契約結婚のススメ

文月 蓮

文字の大きさ
36 / 51

守りたいもの

しおりを挟む
「奥様、起きていらっしゃいますか?」
「ええ」

 翌朝、レティシアはグレースとニナの声に目を覚ました。
 身体のだるさも無くなり、とてもすっきりとした気分だった。

「旦那様は……目を覚ましそうにありませんね」

 小さな声で話しかけてきたニナの言葉に、レティシアは隣に目を向ける。
 アロイスは深く眠っている様子で、レティシアとニナの話し声にも目を覚ましそうになかった。

「よろしければ、もう少し眠らせておいていただけませんか? 奥様が目を覚ますまでほとんど眠れていなかったようですから……」

 グレースの言葉に、レティシアは眠る彼の顔を注意深く観察する。
 確かに彼の目の下には色濃いくまがあった。

「では、起こさずにおきましょう」
「はい。そのように」
「奥様、お湯を使えるようにしてあります。体調がよろしいようであれば、いかがですか?」
「ぜひ!」

 願ってもないニナの提案にレティシアは小さな声で答えた。
 メイドたちと共に浴室に移動し、レティシアは彼女たちの手を借りて身体を洗う。
 傷を負った場所を確認したが、治癒士のおかげか、うっすらと赤くなっているくらいで、きれいに治っていた。

「奥様の怪我もすっかり治ったようで、ほっといたしました」

 レティシアと共に傷を確認したグレースがほっとした表情を見せる。

「心配をかけてごめんなさい」
「いいえ、奥様がお謝りになることはございません。ただ、皆心配しております。どうか、二度とこのようなことのないように、お気を付けいただければ十分です」
「そうです。気を付けてくださいね」

 グレースとニナがそろってレティシアを見つめた。

「……はい」

 母を亡くしてから、アロイス以外にこれほど親身になってレティシアを気にかけてくれる者はいなかった。
 彼らの心遣いは雇用主と雇用者という枠を超えているように思えるほどだ。
 レティシアはグレースたちの心配してくれる気持ちが嬉しく、くすぐったさを味わっていた。

「さ、治ったとはいえ、まだ病み上がりです。早めに上がりましょうか」
「ええ」

 レティシアは自分でも治癒魔法を使って確認してみたが、特に不調は見つからない。これならば、すぐに仕事に復帰できるだろう。
 レティシアが身支度を整え、朝食の席に着くと、ようやく起きたアロイスが姿を現した。
 彼は昨日よりも疲れの取れた様子で、ずいぶんとすっきりとした表情をしていた。

「レティ、起こしてくれればよかったのに」
「おはようございます。よく眠っていたから起こすのが申し訳なくて……」

 アロイスは座っているレティシアに近づくと、身をかがめ、さりげない身のこなしで彼女の唇にキスを落とした。

「おはよう」

 突然のことに、驚き、固まるレティシアに、アロイスは無邪気に笑った。

「別に、おはようのキスくらいかまわないだろう?」

 これまでは、礼儀正しい挨拶を交わすくらいだったのに、あまりに違いすぎる彼の甘い表情と態度に、レティシアの顔が真っ赤になる。

「なんだか、すごく今までと態度が違う気がするのだけれど……」

 レティシアの耳の中ではうるさいほど鼓動が鳴っていた。

「自分に正直になることにしただけだ」

 アロイスはうそぶくと、彼女のわずかに濡れた髪をひと筋すくって口づけた。

「……っ」

 真っ赤になるレティシアに、アロイスはにっこりと笑い、向かいに腰を下ろす。
 この行動が正直な気持ちだと言われると、嬉しくて、恥ずかしくて、どうしていいのかわからなくなる。
 黙り込んだレティシアに、アロイスは破顔した。

「さあ、食事にしよう」

 彼の声を合図に、朝食が運ばれてくる。
 ある程度食事を腹に収めたところで、昨夜途中になっていた話をレティシアは再開させた。

「あの……、私が倒れたあとのことなのだけれど……。アンリは無事だったの?」
「ああ。あなたの防御魔法のおかげでほとんど無傷といっていい」
「よかった……」

 彼が無事だと知って、レティシアは安堵の息を零した。
 だが、レティシアの表情とは対照的に、アロイスは不満げな様子を隠そうとはしなかった。

「あいつだって、王城に勤める魔法使いだ。身を守るくらいはできただろう。あなたは自分の防御を優先すべきだったのではないか?」

 アロイスの厳しい表情に、レティシアは少し怯みながらも、あの時の状況を思い出してみる。
 アンリの意識は魔法陣に奪われていて、自身に対してはかなり無防備になっていた。彼の経験では、二重に張り巡らされた罠に気づくのは難しかっただろう。
 レティシアは気持ちを落ち着け、静かに口を開いた。

「……いいえ。魔導士である私でも、防御魔法を展開するのが精一杯だっだ。あの状況では仕方がないことだったと思います。それに、私がもっと注意すべきだった。あの魔法陣に罠が仕掛けられていたことは知っていたのだもの」
「だからといって、アンリはあなたが傷を負ってまで守るべき相手ではない」
「そうかもしれないけれど……」
「あなたが無事であれば、すぐに治癒魔法を使うこともできたはずだろう?」

 あのとき、レティシアは咄嗟に準備していた防御魔法を発動させた。
 より魔法陣に近いアンリを優先させたのは、被害を最小限にとどめるために間違っていなかったと思っている。
 彼の厳しい言葉が、レティシアのことを思っての発言であることはわかった。

「まあいい。過ぎたことを話しても仕方がない。もう少し生産的な話をすることにしようか」

 上に立つ者としての判断に慣れている彼の言い分の方が正しいのかもしれない。それでもレティシアはあのとき、近衛の中で初めて彼女の味方をしてくれたアンリを守りたかった。

「……はい」

 レティシアはうなずいて話の続きを促す。

「あのあと、ほかの魔法使いに頼んで陛下の寝室に仕掛けられていた魔法陣は回収してもらった。レティにはしばらく護衛任務から外れて、魔法陣の調査を優先して進めて欲しいと、エヴァが言っている。私はもうあなたを王城にはやりたくないんだが、そういうわけにもいかないようだ」

 近衛の実質的な責任者であるヴァリエ伯爵の指示では、アロイスも断れなかったらしい。

「一度引き受けた仕事ですから、きちんと役目を果たさせてください」
「ああ。王に仕える者として、あなたの力を貸してほしい」
「もちろん」

 レティシアは自分の力が彼の役に立てることが嬉しかった。
 誰よりも大切な人を守りたい。そして、レティシアにはそれだけの力があるはずだった。

「……あなたがもっと無力だったら閉じ込めてどこにもやらないのに」

 呟くような彼の言葉に、レティシアはどう答えるべきか迷う。

「アル……」
「自分でも矛盾しているとは思うがな……」

 レティシアの戸惑いに気づいたのか、アロイスは苦笑した。

「レティに魔導士となれほどの力があったおかげで再会できたのはわかっている。だが、その所為であなたを危険な目に合わせたと思うと、複雑な気持ちなんだ」
「私は……この力があったおかげで、もう一度アルに会えたんだと思うの……。次からはこんな無様なまねを晒さないよう、もっときちんと注意深く行動するから」

 レティシアの言葉をアロイスは即座に否定する。

「もう次は二度とない。私があなたを守る。行動でそれを証明させてもらおう」

 誰かに守られることに慣れていないレティシアには、彼にそう言ってもらえるだけで十分すぎるほどだった。

「私にもあなたの背中を守らせてくれるのなら」
「もちろんだ」

 放胆な笑みを浮かべるアロイスに、レティシアの胸はくすぐったくなる。
 レティシアは気恥ずかしさを誤魔化すように、他に気になっていた話題を彼に振った。

「そういえば、誰があの魔法陣を仕掛けたかは、わかりそう?」
「残念ながらまだ特定できていない。あの部屋に出入りできるのは掃除婦かメイド、それから近衛くらいだが、いつから仕掛けられていたのかわからないので、絞込みが難しい状況だ」
「なら、余計に魔法陣から手がかりを探ったほうが良さそうね」
「ああ、レティなら安心して任せられる。頼んだぞ」
「……はい」

 レティシアはアロイスの信頼に応えるべく、自分のなすべきことを思案し始めた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる

マチバリ
恋愛
 貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。  数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。 書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。

【完結】新皇帝の後宮に献上された姫は、皇帝の寵愛を望まない

ユユ
恋愛
周辺諸国19国を統べるエテルネル帝国の皇帝が崩御し、若い皇子が即位した2年前から従属国が次々と姫や公女、もしくは美女を献上している。 既に帝国の令嬢数人と従属国から18人が後宮で住んでいる。 未だ献上していなかったプロプル王国では、王女である私が仕方なく献上されることになった。 後宮の余った人気のない部屋に押し込まれ、選択を迫られた。 欲の無い王女と、女達の醜い争いに辟易した新皇帝の噛み合わない新生活が始まった。 * 作り話です * そんなに長くしない予定です

勘違い妻は騎士隊長に愛される。

更紗
恋愛
政略結婚後、退屈な毎日を送っていたレオノーラの前に現れた、旦那様の元カノ。 ああ なるほど、身分違いの恋で引き裂かれたから別れてくれと。よっしゃそんなら離婚して人生軌道修正いたしましょう!とばかりに勢い込んで旦那様に離縁を勧めてみたところ―― あれ?何か怒ってる? 私が一体何をした…っ!?なお話。 有り難い事に書籍化の運びとなりました。これもひとえに読んで下さった方々のお蔭です。本当に有難うございます。 ※本編完結後、脇役キャラの外伝を連載しています。本編自体は終わっているので、その都度完結表示になっております。ご了承下さい。

カモフラ婚~CEOは溺愛したくてたまらない!~

伊吹美香
恋愛
ウエディングプランナーとして働く菱崎由華 結婚式当日に花嫁に逃げられた建築会社CEOの月城蒼空 幼馴染の二人が偶然再会し、花嫁に逃げられた蒼空のメンツのために、カモフラージュ婚をしてしまう二人。 割り切った結婚かと思いきや、小さいころからずっと由華のことを想っていた蒼空が、このチャンスを逃すはずがない。 思いっきり溺愛する蒼空に、由華は翻弄されまくりでパニック。 二人の結婚生活は一体どうなる?

片想いの相手と二人、深夜、狭い部屋。何も起きないはずはなく

おりの まるる
恋愛
ユディットは片想いしている室長が、再婚すると言う噂を聞いて、情緒不安定な日々を過ごしていた。 そんなある日、怖い噂話が尽きない古い教会を改装して使っている書庫で、仕事を終えるとすっかり夜になっていた。 夕方からの大雨で研究棟へ帰れなくなり、途方に暮れていた。 そんな彼女を室長が迎えに来てくれたのだが、トラブルに見舞われ、二人っきりで夜を過ごすことになる。 全4話です。

完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓
恋愛
完結しました✨ タグ&あらすじ変更しました。 略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。 「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」 「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」 大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。 しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。 強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。 夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。 恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……? 「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」 逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。 それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。 「一生、私の腕の中で溺れていろ」 守るために壊し、愛するために縛る。 冷酷な仮面の下に隠された、 一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。 ★最後は極上のハッピーエンドです。 ※AI画像を使用しています。

愛しい人、あなたは王女様と幸せになってください

無憂
恋愛
クロエの婚約者は銀の髪の美貌の騎士リュシアン。彼はレティシア王女とは幼馴染で、今は護衛騎士だ。二人は愛し合い、クロエは二人を引き裂くお邪魔虫だと噂されている。王女のそばを離れないリュシアンとは、ここ数年、ろくな会話もない。愛されない日々に疲れたクロエは、婚約を破棄することを決意し、リュシアンに通告したのだが――

十年越しの幼馴染は今や冷徹な国王でした

柴田はつみ
恋愛
侯爵令嬢エラナは、父親の命令で突然、10歳年上の国王アレンと結婚することに。 幼馴染みだったものの、年の差と疎遠だった期間のせいですっかり他人行儀な二人の新婚生活は、どこかギクシャクしていました。エラナは国王の冷たい態度に心を閉ざし、離婚を決意します。 そんなある日、国王と聖女マリアが親密に話している姿を頻繁に目撃したエラナは、二人の関係を不審に思い始めます。 護衛騎士レオナルドの協力を得て真相を突き止めることにしますが、逆に国王からはレオナルドとの仲を疑われてしまい、事態は思わぬ方向に進んでいきます。

処理中です...