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4.サウラスへ
4-3.南への旅.3
その後はオティアンが手綱を取り続け、オレは馬橇を操作する方法をマスターできず終いだった。オティアンはオレに馬橇を教えるのが目的ではなく、カレルに聞かれたくない話をしたかっただけなんだろう。馬から下りたらカレルはほとんどずっとオレの側にいるから。やっぱりオティアンは一筋縄ではいかない男だ。
日没前、山の登り口にある半分崩れたような小屋に辿り着いたオレたちは、そこで夜をやり過ごすことになった。
「アキオ、アイツに何か余計な事を吹き込まれなかったか?」
御者台から下りた途端、駆け寄ってきたカレルに尋ねられ、オレは一瞬返事に困ったけど、すぐに首を横に振った。
「普通に世間話をしただけだよ。……てかさ、橇を上手く走らせるのって意外と難しいんだな。緊張して疲れちゃった!」
カレルはしばらくジッと肩をすくめるオレの顔を見ていたけど、「そうか」とだけ言って今晩の宿の方へと馬を引いていった。オレは遠ざかる背中を見送って、うっすらと寂しさが募るのを感じていた。
宿に選んだ廃小屋は、石を積んだ壁と小枝を組んだ屋根でできた粗末なものだったけど、過去には厩も兼ねていたようで、内部はかなり広かった。元はサウラスの聖堂が山を管理するために建てたものだそうだけど、サウラスの人口が減って維持できなくなったらしい。
オティアンはそう説明して、ほとんど崩れてしまっている屋根の代わりに、天井の梁にテントの布を張り渡す。
「明日は未明から山に入る。山の中で夜を越したくはないから、少し無理をしてでも明日中にサウラスの聖堂に辿り着きたいんだ。道が悪くなるから、その覚悟はしておいてくれ」
夕食の席でオティアンから告げられ、オレは憂鬱な気分で頷いた。
風のない静かな夜だった。
時々焚き火の跳ねる音や、馬の息づかいが聞こえるだけで、眠るには最適のはずなのに、睡魔がいつまでも訪れない。
「……眠れないのか?」
何度も溜息をついていると、同じ毛布を分け合っているカレルが、背中から低く声を掛けてきた。
「ごめん、起こした?」
「いや、起きていた。何か気にかかることでも?」
後ろから腕が伸びてきて抱き込まれる。体が近づいて、背中が温かい。
「うん……いや、サウラスに着いたらもう終わりが近いなと思ってさ。滅石はもういっぱいあるし、次の祭りまで待ってれば良いだけになりそうだなって」
「そうだな。安全なところで待機して、祭りの時期に聖都に戻れば良いだろう。サウラスで過ごすつもりか?」
「うん……いや、わかんない。ルチアーノは聖都に戻りたがるかもな……」
「聖都は危ない。……エラストは? 少し遠いが、安全は保証する」
腹に回された腕に少し力が込められる。オレは昼間オティアンから聞いた話を思い出した。
カレルはそう言うけど、エラストもそんなに安全ではないだろう。
「カレルはどうするつもりだよ? サウラスに着いたら、あとはもうオレはやることがない。カレルは自分の目的に戻れるよ?」
腕に更に力が入り、オレは息苦しさを覚えた。
「……オレは、お前を連れてエラストに戻りたい……」
ほとんど唇が触れるほど近くで囁かれ、くすぐったさに思わず耳を押さえてしまう。無理矢理首を捻って後ろを振り返ると、ほの暗い中で、カレルの黄緑色の目が水気を含んだように揺れていた。
「お、オレがエラストに行っても何もできないよ。戦えるわけでもないし、情報を持ってるわけでもないし」
「そういう意味じゃない。お前を争いごとに巻き込むつもりはない。ただ……」
カレルは目を伏せ、オレの髪に鼻を埋めるようにして呟いた。
「……ただ、オレはお前を大切に思ってるんだ」
オレはカレルが何を言いたいのかが分からなくて、抱きしめてくる腕に手を置いて黙り込む。
───守ってやんなきゃいけない子どもだと思われてるのかな……
「……オレは頼りないけど、子どもじゃないよ」
「知ってる」
怒っているような素っ気ない答えが返ってきて、オレは思わず「ごめん」と謝ったけど、カレルは呆れたように短く溜息をつき、それ以上喋らなくなった。
腹に回された腕には力がこもったままだ。窮屈な体制だけど、背中から伝わる体温がジワジワと眠気を呼ぶ。オレはいつの間にか眠り込んでしまっていた。
翌朝は、まだ暗い内にオティアンに起こされた。
一晩中カレルがオレを抱き枕にしていたせいで、寝返りを打てなかった身体が痛い。
外は凍てつくような寒さの快晴だった。
手入れの行き届かない山を上っていくのは想像以上に大変だった。かろうじて残っている道は雪に埋もれていて、気をつけなければ崖から滑落しそうだ。
オティアンは何度も同じ道を辿ったことがあるようだけど、途中からは馬橇の御者台から下り、馬の横に並んで一歩一歩確かめるように先へ進んでいた。馬が雪の深いところへ踏み込むのを嫌がるので、オレたちも引き綱を引っ張りながら歩いていく。
朝の内は晴れていたのに、立ったまま携帯食で昼飯を済ませた辺りから、天候が崩れ始めた。黒い雲がいっぱいになって、激しい風が吹き、細かな雪が横殴りに降ってくる。
いくらフードを目深に被って外套の前をかき集めても、粉雪はわずかな隙間から入り込んできて身体を容赦なく冷やしていく。
「ねー! ちょっと! 後どんくらい!?」
大声を上げて先頭のオティアンに尋ねると、
「あと半時もすれば着くはずだ! 急ぐぞ!」
と返され、絶望的な気分になった。
ちなみにこっちで言う半時は、二十四時間換算で言うと大体一時間。この地獄の雪中行軍があと半時も続くのか!
オレのすぐ横を歩いていたマイアリーノが、雪に足を取られて倒れる。助け起こすと、顔を覆うベールの下で唇が紫色になっていた。
今まで全く弱音も吐かずに着いてきていたし、混ざり者は人間よりも丈夫だって聞いてたから、平気なのかと思ってたけど、強がっていただけみたいだ。
「マイアリーノが!」
立ち止まって前に向かって手を振ると、全員が足を止めた。
「息はあるが、冷たくなっている。マズいな……」
一番近くにいたルチアーノが彼女を抱え上げて呟く。雪をかき分けながら戻ってきたオティアンが、
「ここで火をおこす暇はない。荷車に乗せろ」
と指示し、意識のないマイアリーノを御者台に乗せてありったけの毛布で包みこんだ。
「急げ!」
段々酷くなる吹雪の中、オレは雪まみれになりながら最後の力を振り絞って先を急ぐ。
*******
濃い灰色と白の斑に塗りつぶされた視界に、四角い大きな建物の影が現れた時は、安堵のあまり膝から崩れ落ちそうになってしまった。
冷え切って動かない手足を必死にバタつかせ、膝まで埋まる程積もった雪をかき分けて、縋るような思いで建物へと近づくと、入り口の扉の両横に松明が赤々と燃えているのが見えた。
「火がある! 人がいるんだ!」
鉄で補強された重厚な扉を、オティアンが拳で叩く。何度か間を開けて叩いていると、内側から扉が押し開けられ、細い隙間から若い女の子の顔が覗いた。
「どちら様ですか?」
「宿をお借りしたい。巡礼者と旅の商人です。全部で五人と馬四頭、橇が一台。一人は凍りかけている」
「まあ! こんな吹雪の中を、なんてこと! どうぞお入りください」
扉はすぐに大きく開かれ、オレたちは馬と橇ごと中へと迎え入れられた。
中は温かく、かなりの広さのあるホールになっていた。入ってすぐは土間になっていて、右手には五六頭は楽に入れそうな馬房がある。左手には壁沿いに薪が積み上げられ、その向こうに石造りの大きな炉があり、オレンジ色の大きな火が赤々と燃えていた。
「凍った方をこちらへ! すぐに人を呼んで参ります!」
女の子は、炉の前の床に毛布を重ねて敷いた後、奥の扉へと駆けていく。白いローブの裾が薄暗い通路に翻った。
ルチアーノがマイアリーノをその側に寝かせていると、奥からさっきの女の子と若い男がやって来た。どちらも同じような白ローブ姿だ。
男は四頭の馬を馬房に繋ぎ、濡れた馬体を拭いたり飼い葉をやってくれて、女の子はテキパキとマイアリーノの濡れた服や靴を脱がせ始める。女の子はマイアリーノの顔を覆うベールも取ろうとしたら、ルチアーノが素早く止めた。
「彼女は顔を見られるのを嫌がるんだ。ベールは取らないでやって欲しい」
女の子は怪訝そうな顔をしたけど渋々頷いて引き下がり、紫色になっているマイアリーノの足先を一生懸命擦り始めた。
乾いた毛布に包まれて、暖炉の熱で温められたマイアリーノの頬にわずかに赤みが戻って来る。ほんの少し指先が動くのが見えた。
「よかった……もう大丈夫、きっとすぐ元気になると思います」
その言葉にホッとして、オレたちはようやく濡れた外套と靴を脱ぐことを思い出した。
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