2 / 5
2日目 早起きすると
しおりを挟む「・・・ん!・・ちゃん!」
なにやら騒がしい声が聞こえる気がします。
どこかに沈んでいた意識が呼び起こされ、だんだんと声がはっきりと聞こえてきました。
「はーちゃん!起きてよはーちゃん!」
どうやら声の主は、落ち着きのない自由な同行人のようです。
まあ、他に私を呼ぶ相手なんていないのですが。
「はーちゃん起きてよー!んー、そんなに眠いのかなぁ・・・」
そう、私は眠いのです。私がいつものようにオンボロ車を修理している間、眠りこけていたあなたとは違って。
私はまだまだ夢の中にいたいのです。ここは無視が鉄板でしょう。どうせ大した用でもないでしょうし。おやすみ。
「んー、せっかくクジラが見れるのに・・・」
「クジラ!?」
「わっ、びっくりした!」
クジラ。この広い海の主。めったに見れるものではありません。
かく言う私も、本物のクジラなんて見たことがありません。せいぜい古い図鑑で絵を見た程度。
そもそも、こんな海辺でキャンプをすること自体が珍しいのです。
こんな貴重な機会を逃す手はありません。惰眠なぞまた別の機会に貪りましょう。
「はーちゃんやっぱり起きてたんじゃん。無視しないでよー。」
「ごめん、またどうせ『雲の形がカブトムシみたいだよ』とか言い出すのかと思って。ぜんぜん見えなかったし。」
「えー、あれはちゃんとカブトムシだったってばー。」
「そんなことより!」
そう、カブトムシ雲はどうでもよくて。クジラ、クジラです。
せっかく海の近くまで走ってきたので、海辺でキャンプをしようと思い立ったのが昨夜のこと。功を奏しました。
そんなことってなにさー!などと文句を言っている騒がし娘は放っておいて、クジラをひと目見ようと海へ意識を向けました。
「クジラー、クジラー!クジラー・・・どこ?」
しかし、この騒がしおバカの言うクジラは、一向に私の目には入ってきません。
「チカ、クジラ、どこ。」
つい問い詰めるような口調になってしまいます。
もし嘘をついてまで私を起こそうとしたのなら、タダじゃおきません。
「嘘じゃないってば!ほんとにみえたんだから!・・・あ、ほら!」
チカが指をさした方をみると、たしかに何か黒っぽいものが海面から出ているのが見えました。
ただし、とても遠くの方で。
「クジラって、あれのこと?」
「そうだよ!ちゃんと潮ふいてるのだってみえたんだからね!」
ふむ、たしかにこの同行者はおバカではありますが、目はとても良いのです。
その彼女がクジラだというのならクジラなのでしょう。
「・・・ダメだった?」
「!ううん、そんなことないよ。ありがとう。ちょっと小さいけど、見れて嬉しい。」
珍しく落ち込んだような表情を見せる彼女。
昨夜の作業が遅くまでかかってしまったのと、寝起きだったことで少し機嫌が悪く、ついキツい話し方をしてしまいました。
彼女は彼女で、私がクジラが見たいと言ったことを覚えていて、喜ぶと思って起こしてくれたのでしょう。
「わたしもごめん。せっかく起こしてくれたのに。」
「いいの!喜んでくれたなら!」
私も謝りながらチカの頭を撫でてあげると、途端に笑顔を見せてくれました。
素直というかなんというか、この子のこういうところには勝てませんね。
本人には言いませんけど。
「でも、せっかくならもっと近くで見たかったねー。」
「そうだな。双眼鏡でもあれば良かったんだけど。」
「あれ、なかったっけ、双眼鏡。」
「お前が『カブトムシ雲を見るんだー』って持ったまま走り出して、そのまま転んで壊したんだろうが。」
「えへ、そうだったっけ。」
そんな話をしながら、朝食の準備でもしようかとテントの方へ向かいました。
今日は何を食べようかな。昨日の夜は缶詰だったし、今日はせっかく早起きしたから釣りでも・・・
「あ!はーちゃん!ほら!」
突然チカが大きな声を上げながら、私の手をつかみます。そのまま体ごと海の方へ向けられました。
「うわぁ、なんだよとつぜ・・ん・・・」
また小言でも浴びせてやろうかなんて考えは、遠くで吹き上がった水の柱に目を奪われて、どこかへ飛んでいきました。
「ね!ほら!クジラだったでしょ!」
「そうだな・・・」
空高く吹き上がる水しぶきは、遠くからだったからこそよく見えて、それ以上言葉が出てきませんでした。
実際には10秒にも満たないわずかな時間だったのだと思いますが、その時の私には永遠にも思えて。
うっすらと見える七色の橋も相まって、なんだか現実じゃないみたいで。
左手を優しく、でもしっかりと握るその右手が、とても暖かくて。
「えへへ、早起きするといいことあるね!」
「・・・そうだな。」
なんだか的外れなことを言いながら笑いかけてくる彼女がおかしくて、私も彼女に笑顔を返しました。
早起きさせてくれたのは、あなただろうに。
朝食は、チカが釣った魚になりました。見たことない魚だったけど、きっと大丈夫だよね。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
続・冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
の続編です。
アンドリューもそこそこ頑張るけど、続編で苦労するのはその息子かな?
辺境から結局建国することになったので、事務処理ハンパねぇー‼ってのを息子に押しつける俺です。楽隠居を決め込むつもりだったのになぁ。
お茶をしましょう、若菜さん。〜強面自衛官、スイーツと君の笑顔を守ります〜
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
陸上自衛隊衛生科所属の安達四季陸曹長は、見た目がどうもヤのつく人ににていて怖い。
「だって顔に大きな傷があるんだもん!」
体力徽章もレンジャー徽章も持った看護官は、鬼神のように荒野を走る。
実は怖いのは顔だけで、本当はとても優しくて怒鳴ったりイライラしたりしない自衛官。
寺の住職になった方が良いのでは?そう思うくらいに懐が大きく、上官からも部下からも慕われ頼りにされている。
スイーツ大好き、奥さん大好きな安達陸曹長の若かりし日々を振り返るお話です。
※フィクションです。
※カクヨム、小説家になろうにも公開しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる