大奥様の……」
「ああ、母の首飾りだ。父上が届けてくださった」

 箱の中には大粒のエメラルドが中央に配された豪奢な首飾りが納められていた。太目の鎖はずっしりと重そうで、中央のエメラルドの周りにはきらめくダイヤモンドがちりばめられていた。

「侯爵夫人に相応しいものを身につけさせろと、父上に怒られたよ」

 アロイスが取り出した首飾りを手に、鏡に向かっていたレティシアの背後に近づく。
 アロイスの意図を悟ったニナが、さっと脇に避け、首飾りを羨望の眼差しで見つめた。
 アロイスの手がレティシアの首に回り、少し寂しく感じていた胸元を鮮やかに彩る。
 深い緑色のエメラルドが、彼女の濃い金色の髪と、白い胸元によく映えていた。
 アロイスはうなじのあたりで首飾りの留め金を留めると、満足そうに鏡の中のレティシアを見つめた。

「きれいだ」

 彼の青い瞳に欲望がきらりときらめいた気がして、レティシアの頬が紅潮する。

「こんなに、素敵な首飾りをお借りしてもよかったのですか?」

 ずしりと胸元にかかる重さに、レティシアは若干気後れしていた。

「これはヴィラール侯爵夫人であるあなたのものだ。代々の侯爵夫人に受け継がれている。あなた以外にこの宝石が胸を飾れる者などいないさ」

 アロイスの指が金色の鎖の上をゆっくりとなぞる。
 その官能を呼び起こすような手つきに、びくりとレティシアの腰が跳ねた。

「旦那様、お美しい奥様に見惚れるのはわかりますが、準備が終わりません。少し離れてお待ちいただけますか?」
「わかったよ。またあとで」

 グレースの厳しい言葉にアロイスは苦笑した。
 レティシアのあらわになったうなじをすっとなでると、名残惜しそうに部屋を立ち去った。

「もう、旦那様もこんな素敵なものを用意されているのなら、もっと早く教えてくださればよかったのに」

 ニナは少し不満そうな表情で、鏡台の脇に置かれた首飾りを見つめた。
 こちらはレティシアの父が用意してくれたもので、決して安いものではなかったが、レティシアの首を飾る大粒のエメラルドを見てしまったあとでは、どうしても見劣りしてしまう。

「きっと奥様を驚かせたかったのでしょう。大旦那様が大奥様の品をお譲りになるとは思いませんでした」

 グレースの言葉にレティシアは大きく目を見開いた。

「それは……?」
「大旦那様は大奥様ととても愛していらっしゃるのでしょうね。旦那様に家督をお譲りになった際に、屋敷や不動産、事業などの財産は全て旦那様に譲られたのですが、大奥様が身につけていらっしゃったものや、愛用されていた家具などは一緒に引き払われてしまったのですよ。ですから、大奥様が一番気に入っていらっしゃったこの首飾りをレティシア様にお渡しになったということは、大旦那様がレティシア様を大奥様のあとを継ぐにふさわしいとお認めになった、これ以上はない証拠なのですよ」

 グレースは遠く懐かしむような表情を浮かべていた。
 レティシアは首にずっしりと重みのかかった首飾りにそっと触れる。
 この首飾りは、前侯爵からの信頼の証でもあるのだ。
 前侯爵の気持ちはありがたく、同時にそれほどこの夜会が重要であることの証でもあるようで、レティシアの身が引き締まる。

「ヴィラール侯爵夫人として相応しくあるよう、努めます。グレース、ニナも協力をお願いできる?」
「もちろんです」
「はい、奥様」

 グレースとニナという力強い味方がいる。そして彼女たちだけではなく、前侯爵や屋敷の使用人たちもみなレティシアの手助けをしてくれる。
 侯爵夫人として初めての大役に緊張し、強張っていたレティシアの顔に、ようやく笑みが浮かんだ。

「では、行きましょうか」
「はい、奥様」

 この日のためにアロイスが用意してくれていたドレスは、とても美しかった。
 彼女の華奢な身体の線を引き立てるような意匠で、形はシンプルでありながらも襟や袖、裾には銀糸で刺繍が施されていてとてもお金も手間もかかっているのは、あまりドレスに詳しくないレティシアにもわかった。
 そして前侯爵が用意し、アロイスがつけてくれた首飾りが胸元を飾っている。
 レティシアの怖気づきそうになっていた心を、それらが勇気付けてくれていた。
 部屋を出てホールに下りると、使用人たちが忙しそうに行き来している。
 久しぶりに開かれる夜会に、彼らも少し興奮しているようだった。
 ホールの奥でエドモンと打ち合わせをしていたアロイスが、レティシアの姿を見つけると、目を輝かせた。
 大股で彼女に近づき、腰を抱き寄せる。

「素敵だ」

 ニコリと貴公子然とした笑みを浮かべるアロイスに、レティシアはなんだかおかしくなった。
 初めて彼と会話を交わしたときには、不満そうな様子を隠そうともせず、傲慢な物言いをしていた彼が、ここまで優しく彼女を気遣ってくれるようになるとは思いもしなかった。
 レティシアの胸にはやはり、アロイスのことが好きだと言う気持ちが込み上げてきて、少し苦しくなる。

「緊張しているのか? あなたなら大丈夫。きっと夜会はうまくいく」
「……はい」

 レティシアはアロイスに導かれて、これから始まる社交という名の戦場へ足を踏み入れた。
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