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狼は白薔薇の傷を知る1

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 部屋付きの召使は名をフェアロスと言った。

 フェアロスはメリーの前では口に出さないことを条件に、名前を教えてくれた。やはり、メリーはフェアロスと俺を気にしているらしい。メリーが側にいない時にフェアロスが俺に近づくと、表情が強張るらしいのだ。

 そして、フェアロスはメリーに仕えていた守護騎士の弟だった。

 クルフィンという名の守護騎士はメリーが幼い頃、森で遊んでいて結界の外に迷い出たメリーを、魔物から護って命を落としていた。
 森で遊ぶことは禁じられていたのだという。だがメリーは何度も城を抜け出して森で遊んでいた。それを護るのがクルフィンという騎士の役目だったのだ。幼かったメリーの気まぐれが起こした守護騎士の死はメリーを打ちのめしたのだろう。フェアロスはため息をついた。

 嘆き悲しむメリーの話を聞いて、それほどまでにクルフィンを思っていたのかと心がざわついた。だが、その頃のメリーは幼く、年の離れた兄の友人でもあったのだから、兄のように慕っていたのだろうと心を宥めることにした。
 それに責任を感じたメリーは以後、自分の中の王族の血を否定するようになり、ついには身分を隠して、ルーカス王に招かれるままヒトの国に留学してしまったのだという。

 そういえば、俺もメリーと深く関わる前は、治癒系の魔法で天才的な才能を持つ、三年の魔法学の主席という認識しかなかったと思い出した。メリーがエルフの国の王子であるということは聞いた事はなかったし、知らなかった。

 フェアロスはメリーがこうなった原因は遠く自分の兄の死にあると責任を感じていた。活発なメリーにはもっと沢山の護衛をつけるべきだったのに、兄が固辞していたことに原因があったのだと。

「メリドウェン様は我々エルフ族の特別なお方です。たとえその身が王族でなかったとしても、失われた火の一族の血が色濃く出た者はエルフの宝であり、我々は彼らを溺愛してしまう。
 大切に庇護するべき存在なのです。
 皆でお守りするべきだったのに、兄は自分に慢心し、命を落としてその心に傷をつけてしまった」

 フェアロスの瞳が苦痛の色を浮かべて光る。
 彼はそうやって責められて育ったのだろうか。メリーが嘆いたことで、この地を去ったことで。人というのは痛みを感じると誰かを責めずにはいられないものだ。その叱責の対象に原罪である弟である彼はなっていたのか。
 そして、彼はそれを受け入れ、当然のことであると考えているのではないか。

「そんな風に兄君を恨んではだめです」

「でも!」

「メリーが学園に来なければ……俺とメリーは出会うことはなかったし……メリーはこの通り、好き嫌いが激しい人だから……」

 寝ているメリーの髪を撫でて苦笑いを浮かべる俺をはっとしたようにフェアロスが見る。窓からの光にきらきらと輝く髪をゆっくりと梳きながら俺は呟くように言った。

「沢山の理由が重なってメリーはこうなってしまったけど、メリーはきっと誰も恨んではいないから……あなたも兄君を恨むのはやめてください」


 ぐっと何かを飲み込んだフェアロスがうつむく。

「……辛くはないですか?メリーの側にいることは」

 もし、そうだったらどうしようと思う。
 俺はもうこのエルフに慣れてしまった。だが、彼の気持ちを考えれば、こうして俺達の側にいるのは辛いことなのかもしれない。
 ばっとその顔があがった。

「いえ!メリドウェン様のお側でお仕え出来るのはエルフであれば誰でもが光栄に思うことです。もちろん私も」

「俺はもうあなたに慣れてしまったから……多分、メリーも段々慣れていくんでしょう……だから……もしよければ……俺が……もし…………」


 メリーの側を離れる時には。

 その言葉を言うことは出来なかった。その先の言葉も。
 メリーの側を離れることを思うだけで体中が痛む気がする。

 途切れた言葉を察したフェアロスが、切なげな顔で頷いた。

「私の全力を持ちまして、誠心誠意お仕えいたします。
メリドウェン様と…………ロー様に」

「俺のことはいいんです」

「いえ、私の主人は生涯メリドウェン様とロー様と、今決めました」

 はっきりと言い放ったフェアロスの声に目をあげる。

「ロー様、あなたは優しい方です。オオカミ族は力のみを望む粗暴な民族だと言われていますが、あなたは違う。
 メリドウェン様に相応しい黄金の心を持っていらっしゃいます。わたしはメリドウェン様と等しくあなたにもお仕えします。なんでもお申し付けください」

 面食らった顔の俺にフェアロスが微笑む。
 この部屋付きの召使が笑うのを見るのは初めてだと気がついて心が温かくなった。

「ありがとう……俺も……もし、何か出来ることがあれば」

「そうですね……蜂蜜を指につけて、メリドウェン様の口に入れて舐めさせるのはやめていただけませんか?」

 子供のような真似を咎められて、じわりと顔が赤くなる。

 フェアロスがいたずらを見咎めた親のように訳知り顔に微笑んだ。

「せめてスプーンで」

「……はい」

 俺が恥入って情けなく俯くと、ぱっとメリーが目を開けて跳ね起きた。
 頭がぶつかりそうになって仰け反ると、きゅーと声をあげながらタックルをするように勢い良く抱きついて来た。

「どうしました?」

 俺は尋ねたがメリーはそれには答えずに、もぞもぞと膝の上で居住まいを正すと、俺の首に腕を回した。足の上に我が者顔で乱暴に横抱きに座ると、フェアロスを見上げてふんと鼻を慣らした。

「本当に仲がよろしいのですね」

 くすくすと笑うフェアロスにメリーがぶうと唇を鳴らす。

「怒っているのですか?」

 きょとんとしてメリーに聞くと、またふんと鼻をならして首筋に顔を埋めてちゅうちゅうと吸って来る。

「メリー?」

 戸惑って言うと、柔らかい唇が痛みを感じるほどに首を吸い上げた。

「私がロー様が素敵だと思ったので、きっと牽制してらっしゃるのですよ。愛されておいでなのですね」

 それは……と思って、目を上げるとフェアロスが微笑む。

「私の気持ちは、そういう気持ちとは全く違いますし、想う人もおりますので。大丈夫です────食事の支度をして参りますね」

 気を利かせたフェアロスが出て行くと、首に吸い付いているメリーの唇を奪って舌を絡める。メリーが心地よさに鼻をくーんと鳴らすまで唇を味わうと、その美しい顔を見た。
 潤んだ目、染まった頬、少し乱れた銀色の髪に包まれた完璧な形の頬のライン。キスで濡れた唇に触れると、俺がさんざん嬲ったせいで赤く染まった舌が指先をぺろりと舐める。

「あなたは本当に美しいな」

 メリーがその言葉を理解しないことを少し寂しく思う。
 そう囁いた時、メリーが恥じらい、微笑む顔が見たいと思った。

 見られなくても何も変わりはしない。変わらないのだが。

 ふわりと咲いたばかりの薔薇の香りがする。
 身を起こしたメリーが馬乗りになって抱きついてきた。物欲しそうな色を浮かべた瞳が俺の目を覗き込んだ。
 この部屋に来てから、俺はそういう意味ではメリーに触れていなかった。
すりっと寄せられた身体に欲望の証を感じる。

 それに応えるのは造作もないことなのだが。

 食事を運んでくるだろうフェアロスを動揺させるのは憚られた。誰であってもメリーの白く美しい肢体を見せるのは嫌だと思う。
 それに……夢中になった所を邪魔された時の俺の反応はもう体験済みだ。あの優しげなエルフがパトリック先輩程の戦闘能力を持つとは思えないから、下手をすると殺してしまうかもしれない。

 そこまで考えて、いや……それはないと気付いた。
 幼いメリーを抱き締めてキスをする。

 嬉しそうにキスを返し頬を染めるメリーの身体を撫でた。

 俺は幼いメリーに情熱のすべてをぶつけることは出来ない。

 俺の中の恋慕と情熱は醜いまでに強烈で、歯止めの利かない類のものだ。そして、それを受け止めるにはこのメリーは幼すぎる。

 それを見せるのは、見せていいのは、賢いメリーだけだ。

 俺の脳をかき回し、完全に陶酔させ、嬉々としてしてその欲望を受け止めることが出来るのは、あの人だけなのだ。

 そう思うのは裏切りなのだろうか?
 二人は一緒の存在なはずなのに。

「ろ?」

 メリーが泣きそうな顔で俺の顔を覗き込んだ。
 俺の感じた痛みを、メリーが悟ったのだと気付いて心が痛む。

 ぎこちなく微笑むとへにょりとメリーが笑った。

 このメリーに優しくしたい。このメリーは俺の醜さを知らなくていい。
 縋りつくメリーを抱きかかえてフェアロスの消えた扉を軽く叩いた。

「はい」

 職務に忠実なフェアロスが答えて、微笑が浮かぶ。

「メリーと風呂に入ります。少し時間がかかるので、飯の支度は後にして貰えますか?」
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