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第5章 本当の気持ち
第11話
しおりを挟むあの大和屋焼き討ちから、5日後。
私は、芹沢さんに受けた傷が悪化し、微熱と身体の気怠さと戦っていた。
ぼやっと靄のかかる頭で、うとうととすること3日、そして大事をとって布団に潜り込み続ける事2日。
文久3年、8月18日正午。
壬生浪士組の屯所を、訪れたのは、ある伝令役の会津藩士だった。
「壬生浪士組、急ぎ御所へと馳せ参じよ」
その言葉が伝えられてからは、八木邸も前川邸もひっくり返したような騒ぎだった。
浅い眠りから引っ張り出された私は、そっと薄暗い部屋の襖を開き、隊服を着こんで廊下を走り回る平ちゃんを摑まえた。
「平ちゃん、……何が起きたの?」
「あ、璃桜! 何か、会津の容保公から、今すぐ御所へ出勤しろって命が来たらしくてさ。だからこれから皆で行ってくっけど、璃桜は休んでろよ?」
「……もう、そんな時期」
「?」
はてなマークを頭上に浮かべてきょとんと首を傾げる平ちゃんに、そっと出てきた言葉を飲み込んだ。
「ううん……気を付けて行って来てね」
「おう!」
1863年8月18日に起きる、公武合体派のクーデター。
始まりは、この間の13日に下されていたといわれている、「大和行幸」の沙汰。
その内容は、攘夷祈願のため、時の天皇、孝明天皇が、神武天皇陵と春日大社へ参詣し、その後、天皇親征の軍議を開くとされていた。
けれど、これは、実質、反幕派の公家と長州藩が企てた事であり、軍議を行うことは、征夷大将軍である将軍の存在を否定することになる。
その裏側には、討幕の挙兵が隠されていたともいわれている。
このような動きを見て見ぬふりはできないと、立ち上がったのが公武合体派の薩摩藩と我らが壬生浪士組のお預かり、会津藩だ。
いち早く攘夷(外国を排除する動き)を掲げた長州藩や薩摩藩は、以前に自国のみで攘夷を行おうと武力を行使したが、海外の力に敵うわけもなく、屈していた。
ここが長州藩と薩摩藩の分かれ道である。
長州藩は、日本国を強くするためには、幕府を潰し開国することが諸外国に並ぶ力を手に入れる為の近道だと考えていたのだ。そこで、幕府よりも上の立場である天皇を持ち上げ、尊王攘夷という思想を掲げる。
一方、薩摩藩は、幕府の力だけでは攘夷はできないと考え、天皇(公家)と幕府の力を合わせて諸外国に立ち向かうようにした。この思想が、公武合体だ。
この二つの思想は、根幹は同じはずなのに、何故か対立してしまう。
対立する必要なんて、無いように感じるのは、私だけだろうか。
頭の中で思い出してみて、小さく溜息が零れた。
そんな事を言ったらこの時代の人には怒られてしまうのだろうか。
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