9 / 14
01 意外なオファー(Unexpected Offer)
03-02
しおりを挟む「事前の情報共有が足りない」
事務所からアレクシスの居宅であるマンションの最上階に戻って早々、上機嫌にソファへ座ったアレクシスとは対照的にラニウスは冷たくそう切り出した。
「なに?」アレクシスはSNSのタイムラインをしきりに更新し、新しいニュースや自分がアンバサダーを務めるブランドのポストをチェックしている。「なんだよ、幹部連中から雇用契約書をぶんどってやったっていうのに何をそんなにぶすくれてる」
「だが一歩誤ればすべてが無駄になったかもしれない」
「誤るのも、そのツケを支払うのもお前だ。俺に当たるな、実際初仕事とは思えないぐらい手慣れてたじゃないか。ああいう状況もお手の物か?」
「腹の探り合いは好まないが、状況を選んではいられない」
「お前のそういうところを気に入ってる」アレクシスは窓枠に頬杖をついて笑った。「事務所が用意した奴らはてんで駄目だ。自分の台本を裏切られると途端にしどろもどろになる。おろおろしながら部屋中をひっくりかえして、マニュアルや台本をあっちこっち探し始める」
「例外を前にして規律に立ち返るのは悪いことじゃない」
「だが美しくない」
アレクシスは強い口調で言い切った。「そして美しくないものは、この業界では無価値だ。ビジュアルが全てなんだよ。目に鮮やかに映えさえすれば、そいつの中身がどれだけクズでも称賛されもてはやされる、逆に、大層ご立派な主義思想も、凡庸な見た目じゃ見向きもされない」
傲岸不遜な物言い。しかしアレクシスにはそんな反論すら飲み込ませる美しさがあった。生まれつきのような銀髪、そして透き通った青い目、きめ細やかな肌、形の良い唇、白い歯、つま先までみずみずしい体……
アレクシスは見せつけるようにゆっくりと足を組みかえた。
「俺がお前を選んだのもそうだ。お前の見た目が良かった。体格、態度、物言い、その全てがいい。全身で人目を惹く、そして人は恐れをなして目を逸らす」
「褒められている気がしないな」
「これでも褒めてるんだぜ、本当に」アレクシスは携帯をラニウスに向け、一枚写真を撮った。「ところで何してる?」
「契約書を読んでる」
ラニウスは封筒から取り出した書類を手に、一枚ずつその一言一句を目で追った。雇用契約書、付随文書、会社説明、そして個人的に依頼しておいた会社規約。
「そんなの読むか普通? さっさとサインしろ」
「契約書を読まずにサインする奴の気が知れない」
「お前……」
「雇用契約、会社の諸規定は組織の方向性を示すものだ。これを読まずに何故その組織の人間として振舞えるのか。何を根拠に外部と交渉しているんだ」
「言っていいか? お前を選んだこと少し後悔してる」
「そうか。試用期間中なら解雇告知義務は30日前までだ、解雇に当たる理由書と合わせて文書告知が必須。なお俺からは最大30日分の給与保障の要求ができるから、事前に人事だけでなく経理にも話をしておけ」
「……それ雇用契約書に書いてあるのか?」
「雇用契約書と人事規定、運営要領にそれぞれ規定があるぞ。読むか」
アレクシスはげんなりした顔で「読み終わったら呼んでくれ」と言い残し、仕事部屋でもある書斎へ引っ込んでいった。
ラニウスはそれから一時間ほどで全ての規定を読み終え、そして雇用契約書にサインした。
顔を上げると、大きな窓から差し込む陽ざしで明るいリビングはがらんとした印象を与えた。ラニウスは書類をまとめ、封筒に仕舞うとアレクシスが去った書斎のドアを叩いた。
「アレク____バックマンさん?」
返事はなく、扉には鍵もかかっていなかった。ラニウスはもう一度ノックをした。やはり返事はない。
扉を開けると、小窓が付いた書斎には広い昇降式のデスクと本棚とソファしかなかった。広さは十分あるが物が少ない。アレクシスはヘッドフォンをつけてデスクに置いたパソコンで動画の編集をしていた。
ラニウスは出来るだけ近づかず、腕を伸ばして指を鳴らした。
「おわ、」アレクシスの肩が跳ねる。「なんだ、ご本はもう読み終わったのか?」
「読み終わった。契約期間は契約締結日から1年、そして締結日は今日だ」
「その通り。それじゃ仕事の話をしよう」
アレクシスはパソコンの画面を切り替えた。流れるようなキーボード操作を受けて、三面モニタ全てにいくつもの画像と動画が展開される。
その巨大建築の名前をラニウスは知っていた。
「オブシディアン・ドームか」
「正解」
ロサンゼルスの元軍用飛行場跡地を再開発し、建築家キルギスによって建てられた近未来建築。ガラスと黒鋼構造が特徴的な楕円形ドーム型の複合会場。
特殊ガラスによって昼は空を映す透明な反射、夜はライティングで星雲のように光る外観は、言葉で説明するまでも無くそこが美と芸術のための殿堂だと知らしめるに十分だ。
「そしてこのオブシディアン・ドームで二年に一度開催されるのが、国内ファッション業界の式典”ÉCLAT SUMMIT(エクラ・サミット)”だ」
ラニウスは三面あるモニタの内、褐色の肌をもつ凛とした女性が映る写真と新聞記事を見つけた。エクラ・サミットの主催団体である”Éclat Foundation(エクラ財団)”____その代表クロエ・メンドーサ。スペイン系アメリカ人の元モデルで起業家であり、かつて彼女自身が受けた業界の搾取構造を暴露して話題になった人物でもある。
メンドーサはモデル活動の第一線を退いた後に起業し、いくつかの個人ブランドを打ち立てた後、五十歳の時にエクラ財団をスイス・ジュネーヴにて設立。現在はNYとL.A.に本部をおき、主に次世代クリエイターの支援活動を行っている。
右側のモニタに前回のエクラサミットにおいてスピーチを行うメンドーサの姿が流れた。メンドーサは六十という年齢を感じさせない力強い眼差しと声で語った。
『……ÉCLAT SUMMITはブランドの祭典であると同時に、ファッション業界の絶え間ない変革を象徴する儀式である……』
映像を流したまま、アレクシスが言った。
「基本的なしごとの流れはこうだ。事務所の渉外部から連絡が来る。お前は内容をよく聞いて、資料をよく読んで、指定の時間に指定の場所へ安全に俺を連れていき、そして再び俺をここへ戻す____だが、しばらくはエクラサミットに注力していい。事務所も流石にこの時期に大仕事は持ってこないだろう」
「このサミットに注力するのはいいが、会場の見取り図が必要だ」ラニウスは単刀直入に言った。「参加者のリストと警備システムについても資料が欲しいところだが」
「そんなものを出せと言ったら俺たちが蹴りだされるだろうな」
「本番前に現場へ行く機会は何度ある?」
「本番前に二度。前日には通しのリハーサルがある」
「三回あれば十分だ」ラニウスは言った。「必要な情報は自分の目で確かめる」
0
あなたにおすすめの小説
サラリーマン二人、酔いどれ同伴
風
BL
久しぶりの飲み会!
楽しむ佐万里(さまり)は後輩の迅蛇(じんだ)と翌朝ベッドの上で出会う。
「……え、やった?」
「やりましたね」
「あれ、俺は受け?攻め?」
「受けでしたね」
絶望する佐万里!
しかし今週末も仕事終わりには飲み会だ!
こうして佐万里は同じ過ちを繰り返すのだった……。
兄貴同士でキスしたら、何か問題でも?
perari
BL
挑戦として、イヤホンをつけたまま、相手の口の動きだけで会話を理解し、電話に答える――そんな遊びをしていた時のことだ。
その最中、俺の親友である理光が、なぜか俺の彼女に電話をかけた。
彼は俺のすぐそばに身を寄せ、薄い唇をわずかに結び、ひと言つぶやいた。
……その瞬間、俺の頭は真っ白になった。
口の動きで読み取った言葉は、間違いなくこうだった。
――「光希、俺はお前が好きだ。」
次の瞬間、電話の向こう側で彼女の怒りが炸裂したのだ。
死ぬほど嫌いな上司と付き合いました
三宅スズ
BL
社会人3年目の皆川涼介(みながわりょうすけ)25歳。
皆川涼介の上司、瀧本樹(たきもといつき)28歳。
涼介はとにかく樹のことが苦手だし、嫌いだし、話すのも嫌だし、絶対に自分とは釣り合わないと思っていたが‥‥
上司×部下BL
オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?
中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」
そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。
しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は――
ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。
(……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ)
ところが、初めての商談でその評価は一変する。
榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。
(仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな)
ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり――
なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。
そして気づく。
「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」
煙草をくゆらせる仕草。
ネクタイを緩める無防備な姿。
そのたびに、陽翔の理性は削られていく。
「俺、もう待てないんで……」
ついに陽翔は榊を追い詰めるが――
「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」
攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。
じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。
【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)
イケメン後輩のスマホを拾ったらロック画が俺でした
天埜鳩愛
BL
☆本編番外編 完結済✨ 感想嬉しいです!
元バスケ部の俺が拾ったスマホのロック画は、ユニフォーム姿の“俺”。
持ち主は、顔面国宝の一年生。
なんで俺の写真? なんでロック画?
問い詰める間もなく「この人が最優先なんで」って宣言されて、女子の悲鳴の中、肩を掴まれて連行された。……俺、ただスマホ届けに来ただけなんだけど。
頼られたら嫌とは言えない南澤燈真は高校二年生。クールなイケメン後輩、北門唯が置き忘れたスマホを手に取ってみると、ロック画が何故か中学時代の燈真だった! 北門はモテ男ゆえに女子からしつこくされ、燈真が助けることに。その日から学年を越え急激に仲良くなる二人。燈真は誰にも言えなかった悩みを北門にだけ打ち明けて……。一途なメロ後輩 × 絆され男前先輩の、救いすくわれ・持ちつ持たれつラブ!
☆ノベマ!の青春BLコンテスト最終選考作品に加筆&新エピソードを加えたアルファポリス版です。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる