契約結婚のススメ

文月 蓮

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混乱の公爵邸

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 公爵邸の門を守るはずの護衛兵は、おろおろとうろたえるばかりで、国王の紋章のついた馬車を素通りさせた。
 二人の乗った国王から借りた馬車は公爵邸の車寄せに止まった。
 公爵邸はかなりの混乱に陥っていた。
 ヴァリエ卿と公爵の姿が見当たらないところをみると、すでに中へ入ったのだろう。
 屋敷の奥からは悲鳴と怒号が聞こえてくる。
 数名の使用人たちが荷物を担ぎ、屋敷から逃げ出そうとしていた。そして、護衛はそれを留めるべきか、それとも悲鳴のする場所へ向かうべきかで悩んでいる。
 レティシアとアロイスは護衛の兵士の横をすり抜け、悲鳴が聞こえてきた方へ走る。
 玄関を駆け抜け、廊下を通り過ぎた。
 おそらく公爵たちは夫人のいる場所へ向かったはずだ。
 悲鳴を頼りに進んでいくと、見覚えのある温室に近づいた。
 その瞬間、あたりを閃光が走り、温室の窓にはまっていたガラスが粉々に吹き飛ぶ。
 少し遅れて爆発音がレティシアの鼓膜をゆるがせた。
 強い風がレティシアの頬を撫でる。
 レティシアは思わず耳を両手でふさいだ。
 大きな魔力が動いたので、魔法陣が発動したのがわかった。
 アロイスが顔色を変え、温室に飛び込んでいく。
 後を追って温室に足を踏み入れたレティシアは、アロイスの背後に見える凄惨な光景に言葉を失った。
 美しかった温室の窓枠はひしゃげ、よじれていた。
 温室の中心には、血を流し、床に倒れている人影が一つ。そして倒れた人の脇に座り込んでいる女性の姿があった。
 相対するヴァリエ卿と公爵は護衛の兵に守られ、傷を負うことは避けられたようだったが、彼らを守った兵たちは床に倒れ、苦痛に呻いていた。

「エヴァ、オルレーヌ公、無事か!」
「ああ、五体満足とはいかないようだが」

 アロイスの問いにヴァリエ卿がかすれた声で応える。

「私も……動くのに支障はない」

 公爵の答えに、レティシアもわずかにほっとする。
 公爵夫人が倒れている人影にすがりつく。

「ああ、クレマン!」

 レティシアは夫人が縋り付いている人物に見覚えがあった。彼女が以前に公爵家を訪ねた際に、夫人のところへ案内した執事だった。
 クレマンは額に傷を負い、流れた血が頬を汚している。
 苦しそうに顔をゆがめながらも、クレマンの視線は一心に公爵夫人に注がれていた。

「奥……様、ご無事ですか?」
「私は無事よ」

 公爵夫人は震える手でクレマンの額に手を伸ばした。

「触れてはなりません。お手が汚れます」
「でも……!」

 クレマンは夫人の手をそっと押しやり、近づこうとする公爵とヴァリエ卿たちを手で制した。

「それ以上近づけば……、もう一度攻撃します」

 クレマンは魔法陣の描かれた紙を掲げた。

「これ以上、無駄な抵抗はよせ!」

 ヴァリエ卿の言葉に、クレマンはにやりと笑った。
 レティシアは彼の言葉から先ほど温室を吹き飛ばしたのが、クレマンの仕業だと察する。
 レティシアはすぐさま魔法陣を発動させた。クレマンの掲げた手に向け、火の攻撃魔法を放つ。

「あっ……!」

 レティシアが放ったのは、初歩的な火の攻撃魔法でしかなかったが、ゆえに発動は一瞬で済む。
 クレマンがレティシアの攻撃を防ぐ暇はなく、悲鳴を上げて、紙を床に落とす。
 魔法陣が描かれた紙はあっという間に燃え上がり、灰と成り果てた。

「これ以上は無駄です。発動する前に燃やしますから」

 レティシアは鋭く言い放つ。
 クレマンは口惜しそうに顔をゆがめた。

「やはり……、この魔法陣にはまだまだ改良が必要だったようですね。こんな方法で無効化されるとは……思っていませんでした」
「そんなことより、陛下の暗殺はおまえが仕組んだことか?」

 公爵がクレマンの言葉を遮って、問いかける。その声は低く、激情を抑えていた。

「いいえ。国王の暗殺など企ててはおりませんよ……。その女を始末するために、近衛が陛下のそばにいる以上、陛下に害が及ぶかもしれないとは思っていましたが、それはあくまで二次的な効果に過ぎない。……真の目的はそう、その女だ!」

 クレマンがレティシアを指した。
 クレマンから強い殺気のこもった視線を向けられ、レティシアの背筋に悪寒が走った。
 レティシアのこれまでの人生の中で、これほどの殺気を込めて見つめられたことはない。
 びくりと震えるレティシアの前に、アロイスが進み出てクレマンの視線を遮る。
 クレマンは肩で息を繰り返しながらも、アロイスの顔を睨みつけている。

「忌々しい。その女も、ヴィラール卿もなかなかにしぶとくて、隙を見せてくれなかったので困りましたよ。……っ」

 ふいに痛みに顔をしかめたクレマンは、視線をアロイスから公爵夫人へと戻した。

「奥様……、申し訳ございません。奥様の悩みを解消することができず、おそばを離れることを……お許しください」

 クレマンは傍らに座り込む公爵夫人に向かって手を伸ばす。

「クレマン、いやよ!」

 夫人は取り乱し、クレマンにすがりついた。
 公爵はそんな夫人の姿にも動じず、冷たい声で夫人を問い詰める。

「アリソン、おまえがレティシアを害するよう命じたのではないのか?」
「私はなにも命令なんて!」

 夫人は同情を誘うように髪を振り乱し、大げさに首を振った。夫人は傷ついた表情を見せていた。

「奥様はなにも命じてなど……いらっしゃいません。全て私の独断で行なったことです。奥様の悩みは……全て私が排除してきたのですから」

 公爵から夫人に向けられた問いを、クレマンが否定する。

「ならば、リアーヌを病死と見せかけて殺したのもおまえか?」

 公爵の問いに、クレマンは遠い目をした。

「リアーヌ……。ああ、あなたの愛人のことですか」

 あからさまにレティシアの母を見下したクレマンの態度に、公爵は苛立ちをあらわに、奥歯を噛みしめた。

「ええ、そうです。あの愛人さえいなければ……、奥様は愛され、幸せに暮らすことができる。これほど美しく、聡明な女性を愛さない者などいるはずがない。だから排除しただけのこと……」

 狂信的ともいえる、クレマンから公爵夫人に向けられる視線に、レティシアの悪寒がとまらない。

「本当に、あの愛人はなかなかしぶとくて手間をかけさせてくれました。嫌がらせ程度では排除できなかったので……、毒と魔法を併用しました」

 衝撃的な告白に、レティシアは目を見開いた。
 公爵もまた衝撃を受けた様子で、ブルリと身体を震わせた。

「おまえがリアーヌを病気に見せかけて殺したのか!」

 激昂する公爵に、クレマンはあっさりとレティシアの母親の殺害を認めた。

「そうです」
「クレマン!」

 公爵夫人が悲鳴を上げる。

「すべては私ひとりの咎。奥様が画策なさったことではありません。なにとぞ……寛大なる判断を賜りますよう……」
「いや、いやよ!」

 夫人は幼い子供の様に首を大きく振り、涙を流している。

「研究所から魔法陣を盗ませたのもおまえか?」

 ヴァリエ卿の問いに、クレマンがうなずく。

「ええ。私が盗んで、ゲラン伯爵の息子に渡しました」
「あくまで公爵夫人は指示していないと?」

 疑わしげな表情を崩さないヴァリエ卿に、クレマンは晴れ晴れとした表情で笑った。

「ええ、そうです。ヴァリエ卿、そして公爵。あなた方は……私の言葉を信じるほかありません。奥様が指示した証拠など……、ありはしないのですから」

 クレマンは公爵夫人に向かって震える手を伸ばす。

「奥様……、お仕えできたこと……幸せ、でした」
「クレ……マン?」

 夫人に向かって伸びた手が力を失い、床に落ちる。

「いやあああぁ!」

 夫人は手を震わせ、悲痛な叫び声を上げた。
 彼女の表情とは対照的に、目を閉じたクレマンの表情はとても満足げだった。

「レティシア夫人! 兵たちに、治癒魔法を!」
「はいっ!」

 ヴァリエ卿の指示に、レティシアはすぐさま倒れた護衛の兵たちに向けて治癒魔法を放つ。
 柔らかな治癒の光が周囲を包み込んだ。
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