BUT TWO

寒星

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01 意外なオファー(Unexpected Offer)

03-03

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 必要な情報を集めるための一度目の機会は、ラニウスが正式にアレクシスのマネージャーに就任した翌週にやってきた。

 エクラサミット開催の三週間前。黒く冷えた巨大な鉱石の如き会場の内部は財宝が隠された洞窟のようだった。既にサミット用のポスターやVR広告が整然と展示され、今年のトレンドカラーであるスカーレットの天幕と金細工の装飾がふんだんにあしらわれている。

 開錠スタッフや関係者、明らかに各業界の有名人と思しき取り巻きを引き連れた男女。
 関係者指定の控室に向かう道すがら、ふいにアレクシスが小さく顎をしゃくった。「見ろよ、あれ」示す先には奇抜な色のジャージに金色の腕時計を右手に二本付けた浅黒い肌の男だ。ハーフパンツから伸びた足はつるりとしており、筋肉のつき方でアスリートであると分かる。

「元サッカー選手のドットーレ・デルラ」ラニウスが言った。「引退してから姿を見ていなかったが、随分焼けたな」
「浮気相手が出るんだろ。有名な占い師のカミラ・ヨハンソンか、お騒がせ女優のリー・リルベットか……今付き合ってるのはどっちだったっけな」
「入場管理がずさんということはよく分かった」

 ラニウスはアレクシスの動線を確保するように歩きながら監視カメラの配置を確認した。内装に溶け込む黒の小型で等間隔に並んでいる。数は十分だ、しかし内装や展示品、天幕によって生み出された死角が多すぎる。
 すれ違った”SECURITY”の腕章をつけた集団を見送る。向こうもラニウスを一瞥した。

「知り合いか?」アレクシスが言う。
「たった今」ラニウスが振り向きもせず答えた。

 ショーのメイン会場になるホールは天井部分が360度開放できる巨大天窓と、三重構造にもなる空中構造によるアクロバットな演出が有名だった。このホールで過去開催されたエクラサミットでも、演者をワイヤーで吊るして空中演武をさせたり、地上と空中とで交錯する二重ランウェイなどといった派手な演出が取り行われている。

 そして今年は____観客席からは遮断された裏階段を上り、スパイ映画のような中継室を通過してまた上り____その果てに、断崖絶壁のようにせり出た舞台がある。

 そこは舞台であり”スタート地点”だ。
 透明な足場と左右にそれぞれ一本きりの手すり。閉ざされた天窓、垂れこめた緞帳。モーターの音。周囲はどす黒い闇。
 あれだけ華やかで煌びやかだったメインホールはまるで遠い宇宙の果てにある月のように足元のずっと下でちいさくきらきらと輝いている。
 地上三百メートル、そこが今年のエクラサミットのラストランを担うアレクシスの歩く道だった。

「落ちるなよ」

 狭い足場に立ったアレクシスの背後からそう声をかけるとき、ラニウスは気づかれないようアレクシスの腰のベルトに触れていた。
 だがアレクシスは闇が喋ったにもかかわらず、狭い足場で悠然と振り返った。

「落ちたら国際ニュースになるだろうな」
「悲報になるだけだ」
「そうか? 何万人のゴシップ記者とインフルエンサーが臨時ボーナスに笑い転げるぞ」
「本番はここからどこまで歩く?」

 ラニウスはアレクシスの腕を引き、立ち位置と話題をすり替えた。アレクシスはすこし気を削がれた風にしながらも、ラニウスの肩越しにほとんど真下を指さす。

「地上0階のステージまで。階段は三十段、下りきってターン、そこで完成」
「命綱は?」
「ある____が、デザインが気に入らない。あれを付けるぐらいなら真っピンクのベルトを巻くほうがまだマシ」
「実物が見たい」

 ラニウスは踵を返し、アレクシスを追い立てるようにして空中階段を後にした。
 それから当日アレクシスにあてがわれる部屋へ行き、既に用意された備品を確認し、部屋の構造、フロアの構造、そして建物全体を見て回った。アレクシスは意外にもついてきた。おそらくラニウスを前にして委縮する関係者の顔が面白かったのだろう。

「ま、アレク!」

 建物を一周してエントランスへ戻った時、軽やかなソプラノが響いた。見ると、黒いハイヒールブーツにシアー素材のロングコート、黒いつば広帽子、そしてサングラスという恰好の女が手を振っていた。
 女の振る腕が今にもぽっきりと折れそうなほど細い。アレクシスはそれで相手を見抜いたらしい「ハイ」と同じように手を振った。
 屈強な男女二人組を引き連れたその女が目の前に立った時、ふわりと桃の香りが漂った。サングラスを外し帽子を脱ぐと、溢れるような艶やかな黒髪が肩へ流れ、そして果実のような唇が弧を描いた。
 真っ黒の大きな瞳がアレクシスとラニウスを見た。

「あら、やだ。こちらの殿方はどなた?」
「新しいマネージャーだ。一週間前に雇ったばかりでね、今日は遠足に来た____マネージャー、紹介するまでもないよな? こちらはかの大女優であり新進気鋭のデザイナー、ルス・イサンドラ」

 イサンドラはエジプト神話の女神のように微笑み、手を差し伸べた。「どうぞ、よろしく」
 ラニウスは黙ってその手を取り、彼女の指先から立ち上る香りに軽く口づけた。

「素敵」イサンドラが囁くように言った。「スッラ、いえアウレリウスかしら……寡黙な戦士。好きよ」
「イサンドラ、俺はタイプじゃないと?」アレクシスが肩をすくめた。
「悲しまないで。あなたは戦士って柄ではないでしょう」
「じゃあ何?」
「さ、あなた次第ね……今年のラストランはあなたなのでしょ?」
「ええ」
「そこで見せてもらうわ。あなたが何なのか。あらいけない、このあと用事があるの。では、また」

 イサンドラはにこりと微笑をもう一度二人へ贈り、そして何事もなかったかのように歩き去っていった。歩き去る彼女の背後に何人かが話しかけようとしたが、あえなく付き人に退けられ、イサンドラはそれらに気づく素振りも無く颯爽と通路の奥へ消える。
 イサンドラの姿が完全に見えなくなってからラニウスが言った。

「会話を攫ってくれて助かった。彼女について俺が分かるのは……女傑ということだけだな」
「間違いない。イサンドラと会話するためにローマ神話を読み漁った日が懐かしいな。ルキウス・コルネリウス・スッラ___知ってるか? ローマの将軍だ、独裁官でもある」
「似てるのか」
「お前に? いいや」アレクシスは携帯でスッラの彫刻を調べ、画像を見せた。「スッラはハゲてないしな」
「ハゲてない、剃ってるだけ……」

 そのとき、ちょうど開いていたアレクシスの携帯が着信画面に切り替わった。アレクシスは電話を取り、そして二三話してすぐにラニウスへ携帯を差し出した。

「誰だ?」
「エリオット」

 アレクシスが顔をしかめた。ラニウスは携帯を受け取った。

「はい」
「____すまないね、新しい仕事で忙しいときに」
「構わないが、ご用件は」
「エクラサミットの会場にいるだろう? 急な仕事でね、今から向かってもらえるか」

 場所は此処から車で一時間ほどのスタジオだった。コスメブランドの広告撮影に急遽代役でアレクシスを抜擢するということだった。代役という点が気にならないほどの有名ブランドの名前を挙げられ、むしろラニウスは不審に思った。
 エクラサミット前の時期に大仕事は入れてこないのでは? そういう視線をアレクシスに贈るが、アレクシスは腕を組んで暇そうに明後日の方を向いている。

「誰の代役だ?」
「君に言ってもわかるまい」
「言えない人物だと判断するが」
「……君がそんなに野次馬根性をお持ちとはね」
「状況把握に必要と判断しただけだ」
「安心しろ。状況は既に私が判断した」エリオットは一定の口調で言った。「この仕事を受けることでこちらにデメリットはないし、代役であることを知るものもいない。この仕事は元からアレクシスの仕事になる。それだけだ」

 電話が切れた。続けざまメッセージに地図情報が入る。
 ラニウスが携帯をアレクシスに返す。「どこまで聞いた?」

「仕事相手の名前」
「これから一時間後に撮影とのことだが。いつもこうなのか」
「いつもこうだ。だが、こういう無理をしてでもと思わせられる規模の大仕事ばかりなんでね。文句はない」

 アレクシスは本当に慣れているようだった。既に彼は仕事先のブランドの公式HPを調べ、各SNSのアカウントの投稿や最近その名前がどのようなジャンルのニュースに載ったかを洗い出している。
 一時間もすれば、本当に彼はもともと今日の仕事を請け負ったその人のように振舞うのだろう。

「わかった。行こう」

 ラニウスは車のキーを取り出して言った。
 何がどうなろうとも、今は動くときではない。そう思いながら。
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