契約結婚のススメ

文月 蓮

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不穏な影

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 レティシアが王城で仕事を始めてから数週間が過ぎた。
 今のところ、それなりに新しい職場になじむことができていると思う。

「また、研究かよ?」

 不意にかけられた声に、レティシアは机の上から視線を上げた。
 視線の先には、同僚の魔法使いアンリがいた。
 寄りかかっていた戸口から身体を起こし、近づいてくる。
 初日からレティシアに棘のある言葉を投げつけてきたアンリは、ぶつぶついいながらも王城を案内してくれた。
 案内された訓練場で、攻撃魔法を仕掛けられたので、穏便にお話し合い・・・・・をさせていただいた。
 それ以来、アンリは早々に猫を被ることをやめぞんざいな口調で話しかけてくるようになった。

「そうですよ。もう少し消費魔力を抑える改良をしたくて」
「ちょっと、見せてみろよ」

 アンリが机の上に広げられた魔法陣の書かれた紙を覗き込んでくる。
 護衛の仕事では攻撃魔法よりも防御魔法の使用頻度が高い。長時間魔法陣を起動したままになるため、少しでも消費を抑えるべく、レティシアは魔法陣を見直していた。

「うわ、こまけぇ」
「そう?」

 かわいい顔をしているアンリは、口は悪いけれど、話をしてみると意外に裏表のない性格をしていた。
 魔法に関しては興味津々で、いずれは魔導士になりたいらしい。
 となると、魔導士であるレティシアのやっていることが気になるらしく、よく研究を覗きにくる。
 なつかない猫が少しずつ打ち解けてくれているような気がして、レティシアはわりにアンリのことが好きなってきている。
 近衛に所属する魔導士はレティシアひとりだけで、魔法使いはアンリのほかにも何人かいた。
 けれど彼らはあからさまにレティシアのことを無視してくるので、なるべく近寄らないようにしている。
 幸いにも、基本的には剣を持った近衛兵士が三人と魔法使いがひとりの組み合わせで護衛をすることになっているので、レティシアが他の魔法使いと仕事が一緒になることはない。
 いきなり外部から来た魔導士が、近衛の一員となったのが気に入らないのかもしれない。
 けれど侯爵夫人であるレティシアの地位はそれなりに高く、彼らの地位では無視するしかないのだだろう。
 週に五日ほどの勤務のうち、半分ほどは陛下の護衛で、残りの半分はこれまでと変わらず研究に費やしている。
 王城の中に一室を賜ったので、レティシアはそこで魔法陣の改良にいそしんでいた。
 レティシアの得意分野は治癒魔法ではあるが、攻撃魔法や、補助魔法などももちろん使える。そうでなければ魔導士など名乗れない。
 王城の図書室には魔法書も多く、ベルクール研究所にも引けをとらぬほどの蔵書があった。
 それもあって、最近は近衛の控え室にいるよりも、図書室か研究室にいることのほうが多かった。
 これまで研究してきた魔法陣も、実際に使ってみるといろいろと改良点が見つかるので、現場で働くのも悪くないと思い始めている。

「なあ、ここのルーンはこっちとつなげるのじゃダメなのか?」
「ああ、それですね。ここは……」

 アンリに問われた魔法陣の改良箇所を説明する。
 彼はなかなか着目点がよく、鋭い質問が多い。きっと彼ならばいずれ魔導士になれるだろう。

「レティ、いいか?」

 アンリとふたりで魔法陣をああでもない、こうでもないといじくっていると、聞きなれた声がかけられた。

「アロイス、どうしました?」

 レティシアは机から離れてアロイスの前に移動した。
 王城で会うアロイスの眉間にはいつも皺がよっている気がする。

「仕事だ。同行してくれ」
「はい。アンリ、途中ですがここまでです」
「わかったよ。またな」

 アンリはつまらなさそうに魔法陣の書かれた紙を放り出し、ふいとレティシアとアロイスの隣を通り抜けていった。
 レティシアとアロイスも部屋を出て王の執務室に向かう。回廊を歩いていると、アロイスが話しかけてきた。

「ずいぶんと仲良くなったみたいだな」
「そうでしょうか? まあ、話しかけてくるのは彼くらいですけれど」

 レティシアは自嘲する。
 ほかの魔法使いと連携が問われるような任に就くとしたら、少し難しいかもしれないという自覚はある。
 けれど自分が魔導士であること、侯爵夫人であることは変えようがない。彼らと仲良くやっていくのならば、自分の実力で彼らを納得させるしかない。

「それで、どのようなお仕事ですか?」
「陛下の視察に同行してくれ」
「承知しました。すぐに出ますか?」
「ああ」
「それにしても急ですね」
「陛下にはよくあることだ」

 アロイスが嘆息する。
 レティシアもうなずいた。
 ここ数週間の経験でしかないが、国王が予定されていない行動をとるのは珍しくない。
 そのたびに近衛は安全確保に四苦八苦しているようだった。
 今のところは平和な世が続き、国王に不満を持つ者は少ない。けれどいつの世も王に対して不満を持つ者はいる。
 王を戴く民の一人として、守れる力があるのならば尽くしたい。
 間近で王の姿を見るようになって、レティシアはそんなふうに思うようになっていた。

「では、私は先に馬車の安全を確認しておきます」
「ああ、頼んだ」

 アロイスが軍服の裾を翻し立ち去る。
 レティシアは宣言した通り、馬車寄せに向かう。王のために用意された馬車に乗り込み、魔法陣が仕掛けられていないかを確認する。
 魔力の痕跡を慎重に探ると、レティシアの感覚に引っかかるものがあった。

――これは防御の魔法陣じゃない……。

 レティシアは座席の下を探った。指先にかさりとした感触が触れる。無理やり魔力を流して魔法陣を強引に塗り替える。
 その瞬間、ばちりと強い反発を感じて思わず手を引く。

「……っ」

 指先には小さな切り傷ができ、うっすらと血が滲んでいた。

「レティ、どうした?」

 振り向くとアロイスが馬車の扉を開けたところだった。

「魔法陣があったの。解除しようとしてちょっと……」
「怪我をしたのか!」

 レティシアの指先の傷を目ざとく見つけたアロイスが、厳しい表情で近づく。
 手をつかもうとするアロイスに、レティシアは慌てた。

「これくらい、すぐに治せるから」
「いや、見せろ」

 アロイスは強引にレティシアの手をつかみ、傷を確認した。

「……よかった。傷は浅い」

 アロイスは厳しい表情を緩め、レティシアの指先に口づけた。そのまま傷口をぺろりと舐める。

「あ、あ、アロイス!?」
「どうした? 治癒魔法を使えるのだろう?」

 艶めいた表情で見上げてくるアロイスにレティシアの胸の高まりが治まらない。
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