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3. 商人の心得
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「まあまあ、アデライン様ではございませんか!」
「ご無沙汰しております、バークレイ伯爵夫人」
アデラインはスタンリーと共に、バークレイ伯爵家を訪れていた。平民と違い、貴族が商会の店舗を訪れることはない。こちらから商品を持参して売り込みに行くのが常である。スタンリーはその助手として彼女を連れて行ったのだ。
バークレイ伯爵夫人はアデラインの顔を見た途端、ずいずいと寄ってきた。
「聞きましたよ、婚約破棄のこと。お可哀想に……気落ちなさっているのではなくて?」
「いえ、それほどでも」
「アシュバートン侯爵のご令息と、ご不仲とは聞いておりましたけども。やはりそれが原因ですの?」
気遣っているような言葉に反して、その眼は好奇心で爛々と輝いている。
困惑したアデラインはスタンリーの方を見たが、彼は「折角だ。アデライン、お話しして差し上げなさい」とにこやかに答えた。
こうなったらヤケだ。
アデラインは婚約破棄へ至るまでの一部始終を、それはもう詳しく語った。夫人が大喜びだったのは言うまでもない。
ついでに持参した商品を購入して貰えたスタンリーもニコニコ顔だ。
「困ったことがありましたら、遠慮なく頼って下さいましね」
「はい、ありがとうございます」
帰る際にはそんなことを言って手を握られた。社交辞令であることはアデラインにも分かっている。本音は「面白いネタがあったらまた教えてね」だろう。
それからもいくつかの貴族の家へ連れて行かれたが、みな同じようにアデラインの話を聞きたがった。
噂好きな彼らにとって、自分たちより上位の存在である侯爵家の醜聞など、格好の餌なのだ。彼らの眼にはいつだって愉悦の色が潜んでいる。
「アデライン。君は婚約破棄の話をすることが嫌ではないのかい?」
ある日、スタンリーがそう聞いてきた。
何を今さらという話である。この頃になるとアデラインはすっかり開き直っており、自分の過去を面白可笑しく語れるようになっていた。だから、彼女はスタンリーの問いかけを否定した。
「いいえ。皆さん、喜んで聞いて下さいますから。それに、商売は強みを生かすものだとスタンリーさんはいつも仰っているでしょう?これが私の強みなのだと思っています」
「……合格だ。君は思っていたより、ずっと逞しいな。商人に向いているかもしれない」
ニヤリとしながら答えるスタンリーに、アデラインは自分が試されていたことにようやく気付いたのだった。
そのすぐ後、アデラインはハズウェル商会へ正式に雇用された。
貴族を訪問するとき、スタンリーは必ずアデラインを伴う。夫人たちはアデラインが相手だと口が軽くなるらしく、訪れると様々な話に付き合わされた。
貴族ではない、でも行儀作法や会話術を心得ている彼女は、話したいことを語り捨てる相手にちょうど良かったのかもしれない。
そこで見聞きした話は、別の訪問先でネタとして会話を広げるのに役だった。
勿論、会話だけではない。
スタンリーとアデラインは新商品として香り付きの扇を売り込んだ。扇に花の香りのエキスを振りかけて使用するものだ。張ってある布は香りが染み込みやすい特殊な布で、一度振りかければ一週間は香りが持つ。
エキスの入った瓶をセットに付けているため、香りが減ってきた頃にはまた振りかければ良い。しかも瓶が空になれば、入れ替えの瓶が売れる算段だ。
春のデビュタントを控える令嬢に、扇は飛ぶように売れた。
◆ ◆
「随分羽振りがいいようじゃねえか」
スタンリーの元をふらりと訪れたのは、商会ギルド長、ダリル・レッツェルである。彼はレッツェル商会の会長でもあり、一代で商会を大きくした叩き上げとして商人仲間から尊敬されている人物だ。
「香り付きの扇だって?面白いことを考えるもんだ。ギルドの連中が悔しがっていたぞ。俺が宥めといたがな」
「ありがとうございます、ダリルさん」
「まあ、タダってわけじゃねえがな」
ニヤリとするダリルに対して、スタンリーは涼しい顔だ。
「扇に張る布の製法を公開しますよ」
「エキスの方もだ」
「仕方ないですねえ。抽出方法もお教えするよう、工房へ伝えておきます」
「よし!話が早くて助かるよ。今後ともよろしく頼むぜ、スタンリー」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
横で書類仕事をしていたアデラインは、やり取りを聞いて唖然とした。これでは強請りではないか。
「スタンリーさん!いいんですか?製法を公開してしまったら、他の商会が一斉に真似をするのでは」
「こういうのは持ちつ持たれつだ。商人は、自分だけが儲けようとしてはいけないんだよ」
「でも」
納得のいかない顔のアデラインに対して、スタンリーはウィンクをしてみせた。
「工房の職人とは専属契約を結んでいるわけじゃないしね。どのみち、製法はいつか漏れる。それなら、ダリルさんに恩を売っておいた方がいいだろう?」
ほどなく、香りつき扇は他の商会からも売り出された。それは一大ブームとなり、貴族だけでなく裕福な平民の女性も持つようになった。ハズウェル商会の売り上げは減るどころか増えたほどだ。
さらに商人たちは他と格差を付けようと、競って扇や香りエキスの改良を行った。それは扇そのものの品質を向上させ、また次の商品開発へ役立つことになる。
(持ちつ持たれつとは、こういうことなのね)
「ご無沙汰しております、バークレイ伯爵夫人」
アデラインはスタンリーと共に、バークレイ伯爵家を訪れていた。平民と違い、貴族が商会の店舗を訪れることはない。こちらから商品を持参して売り込みに行くのが常である。スタンリーはその助手として彼女を連れて行ったのだ。
バークレイ伯爵夫人はアデラインの顔を見た途端、ずいずいと寄ってきた。
「聞きましたよ、婚約破棄のこと。お可哀想に……気落ちなさっているのではなくて?」
「いえ、それほどでも」
「アシュバートン侯爵のご令息と、ご不仲とは聞いておりましたけども。やはりそれが原因ですの?」
気遣っているような言葉に反して、その眼は好奇心で爛々と輝いている。
困惑したアデラインはスタンリーの方を見たが、彼は「折角だ。アデライン、お話しして差し上げなさい」とにこやかに答えた。
こうなったらヤケだ。
アデラインは婚約破棄へ至るまでの一部始終を、それはもう詳しく語った。夫人が大喜びだったのは言うまでもない。
ついでに持参した商品を購入して貰えたスタンリーもニコニコ顔だ。
「困ったことがありましたら、遠慮なく頼って下さいましね」
「はい、ありがとうございます」
帰る際にはそんなことを言って手を握られた。社交辞令であることはアデラインにも分かっている。本音は「面白いネタがあったらまた教えてね」だろう。
それからもいくつかの貴族の家へ連れて行かれたが、みな同じようにアデラインの話を聞きたがった。
噂好きな彼らにとって、自分たちより上位の存在である侯爵家の醜聞など、格好の餌なのだ。彼らの眼にはいつだって愉悦の色が潜んでいる。
「アデライン。君は婚約破棄の話をすることが嫌ではないのかい?」
ある日、スタンリーがそう聞いてきた。
何を今さらという話である。この頃になるとアデラインはすっかり開き直っており、自分の過去を面白可笑しく語れるようになっていた。だから、彼女はスタンリーの問いかけを否定した。
「いいえ。皆さん、喜んで聞いて下さいますから。それに、商売は強みを生かすものだとスタンリーさんはいつも仰っているでしょう?これが私の強みなのだと思っています」
「……合格だ。君は思っていたより、ずっと逞しいな。商人に向いているかもしれない」
ニヤリとしながら答えるスタンリーに、アデラインは自分が試されていたことにようやく気付いたのだった。
そのすぐ後、アデラインはハズウェル商会へ正式に雇用された。
貴族を訪問するとき、スタンリーは必ずアデラインを伴う。夫人たちはアデラインが相手だと口が軽くなるらしく、訪れると様々な話に付き合わされた。
貴族ではない、でも行儀作法や会話術を心得ている彼女は、話したいことを語り捨てる相手にちょうど良かったのかもしれない。
そこで見聞きした話は、別の訪問先でネタとして会話を広げるのに役だった。
勿論、会話だけではない。
スタンリーとアデラインは新商品として香り付きの扇を売り込んだ。扇に花の香りのエキスを振りかけて使用するものだ。張ってある布は香りが染み込みやすい特殊な布で、一度振りかければ一週間は香りが持つ。
エキスの入った瓶をセットに付けているため、香りが減ってきた頃にはまた振りかければ良い。しかも瓶が空になれば、入れ替えの瓶が売れる算段だ。
春のデビュタントを控える令嬢に、扇は飛ぶように売れた。
◆ ◆
「随分羽振りがいいようじゃねえか」
スタンリーの元をふらりと訪れたのは、商会ギルド長、ダリル・レッツェルである。彼はレッツェル商会の会長でもあり、一代で商会を大きくした叩き上げとして商人仲間から尊敬されている人物だ。
「香り付きの扇だって?面白いことを考えるもんだ。ギルドの連中が悔しがっていたぞ。俺が宥めといたがな」
「ありがとうございます、ダリルさん」
「まあ、タダってわけじゃねえがな」
ニヤリとするダリルに対して、スタンリーは涼しい顔だ。
「扇に張る布の製法を公開しますよ」
「エキスの方もだ」
「仕方ないですねえ。抽出方法もお教えするよう、工房へ伝えておきます」
「よし!話が早くて助かるよ。今後ともよろしく頼むぜ、スタンリー」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
横で書類仕事をしていたアデラインは、やり取りを聞いて唖然とした。これでは強請りではないか。
「スタンリーさん!いいんですか?製法を公開してしまったら、他の商会が一斉に真似をするのでは」
「こういうのは持ちつ持たれつだ。商人は、自分だけが儲けようとしてはいけないんだよ」
「でも」
納得のいかない顔のアデラインに対して、スタンリーはウィンクをしてみせた。
「工房の職人とは専属契約を結んでいるわけじゃないしね。どのみち、製法はいつか漏れる。それなら、ダリルさんに恩を売っておいた方がいいだろう?」
ほどなく、香りつき扇は他の商会からも売り出された。それは一大ブームとなり、貴族だけでなく裕福な平民の女性も持つようになった。ハズウェル商会の売り上げは減るどころか増えたほどだ。
さらに商人たちは他と格差を付けようと、競って扇や香りエキスの改良を行った。それは扇そのものの品質を向上させ、また次の商品開発へ役立つことになる。
(持ちつ持たれつとは、こういうことなのね)
応援ありがとうございます!
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