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伯爵家から叩き出されたレナードは、その足でベックリー男爵家へ押しかけた。
こうなったらアンジェリカと復縁し、リンスコット侯爵へ取り成して貰うしかない。
「その姿は……アンジェリカ、なのか……!?」
通すまいとする執事との押し問答の末に、ようやく通された応接間で目にしたのは――。
窓から差し込む光を浴びてきらきらと輝く金の髪に、磨かれた白磁のような肌、長いまつ毛に彩られた瞳。キャロラインに良く似た容貌の美女がそこにいた。
「はい、レナード様。これが私の本当の姿です」
王太子の婚約者候補となったキャロラインは、対抗派閥の貴族から狙われていた。馬車の事故を装い、危うく殺されかかったこともある。そこでリンスコット侯爵は娘そっくりのアンジェリカを替え玉として雇ったのだ。
普段は侍女として仕え、身代わりと分からないように髪を染め眼鏡を掛けて、極力目立たないようにしていたのだとアンジェリカは語る。
レナードの心臓がどくんどくんと嫌な音を立てる。
まさか。いや、そんなはずはない。
「レナード様はもうお忘れかもしれませんが、私は幼い頃貴方にお会いしたことがあるのです。新人騎士として配属された貴方が、あの時の男の子だと気づいて……私はレナード様に恋をしたのです」
最悪の事実にレナードの身体がよろめいた。
地味な女と蔑み疎かにしていた相手こそが、自分が生涯をかけて愛すると誓った女性だったなんて。
「何で……何で、言ってくれなかったんだ!」
「秘密を知る人間は最小限にする必要がありますので、リンスコット侯爵閣下より他言は無用と命じられておりました」
彼女が身代わりであることを知る者は、キャロラインの家族と専属侍女、執事とアンジェリカの両親のみ。
「それでもレナード様に私だと分かって欲しくて……お嬢様の替え玉になるときは、ルビハナの香水を付けておりました。レナード様もお気づきのようでしたので、きっと私の気持ちが通じているのだと思っていたのです」
キャロラインが王太子の婚約者に決定し替え玉が必要無くなった事もあり、結婚と同時に侍女を辞めて変装を止める予定だった。
レナードには伝えたかったが、彼は式の打ち合わせにも代理を寄越すだけで直には会えなかったため、結婚式の後に打ち明けるつもりだった。ベールの下の姿を見れば、あの女の子だと分かって貰えるだろうと信じて。
「けれど結婚式の日に貴方は『愛することはできない』と仰り、私と話をすることも拒否なさいました。レナード様と心が通じ合っているなんて、私の勝手な思い込みだったのですね……」
アンジェリカは寂しげな表情で目を伏せる。
結婚式の夜に、夫婦の寝室で相対していれば。
話がしたいというアンジェリカの言葉に耳を傾けていれば……。
レナードは、アンジェリカの真の姿を目にすることが出来たはずだった。
「レナード様を不本意な結婚に縛り付けてしまい、本当に申し訳ございませんでした。最後に謝罪することが出来て、良かったですわ」
「最後?」
「ええ。私、ウォルト・コーンズ子爵と婚約しましたの。侯爵閣下が紹介して下さって……。式の準備のため、明後日には子爵領へ向かう予定です」
ウォルトはアンジェリカをいたく気に入り、とんとん拍子に縁談が纏まった。出戻りとなった娘を心配していたベックリー男爵夫妻も大喜びで、たくさんの持参金を用意してくれた。
そんな話をするアンジェリカの頬は、バラ色に染まっている。
恋する乙女の顔を面前にして、レナードは言いかけていた復縁の言葉を飲み込むしかなかった。
「レナード様もどうぞ、愛する方との想いをとげて下さいませ。貴方の幸せを心より願っております」
数か月後、レナードはティリス駐屯地に異動した。
別の勤め先を探そうと護衛騎士を募集している貴族を何件か当たったりもしたが、全て断られた。どうやら侯爵が手を回していたらしい。
実家は頼れなかった。フォーブズ伯爵はレナードに絶縁を言い渡し、彼を籍から抜いてしまったのだ。
「申し訳ありませんが、私はあなたを愛することは出来ません。生涯亡き夫だけを愛すると誓ったのです。ですが妻として、勤めはきちんと果たします」
初夜を前にして、再婚相手のジョアンナはそう言って頭を下げた。
ジョアンナの前夫も駐屯地に勤める騎士だったが、魔獣との戦いで命を落とした。見舞金は貰ったものの幼い息子が病気になり、使い果たしてしまった。頼れる実家もなく路頭に迷い掛けていた彼女は、息子のためにレナードとの結婚を承知したのである。
リンスコット侯爵からはジョアンナを養うのが雇用継続の条件だと言われ、レナードは泣く泣く受け入れた。
毎日村々を巡回し、獣が出れば追い払う。そして得られた給料は全て妻へ渡す。そんな退屈な日々が続く。
ジョアンナはきちんとレナードの世話をしてくれるし、養ってもらっていることに日々感謝を述べる。だが彼女の愛は全て息子へ向けられており、レナードには一片の愛情すら見せることは無い。
レナードとて妻を愛しているわけではないが、それでもささくれた気持ちになる。ましてやそれが、愛する相手だったなら……。
今になってようやく、レナードはどれだけアンジェリカの心を傷つけたのか理解したのだ。
自分の愚かな行いのせいで、手に入れられたはずの真実の愛は零れてしまった零れてしまった。その事実はいつまでもレナードの心を苛み続ける。
こうなったらアンジェリカと復縁し、リンスコット侯爵へ取り成して貰うしかない。
「その姿は……アンジェリカ、なのか……!?」
通すまいとする執事との押し問答の末に、ようやく通された応接間で目にしたのは――。
窓から差し込む光を浴びてきらきらと輝く金の髪に、磨かれた白磁のような肌、長いまつ毛に彩られた瞳。キャロラインに良く似た容貌の美女がそこにいた。
「はい、レナード様。これが私の本当の姿です」
王太子の婚約者候補となったキャロラインは、対抗派閥の貴族から狙われていた。馬車の事故を装い、危うく殺されかかったこともある。そこでリンスコット侯爵は娘そっくりのアンジェリカを替え玉として雇ったのだ。
普段は侍女として仕え、身代わりと分からないように髪を染め眼鏡を掛けて、極力目立たないようにしていたのだとアンジェリカは語る。
レナードの心臓がどくんどくんと嫌な音を立てる。
まさか。いや、そんなはずはない。
「レナード様はもうお忘れかもしれませんが、私は幼い頃貴方にお会いしたことがあるのです。新人騎士として配属された貴方が、あの時の男の子だと気づいて……私はレナード様に恋をしたのです」
最悪の事実にレナードの身体がよろめいた。
地味な女と蔑み疎かにしていた相手こそが、自分が生涯をかけて愛すると誓った女性だったなんて。
「何で……何で、言ってくれなかったんだ!」
「秘密を知る人間は最小限にする必要がありますので、リンスコット侯爵閣下より他言は無用と命じられておりました」
彼女が身代わりであることを知る者は、キャロラインの家族と専属侍女、執事とアンジェリカの両親のみ。
「それでもレナード様に私だと分かって欲しくて……お嬢様の替え玉になるときは、ルビハナの香水を付けておりました。レナード様もお気づきのようでしたので、きっと私の気持ちが通じているのだと思っていたのです」
キャロラインが王太子の婚約者に決定し替え玉が必要無くなった事もあり、結婚と同時に侍女を辞めて変装を止める予定だった。
レナードには伝えたかったが、彼は式の打ち合わせにも代理を寄越すだけで直には会えなかったため、結婚式の後に打ち明けるつもりだった。ベールの下の姿を見れば、あの女の子だと分かって貰えるだろうと信じて。
「けれど結婚式の日に貴方は『愛することはできない』と仰り、私と話をすることも拒否なさいました。レナード様と心が通じ合っているなんて、私の勝手な思い込みだったのですね……」
アンジェリカは寂しげな表情で目を伏せる。
結婚式の夜に、夫婦の寝室で相対していれば。
話がしたいというアンジェリカの言葉に耳を傾けていれば……。
レナードは、アンジェリカの真の姿を目にすることが出来たはずだった。
「レナード様を不本意な結婚に縛り付けてしまい、本当に申し訳ございませんでした。最後に謝罪することが出来て、良かったですわ」
「最後?」
「ええ。私、ウォルト・コーンズ子爵と婚約しましたの。侯爵閣下が紹介して下さって……。式の準備のため、明後日には子爵領へ向かう予定です」
ウォルトはアンジェリカをいたく気に入り、とんとん拍子に縁談が纏まった。出戻りとなった娘を心配していたベックリー男爵夫妻も大喜びで、たくさんの持参金を用意してくれた。
そんな話をするアンジェリカの頬は、バラ色に染まっている。
恋する乙女の顔を面前にして、レナードは言いかけていた復縁の言葉を飲み込むしかなかった。
「レナード様もどうぞ、愛する方との想いをとげて下さいませ。貴方の幸せを心より願っております」
数か月後、レナードはティリス駐屯地に異動した。
別の勤め先を探そうと護衛騎士を募集している貴族を何件か当たったりもしたが、全て断られた。どうやら侯爵が手を回していたらしい。
実家は頼れなかった。フォーブズ伯爵はレナードに絶縁を言い渡し、彼を籍から抜いてしまったのだ。
「申し訳ありませんが、私はあなたを愛することは出来ません。生涯亡き夫だけを愛すると誓ったのです。ですが妻として、勤めはきちんと果たします」
初夜を前にして、再婚相手のジョアンナはそう言って頭を下げた。
ジョアンナの前夫も駐屯地に勤める騎士だったが、魔獣との戦いで命を落とした。見舞金は貰ったものの幼い息子が病気になり、使い果たしてしまった。頼れる実家もなく路頭に迷い掛けていた彼女は、息子のためにレナードとの結婚を承知したのである。
リンスコット侯爵からはジョアンナを養うのが雇用継続の条件だと言われ、レナードは泣く泣く受け入れた。
毎日村々を巡回し、獣が出れば追い払う。そして得られた給料は全て妻へ渡す。そんな退屈な日々が続く。
ジョアンナはきちんとレナードの世話をしてくれるし、養ってもらっていることに日々感謝を述べる。だが彼女の愛は全て息子へ向けられており、レナードには一片の愛情すら見せることは無い。
レナードとて妻を愛しているわけではないが、それでもささくれた気持ちになる。ましてやそれが、愛する相手だったなら……。
今になってようやく、レナードはどれだけアンジェリカの心を傷つけたのか理解したのだ。
自分の愚かな行いのせいで、手に入れられたはずの真実の愛は零れてしまった零れてしまった。その事実はいつまでもレナードの心を苛み続ける。
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